はい、どうも。
第1、2回の大会責任者の孫です(どうでもいいですねw)。
〈基礎知識〉
正式名称は「全日本実業団対抗駅伝競走大会」で元旦に群馬県にて開催されています。
ご存知の通り、1957年(昭和32年)から三重・伊勢にて開催されました。第30回まで三重にて開催されました。
その後第31回大会は滋賀・彦根で開催され、その翌年の第32回から群馬県にて開催されてます。
現在のように100km走るようになったのは、2001年の第45回からです。
〈理由〉
1 赤城山だけでコース全体の電波を賄える。
2 元内閣総理大臣中曽根康弘の息子中曽根弘文が誘致した。
まぁ様様ですね。
〈裏知識〉
1 日本陸連の強化理事の方が、勧めたとか。
2 あと伊勢は道が狭く、警察も警備仕切れなくて、また開催許可が取れなかった。で、揉めたとかなんとか。
3 滋賀は協力体制もなく、山の中で電波も飛ばなくてとか。
4 全日本陸連会長の永井氏と群馬陸連の当時の枚方会長が飲み会で意気投合。枚方会長がその事を、群馬県の体育課の菊池課長に持ってきたが、けられた。その時、枚方氏の教え子である知事部局の総務部の唐沢太一氏(のちの県教育長)が、当時の清水知事に進言し開催誘致を承諾された。教育委員会の丸山基紀(運動教育係長)と協力し唐沢太一氏と秘書課の折茂氏を中心とする組織を結成。その後、伊勢に調査にむかい、中曽根弘文と協力し誘致成功。
元旦にTBSで放送し、フルマラソンの役2倍の距離に設定。その後、丸山氏と折茂氏で会議し、諸事情を決定。その後通過市町村と建設省とで実務者レベルで会合。だが、全7市町村、県警に反対された。県警は初詣警備で忙しく反対された。なので、県知事が市町村の長と会合。結果は長の賛成多数になった。県警はその決定に反対出来なくなり開催が決まったとか。
TBSと実業団と県の群馬陸協の会合し、着々と話は進んだ。
地元企業の協力により決定。県警の白バイ・パトカーを増やしたりした。
そんな感じかな。理由と基礎は全部調べると出てくるよ。
纏まってないけどごめんなさい。