本居宣長の「玉勝間」の 現代語訳をお願いします。 大かたよのつねにことなる、新しき説をおこすときには、よきあしきをいはず、まづ一わたりは、世中の學者ににくまれそしらるゝものなり、
本居宣長の「玉勝間」の 現代語訳をお願いします。 大かたよのつねにことなる、新しき説をおこすときには、よきあしきをいはず、まづ一わたりは、世中の學者ににくまれそしらるゝものなり、 あるはおのがもとよりより來つる説と、いたく異なるを聞ては、よきあしきを味ひ考ふるまでもなく、始めよりひたぶるにすてて、とりあげざる者もあり、あるは心のうちには、げにと思ふふしもおほくある物から、さすがに近き人のことにしたがはむことのねたくて、よしともあしともいはで、たゞうけぬ かほして過すたぐひもあり、あるはねたむ心のすゝめるは、心にはよしと思ひながら、其中の疵をあながちにもとめ出て、すべてをいひけたむとかまふる者も有リ、大かたふるき説をば、十が中に七ツ八ツはあしきをも、あしき所をばおほひかくして、わづかに二ツ三ツのとるべき所のあるをとりたてて、力のかぎりたすけ用ひんとし、新しきは、十に八ツ九ツよくても、一ツ二ツのわろきことをいひたてて、八ツ九ツのよきことをも、おしけちて、ちからのかぎりは、我も用ひず、人にももちひさせじとする、こは大かたの學者のならひ也、然れども又まれまれには、新なる説のよきを聞ては、ふるきがあしきことをさとりて、すみやかに改めしたがふたぐひも、なきにはあらず、ふるきをいかにぞや思ひて、かくはあらじかとまでは思ひよれども、みづから定むる力なくて、疑はしながら、さてあるなどは、あらたなるよき説をきゝては、かくてこそはと、いみしくよろこびつゝ、たりまちにしたがふたぐひも有かし、大かた新なる説は、いかによくても、すみやかには用ふる人まれなるものなれど、よきは、年をへても、おのづからつひには世の人のしたがふものにて、あまねく用ひらるれば、其時にいたりては、はじめにねたみそしりしともがらも、心には悔しく思へど、おくればせにしたがはむも、猶ねたく、人わろくおぼえて、こゝろよからずながら、ふるきをまもりてやむともがらも多かり までです。お願いしますm(_ _)m
文学、古典・5,090閲覧・100