インパール作戦って日本史上でも最大規模の大失敗のように言われていますが、一体誰のどういった指揮や責任で、それ程の最悪の結果を生む失敗に終わったのでしょうか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

物凄く丁寧にご説明頂きまして、大変に感謝いたします。 本当にありがとうございます。

お礼日時:11/8 8:28

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詳しくは忘れました。 長距離行軍する際の兵站・補給線の甘さ。 自然環境や渡河を甘く見ていた。 精神論による克服で慣行しようとした。 作戦指示者が引っ込みつかなくて、強行を主張し続けた事。 結局は、 陸軍は大陸(中国戦線)慣れしていた事で、 現地調達(略奪)前提の補給。 戦う前にして、戦える状況ではなかった・・・と、 東南アジアでの行軍の難しさと、補給線を軽視した結果という評価。

>日本史上でも最大規模の大失敗 これはフィリピン決戦でしょうね。 インパール作戦って確かに大敗北ですけど戦争の転換点とかそういうレベルの戦いではないですから。 インパール作戦が批判のネタになりやすいのは ・牟田口司令官が盧溝橋事件起きた時の連隊長だった(キャラが立ってる) ・部下の参謀が補給は不可能と反対したら更迭した ・師団長が補給も援軍もよこさない牟田口司令官の死守命令を拒否して独断撤退(敵前逃亡)した ・結局補給出来ずに餓死者多数を出して失敗した ・部下の参謀に「(作戦失敗の責任を)腹を切って詫びるしかない」と言ったら「死ぬなら黙って死んでください。司令官に腹を切ると言われれば参謀は立場上止めざるを得ません」と突き放される。 ・戦後も牟田口司令官は自分の失敗を認めなかった と叩きやすい項目がたくさんありますからね。 インパール作戦中止後に自決でもしてればここまで叩かれてはいないと思いますけどね。