2023年 06月 21日
昭和57年総武本線両国駅 153系・165系房総急行内房・外房・水郷・鹿島 通勤輸送冷房化
(1)両国駅です。総武緩行線ホームから地平ホームを望むと165系402M急行水郷2号が到着済です。総武緩行線は津田沼行き101系非冷房車です。後記する(2)で当時の通勤輸送の冷房化について簡単に触れておきます。
総武緩行線の冷房化率はまだ低く、他線区の冷房車の転属による冷房化がすすめられていました。103系の火災乗客負傷事故から行政指導により新車(209系950番台、231系)が総武緩行線に導入されることなどは、想像もできない時代でした。ちなみに営団地下鉄は冷房車両を前提としない仕組みのため、地下鉄線直通電車は乗入駅で冷房を切る措置がとられていました。(例えば東横線冷房車は中目黒で冷房を切って日比谷線に乗り入れ。)東西線は後々まで完全非冷房で夏期は冷房化が進捗した総武緩行線に乗客が流れたとのことです。
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大変興味深くお写真を拝見させて頂きました。
両国駅には、今でも1本だけ片側だけの使用になって、低い位置のホームが残っています。
自転車を積み込めるB.B.Baseなど臨時列車がたまに入るようですが、お写真の頃のような始発駅としての活気はありません。
千葉県へのまさに玄関口となる駅だった往時が、今の駅の様子からは想像もつきません。
複々線化と東京駅乗り入れによって格段に便利になったのだと思いますが、両国駅はありふれた中間駅になり、東京駅を発着した特急列車も高速バスに押されて縮小、千葉方面の鉄道はだいぶ寂しくなりました。
急行型電車の次々と発着する様子、私も見てみたかったですし、ターミナル駅として機能していた両国駅の当時の様子にも惹かれるものを感じます。
コメントありがとうございます。
昭和57年11月の東北・上越新幹線本格開業前は多くのファンが東北・上越線に集まりました。
そのような中で総武・房総方面の153系・165系急行の全敗は地味であり集まるファンも少数でした。
ご承知のとおり両国駅は昭和47年の総武本線複々線化と東京地下駅開業で総武・房総方面への起点としての役割が消失しました。
さらに遡る昭和44年の両国始発の蒸気運転列車の廃止により両国駅がファンの関心を集めることは少なかったと思います。
昭和57年当時の両国駅は総武・房総急行始発駅としての役割は残されたものの首都圏にあっては地味な存在でした。
この記事は継続的にアクセスがあり皆様の関心があるのは意外です。
これは当時のファンの記録が少なかったことの証左かと思います。
この記事が引き続き皆様の役に立つことを期待します。