これを元に、科学における「発見」というのを考えてみると面白いと思います。
「地球球体説」ではなく「地球が丸い」という事は、かなり低い文明でも、多少は理論的な人なら「容易」にわかり得る事実なんです。
地平線でも水平線でも、平らな部分では、離れて行く物体は下から見えなくなる、その理由は「大地が丸い」からと簡単に思いつきます。
これは、高い所から見ると、大地が「丸く見える」のと合わせて、古代文明では世界を「円盤」とみなす例と別に「緩やかな半球」みたいに考えるものがあるのでも、「気付いている」ことがわかります。
特に、起伏の少ない地形、あるいは海に臨む文明なら、20kmも進めば「丸い地球」を自覚できて、それでもその先がいくらでも続いていることはすぐ経験できます。
問題は、そういう点から「地球は球形」とは仮説できても、ではなんで「裏で落っこちない」かという説明が出来ない。
その問題をどう克服するかで、この「発見」の意味が違ってきます。
この辺で、「神が世界を休憩に作られたのじゃ~、悔い改めよ~」という輩と、「同実験しても、裏から物が落ちない理由は無い、球形は有り得ない」という知恵者とで、「地球が丸いと発見したのは古代の狂信者」と断定するのが正しいとは思えませんね。
そうなると、「発見者」と言うのが、その「大きさを計算」した人とするのは当然妙な話、ただ、「古代でも(恐らく)丸いと知っていた」証拠にはなるけれど、それはやはり正しくは「仮説」に過ぎない、科学史ではよくある例で、これは「常識的な仮説」が証明された例ですが、例えばすぐそばの「地動説」になると違う訳です。
んで、現在の我々が「地球球体説」を安心して語れるのは「万有引力の法則」が見いだされ、正しいとされているからです。
ですが、実は「引力」というのは何か?という点では研究が進んでいない点もあったりします。
ともあれ、「地球球体説」というレベルでは、「引力」ではなく「重力」という概念で説明が付くので、ただ、「重力」こそ、その存在は超古代からありましたが、それが「地球が物体に及ぼす引力」に近い考えでまとまったのは、やっと「ケプラー」の時代辺りで、それをさらに研究して宗教論争に巻き込まれたのが「ガリレオ」だったのです。
実はこれが、ある意味、過大に評価され、「地球球体説を証明したのはガリレイ」のような説明もあります。
こうした説明は、「中世暗黒時代」を経たヨーロッパでは、そのことと合わせて強調されている点がありますが、学者レベルではずっと「球体説」は常識であり、何よりの例として、イスラーム社会では、創立当時から「聖地メッカの方向」測定などに、地球が球体であることを当然として計測していました。
例えば、記録があまり無いっぽい日本でも、「信長が即座に地球儀を理解した」のは、彼が天才だった訳ではなく、「知識人には常識」だったからともみられています。
ともかく「科学の証明」過程というのは、「仮説」「定説としての仮説」「証明」「確認」みたいな過程をたどりますが(用語は適当)、例えば「天動説」というのは、長い間「定説としての仮説」でしたが、「証明」されたのは18世紀くらいだし、ある意味、まだ誰も本当に太陽の周りを廻っているか「見てない(こともないけど)」とも言える訳です。
「地球球体説」についても、時系列で言うと、
・ほとんどの文明では「丸い」ことは感じていた。
・ギリシャなどで「丸さ」が計算された。
・「マゼラン(の部下)」が、西に西に行ったら一周して戻ってきた。
・「ケプラー」「ガリレオ」が地球には重力が働くことを科学的に研究した。
・「ニュートン」「万有引力の法則」を発表した。
・人工衛星、宇宙船が「丸い地球」を写真に撮った。
といった流れがある訳です。
さあ、誰が発見した、と言うのが正しい認識なんでしょうね?という事です。