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大学の授業で日本神話について学びました。

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回答(2件)

メッセージ的には他の回答者様が上げている通り女から男を誘ってはいけない、という解釈がメジャーです。 あと大和朝廷が成立する以前に信仰されていた太陽神、もしくは地方の敵対する部族で信仰されていた太陽神の象徴がヒルコという説。 大和朝廷が信仰する神ではないけれど無視できない力があったので、イザナギ・イザナミという大和の祖神の子という形で組み入れた後に流してしまったのです。 また古来から遠い海からの漂着物は神様もしくは神様のお使いという信仰がありました。 つい先日、鯨が迷い込んで死んでしまったというニュースがありましたが、古代だったらもう神様キター(゚∀゚)と祭り状態だったと思います。死骸も有り難く拝んだことでしょう。 こういう海からの漂着物と海に流された蛭子の神話が合わさって「えびす信仰」が生まれたのでしょう。 また室町時代の前の鎌倉時代に、これまでは政治や商業の中心地は京の都に一極集中だったのが鎌倉という大都市が出現しました。 この二つの大都市を拠点に交易が盛んに行われるようになり、また船便も発達していった事から海から来た神様の蛭子(えびす)は商業の神様という地位を得て信仰されて行ったのでしょう。 因みにえびす神の総本山の西宮神社で新年に大鮪を納めて硬貨を貼り付けたりしていたのは、流れ着いた大きな鯨やイルカなどを有り難い神として拝んでいた名残りだと思います。

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素人ですが、 ヒルコは 千位置戸の刑に処されて 手足の骨を折られて 川に流された 須佐之男命のことだと思います。 姉の天照大神の別名が ヒルメだからです。 なぜ 殺さなかったか というと、貴種の人は 直接 殺してはいけない という風習があったからです。 幕末の七卿落ちの1人の 中山忠光卿を 長府藩士達が暗殺する時も、中山卿の上に 藩士達が 次々飛び乗って 中山卿を圧死させたそうです。