千利休って大雑把に言うと何した人なんですか? 茶人とか、商人とかって出てきますけど、なんでそんな人が武将たちの中でも幅を利かせられたんですか?

日本史 | 歴史91閲覧

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お礼日時:11/14 7:05

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一般に理解するなら、「秀吉のお伽衆の一人」と考えれば良いと思います。 「お伽衆」ってのは、室町時代くらいから登場する、「お話衆」みたいな言い方もある立場で、つまりは、「偉い人の知識や情報源、時には相談役にもなるお話相手」みたいな意味です。 戦国大名には、少なくとも2,3人から10人くらいの、そんな、師とも相談役とも、単なる話し相手みたいな感じも含めて、話し上手の相手を持っていたんです。 ただ「千利休」は、後に「茶の湯の大家、始祖」みたいに偉くなっちゃうんで、そういう風に言いたくない?人も多いんですが、そんなものです。 一般には、「堺の大商人」と言われますが、爺さんが室町将軍に仕えていたとか、元は堺の人間ではない、とか、いろんな話もあるんですがけれどね。 要するに、「秀吉の側近」で、今風に言えば「ブレインの一人」ってことです。 んで、そもそもは「田中与四郎」と言う名前で、僧とも言えない立場なんですが、仏教上の修行者、受戒者としての「法名」「居士号」というので「千宗易」「利休」と言う名前を貰っていますから、そういう格好をしても良い訳です。

戦国大名というのは普通、戦争に勝って相手の領地を分捕ると、配下の武将たちに「恩賞」としてその領地を分け与えるわけですね。 もちろん、負ければ恩賞はナシです。だからみんな必死に戦います。 織田信長も、最初はそうして戦ってきました。しかし、天下統一に近付き、戦線が拡大して、あっちでもこっちでも戦争してる、ということになると、必ずしも「どこもかしこも勝ちまくり」とはいかなくなります。 戦争してる武将の総数に比べて、領地の広がりは追いつかない。こんなとき、どうします? 何か、領地や城のかわりに、価値のあるものを褒美にあげることにしましょう。 その「価値」は黄金のような実物資産ではなく、何か形而上学的なモノであれば、信長の腹は痛みません。 つまり「勲章」のようなものをたくさん用意して、それを配ればよいのです。 そこで発明されたのが「茶道」であり、「勲章製造装置」として重用されたのが「千利休」です。 なんて断言したら「なんてこと言うんだ」と怒られそうですけど、そういうふうにざっくり考えれば分かりが早いんです。 まず信長は、「茶道は素晴らしい芸術だ、オレの配下の武将であれば、その価値が分かるはずだ」という価値観を強力に広めます。 みんな、信長に気に入られたいですから、こぞって「茶道は素晴らしい」という価値観を吸収します。 戦の恩賞に茶器をもらえば、それは「信長に認められた」という証拠ですから、充分に価値があるのです。 どんな茶器が価値があるのか。簡単にいえば信長が「これは価値があるんだ」と言ったものが価値があるんです。 が、もうちょっと権威をつける(人が納得しやすくする)ため、登場するのが、千利休です。 茶道の創設者であり、オーソリティーである利休が鑑定して「うむ、これは価値がある」と言いさえすれば、昨日まで二束三文だった茶碗が、「国をひとつ取った恩賞として充分」なほどの価値のものになるのです。 こうなれば、しめたものです。信長は茶器ひとつで武将を感激させ働かせることができるようになります。 武将たちは、信長と同じ価値観を共有しようと、争って「名器」を手に入れようとします。何が名器かは利休が決めてくれます。 「名器を持っている」ということは「信長の価値観を理解している」証拠であり、「信長のお気に入りになれる」ということです。 いわば、我々にとってのお札のようなモノです。 一万円札がただの紙ではなく交換価値があるのと同じように、戦国武将にとっては「名物の茶器ひとつは、城ひとつと同じ価値がある」ものなのです。 こういうのを「共同幻想」といいますね。 豊臣秀吉は、この信長の作ったシステムを発展させ、千利休を引き続き登用し、茶道を大々的に広めました。 茶道の価値が上がれば上がるほど、茶道の元締めである千利休を握っている秀吉は「大儲け」できることになります。 もちろん、これは「共同幻想」ですから、秀吉本人も「茶道には価値がある」と信じこんでいたでしょう。自分が本気で信じていなければ、他人を信じさせることはできませんから。 でもね、結局は、「日本中をだまくらかしてる」ことには変わりはないんです。 そのことに、誰が気づいていたか。 千利休が、どうしてのちに秀吉に反発して、切腹させられる羽目になったのか、という「謎」を解くカギは、たぶんそのへんにあります。

安く仕入れた茶碗に箔をつけて高く売った人です。

文部科学大臣 財務大臣 文化庁長官 みたいな 堺の豪商、経済の拠点、茶人、茶会を開く、一種の政治パーティー、大名、公家、僧侶、豪商、色々集まり、ステイタスは上がり、又、金や人脈も集まる。それらの仲介者。 秀吉は農民、いくら天下統一しても、いくら豊臣姓を貰っても、大きな城を造っても、ステイタスは上がらない。 そこに利休がいれば、泊がつく。

安土桃山時代は、茶の湯というものが、 大名たちのステータスシンボルに、なっていたからです。 織田信長が、茶道の大の愛好家だった事もあって、 大名たちは、「名物茶器」と呼ばれる、芸術価値の高い茶器の蒐集に、 夢中になったのです、 名物茶器の中には、一国の領地に匹敵するほどの価値がある、 と言われるものまでありました。 そして、利休はそういう名物茶器の鑑定人として、 超一流だと、時の権力者だった、信長・秀吉から認められた事で、 たいへんな権威を持つに至ったのです。