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軍艦島は、長崎本土からそんなにも離れていないのに なぜ当時栄えた(なぜ皆、島に居住した)のですか? 長崎市内から船で毎日通えそうな感じですが、

ドラマ | 日本史2,142閲覧

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回答(7件)

あのまま、現代でも端島で炭鉱を採掘していると なれば、そうなってたでしょうね 橋が架かっていたかもしれません

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現在は重要な燃料資源は石油が圧倒的に多いですが 以前は石炭が主流でした 明治時代に軍艦島で海底に石炭が大量に見つかりました それから採掘が始まり 海底で石炭を掘るので大変危険な仕事ですが 給料が普通より3倍位高かったのでそれで人が多く集り島は発展したのです 島は三菱のもので 三菱が巨大企業になったのは この石炭採掘からです 因みに海に眠るダイヤモンドとは石炭の事です 私は生まれも育ちも今も本籍は端島です

当時は歩合制なので島に住む人が多く島外には出ない。 夜でも掘削出来る。 朝鮮人も応募工か不法越境者で朝鮮人売春館もある。 船は三菱?炭鉱会社が運営。補助金は知らない。 多くの人は短期高収入目論見で働いたようです。 鉱夫は余り島外には出ない。

島全体が明治23年から三菱の所有です この端島で採掘される石炭は高値で取り引きされる高カロリーの石炭であった事で鉄鋼生産時に安定した温度での維持が可能になる為に重宝されたのです また、その裏に戦争による鉄の需要の増加による特需もありました 端島は元々が小さい島であった為に三菱は防護壁で島の回りを囲う工事を繰り返しています また現在でも船着場の桟橋の一部が壊れる程の高波が来る海域です 毎日船で工夫が通うのは不可能です 今でも観光客が上陸出来ない日もあります 閉山の理由は、1960年以降の石炭産業は物価上昇にともなう採掘コストの上昇や、競合関係にある石油の値下がりなどを背景に国が石炭から石油へとエネルギー政策の転換転換したからです

昔の炭鉱はとにかく人手を要しました。地中にトンネルを掘って壁面に露出した石炭層を採取していくわけですが、石炭層ってけっこう曲がりくねって存在しているんですよ。なのでトンネルもすごく曲がりくねったものになり、しばしば人が数名入る程度の太さになってしまったりもするんです。そうなると機械化は困難で、ますます人手が必要になり……。 一方炭鉱って、人口密集地の近くにあるとは限らないんですよ。山中とか孤島とかで石炭層が見つかってしまうとこの炭鉱を運営するのに必要な膨大な人手を通勤させるのが大変になるので、それくらいだったら炭鉱のそばに街を新たに建設したほうが安く上がるんです。 人はどうせ生活するのにお金を使うんで、街を建設しても維持費はその「街の住人が生活費として支払う費用」であらかた賄えます。街自体を炭鉱経営企業が運営すれば、その炭鉱町の生活プロセス一つ一つから利幅を取れるので「炭鉱夫に高い賃金払ってもそこからまた儲けられるので無問題」となります。 そんなわけで、炭鉱のそばには派手に投資された町が出来上がるのは世の常でした。端島は小さな島でしたが最盛期には世界一の人口密度の島となり(言い換えると住宅環境だけはよろしくなかったんですが)、夕張なんかは人口10万を超える北海道有数の都市になっていたりします。