2008年5月29日 (木曜日)
ヌードとロマン
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秋の日のある朝。
パリのアパルトマンの一室で眼を覚ましたエマニエル(シルビア・クリステル)は薄いガウンを羽織ったまま寝室からキッチンへ降りる。
朝の陽ざしがカーテンを通してふりそそいでいる。
エマニエルは今日、タイのバンコクへ旅立つことになっている。
外交官である夫のジャン(ダニエル・サーキイ)は一足先にバンコクへ赴任していてあとからエマニエルが行くことになっていたのだ。
飛行場へは彼が出迎えにきていた。久びさの邂逅、二人は蚊帳の中で激しく愛し合う。
バンコクは乾いた空気が肌に心地よいエキゾチックな町である。
エマニエルが加わることになったフランス人の集まりは、とりわけサロン的ムードが濃く男も女も自由に交際している。
ある日の昼下がり、バンコクの庭園でパーティが催される。
ここに集うのは気ままな独身の男女、外交官、芸術家といった人たちである。
エマニエルは、ここでさまざまな男女と出会い、やがて彼らによって大きく変わっていくことになる。
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ロッカールームでのエマニエルとマリー(右)
マリー・ルイズ(ジャンヌ・コレティン)は、カモシカのような肢体を持つ奔放な少女で、彼女はパーティのあとエマニエルの屋敷を訪ねてくる。
性への好奇心が旺盛で、エマニエルにあけすけな質問をして顔を赤らめさせる。
しかも、驚いた事にマリーはエマニエルの前でオナニーを始める。
アリアンヌ夫人(クリスティーヌ・ボワソン)は性的に充たされない有閉マダムでレズ趣味がある。
エマニエルをスマッシュに誘ったとき、彼女を抱きしめ、それから時々更衣室で彼女を誘惑するようになった。
ビー(マリカ・グリーン)は、たくみなフランス語を話すアメリカ人の美女で、エマニエルは姉を慕うように魅かれ、やがて深く愛するようになってゆく。
さらにエマニエルは老紳士マリオ(アラン・キュニー)とめぐり逢う。
彼は社交界でも特異な存在である。
それはひとえに彼のもっている不思議な性の哲学のため。
女は誰でも彼の哲学の洗礼を受けることになっていた。
まさに、英語の man about town です。
社交界の有閑紳士、通人、遊び人、粋な人、と言ったところ。。。
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“文明人の性というのは複数セックスでなければならない。
単数のセックスではなく二人以上と肉体関係を持ちたい。
それも時や場所を選ばずに。
それを私は反文明のセックスと呼び、
そうした性の中にこそ真の喜悦を発見していくべきである。”
これが彼の性哲学です。
エマニエルはマリオにとってそうした哲学を実践するにまたとない素材なのです。
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ある一夜、エマニエルはマリオとデートすることになります。
食事のあと、彼はエマニエルに己れの主張を説きながら、さまざまな場所でさまざまな男たちと性関係を持たせる。
アヘンの巣窟で輪姦させ、キック・ボクシングの勝者に彼女の肉体を提供した。
こうした一夜の、恥辱としかいいようのない体験のあと、エマニエルの表情は不思議にさわやかだった。
マリオのいう性の自由の世界に魅せられつつあったのかも知れない。
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今日は、また『エマニエル夫人』に逆戻りですか?おとといはデンマンさんがさんざ長い前置きをタラタラと書きましたよね。今日は大切なお話があるのですよね。そうでしょう?
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もちろんですよう。レンゲさんは『エマニエル夫人』が嫌いなのですか?
別に、嫌いではありませんわ。でも、今日は余計なお話をしないで、すぐに本題に入ってくださいな。そうじゃないと、またクライマックスがあさってになってしまいますわ。
でもね、『エマニエル夫人』を出さない訳にはゆかないのですよう。
どうしてですか?
1970年代の後半から1980年代にかけて、『エマニエル夫人』は世界的にブームを巻き起こしたのですよう。いわば、エマニエル旋風が世界的に巻き起こったのですよう。ある意味で“愛と性の社会的現象”だった。
デンマンさんもその影響を強く受けたのですか?
そうですよ。
どのように。。。?
だから、僕がブルックリンでマリアさんとアンナさんに出会った頃、三作目の“Goodbye, Emmmanuelle (さよなら、エマニエル夫人)”を映画館で上映していましたよ。
それで、デンマンさんもマリアさんとアンナさんと一緒に観に行ったのですね?
そうですよう。僕はとりわけ感動した訳ではないけれど、詩的イメージが僕の脳裏に焼きつきました。
その詩的イメージって。。。?
シャーロット・アレクサンドラ(Charlotte Alexandra)と言うフランスの女優が出ていたのですよう。
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この女性ですか?
そうですよ。面影がちょっぴりアンナさんに似ているのですよう。僕はこの映画で初めて見たのだけれど、このシャーロットがビラ(villa)。。。、日本で言うならば葉山のウォーター・フロントにあるようなしゃれた別荘で、美と健康をそのまま象徴しているような見事な肢体を見せるのですよう。
つまり、一糸もまとわずヌードで登場するのですか?
そうなのですよう。この時、僕はマリアさんとアンナさんの間に座って映画を観ていたのですよう。急にライトハウス・ビーチ(Lighthouse Beach)で見たアンナさんのヌードが思い出されてきて、スクリーンのシャーロット・アレクサンドラに重なったのですよう。まさに、僕はシャーロットのヌードではなく、アンナさんのヌードをスクリーンに見ていたのですよう。しかも、僕のすぐ左隣にアンナさんが座っていたのですよう。
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それで、デンマンさんにとってヌードとエマニエル夫人の自由恋愛は強く結びついているのですか?
そうなんですよう。ヌードと自由恋愛がワンセットになっているような印象を持ったのですよう。
でも、もともと関係ないのでしょう?
多少は関係あるでしょうね。恋愛の行き着くところ。。。それは、たいてい裸になって愛し合うのですからね。裸。。。つまり、ヌードですからね。でもアンナさんによると裸とヌードは違うのですよう。
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古代ギリシャではヌードと言えば男性のヌードだったのを知ってる?
でも、女性のヌードもたくさんあるよ。例えばミロのビーナスとか。。。
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でもね、オッパイは見せてもプッシーちゃんまで見せている女性ヌードってないのよう。
う~~ん。。。確かに、言われてみれば、そうだよね。
古代ギリシャでは、鍛えられた男性の裸は当時の美意識に沿って積極的に誇示されたのよう。でも、女性の裸は着衣で隠すべきものという価値観があったのよね。
なぜ。。。?
やっぱり、女性の肉体は男性の鍛えられた躍動的な肉体に比べて劣っているものと言う考え方があったみたいよう。オリュンポス十二神の男性神と女性神の扱いなどを見ると分かるのよう。
東洋美術専攻でも、アンナは、古代ギリシャ美術のことを勉強したんだ?
古代ギリシャと古代ローマの美術は、美術を専攻する学生の必須科目だったのよう。
。。。で、アンナがナチュリスト(naturist)になったのは「3人のカリス」と関係あるの?
あるのよ。上の「3人のカリス」を読めば、古代ギリシャの頃でも女性の肉体の美しさは充分に認められていたのよう。分かるでしょう?でも、古代ギリシャは男性社会だったから、女性のヌードを一段低いものと考えるようにしたのよね。
それがアンナには気に喰わないんだ。
だってぇ、今ではヌードと言えば女性ヌードをまず考えるでしょう。素直に考えれば、性別の関係なくヌードって美しいものなのよう。 ケイトーも、そう思わない?
うん、うん、うん。。。もちろん、僕はアンナのヌードは素晴しいと思っているからね。うへへへへ。。。
ありがとう。。。。で、ケイトーは裸(naked)とヌード(nude)が違うと言う事を知ってる?
同じじゃないの?どちらも何も身につけないからね。
それが違うのよう。
どう違うの?
「裸」って、服をすべて脱いだ自然そのままの肉体を言うのよう。
。。。で「ヌード」は?
ヌードは、裸になった体を芸術家が理想的な形態に手を加えたものを言う訳なのよう。つまり、ヌードはバランスがとれた自信満々な肉体を意味するわけよね。
それはアンナの考え、それとも。。。?
イギリスの美術史学者ケネス・クラークが、そう言ったのよう。
じゃあ、アンナのヌードは本当にヌードなんだ?
ありがとう。。。ケイトーは、本当にそう思ってくれるの?
もちろんだよ。僕は、アンナのヌードを初めて見た時に中学生の時に見たプレーボーイのプレーメートが目の前に現れたような気がしたんだ。うしししし。。。
ずいぶんと褒めてくれるのねぇ?ケイトーって、女心をくすぐるコツを知っているのよね。。。
アンナさんの話を聞いてね、ヌードが、裸になった体を芸術家が理想的な形態に手を加えたものであるならば、自由恋愛も、それに対応するように、愛し合う二人が社会的な“足かせ”や“しがらみ”を乗り越えて自由に愛し合う、いわば理想的な恋愛ではないかと。。。
つまり、自由恋愛とは、社会的な制約に縛られずに、自分の心に素直に自由に愛し合うと言うことですか?
うん、うん、うん。。。僕もそう思ったのですよう。
要するに今日のタイトル『ヌードとロマン』はヌードと自由恋愛について語り合うためにつけたのですか?
まあ。。。そうですね。。。
それで、『エマニエル夫人』はヌードと自由恋愛を賛美している。。。デンマンさんが『エマニエル夫人』を持ち出したのは、その事を言いたいためですか?
実は違うのですよう。僕は『エマニエル夫人』は詩的映像として観る時、素晴しい映画だと思うけれど、あの映画は理想的な自由恋愛を追求しているとは思えないのですよう。
なぜですか?
ジューンさんが次のように言ってましたよう。
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こんにちは。ジューンです。
お元気ですか?
『チャタレイ夫人の恋人』では、
確かに愛とセックスがテーマになっていると思います。
でも、『エマニエル夫人』の場合には、
どちらかと言うと
レズビアンや露出、
自分の恋人を他の男性に抱かせたりといった、
通常の男女の愛情表現としての性行為から
外れた新しい「愛の形」、
もっと端的に言ってしまえば「性の形」を描いた
ファンタジーと言えるのではないでしょうか?
あなたは、どう思いますか?
僕もジューンさんと同感なんですよう。つまり、あの映画は「性の形」を描いたファンタジーだと思うのですよう。
つまり現実感がないと言うことですか。
そうですよ。あの映画で描かれている事が現実に起きた事だとか、あの映画の中の恋愛が理想的だとか。。。そう言う事を真に受けて、それを現実世界で実現させようとすると、馬鹿を見ると。。。僕はしみじみ痛感しましたよう。
なんだかデンマンさんがおっしゃるのを聞いていると実感がこもっていますわねぇ。うふふふふふ。。。
だから、僕はそのためにアンナさんのエピソードを記事に書いたのですよう。
つまり、デンマンさんは『さよなら、エマニエル夫人』という映画を観て、その中で繰り広げられている「性の形」のファンタジーと、アンナさんとの現実の恋愛体験の違いを痛感したとおっしゃるのですか?
そうですよう。
面白そうですわ。その違いというのを聞かせてくださいな。
すでに書いたように、『さよなら、エマニエル夫人』の中で、シャーロット・アレクサンドラ(Charlotte Alexandra)のすばらしいヌードを見ることができるのですよう。
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それ程印象的だったのですか?
詩的イメージとして観るとき、『エマニエル夫人』の映画は本当に素晴しいと思います。
。。。で、アンナさんのヌードも素晴しかったのですか?
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このライトハウス・ビーチ (Lighthouse Beach) は本当に素晴しいところでしたよう。しかも、ファンタジーではないのですからね。現実にアンナさんが素晴しいヌードを見せてくれたのですよう。もちろん、僕にヌードを見せるためにビーチに誘ったのではないのですよ。ビーチで裸になることがアンナさんのライフスタイルになっているのです。
古代ギリシャでは、鍛えられた男性の裸は
当時の美意識に沿って積極的に誇示されたのよう。
でも、女性の裸は
着衣で隠すべきものという価値観があったのよね。
女性の肉体は男性の鍛えられた躍動的な肉体に比べて
劣っているものと言う考え方があったみたいよう。
オリュンポス十二神の男性神と
女性神の扱いなどを見ると分かるのよう。
古代ギリシャの頃でも
女性の肉体の美しさは充分に認められていたのよう。
古代ギリシャは男性社会だったから、
女性のヌードを一段低いものと考えるようにしたのよね。
今ではヌードと言えば女性ヌードをまず考えるでしょう。
素直に考えれば、性別の関係なく
ヌードって美しいものなのよう。
この考え方を素直に実践する場が、アンナさんにとってライトハウス・ビーチだったのですよう。
デンマンさんも、そのアンナさんの考え方に共鳴したのですか?
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正直な話、僕はアンナさんのヌードを見たら、そういう理屈、理論。。。古代ギリシャの美学だとか。。。古代ギリシャ社会の価値観だとか。。。そういうものがすべて吹っ飛んでしまいましたよう。とにかく、アンナさんのヌードは僕にとってあまりにも衝撃的だったのですよう。
女性の裸を初めて見たわけではないでしょう?
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もちろん、初めてではないですよう。なぜ、それ程までに衝撃的だったか!と言えば、僕が中学生の時に見たプレーポーイのヌード写真に、そっくりだったのですよう。
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その時に目にしたプレーメートが僕の目の前にヌードで現れたように見えた。
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すっげぇ~♪~
驚きましたねぇ~。。。アンナさんは僕の目の前で、すっかり裸になってニコニコしているのですよう。。。僕はギョッとなって、もう呆気(あっけ)にとられて、しばらく言葉も出ませんでしたよう!ただポケーとしてアンナさんの見事なヌードに目が貼り付いてしまったのですよう。
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マジで。。。?
もちろんですよう。。。これって。。。現実。。。? 夢じゃないのォ~。。。? 僕のオツムは、すっかり混乱していましたよう!でも、間違いなく現実でしたよゥ~。。。ビックリ仰天してドキドキしていた気持ちを押さえ込みながら、僕はルーブル美術館でミロのミーナスを見るように、アンナさんのヌードをじっくりと眺めたのですよう。すっげぇ~~ 僕は30分ぐらい。。。時間の経つのも忘れて。。。時間が止まってしまったのか?!。。。衝撃と感動のあまり、僕自身がお地蔵さんになったように体が固まったままでした。目だけをギロギロさせながらアンナさんのヌードに釘付けになってしまったのですよう。もちろん、それ程長い間ではありませんでした。呆気(あっけ)にとられて馬鹿のように見とれている僕の目の前でアンナさんがじっとしていた訳ではなかったのですよう。気づいたらアンナさんは波打ち際で7つの女の子のように、水と戯(たわむ)れて、はしゃいでいましたよう。
それで。。。?
とにかく仰天しましたね。我に返っても僕は、まだドキドキして喉がカラッカラになってヒリヒリするほどでしたよう。
それ程衝撃的だったのですか?
僕の人生の中でも、あれほどの衝撃を受けたのは、ちょっと他に思いつかないほどですよう。でも、1時間もすれば、見慣れてしまうものですようね。。。とは言っても、やっぱり刺激的ですよう。
けれど、衝撃って、そう長い間続かないでしょう?
もちろん、次第に衝撃は和らいでゆきましたよう。
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でも、アンナさんの隣に横になって日光浴をしながらも、なんとなく落ち着けないのですよね。それで、時々、不意に起き上がって確かめてみるのですよう。
なぜ。。。?
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もしかして、これは夢ではないのだろうか。。。?目を開けて、隣のアンナさんを見ると、今までそこに居たアンナさんが、カエルになっていたりするのではないだろうか?うへへへへ。。。
マジで。。。?
もちろん、冗談ですよ。でもねぇ、やっぱり、初めて見るアンナさんのヌードだから気になって仕方がないのですよう。アンナさんは静かに日光浴をしているのだけれど、アンナさんだって人形じゃないから、じっとしている訳ではない。時々、寝返りを打ったり、片脚を折り曲げて立ててみたり、無造作に両足を広げてみたりするのですよう。僕はアンナさんのヌードを記念のためにオツムのスクリーンに焼き付けておこうと思うから、そのたびに気になって、アンナさんのヌードをしみじみと眺めるのですよう。
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アンナさんが、無造作にこのような姿勢をとったりすると僕の全身は大きな目玉になったように、もうドキドキしながら瞬きもせずに目を皿のようにして眺めたものですよう。
デンマンさんって。。。ちょっとヤ~らしいですわよう。(苦笑)
でも、僕はアンナさんのヌードを本当に素晴しいと思って鑑賞したのですよう。ヤ~らしい気持ちに襲われるよりも、一瞬でも長くアンナさんの素晴しいイメージを脳裏に焼き付けておきたいという。。。ただその一心で眺めていたのですよう。
分かりましたわ。アンナさんのヌードの素晴しさは充分に分かりました。それで、デンマンさんは何がおっしゃりたいのですか?
すでに書いたことだけれど、僕は菊ちゃんとの甘くほろ苦い思い出があるのですよう。くどくなるから、もう書かないけれど、関心のある人は次のリンクをクリックして読んでみてください。
■ 『菊ちゃんのエピソード (2006年3月6日)』
(『愛は希薄になっていませんわ。セックスで埋め合わせてもいませんわ)
とにかく、菊ちゃんのエピソードと比べて、アンナさんがあまりにも自然に、呆気なく、まるで僕のファンタジーが現実になったように、裸になって僕の目の前に現れたのですよう。そして、惜しげも無く、その素晴しいヌードをアンナさんは披露したのですよう。もちろん、僕にヌードを見せるためにライトハウス・ビーチに行ったわけじゃない。でも、菊ちゃんとの苦い経験を持っている僕にとって、これは青天の霹靂(へきれき)とも言える出来事だったのですよう。
つまり、菊ちゃんは、あれほど裸になることを拒んだにもかかわらず、アンナさんは自ら進んで裸になったということですか?
そうですよう。まるで別世界の出来事のように僕には思えましたよ。実際、菊ちゃんの住んでいた世界というのは2重の意味で別世界でした。アメリカと日本という国の違い。菊ちゃんはその日本の中でも、知的障害者というハンディーを負わされた世界に住んでいた。でも、本人は自分が知的障害者であるという認識はなかったと僕は思うのですよう。7才の知能のまま大人になって、40代で亡くなってしまったけれど、僕の目には幸せな人生を送った“7才の女性”というイメージで僕の思い出の中に今でも生きているのですよう。菊ちゃんは社会の“足かせ”だとか“しがらみ”を感じないで一生を終えたのですよう。過労死で死んでしまった女性や、ホームレスになって身よりもなく寂しく死んでしまった女性などよりも、よっぽど幸せな人生を全(まっと)うしたと僕には思えるのですよう。
それで、菊ちゃんとアンナさんがどうだとおっしゃるのですか?
菊ちゃんにとって、エマニエル夫人の世界は地獄でしょうね。とにかく、菊ちゃんは僕のお嫁さんになりたいという7才の女の子の夢を持っていたけれど、僕の目の前では絶対に裸になることを拒みましたからね。たとえ、お嫁さんになりたい人であっても、菊ちゃんにとって、その人の前で裸になることは“死ね!”と言われるぐらいに恐怖だった。もちろん、エッチすることは菊ちゃんにとって殺されるほど恐ろしい事だったのですよう。
菊ちゃんの世界は特別だと思いますわ。
でもねぇ、僕は菊ちゃんとの甘く苦い体験と、アンナさんのライトハウス・ビーチでの意外な経験を通して、愛と性の世界は人によって、大げさに言えば、みな違っているものだとしみじみと感じましたよう。
。。。で、エマニエル夫人の世界とアンナさんの「愛と性の世界」の関係は。。。?
当然の事だけれど、僕はエマニエル夫人の世界こそ、アンナさんの「愛と性の世界」だと思いましたよ。
なぜ。。。?
だってね。菊ちゃんにとってエマニエル夫人の世界というのは“殺し合いをしているような世界”なのですよう。とにかく、裸になる事とエッチする事は菊ちゃんにとって恐怖ですからね。アンナさんは菊ちゃんとは別世界に住んでいる。つまり、菊ちゃんの世界とは「対極の世界」に住んでいるのですよう。アンナさんはライトハウス・ビーチで天使のように裸になって無邪気に水辺で戯れる。もちろん、愛しているボーイフレンドとはエッチもする。まさに菊ちゃんとは「対極の世界」ですよう。そうであるならば、菊ちゃんの世界とは対極であるエマニエル夫人の世界がアンナさんの世界にふさわしい。僕はそう思ったわけですよう。
。。。で、その通りだったのですか?
現実は、そのように簡単にはゆかなかった。
ケイトーはマリアのことをずいぶんと見下していると思うわ。
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いや。。。僕は決してマリアを見下したりしていないよう。
マリアはねぇ、こうしてあなたが私のところにやって来る事をすぐに感づいたのよう。だから電話をかけて寄越したのよう。
でも。。。でも。。。どうして分かったのかなぁ~?
ケイトーって見かけよりもオツムの回転が鈍(にぶ)いところがあるのよねぇ。
ん。。。?僕のオツムの回転が鈍い?
そうよゥ。映画館の中だって、あなたはマリアが気づいていないと思って私の手を握ったけれど、あの子はちゃんと気づいていたのよう。
どうしてアンナに分かるんだい?
マリアはあなたの右手を握っていたわ。ケイトーが左手で私の手を握れば、それは右手にも伝わって、マリアの手にも動きが伝わるものなのよう。あの子は横目であなたの動きを見ていたのよう。
でも、アンナは僕の手を無視してスクリーンに集中していたじゃないか!
でも、分かっていたわよ。マリアがあなたの動きを横目で見ていたことも私には分かっていたわよう。
まさか。。。?どうして。。。分かるんだい?映画館の中は暗かったじゃないか。
暗かったと言っても、映画を見始めれば目はその暗さに慣れてしまうものよう。ケイトーは私のことばっかり気にしていたから、マリアの事が分からなかったのよう。私には、あなたの事もマリアの事もちゃんと見えていたわ。
でも、マリアは一言もそのことを言わなかったけれど。。。
言う訳無いじゃないの。
どうして。。。?
見極めようとしていたのよう。
見極める。。。? 何を。。。?
あなたが私にチョッカイを出している事よう。
僕はふざけてアンナに接近した訳じゃないよう。。。。だったら、僕がマジでアンナの事を好きになってしまったことを、アンナだって分かっていたよね?
ええ。。。なんとなく。。。女の直感で分かっていたわ。
僕はマリアも“自由”を認めていたと思うけれど。。。
自由って。。。自由恋愛のこと。。。?
そうさぁ。。。だから、マリアは僕とアンナが二人きりで Lighthouse Beach に行くのを認めていたじゃないか。
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本当は3人で行くはずだったのよう。もともと、マリアが言い出したことだったのよう。私がボーイフレンドと別れてふさいでいたから。。。それで、マリアは、私を元気付けようとしたのよう。マリアにはそういう心の優しいところがあるのよう。でも、キャッシュの仕事がもらえて、マリアはスーパーのレジの穴埋めに出かけて行ったのよう。
なんだい。。。その穴埋めって。。。?
マリアが勤めていたスーパーで急に女の子が病気で出られなくなったのよう。それでマネージャーからお声がかかって、キャッシュで払うから来てくれってぇ。。。
つまり。。。、つまり、マリアは失業保険をもらいながらキャッシュで働くわけ。。。?
そうよゥ。。。持ちつ持たれつよね。そうでしょう? マネージャーだって助かるし、マリアも臨時収入が入るでしょう?
じゃあ。。。マリアは僕とアンナが二人だけでビーチに行くことを知っていたんだ。
ケイトーはマリアが知らないと思ってたの?
僕はアンナが僕のために“混浴露天風呂”に案内してくれるものとばっかり思っていたよう。
実はマリアが言い出したのよう。その時、私に冗談半分で言ったものよ。“あたし、行けないけれど、ケイトーをあたしから取らないでね”って。。。
マジで。。。?
多分、こうなる事を予測していたのよね。
だったら、いいじゃないか。。。なるようになったのだから。。。
ダメよう。。。私はマリアを裏切る事ができないわ。
でも、アンナだって、結構、あの日ビーチで僕と一緒に楽しんでいたじゃないか?
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だってぇ、もともとマリアが私のために言い出したのよう。私がボーイフレンドと別れて、ふさいでいたので、マリアが私を元気付けるために3人で Lighthouse Beach へ行こうと言う話だったのよう。 だから、私もマリアの気持ちがありがたかったので、素直にその気持ちを受けて、ケートーと久しぶりに愉快な時間を過ごしたのよう。
だからさぁ。。。今夜もその続きを。。。
ダメよう。。。調子に乗らないでよう。。。マリアの気持ちを裏切る事になるわ。
アンナって友達思いなんだねぇ~。。。僕は、ますますアンナの事が好きになってしまったよう。。。
変なところでおだてないでよう。。。とにかく、マリアはケイトーが私のアパートに来る事を分かっていたのよう。このままケイトーが私のところに朝まで居たら、マリアは絶対に傷つくわ。そういう事は私にはできないの。だから、今夜はおとなしく帰ってね。ケイトーは寅さんのように優しかったでしょう?
ん。。。?寅さんのように。。。? 。。。で、アンナはマジで寅さんの映画を見たことがあるの?
もちろんよう。ニューヨークには、もう80年も続いている日系人会があるのよ。そこで寅さんの映画の上映会があって日系二世のクラスメートに誘われて見に行った事があるのよう。
。。。で、アンナは日本語を勉強した事があるの?
会話はできないけれど中学校の教科書ぐらいならば何とか読めるわ。
ほおォ~。。。知らなかったなぁ~。。。
ケイトー。。。何よう、急に近づいてきたりしてぇ~
だから、アンナの友達思いの気持ちを考えて僕は帰ることにするよう。お休みのキスだよう。
そう。。。分かってくれたのねぇ~。
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うん、うん。。。でもね、僕は、アンナのヌードを初めて見た時に中学生の時に見たプレーボーイのプレーメートが目の前に現れたような気がしたんだよう。
ええ。。。聞いたわ。。。ケイトーって、女心をくすぐるコツを知っているのよねぇ~。。。
うん、うん、うん。。。(ここで、ちょっと長いお別れのキスですう) 。。。
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ちょっと。。。ケイトー。。。くすぐったいわよう。。。うふっ。。。わたし。。。わたし。。。うふっ。。。それ以上ダメよゥ。。。
ん。。。? いいじゃないかぁ。。。?
ダメよ。。。ほんとにダメ。。。
僕は。。。僕は。。。つらいよう。。。寅さんの言葉に、「男はつらいよ」っていう台詞があるのをアンナも知ってるよね?
ええ。。。でも、やっぱりダメなものはダメなのよう。。。
思い直すことはできない。。。?
マリアは、わたしの小さな頃からの親友なのよう、その親友の気持ちを裏切る事はできないわ。
でも、アンナと僕は愛し合っていると思うけれど。。。
愛し合っているってぇ。。。ケイトーと会ってからまだ2週間なのよう。。。
だけど、僕は。。。僕は。。。アンナのことが堪らなく好きになってしまったんだよう。。。
うふっ。。。もう、本当に、これ以上はダメよう。。。お願い。。。もうやめてぇ~。。。
しかし。。しかし。。。アンナだって、ほらぁっ。。。もう、こんなにもォ~。。。
だから。。。だから、あふゥ。。。もう。。。、もう、これ以上ダメなのよう。。。ケイトーはいつもしつこいのよう。。。
思い直さない。。。?
ダメよう。。。わたしは。。。わたしは。。。自分の名前に恥じないように。。。
ん。。。?アンナの名前に恥じないように。。。?
言ったでしょう?。。。わたしの名前はgraceって意味なのよゥ。。。?その名を傷つけるようなことをしたくないのよォ~。。。
分かるでしょう、レンゲさん。。。現実には、エマニエル夫人の映画のようにスムーズに事は運ばないのですよう。
でも、それは、アンナさんがイマイチ、デンマンさんを愛していなかったからですわ。
でもねぇ、『エマニエル夫人』の映画を観てごらんよう。あの世界では愛がなくてもエッチしている世界ですよう。僕とアンナさんのライトハウス・ビーチのシーンをそのまま『エマニエル夫人』の映画に移したら、僕とアンナさんはビーチで裸になった後でアパートに行ってエッチしないと映画にならないのですよう。うしししし。。。
なぜ映画にならないのですか?
だから、上でジューンさんが言ってたでしょう。。。あの映画は「性の形」を描いたファンタジーですよう。。。人生をいかに生きるべきか?。。。とか、愛情とは何か?。。。とか、友情とは何か?。。。そういう事をテーマにした映画ではない。
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When two people make love, there are at least four people present—the two who are actually there and the two they are thinking about.
— Sigmund Freud
カップルがベッドで愛し合うとき、
実は4人がかかわっている。
そこに居る二人と、それぞれが
思い浮かべている違う相手。
— ジクムント・フロイト
つまり、フロイトが言うオツムの世界のファンタジーなのですよう。現実に愛し合っている二人ではなく、オツムの中で愛し合っている二人を描いた映画が『エマニエル夫人』なのですよう。
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ですってぇ~
つまり、ファンタジーと現実を混同してはいけない。
デンマンさんが言おうとしているのは、この事だと思うのですよね。
でも、あの映画が現実にあった事に基づいて作られたと考える人が居るでしょうか?
あなたは、どう思いますか?
映画というのは多かれ少なかれファンタジーの要素が含まれているとあたしは思っています。
日常生活をそのまま映し出した映画など誰も面白がってお金を払ってまで見に行く人は居ないでしょう?
誰だって、つまらない日常生活を自分が送っているのですから、
さらにつまらない日常生活を映し出した映画など見る人は居ませんよね。
でも、その後、デンマンさんとアンナさんはどうなったのでしょうか?
あなただって気になるでしょう?
あさっても、また読みに戻ってきてくださいね。
では。。。
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メチャ面白い、
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(house22.jpg)
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こんにちはジューンです。
デンマンさんの記事には
時々考えさせられるものがありますよね。
今日の記事も面白いと思いました。
おそらくデンマンさんは次のように
言いたかったのではないでしょうか?
We live in a fantasy world,
a world of illusion.
The great task in life is
to find reality.
by Iris Murdoch
『エマニエル夫人』はファンタジーの世界ですよね。
重要な事は、そのファンタジーの中から
日常生活に糧となるものを見つける、
と言う事ではないでしょうか?
ところで、デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて
一つにまとめました。
もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、
次のリンクをクリックしてくださいね。
(linger49.gif)
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
(30seal.gif)
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