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知恵袋ユーザー

2021/6/14 11:39

55回答

旧海軍ではどの階級まで戦闘機パイロットでいられたのでしょうか??

日本史607閲覧

回答(5件)

陸海の兵科に限らず実戦部隊要員として作戦に参加するのは大佐までと決まっています。旧海軍の航空隊の場合は慣例として大佐は基地司令あるいは航空隊指令を任ぜられ、自己の判断として搭乗、操縦することは「可能」ですが、実務上は行われませんでした また、部隊数や所属機数の急激な増加に伴い、戦前は戦隊長の大佐もいましたが、戦争中期以降は中佐までが戦隊長とされ、大佐は機種更新時の転換訓練も要求されなくなりましたので、事実上大戦中期以降は大佐が新型機のパイロットを務めることは技術的にも不可能になりました

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映画「トラトラトラ」で、中佐昇進間近の淵田満津夫少佐が参謀職から再び飛行隊長になったと部下に言うと、「中佐の飛行隊長なんて前例がありませんよ」と言われています。 普通は少佐までですね。

海軍では、分隊長、飛行隊長、飛行長と昇進していきますが、太平洋戦争勃発までは飛行隊長は概ね少佐、陸上機の飛行長は中佐と決まっていましたので、少佐までが現役パイロットということに成ります。真珠湾攻撃の「赤城」戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐(第23期飛行学生卒業後8年半の飛行経験)でした。その後戦没者の増加や航空隊の増強(飛行長需要が増えた)などによりこの基準より遥かに若いパイロットを飛行隊長に抜擢せざるを得なくなりました。マリアナ海戦では飛行学生卒業後8か月で母艦航空隊の飛行隊長も生まれました。