昭和57年総武本線両国駅 153系・165系房総急行内房・外房・水郷・鹿島 通勤輸送冷房化 : denshakamera's Blog 電車飛行機カメラブログ
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昭和57年総武本線両国駅 153系・165系房総急行内房・外房・水郷・鹿島 通勤輸送冷房化

昭和57年盛夏の両国駅です。当時海水浴客の多くが両国から房総方面へ向かいました。総武・房総東西線(内房・外房線)の電化ののち、輸送の主力は183系特急へ移行しました。しかし153系、165系による補完的な輸送は昭和57年の秋まで続きました。以下の写真は両国駅の最後の賑わいといえます。なお、総武線方面へ撮影に出かけることはまれで、ご専門の皆様からみると記憶違いや錯誤があるかもしれないこと、あらかじめお詫びします。

(1)両国駅です。総武緩行線ホームから地平ホームを望むと165系402M急行水郷2号が到着済です。総武緩行線は津田沼行き101系非冷房車です。後記する(2)で当時の通勤輸送の冷房化について簡単に触れておきます。

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(2)地平ホームへ降りてみます。地平ホームには緩行線ホームからみえた165系急行水郷2号が停車中です。乗客は降車済みのようです。総武緩行線は、これも101系非冷房車です。窓はそこそこ開放されています。通勤電車の冷房は、昭和45年に山手線の103系冷房改造車から始まりましたが、冷房改造車は微々たるもので、昭和48年頃でも冷房車に当たると子供達は大喜びでした。昭和57年当時は山手線から中央快速線へ普及し、首都圏他線区へ展開中でした。
総武緩行線の冷房化率はまだ低く、他線区の冷房車の転属による冷房化がすすめられていました。103系の火災乗客負傷事故から行政指導により新車(209系950番台、231系)が総武緩行線に導入されることなどは、想像もできない時代でした。ちなみに営団地下鉄は冷房車両を前提としない仕組みのため、地下鉄線直通電車は乗入駅で冷房を切る措置がとられていました。(例えば東横線冷房車は中目黒で冷房を切って日比谷線に乗り入れ。)東西線は後々まで完全非冷房で夏期は冷房化が進捗した総武緩行線に乗客が流れたとのことです。
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(3)先頭部へ回ります。総武緩行線津田沼行きは103系高運転台冷房車です。総武緩行線の冷房化率を向上すべく、中央快速線の103系がオレンジ色のまま総武緩行線で運用されていました。後記(10)参照ください。


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(4)地平ホームへ到着する102M急行内房2号は153系7両+165系3両の10両編成です。後方3両は塗装色から165系だとわかります。153系7両はグリーン車組み込みです。153系は当初のKE54からKE57へ変更され165系のKE64と連結可能ではあるが165系の抑速ブレーキが使用できないとのこと。抑速ブレーキが不要な房総地区では153系と165系の混結は問題なかったと思われます。

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(5)先頭へまわってみると、折り返し103M急行内房3号の先頭3両は165系で後方の7両が153系とわかります

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(6)隣に503M急行鹿島が到着。こちらは153系基本7両編成です。先頭はクハ153高運転台です。なおこの時期は鹿島1号が臨時列車、鹿島3号が定期列車であり、この時間帯は501Mのはずです。なぜ503Mの表示なのか若干なぞです。

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(7)改札口側にまわると103Mと503Mともに153系低運転台の並びです。シールドビーム改造されていなければ東海道本線を彷彿とさせてくれます。
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(8)201M急行外房1号に乗り込む乗客です。反対側には103M急行内房3号が165系で待機しています。

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(9)103M内房3号のとなりに503M153系鹿島1号が入線しました。501Mではないかと思われるのは、前述のとおりです。隣接する総武快速線は完成から10年を経過しています。ちなみに「両国国技館」は影も形もありません。蔵前から両国へ国技館が移転するのは昭和60年1月です。
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(10)前記のとおり、中央快速線の103系冷房改造車が総武緩行線で運用されていました。誤乗防止のため表示がなされています。この写真だけ平井です。
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Commented by 風旅記 at 2024-01-23 02:37 x
こんばんは。
大変興味深くお写真を拝見させて頂きました。
両国駅には、今でも1本だけ片側だけの使用になって、低い位置のホームが残っています。
自転車を積み込めるB.B.Baseなど臨時列車がたまに入るようですが、お写真の頃のような始発駅としての活気はありません。
千葉県へのまさに玄関口となる駅だった往時が、今の駅の様子からは想像もつきません。
複々線化と東京駅乗り入れによって格段に便利になったのだと思いますが、両国駅はありふれた中間駅になり、東京駅を発着した特急列車も高速バスに押されて縮小、千葉方面の鉄道はだいぶ寂しくなりました。
急行型電車の次々と発着する様子、私も見てみたかったですし、ターミナル駅として機能していた両国駅の当時の様子にも惹かれるものを感じます。
Commented by denshakamera at 2024-01-23 15:46
> 風旅記さん
コメントありがとうございます。
昭和57年11月の東北・上越新幹線本格開業前は多くのファンが東北・上越線に集まりました。
そのような中で総武・房総方面の153系・165系急行の全敗は地味であり集まるファンも少数でした。
ご承知のとおり両国駅は昭和47年の総武本線複々線化と東京地下駅開業で総武・房総方面への起点としての役割が消失しました。
さらに遡る昭和44年の両国始発の蒸気運転列車の廃止により両国駅がファンの関心を集めることは少なかったと思います。
昭和57年当時の両国駅は総武・房総急行始発駅としての役割は残されたものの首都圏にあっては地味な存在でした。
この記事は継続的にアクセスがあり皆様の関心があるのは意外です。
これは当時のファンの記録が少なかったことの証左かと思います。
この記事が引き続き皆様の役に立つことを期待します。
by denshakamera | 2023-06-21 10:36 | 鉄道 | Comments(2)

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