私なら、次のような研究がしたいし、また、そのような研究をした人がいれば、その成果を知りたいです。というか、こういった研究はすでに多くなされていますが、
<心理学的アプローチ>
① 日本の小中高で、文法を一切教えず、それでいて、ネイティブの幼児のように完全に無意識的に文法を習得させられるか? それとも、もし無意識的に文法を習得されるのは無理なら、文法は従来のように知識として覚えさせることから始めるのがよいか?
② 無意識的な文法を習得させるためには、年齢の限界があるか? 例えば、6歳頃まででなければ無理だとか、10歳頃までならOKだとか、思春期の開始頃までならよいとか、実際のところはどうなのか?
③ 知識として覚えた文法事項は、いずれ練習により、無意識的に使いこなせる文法技能に変わることが可能か? それとも、最初に知識として覚えてしまった文法事項は、どんなに練習したところで、ただの知識でしかなく、英語を使いこなすための技能に結びつかないのか?
④ 英語を話せるように教育するためには、話す練習をさせるのがよいのか? それとも、大量のインプットのほうが大切か? また、インプットとアウトプットはどのくらいのバランスがよいか? インプットしてからアウトプットの練習をするのか、インプットとアウトプットは常に同時に行うべきか?
⑤ リスニングのための耳はどのように育てられるか? 乳幼児期に日本語の音韻体系が脳の中で確立したあとで、英語の音韻を英語の音韻体系で捉え直すことができるために、どんな教育が必要か? そもそも、一度日本語の音韻体系が確立してしまった人間は、途中で外国語の音韻体系で音を捉える能力を身につけられるのか? また、これにも年齢の限界のようなものがあるのか?
⑥ ネイティブでない日本人が英語を教えることに、どれほどの意味があるか? 特に、知識を教えるのでなく、英語を使いこなす技能を教えるときに、ネイティブほどの英語力がない日本人にも教えられることはあるか? もしあるなら、何をどのように教えればよいか?
<教育学的アプローチ>
① 従来の文法訳読形式の授業は、本当に悪か?
② コミュニカティブな授業の必要性が叫ばれているが、1つ間違えれば、ただのゲームなどのお遊びか英語ごっこに終わってしまい、実際には何の力もついていないという可能性はないか? そうならずにコミュニカティブな授業をするためには、どのようにすればよいか?
③ 生徒に英語を主体的に使わせることが学習指導要領などで強調されているが、生徒どうしに英語を使わせたら、ネイティブが聞いたら理解不能な、かなり変な英語で互いに喋り合うことになる可能性も高いが、それでも生徒どうしに英語を話す活動をさせるメリットのほうが大きいか? また、1クラスに何十人もいる環境で、教員は1人1人の発話をモニターできるか、また、モニターするべきか? また、発話の中で文法等の間違いに気づいたら、その場でその都度指摘して言い直させるべきか? そんなことをしていたら会話が前へ進まないので、細かいことは一切言わず、間違った英語でも通じさえすれば、どんどん喋らせるべきか? 生徒は、間違った英語を使っていても、ずっと放っておくのがよいか? それとも、どこかで矯正が必要か? もし矯正が必要なら、1クラスに何十人もいる環境で、どのようにすればよいか?
④ 授業は、高校ではすでに、中学ではもうすぐ英語で授業することになっている。これは、実際に、どのように行えばよいのか? 和訳など一切しない状況で、生徒が本文を本当に理解しているかどうかを知るためには、また、生徒に本文を深く理解させるためには、どんな授業をすればよいのか? よく本文のフローチャートを作らせたり、あとは T & F や Q & A によって理解を確かめるケースが多いが、このようなことができれば、本当に本文の内容をしっかり理解できたと言えるのか? 実際には、出てきた単語から推測して、かなり想像力で補っているだけという場合はないのか?
⑤ 英語で授業をすることについて、生徒はついてこられるか? また、日本の教員で、本当にそれができるレベルの英語力を持っている人はどのくらいいるか? 生徒のレベルも教員のレベルも低い場合に、英語で授業を進めることはやはり有益か? それとも百害あって一利無しか?
⑥ 英語で授業する学校でも、訳の先渡し、中渡し、後渡し、無配布の4種類に分かれる。この4つの中で、どれが本当の意味で英語力を高めることにつながるか?
⑦ 一切和訳せず、授業中はほとんど日本語を使わない授業をしている教員のもとへ、放課後に生徒が授業中に分かりにくかった点について質問に来たら、そのときも英語で対応するべきか? それとも、放課後は、日本語で説明するべきか? また、訳を一切配布しない方法を採った場合に、放課後、生徒が本文の意味が分からないと言って質問に来ても、訳は教えないというスタンスでよいか? それとも、その場合は訳を教えるべきか? しかし、もし、そんな生徒が多ければ、結局放課後に1人1人に和訳の授業をしているのと同じになり、それなら始めから和訳の授業をしたほうがよいということになってしまわないか?
⑧ 授業では、英語の知識を教えてから、それを使わせる練習をするべきか、それとも、始めから使わせながら、使う中で知識をつけさせるべきか? もし後者であれば、実際にどのように授業をすればよいのか?
⑨ コミュニカティブな授業でありながら、生徒には必要な英語の知識がつき、実際に英語を使う技能までつくようにするには、どんな授業をすればよいか? 単なる会話ごっこでなく、楽しく活動しながらも、難しい英文を読むことができ、自分の意見などを正しい英語でどんどん書き表し、また、口で話し、さらに、耳で英語を聞いて難なく理解できるレベルになるためには、どんな授業が必要か? それとも、そもそもそれは高望みしすぎか?
いかがですか? 他にもいろいろと、いくらでも書けますが、このあたりで置いておきます。
いずれにしても、上に書いたことは、日本中の英語教員が知りたいと思っていても不思議ではありません。そして、多くの研究者がこうしたことについてあれこれ書いていますが、あまり統一した見解というのがなく、正反対の意見があちらこちらで見られる場合が多いです。そのように専門家の間でさえ意見が分かれ、議論の余地があるものは、研究の価値が非常に高いと言えると思います。
以上が、私なら取り組みたいと思うテーマです。よかったら参考にしてください。