2021年11月16日 (火曜日)
ギョべクリ・テペ
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デンマンさん。。。、ギョべクリ・テペ って聞いたことがないのですけれど、いったい何ですかァ〜?
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たぶん、ほとんどの人が知らないと思うのですよ。。。僕もこれまでに聞いたことも見たこともない。。。
いったい何なんですかァ〜。。。
あのねぇ〜、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて次のドキュメンタリーを観たのです。。。その中に出てきたのですよ。。。
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ギョベクリ・テペ
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ギョベクリ・テペ(トルコ語: Göbekli Tepe) は、アナトリア南東部、シャンルウルファ(旧名・通称ウルファ、古代名エデッサ)の郊外(北東12km)の丘の上に在る新石器時代の遺跡。
遺丘の高さは15メートル、直径はおよそ300メートルに及ぶ。
地名は「太鼓腹の丘」の意。 標高はおよそ760メートル。
ドイツの考古学チームにより発掘調査が行われた。発掘は1996年から始まり、チームの指揮を執ったクラウス・シュミットが他界する2014年まで続いた。
ギョベクリ・テペの遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた。
祭祀に用いられたと考えられるこれらの構造物には2段階の発達が見られる。
第一段階(先土器新石器A)では巨大な丁字型の石柱がいくつも円を描くように並べられている。
物理探査(リモートセンシング)により石柱の総数は200本以上、それらの描き出す円が20確認されている。
各石柱は6メートル以上、重さは20トン。
それらが基盤岩に穿たれた穴にはめ込まれている。
第二段階(先土器新石器B)では石柱は小さくなり、磨かれた石灰の床を持つ長方形の部屋に立てられた。
遺丘の隣に位置し発掘調査が待たれている構造物は1万4000年から1万5000年前のものであることがトポグラフィック・スキャンによって明らかにされた。
これはともすれば更新世を1000年遡行することになる。
先土器新石器B期が終わると遺跡は打ち捨てられた。
比較的新しい構造物にはギリシャ・ローマ時代のものも見られる。
この構造物が何に使われていたのかははっきりしていない。
発掘に携わったクラウス・シュミットは初期新石器時代の神殿だと信じていた。
遺跡の発見
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1963年にイスタンブール大学とシカゴ大学が共同で行った一般調査の中で初めてこの遺跡について記録された。
アメリカの考古学者ピーター・ベネディクトは遺丘に新石器時代の痕跡を認めたが、ギョベクリ・テペを新石器時代の地層が東ローマ帝国時代、イスラム時代に墓地として覆われたものだと仮定した。
調査の記録のなかでは無数の燧石(フリント)について触れられていた。
そして巨大な石灰岩の石板、すなわち丁字型の石柱の地上に現れている部分は墓標であると考えられた。
遺丘は長い間農耕に晒されてきた。
幾世代にもわたる地元住民がしばしば邪魔な石をどかしては積み上げてきた。
その過程のなかで考古学上重要な遺構も破壊された可能性がある。
人類史上の意義
前提として、発掘が全体の5パーセントも進んでいないため、この遺跡に関するいかなる叙述も暫定的なものとして捉える必要がある。
そもそもシュミットは、考古学調査技術の発展も見越してほとんどを手付かずのまま次世代にゆだねるつもりでいた。
遺跡は先土器新石器Aに属しているというのが公式見解であるが、今のところ栽培植物や家畜の痕跡は見つかっていない。
そのためこの地の人々は狩猟採集社会を形作って、しかし1年のうちのいずれかの期間はどこかの村に暮らしていた、と仮定されている。
ごくわずかであるが、住宅地として使われていた痕跡も見つかっている。
放射性炭素年代測定は、上で述べたように、第三層の一番若い部分は紀元前9000年頃に埋められている可能性があると示している。
しかしこの積み重なった遺跡は紀元前1万1000年までには、あるいはもっと早くから神殿としての機能を持っていたのだと考えられている。
つまり遺跡の建造は陶芸、金属工学はいうに及ばず筆記や車輪の発明よりも早い、紀元前9000年前後に起こったいわゆる新石器革命、すなわち農業と畜産の始まりにも先立っている。
にもかかわらずギョベクリ・テペは今まで旧石器時代や先土器新石器Aや先土器新石器Bとは無縁のものと思われていた高度な組織の存在を暗示している。
考古学者はあの巨大な柱を採石場から切り出し、遺跡のある100から500メートルを移動させるには500名以上の人手が必要だと見積もっている。
柱は10から20トン、採石場に残されているものは50トンに及ぶ。
これらの事実は社会的地位をもった宗教的指導者たちの存在をほのめかしている。
すなわち彼らが作業を監督し、そこで行われた儀式をつかさどったと考えられる。
であるならば、遺跡は聖職者階級の発展を示す最古の記録になる。
これは中近東のほかの地域で発展したこのような社会階級よりもずいぶんと早い。
紀元前8000年の初頭、ギョベクリ・テペは必要性を失った。
農業と畜産業の発展がこの地域の社会に新しい価値観をもたらした。
それにより「ストーン・エイジ・ズー(第三層のこと)」はこの地域の古い社会、すなわち採集社会にとっての価値を失った。
しかしこの建造物はただ打ち捨てられ風雨に侵され、忘れ去られることにはならなかった。
それぞれの遺構は丁寧に300から500立方メートルの廃物に埋められた。
廃物は主に細かい石灰岩の破片と石器によって構成されている。
動物の骨や、中には人間の骨も見つかっている。
なぜ遺構が埋められたかはわかっていないが、それがゆえに遺構が後世にまで残ることになった。
考古学上の価値
ギョベクリ・テペは人間社会の発達の歴史の決定的な段階に対する理解を大きく変える可能性を秘めており、考古学上特に重要な発見と考えられている。
スタンフォード大学のイアン・ホッダーは「ギョベクリ・テペはすべてを変えてしまう」と述べている。
ギョベクリ・テペはモニュメンタルなアーキテクツの建設が必ずしも、これまで考えられてきたように、農耕定住社会に限られたことではなく狩猟採集民にも可能だったということを示している。
発掘に携わったクラウス・シュミットが述べるように「神殿から始まり、街が興った」可能性を示している。
マクロな視点から見た場合の意義に限らず、いくつもの柱が並ぶ神殿がこの遺跡を独特なものにしている。
同時代には同じような遺跡は存在していない。
およそ同時代と考えられる建造物であるエリコには美術的要素、大規模な彫刻は見られない。
そしておそらく最も有名なアナトリアの新石器時代の村であるチャタル・ヒュユクはこれよりも2000年若い。
現状ギョベクリ・テペの存在は先史時代について明らかにしたことよりもむしろ謎、疑問を多く生み出している。
定住に至る前の社会がこれだけのボリュームの構造物を建設し、拡張し、維持するに足るだけの労働力をどのように動員し、どのような形の手当てが支払われたのかはまったくわかっていない。
また、学者たちはピクトグラムを解読できておらず、これら動物のレリーフが神殿を訪れるものに対してどのような意味を持ったのかという謎も残されたままである。
ライオンからいのしし、鳥、虫に至るこれら描かれた動物の持つ意味に関してはいかなる説明にも何かしらの疑問がついてまわる。
周囲にほとんどまったく居住の痕跡がなく、描かれた動物のほとんどが捕食生物であることを考えると、石はある種の魔よけとしての役割を果たしてきたという考え方も可能である。
あるいはある種のトーテムだった可能性もある。
遺跡が祭式目的に特化したものであるという仮説にも、共同住宅であったのではないかという異論が存在しており、「太平洋岸北西部に見られる、特徴的な柱とトーテムポールで飾られたプランク・ハウスにどことなく似ている」という意見もある。
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立てられた石柱が2、30年ごとに埋められ、それよりも小さい同心円上にふただび石柱を立て直すということが繰り返し行われている理由もわかっていない。
埋葬が行われていたとも、いなかったとも言い切れない。
遺構が丁寧に埋められた理由もわかっていない。
さらなる証拠がそろうまで、この遺跡の文化的背景、意義を導き出すことは難しいのが現状である。
出典: 「ギョベクリ・テペ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
このドキュメンタリーを観て、デンマンさんは何か気になったことがあるのですか?
ありましたよ。。。あのねぇ〜。。。この文明も巨石文化なのですよ。。。柱は10から20トン、採石場に残されているものは50トンに及ぶというのです。。。つまり、ストーンヘンジやピラミッド、すでに記事に書いたけれどナンマトルの『海の文明人』にも共通するものがあるのですよ。。。
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また、上の記事の中でも紹介したオリャンタイタンボとイースター島の古代文明とも共通するものがあるのです。。。どちらも巨石文化ですよ。。。遺跡である砦の石組みは高度な技術を持つ古代文明人を想定しない限り不可能な構造物なのです。。。
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現代人が最新の技術を使っても、この構造物と同じ石組みを作るのはほとんど困難だということが専門家からも指摘されている。。。なぜなら、インカ文明というのは文字を持たない、車輪を持たない文明なのですよ。。。つまり、この石組みに見られるような高度な技術を持つのであれば、当然、文字を持ち、車輪を利用することができたに違いないと歴史研究家が考えるのも当然です。
つまり、インカ帝国の砦の遺跡だと言われているオリャンタイタンボの石組みは、インカ文明よりずっと前の文明の遺物だというわけですか?
そうです。。。インカ帝国は、古代の文明の遺跡を利用して砦を作ったわけです。。。
インカ帝国よりもずっと以前に、それほど素晴らしい技術を持つ文明が存在していた、とデンマンさんは考えるのですかァ〜?
そうです。。。アンデス文明は約9,500年前(紀元前7500年)頃までに始まったと考えられているのですよ。。。
ずい分前から人が住んでいたのですわねぇ〜。。。
いや。。。ヒトが住み始めたのはもっと前からです。。。南米に人類が住み始めた痕跡を示す遺跡で最古のものは、1万4000年前という年代測定値を示す遺跡が見られる。。。
あらっ。。。そんな前から人が住んでいたのですかァ〜?
確実なのはクローヴィス文化に並行する1万1000年前の基部が魚の尾びれのような形状の魚尾型尖頭器を用いた狩人たちの遺跡である、と言われているのです。。。でも、僕は、もっと前から文明は存在していたと思うのですよ。。。
あらっ。。。それはどういうわけですか?
ちょっと次の小文を読んでみてください。。。
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デンマンさんもサントリーニ島が あの伝説の “アトランティス”だと考えているのですか?
いや。。。 無理にサントリーニ島と あの伝説の“アトランティス”を結びつける必要はないのですよ。 “アトランティス”は実際にあったと僕は思うのです。 でも それは、伝説のように大西洋の沖にあったのではなくて、地中海の底に 今でも遺跡として横たわっていると、僕は考えているのです。 つまり、地中海が干上がったことは何度かあった、と僕は仮定しているのですよ。 その何度目かに、高度に発達した文明が地中海の底近くにあった。
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地中海の底にあった“アトランティス”
ところが、やがて氷河が溶け出して大西洋の水位が上がって、閉まっていたジブラルタル海峡の上を乗り越えて海水が滝のように流れ込んだ。
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大洪水となって“アトランティス”の住民を押し流してゆく。。。これが聖書にも載っている大洪水の歴史的事実ですよ。。。
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そして、現在、“アトランティス”の遺跡は地中海の底にある。
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この生き残った人たちの子孫が、あるグループはマルタ島に残って巨石文明を、他のグループはクレタ島に残ってミノア文明を、また エジプトに渡った人たちはピラミッドを作ったのですよ。 僕は、そう考えたのです。 これが僕の“マルタ島のロマン”ですよ。
『マルタ島のロマンだ』より
(2016年9月17日)
つまり、アトランティスで生き残った人たちの子孫が、あるグループはマルタ島に残って巨石文明を、他のグループはクレタ島に残ってミノア文明を、また エジプトに渡った人たちはピラミッドを作った。 また、あるグループは南米に渡ってオリャンタイタンボの石組みを作ったとデンマンさんは考えているのですか?
そうです。。。
同様に、ナンマトルの巨石の遺跡もアトランティスで生き残った人たちの子孫が地中海から避難してナンマトルに渡ったというわけですか?
そうです。。。
でも。。。、でも。。。、その当時に、地中海からナンマトルや南米に航海することができたのかしら?
信じられませんかァ〜? じゃあ、次のクリップを見てください。。。
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あのねぇ〜、ナンマトルの遺跡には、カレドニアで見つかる遺跡とすっかり同じものがあるのです。。。上のクリップを見れば、その遺跡を見ることができます。。。つまり、古代人は、カレドニアからナンマトルまで航海できたのですよ。。。
古代人の航海技術は現在の私達には想像がつかないくらい優れていたのですか?
そうです。。。だから、地中海からナンマトルに航海するのも問題はないのですよ。。。事実、南米に渡った最古の人類も、東南アジアから船に乗って渡ったという歴史研究家もいるほどです。。。
要するに、古代でも、地中海からナンマトルや南米に渡るだけの航海技術があった、とデンマンさんは思うわけですか?
そうです。。。
でも、ちょっと信じられませんわァ〜。。。
いづれ、それを証明する考古学者が出てきますよ。。。
ちなみに、高度な技術を持つという古代文明人は、50トンから90トンもある巨石をどうやって運び、どうやって積み上げたのですか?
反重力(anti-gravity)を使ったのですよ。。。
反重力
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反重力(英: anti-gravity)は、物質・物体に加わる重力を無効にしたり、調節したりする、とされる架空の技術である。
現実の物理学では一般に不可能と考えられてきたもので、多くはSF作品に宇宙航行の基礎技術として登場する。
一般相対性理論では重力は時空の幾何学的な歪みとして解釈される。
歪みのない平坦な時空は重力が存在しない時空であり、そこを基準とすると重力は時空の収縮を示す。
しかし、数学的には時空が膨張するような解を想定することも可能であり、物理学的にはそれを反重力(負の圧力)とみなすことが出来る。
十分遠方から反重力場を観測すると重力場の時とは逆に、平坦な宇宙よりも空間が膨張し時間が加速しているように見える。
このような作用を生み出すエネルギーは負のエネルギー(直感的には負の質量と思ってよい)であり、有名なものとしてはワームホールの話題において登場するエキゾチック物質がある。
そのようなSFに近いものではなく多少現実味のある例としては、宇宙の膨張に関わる宇宙定数や真空のエネルギー(ダークエネルギー)が挙げられる。
いずれにせよこれらが示唆する「斥力として作用する重力場」は上手にとれば通常の重力場が作る時空の歪みをキャンセルすることが可能であり、事実上の反重力(厳密には「万有斥力」)として作用する。
これが現代物理学がおぼろげに描く「反重力」である。
また、現在も証拠の真贋を含めて議論が続いている現象として、ハチソン効果がある。
一方、SF作品に登場する反重力の設定は上記のみならず非常に多くの形態がある。
最も有名なタイプは磁力の反発からイメージされたもので、「反重力場」は単純に重力場に反発する場として設定される。
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出典: 「反重力」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つまり、アトランティスで生き残った人たちの子孫は、反重力を利用して巨石を持ち上げたのですかァ〜?
僕は、そう思います。。。最も有名なタイプは磁力の反発からイメージされたもので、「反重力場」は単純に重力場に反発する場として設定されると書いてあるけれど、ジュンコさんも磁石を使うと、引き付けるだけじゃなくて、逆に浮かせることもできるのを見たことがあるでしょう?
確かに、磁石に反発して遠のくこともありますよねぇ〜。。。でも、90トンもある巨石を磁石を使って浮き上がらせたとして、その磁石も90トンぐらいの大きさになるんじゃないですか?
だから、やがて優秀な科学者が登場して、小さな磁石でも巨石を浮かび上がらせることができることを証明してみせますよ。。。
要するに、ギョべクリ・テペの遺跡を構築した人々もアトランティスで生き残った人たちの子孫だとデンマンさんは考えているのですか?
そうです。。。時代を考えてみても納得がゆくし、地中海という近さを考えてみてもありそうなことですよ。。。ジュンコさんも、そう思いませんか?
そうですわねぇ〜。。。確かに、デンマンさんの説明を聞いていたら、そういう可能性もありそうだと思えてきましたわァ。
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ですってぇ~。。。
あなたも、地中海の底に“アトランティス”の遺跡が眠っていると思いますか?
ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白いことを話せ!」
あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。
ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!
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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」
あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?
わかりましたわァ。。。
では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。
日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。
次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。
ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。
興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。
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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。
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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』
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ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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