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初代武田氏信は幕府から安芸国内の足利直冬派平定と周防・長門を支配下に置く南朝所属の大内氏への牽制を命じられていたもののうまくいかなかった。 最終的に大内氏が室町幕府に鞍替えして周防・長門守護職となったことで周防・長門・安芸での幕府派は盤石となったが武田氏信は成果を挙げられなかったことで、このタイミングで守護職を解任、分郡守護に降格させられた。 後に4代武田信繁は6代将軍足利義教の命で若狭の一色氏を討ち直後に死去した。 そこで義教は信繁の子で5代信賢を若狭守護に任じた。 以降、安芸武田氏嫡流は若狭武田氏となって主軸を若狭に遷し、安芸分郡守護は庶流が代行を務めやがて独立した。
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