濁音のあ

 

濁音のあ

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで「濁音のあ」を取り上げたのですかァ〜?


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ジュンコさんは、これまでに「濁音のあ」を見たことがありますか?

ありませんわァ。。。デンマンさんが冗談で作ったのでしょう?

いや。。。僕が創作した「ひらがな」じゃないのですよ。。。

でも、どうやって発音するのですか?

僕も、よくわからない。。。実は、「濁音のあ」を初めて見たのです。。。

どこで見たのですか?

記事を書いている時に、次のように出くわしたのですよ。。。

 


(dakua10.png)

 

小文字の「ァ」を書こうとしたら、いつもはスルーしていた「濁音のあ」に出くわしたというわけですよ。。。

初めて気付いたのですか?

そうです。。。いつもなら、「ァ」が見つかれば、他の文字など興味ないからスルーでしたよ。。。でも、ふと、何か奇妙な文字があるなァ〜、と目をスクリーンに近づけてみたら「濁音のあ」と書いてある。。。初めて見たので、ちょっと信じられなかった。。。悪い冗談か、言葉遊びか、ユーモアのつもりか?…それで調べてみたら、悪い冗談じゃなかったのですよ。。。

でも、日本語には、「濁音のあ」って、ないでしょう!?

もちろん、ありません。。。

じゃあ、何のためにわざわざ「濁音のあ」【(あ゙)あるいは(ア゙)】を作ったのですか?

それはねぇ〜、外国語の文字をひらがなやカタカナに翻訳する時に使うのですよ。。。例えば、Queen Victoria を「クイーン ヴィクトリア」と書くようなものです。。。日本語には「ゥ゙」なんて無いでしょう! でも、英語の「V」を日本語の文字を使って表す時に「ヴ」あるいは「ゔ」を作ったわけですよ。。。

でも、「濁音のあ」【(あ゙)あるいは(ア゙)】を使って表す外国語の文字があるのですか?

あるのですよ。。。

 

有声咽頭摩擦音

 


(dakua12.png)

 

有声咽頭摩擦音(ゆうせい・いんとう・まさつおん)とは子音の類型の一つ。

舌根を咽頭壁に近づけてできる隙間による摩擦音。

声帯の振動を伴う。

国際音声字母で[ʕ]と記述される

実際には有声喉頭蓋接近音であるという(咽頭音を参照)。

日本語には存在しない発音であるが外国語の音を日本語表記する場合に「あ゙」の文字が当てられる場合がある

言語例

アヴァル語

アラビア語 ( عَيْنٌ (ʿaynun) [ʕɑi̯nʊn]「目」)

オック語 (オーヴェルニュ方言)

カビル語

クルド語 (クルマンジー方言)

スー語 (ナコタ方言)

ソマリ語

ティグリニャ語

チェチェン語


出典: 「有声咽頭摩擦音」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

。。。で、どのように発音されるのですか?

調べたら次のように発音されるのですよ。

 


(dakua12.png)

「濁音のあ」の発音

(上のリンクをクリックすると別窓が開きます)
‎(Ogg Vorbis 音声ファイル、長さ 1.9秒、96kbps、ファイルサイズ: 22キロバイト)

 

聞き慣れないから、どのように発音しているのか? 良く解りませんわねぇ〜。。。

でも、聞き慣れない発音だということは確かに分かります。。。ところで、昔は半濁音を表示する方法がなかったということを知ってますか?

ぱ ぴ ぷ ぺ ぽ という文字がなかったということですか?

そうなのですよ。。。「ぱ」という半濁音の文字がなかったので、文脈によって、読む人が、「は」と読んだり「ぱ」と読んだりしたというのです。。。次の動画を観てください。。。

 


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ところで、ジュンコさん、奈良時代の人がどのように日本語を話していたのか? 想像したことがありますか?

ありませんわ。。。

珍しい動画をゲットしたので聴いてみてください。。。

 


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なんだか、ベトナム語か、マレー語を聞いてるような感じがしますわねぇ〜。。。

そんなふうに聞こえますよ。。。日本語のルーツはどこか? 上の動画を聞いてみて東南アジアの言葉がルーツの一部になっていることは確かですよ。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

古代日本語を聞いてみて、まるで外国語を聞いているように思いませんでしたか?

話し言葉は変われば変わるものですわねぇ〜。。。

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような激しい口調で、わたしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

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あなたが興味を持っているカテゴリがかならず見つかるはずです。。。

 


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『拡大する』

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ぜひ覗いてみてください。

ええっ。。。「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、更に、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ~。。。

 

 

「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」

貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。

天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

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『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

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『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

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『露出狂と反戦』

『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

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『ソフタ』

『くだらない』

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『殺し屋火山の謎』

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『奇抜な動物たち』

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『記憶売ります』

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『七つの顔を持つ女』

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『女中と中間』

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ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

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女中と中間

 

女中と中間

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで女中と中間を取り上げたのですかァ〜?


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つい最近、故・桂歌丸さんの『紙入れ』という落語を聴いたのですよ。。。その中で「女中」という言葉が出てきた。。。

 


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最近、「女中」という言葉を聞かなくなった。。。「お手伝いさん」「家政婦さん」という言葉がそれに変わった感じですよ。。。住み込みの女中さんというのは、この頃では見たことも聞いたこともない。。。伝統的な旅館には住み込みの女中さんがいるけれど、ふつう「仲居」と呼ばれる。。。

それで気になったのですか?

そうです。。。「女の中」と書いて、どういうわけで「住み込みのお手伝いさん」という意味になるのか? ジュンコさんも改めて考えてみると、ちょっと気になりませんか?

そうですわねぇ〜。。。「女の上」「女の中」「女の下」があるとして「女の中」が「住み込みのお手伝いさん」という意味だとすれば、「女の下」は「女奴隷」ですか?

江戸時代でも明治になってからも日本には奴隷はいませんでしたよ。。。

でも、古代にはいましたよね。。。日本史の時間に、『魏志倭人伝』に卑弥呼が奴婢(狭義では律令制度の賤民)を50人ばかり「魏の国」に送ったというのを読んだことがありますわ。。。

 

生口(せいこう)

 

生口は、かつての中国や朝鮮半島における捕虜または奴隷。
倭国では奴隷とは異なる身分呼称とされる。

南朝宋から唐にかけての成立とされる『後漢書』、『三国志』の中の「魏書」(『魏志倭人伝』)、現在の中国吉林省に所在する広開土王碑などにみえる用語。

生口は「生きた口」と書き、元来は捕虜を意味する語であるため、捕虜を起源とする奴隷的身分であると考えられている。
時代的に献上物が豊富ではなく、そのため生口を送ったと見る向きもある。

ただし異論も多く、捕虜と関係ない奴隷とする説や、あえて中国へ献上されていることから、単なる捕虜・奴隷ではなく、捕魚者など何らかの技能を持った者とする説もある。
さらに中国への留学生とする説もあった。

魏志倭人伝の記述から、弥生時代後期に奴婢という奴隷階層がいたことが判っている

いずれもかつての中国から朝鮮半島で記述されたものであることから、生口が奴婢と全く別の存在なのか、重複するのかは論が分かれている。

『後漢書』- 107年(後漢永初元年)に当時の倭国王帥升らが後漢の安帝へ生口160人を献じている。

高句麗の広開土王碑 – 高句麗の広開土王碑に、396年、百済が高句麗に大敗したため生口を高句麗へ献じたことが見える。

高麗史 – 高麗史 (十六 世家巻第二十八 忠烈王一 忠烈王元年)(1274年)によれば、文永の役(1274年)で高麗に帰還した金方慶らは、日本人の子女を捕虜とし、高麗王と妃に生口として献上している。(侍中金方慶等還師、忽敦(忻都)以所俘童男女二百人献王及公主)

 

倭国の「生口」

奴婢とは異なる身分呼称であるとされる。

石沢澈は、林屋辰三郎が『後漢書』の記述を根拠に「奴隷を献上した」と解釈していることについて、生口が直ちに奴隷とは解しがたいとし、百済が博士や高僧を文化使節として派遣した際にも「わが朝廷に献上した」と表現されているため、「献上した」ということをもって、奴隷の献上とのみは考えられないと述べている。

『魏志倭人伝』-その後、倭王卑弥呼も239年(魏景初2年)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人を、243年(魏正始4年)に魏少帝へ生口を献じ、その後継者の台与も248年に生口30人を魏へ献じている。


出典: 「生口」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

なるほどォ〜、確かに「奴婢」というのは、「差別待遇のはなはだしい社会において奴隷など最下層とされる者」と辞書には書いてあります。。。でも、「女下」という言葉は日本語にはありませんよ。。。辞書で調べても載ってません。。。「下女」ならばあるけれど。。。辞書で調べると「下女」とは「お手伝いさんの旧称で、女中のもうひとつ前の称」と書いてあります。

デンマンさんの辞書では、「女中」は何と書いてあるのですか?

「女中」は「どこかの家に住み込みで奉公している女の総称。狭義では家事の手伝いや旅館や料理屋で働く女を指した」と書いてあります。。。でも、語源までは書いてない。

それでネットで調べてみたのですか?

調べてみました。。。次のように書いてありました。。。

 

『上方語源辞典』(前田勇編 東京堂出版 1965)

p258〈じょちゅー ぢよちゆう[女中]〉の項に「①女性。婦人。「お」を冠していうこと多し。(中略)②娼妓。(中略)③下女。(中略)

〔語源〕女中の二字は、おんななか(女連中・女仲間)の意

これを音読してヂョチューというは足利時代に始まり、宮中や公家・将軍家・大名家などに士官奉公する女の称呼として用いた

近世に入って民間にも用いられ、女性の汎称・敬称となる。

特殊用法として、島原・新町のごとき公許の遊里においては遊女の地位が芸妓の上にあったので、公娼の敬称として用いられた。

しかるに明治に入り大阪南地・北の新地などのごとく始めより芸妓に威勢のあった島(岡場所)では、敬称「女中」が侮称と転じた

近世上方語に③の用例は見当らず、これは明治期に東京語を移入したものである。」とあり。


『レファレンス協同データベース』より

 

「女連中」が縮(ちじ)まって「女中」になったようです。。。ちなみに奥女中の興味深い動画がありました。。。

 


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ところで「中間」は、どういうわけで取り上げたのですか?

「中間」というのは、「女中間」が縮まって「中間」になったのかな? そう思ったのですよ。。。でも、「女中間(じょちゅうげん おんなちゅうげん)」は僕の辞書には出てない。。。ネットで調べても出てない。。。

。。。で、中間の語源は分かりました?

「デジタル大辞泉」で調べたら次のように書いてありました。

 

[名詞](「仲間」とも書く)

1 ㋐昔、公家・寺院などに召し使われた男。
   身分は侍と小者との間に位する
   中間男。

 ㋑江戸時代、武士に仕えて雑務に従った者の称。

2 江戸幕府の職名。江戸城内の部署の警備やその他の雑事に従事した。

 

中間の身分は侍と小者 (草履取り)との間に位したのですね。。。

それで中間なのですわねぇ〜。。。

そういうことです。。。では、武家屋敷を支えた奉公人たちの真実や 中間たちの意外すぎる生き様を紹介した動画があるので観てください。。。

 


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【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

あなたは最近、女中さんを見かけたことがありますか?

旅館の女中(仲居)さんならば見かけるでしょうけれど、普通の家庭で働いている女中さんは、もう居ないかも知れませんよねぇ〜。。。

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような激しい口調で、わたしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

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ええっ。。。「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、更に、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ~。。。

 

 

「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」

貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


(dog810.jpg)

 

ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

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わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

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天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。

天智天皇は暗殺された

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藤原鎌足と長男・定慧

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どうして残っていないの?

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熨斗をつけて

 

熨斗をつけて

 


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デンマンさん。。。 熨斗(のし)をつけて あたくしにご進物をくださるのでござ〜ますかァ~?


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あれっ。。。とうとう卑弥子さんにも婚約者が決まったのですかァ〜?

いいえ、まだですわァ〜。。。

じゃあ、僕がお祝いの贈答品を卑弥子さんにあげる理由がないじゃありませんかア!

ありますわよう。。。もう10年以上も、こうしてブログでデンマンさんのお相手を務めているでござ〜ますわァ〜。。。それなのに、一度として感謝の印として贈り物をもらったことがないのですわァ〜。。。

ありますよう。。。贈り物ではないけれど、感謝の思いを込めて吹上温泉へ連れて行ったではありませんかァ!

 


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『ゆのまち人妻紀行』

 

確かに連れて行ってもらいましたけれど、もうずい前のことですわァ〜。。。最近では、デンマンさんから何も頂いておりませんわァ〜。。。

思い出しましたよ。。。僕は卑弥子さんに贈り物をしたことがりました。。。卑弥子さんも思い出してください。。。次の写真のブラとパンティは、セクシーな卑弥子さんに お似合いだと思って僕が買ったものですよ。。。

 

 

卑弥子さんも気にいって「ねえ、ねえ、デンマンさん。。。記念に写真を撮ってくださいましなァ〜。。。うふふふふふ。。。」と言って、僕が撮った写真が上のモノですよ。。。覚えているでしょう!?

思い出しましたわァ〜。。。確かに、そういう事がありましたわァ〜。。。ところが中国製の安物で、1ヶ月も穿かないうちに縫い目がほころびて、バラバラになって穿けなくなってしまったのですわァ〜。。。せけてワコールの製品を買ってくださいなァ〜。。。

分かりました。。。今後気をつけます。。。

つまり、近いうちに あたくしに贈り物をするので「熨斗をつけて」というタイトルにしたのでしょう?

いや。。。残念ながら、そういうわけではありません。。。

じゃあ、いったい何のために思わせぶりなタイトルを書いて あたくしをお呼びになったのでござ〜ますかァ〜?

あのねぇ〜。。。つい最近、桂歌丸さんの『紙入れ』という落語を聴いたのですよ。。。

 


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紙入れ

 


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紙入れ(かみいれ)は、古典落語の演目の一つ。
いわゆる「艶笑落語(バレ噺)」であり、原話は安永三年(1775年)の「豆談義」に収録されている「かみいれ」。

 

あらすじ

貸本屋の新吉は出入り先の商家のおかみさんに惚れられ、旦那の留守中に家に来るよう書いた手紙をもらう。

いつも面倒を見てくれる旦那に申し訳なく思いながらいやいや出かけていくと、酒を勧められた上、泊まっていけと誘惑される。

ところが旦那が急に帰ってきたので、慌てた新吉はおかみさんの計らいで裏口から逃げ出す。
もうやめようと決意する新吉だったが紙入れを忘れてきた事に気づく。
新吉はこの紙入れを旦那に見せたことがある上、中にはおかみさんからの手紙が入っている。

紙入れを旦那が見つけたら何もかもおしまいだと新吉は夜逃げを考えるが、まずは様子を探ろうと翌朝再び旦那の家を訪れる。
しかし旦那の様子はいつもと変わらず、元気のない新吉を心配する。

新吉が、実はとある家のおかみさんに惚れられてしまって旦那のいない夜につい…と、紙入れを忘れて逃げてきたことまでを語ると、まさか自分の家のこととは思わない旦那はあれこれと新吉を気遣ってくれる。
おかみさんも「浮気するような抜け目のない女だよ、そんな紙入れが落ちていれば、旦那が気づく前にしまっちゃうよ」と新吉を安堵させる。

旦那も笑いながら「たとえ紙入れに気づいたって、女房を取られるような馬鹿だ、そこまでは気がつかねえだろう」

 

上方でのサゲ

江戸落語では「そこまでは気が付くまいて」でサゲとなるが、上方ではおかみさんが「その阿呆の顔を見てみたいわ」と言うと、旦那が自分の顔を指差して「ここにおるで」。

 

エピソード

1940年(昭和15年)9月20日、警視庁は内容が卑俗的で低級であるとして、紙入れを含む53演目を上演禁止(禁演落語)とした。


出典: 「紙入れ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

この噺の中で、おかみさんが新吉に向かって次のように言う場面があるのですよ。。。

 


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「新さんに熨斗をつけて 好きな人に渡して きれいに別れてあげるわよゥ」とおかみさんが言うのですわねぇ〜。。。

そうです。。。卑弥子さんは、もちろん、熨斗がどういうものか? 知ってますよねぇ〜。。。

知ってますわァ〜。。。これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・教授ですもの。。。おほほほほほ。。。

 

熨斗

 


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熨斗(のし)とは、一般的には慶事における進物や贈答品に添える飾りである。
ただし、元来長寿を表す鮑が使われていたため、お見舞いなどには熨斗を使う場合もある。
現在では黄色い紙を長六角形の色紙で包んだ形状をしているものが多く使われる。

祝儀袋等の表面に印刷された、簡略化されたものもある。
しばしば水引と併用される。

なお、漢語「熨斗」は「ウット」とも読み、「熨(熱でしわをのばす)」+「斗(ひしゃく)」、即ち、昔のアイロンである火熨斗(ひのし)を指す

現代中国語でも、熨斗はアイロンを意味する

 

熨斗鮑

 


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元来、熨斗鮑とはアワビの肉を薄く削ぎ、干して琥珀色の生乾きになったところで、竹筒で押して伸ばし、更に水洗いと乾燥、押し伸ばしを交互に何度も繰り返すことによって調製したものを指した。

「のし」は延寿に通じ、アワビは長寿をもたらす食べ物とされたため、古来より縁起物とされ、神饌として用いられてきた。
『肥前国風土記』には熨斗鮑についての記述が記されている。

また、平城宮跡の発掘では安房国より長さ4尺5寸(約1.5m)のアワビが献上されたことを示す木簡が出土している(安房国がアワビの産地であったことは、『延喜式』主計寮式にも記されている)。

中世の武家社会においても武運長久に通じるとされ、陣中見舞などに用いられた。
『吾妻鏡』には建久3年(1191年)に源頼朝の元に年貢として長い鮑(熨斗鮑)が届けられたという記録がある。

神饌として伊勢神宮に奉納される他、縁起物として贈答品に添えられてきた。
やがて簡略化され、アワビの代わりに黄色い紙が用いられるようになった(折り熨斗)。

正月の鏡餅には大熨斗、束ね熨斗が飾られる。
婚礼時の結納品として、束ね熨斗が用いられる。

 

伊勢神宮における熨斗鮑

伊勢神宮では、古来の製法で調製された熨斗鮑が、6月と12月の月次祭(つきなみさい)、10月の神嘗祭(かんなめさい)で奉納される。

この熨斗鮑は三重県鳥羽市国崎町の神宮御料鰒調製所にて調製される。
熨斗鮑造りは、毎年6月から8月にかけて作業が行われ、一回に使われる鮑は約200kg。

一つ一つ皮を剥くように薄く切っていき、それを干していく。
調進所より少し先のヒノキで造られた干し場で、布のようになった鮑が下がる風景を見ることもできる。

 


(isewan30.jpg)

 

毎年7月2週目の日曜日に熨斗鮑祭りが開催される。
第11代垂仁天皇の第4皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が国崎を訪れた際、「お弁」と言う海女からアワビを献上されたことが由来とされる。

 

折り熨斗

現代では紅白の紙を折り込んで中央に黄色の短冊状の紙が付されているものを熨斗とすることが多く、この黄色の短冊状の紙の部分が熨斗鮑を表している。
折り熨斗と呼ばれる。折り熨斗には両折り熨斗や片折り熨斗などがあり、折り込まれかたによって真・行・草などに分類される。

 

その他の熨斗

熨斗の簡略化が進んで折り熨斗が紙に直接印刷されている場合も多く、また、熨斗鮑の本来の形から離れて「印刷のし」と呼ばれる次のような熨斗が用いられることもある。

文字のし

「のし」の2文字を用いたもの

 


(noshi81.jpg)

 

わらびのし

ワラビを熨斗にデザインしたもの

松葉のし

松葉を熨斗にデザインしたもの

 

熨斗に関するしきたり

仏事(主に弔事)などの贈答品には、熨斗を付けない。
仏教では生臭物を避けるため。

仏事でもお祝いごとの場合は戒律の厳しい宗派では気にされるが、最近は熨斗を付ける場合も多い。

魚介類を贈答品にする場合は、熨斗を付けない。
熨斗が鮑であるという本来の性質からすると正しいが、現代では特に気にされていない。

お見舞いには熨斗を付けない。
弔事に熨斗を避けることから、熨斗がお祝いの意味に理解されるようになり、現在市販の御見舞と字の入った金封・祝儀袋はほとんどが熨斗無しである。

本来は熨斗鮑が長寿を願う縁起物であるので、熨斗を付けたほうが良いように思われるが、「病気を引き延ばす」の意味合いとならないように通常は熨斗を付けない。

 


出典: 「間男」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

熨斗にはいろいろな種類があるのですねぇ〜。。。全く知りませんでした。。。

あたくしに贈り物をするときには熨斗をつけなくてもけっこうですから。。。うふふふふふふふ。。。

その言葉、覚えておきます。。。卑弥子さんもできるだけ早めに婚約者を決めてくださいねぇ〜。。。決まったら何が欲しいか? メールで知らせてください。。。

中国製の安物は要りません。。。少なくとも日本製かフランス製をお願いします。。。

分かりました。。。

 


(laugh16.gif)

【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ~。。。

卑弥子さんは、今でも純潔を守って独身なのですわァ〜。。。

それでも、まるで乙女のように恥じらうのです。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 

 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)

メチャ面白い、

ためになる関連記事



(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(zurose2.jpg)

『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


(costa04b.jpg)

『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』


(annasalleh.jpg)

『生パンツカテゴリー』

『大衆文学』

『車中も亦臭し』

『聖徳太子の母親』

『笑える電報』

『忠臣蔵のウソ』

『天照大神@マレーシア』

『エロ@韓国』

『レオタード姿@女子大』

『美人と接吻』

『パンツに下痢』

『阿仏尼』

『楊貴妃@満州』

『ズロースを探して』

『四睡図』


(miya08.jpg)

『レオタード姿』

『熟女のうずき』

『苫田郡香タ美』

『エロエロ』

『ハーレーダビッドソン』

『貂蝉(ちょうせん)』

『平成の卑弥子』

『北国方言』

『人妻』

『温泉で濡れ濡れ』

『痴漢バス』

『フォローしました』

『どこの応天門』

『浜野矩随』

『空白の150年』


(hama10.jpg)

『150年の空白』

『愛情の呪術』

『美術芸術ヌード』

『あんどん かつどん』

『とろり人妻』

『権十郎の芝居』

『歴史ロマン@lens』

『インドの神聖娼婦』

『紙入れ』

『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)

歴史ロマン@lens

 

歴史ロマン@lens

 


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デンマンさん。。。 最近、歴史ロマンにハマっているのでござ〜ますかァ~?


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確かに、歴史の中にロマンを見つけるのは楽しいですよ。。。でも、ハマるほど熱中しているわけではありません。。。

それなのに、どういうわけで歴史ロマンを取り上げたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(liv24-07-02a.jpg)


『拡大する』

『忘れられた歴史ロマン』

 

これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で7月2日と3日のアクセス者の記録です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。

あらっ。。。 7月3日の午前1時34分にGOOGLEレンズで検索して 忘れられた歴史ロマン を読んだネット市民がいたのですわねぇ〜。。。

そうです。。。実は、東京の世田谷区成城に住んでいる山岸薫(やまぎし かおる)さんが読んだのです。。。

 


(ip234217.jpg)


(seijo20.jpg)

 

かおるさんは世田谷区の成城で何をしているのでござ〜ますかァ〜?

目白にある学習院大学に通って文学部史学科で日本史を勉強しているのですよ。。。

 


(gakushu02.jpg)

 

それにしても真夜中を過ぎてからGOOGLEレンズで検索してますけれど、いったいどの写真で検索したのでござ〜ますかァ〜?

次の写真で検索したのですよ。。。

 


(asura2.jpg)

 

奈良の興福寺にある有名な阿修羅像ですわねぇ〜。。。

さすがに京都にある女子大学の「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・教授ですねぇ〜。。。写真を見ただけですぐに解ってしまう。。。

 


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(kyojo01.jpg)


『卑弥子さんの大学』

 

それほどではありませんわァ〜。。。うふふふふふふ。。。つまり、この写真のことをもっと深く知ろうとしてGOOGLEレンズで検索したのでござ〜ますかァ〜?

そういうことです。。。

でも、写真を使って検索することができるのですかァ〜?

できるのですよ。。。それがGoogleレンズなのです。。。

 

カメラで写して画像検索できる

「Google レンズ」の

使い方とは?

 


(lenz12.jpg)

 

Google レンズは、目の前にあるものをカメラに写すことで認識し、その情報や見た目が似ている画像を検索できる機能です。

たとえば、ものの名前がわからなくて困っているときに、Google レンズを使うことで名前や詳細情報までも知ることができるでしょう。

本記事では、Google レンズとはどのようなもので何ができるのか、その使い方についても解説します。

 

Google レンズとは…?

Google レンズとは、目の前にあるものの情報を調べることができる機能です。
Android をはじめとしたスマホアプリで利用できます。

スマホのカメラに被写体を写すことで、類似する画像や関連するコンテンツをインターネット上から探し出して、結果を表示します

また、テキストを写せば文字を認識し、Google 翻訳で対応している言語に翻訳したり文章を読み上げたりすることも可能です。

Google レンズは、被写体をインターネット上にある画像と比較することで、似ているものや関連しそうなものを判別し、ランクづけを行います。
その後、より関連度の高いものを結果として表示するといった仕組みです。

また、被写体に特定の商品が含まれている場合は、商品に関するショッピングの検索結果を表示する場合もあります。

このように、カメラに写る被写体を認識して関連度の高い情報を表示させるのが、Google レンズの機能なのです。

 

Google レンズでできること

外国語を撮影すると翻訳できる

Google レンズの翻訳メニューは、外国語のテキストを翻訳するときに役立ちます。
100 近くの言語に対応し、カメラでテキストを写すことで自動的に、リアルタイムで翻訳可能です。
たとえば、外国の街中にある看板や標識などをすぐに日本語で確認したいときに便利でしょう。

■文字を撮影すると詳細情報がわかる

雑誌や書籍を読んでいるときにわからないことがあった場合は、Google レンズの文字メニューが便利です。たとえば、詳しく知りたい単語を撮影するだけで、簡単に単語の意味や詳細情報が検索できます。

また長い文章を撮影し、そのままテキストとして保存したり、音声で聞いたりすることもできます

目の前のものを撮影すると名前や情報がわかる

目の前にあるものを Google レンズで写して検索メニューを使えば、その画像から名前や情報などを検索できます。

たとえば、花の名前が知りたいときや、手元にあるものを後で購入したいがどこの製品なのかがわからないときなど、Google レンズに写して調べることができて重宝します

■調べ物を撮影すると情報収集できる

Google レンズの宿題メニューを使うと、教科書の内容でわからない部分などの説明をすぐに調べることができます。

たとえば、数式や化学、物理や歴史などの問題を撮影すると、それを解くための手助けとなるウェブの記事や動画の情報が検索できます

■商品を撮影するとショッピングサイトを検索できる

ショッピングメニューを使えば、目の前にある商品がどこで購入できるのかをすぐに知ることができます。

たとえば、欲しいコップがあれば、それをショッピング メニューで撮影することで、そのコップを購入できるショッピングサイトの一覧が表示されます。

■場所についての情報を調べられる

Google レンズでその場所にある建物やランドマークなどを写すと、場所メニューを使って建物の歴史的事実や営業時間などを確認できます

また、レストランなどの飲食店ならば、お店の名前などを確認することも可能です。

食事を撮影するとメニューやレストランが検索できる

お店のメニューの中で気になる商品のレビューなどをその場で調べることも可能です。
Google レンズの食事メニューで、お店のメニュー表を写せば口コミなどもすぐに確認できる場合もあります。
また、料理からレストランを検索することも可能です。


出典: 「Google レンズ」の使い方

 

『実際のページ(https://lens.google.com/)』

 

でも、スマホを持ってないと「Google レンズ」を使うことはできないのじゃありませんかァ〜?

普通のパソコンや、ラップトップでもできるのですよ。。。

どうやってやるのでござ〜ますかァ〜?

まず上の写真を右クリックでコピーするのです。。。

 


(asura2b.jpg)

 

上の写真の上で右クリックするとポップアップメニューが飛び出るのです。。。そのメニューの中の赤い楕円で囲んだ箇所をクリックすると画像をコピーすることができます。

コピーした画像をどうするのですか?

lens.google.com を開くのですよ。。。

 


(lens24-06-28.jpg)

 

入力画面を開いたら、コピーした画像を🈯さしている場所に右クリックしてペーストするのです。。。すると次のような検索結果が表示されます。。。

 


(lens-ashura24-07-02.jpg)


『拡大する』

『忘れられた歴史ロマン』

 

上の検索結果の赤枠で囲んだ写真をクリッくするとデンマンさんが書いた 忘れられた歴史ロマン を読むことになるのですかァ〜?

そういうことです。。。この様子を動画にしてあるので、卑弥子さんも見てください。。。

 


 


(laugh16.gif)

【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ~。。。

あなたもGOOGLEレンズを使ってみましたか?

便利ですよね。。。

わたしも使い始めました。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 

 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)

メチャ面白い、

ためになる関連記事



(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(zurose2.jpg)

『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


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『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』


(annasalleh.jpg)

『生パンツカテゴリー』

『大衆文学』

『車中も亦臭し』

『聖徳太子の母親』

『笑える電報』

『忠臣蔵のウソ』

『天照大神@マレーシア』

『エロ@韓国』

『レオタード姿@女子大』

『美人と接吻』

『パンツに下痢』

『阿仏尼』

『楊貴妃@満州』

『ズロースを探して』

『四睡図』


(miya08.jpg)

『レオタード姿』

『熟女のうずき』

『苫田郡香タ美』

『エロエロ』

『ハーレーダビッドソン』

『貂蝉(ちょうせん)』

『平成の卑弥子』

『北国方言』

『人妻』

『温泉で濡れ濡れ』

『痴漢バス』

『フォローしました』

『どこの応天門』

『浜野矩随』

『空白の150年』


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『150年の空白』

『愛情の呪術』

『美術芸術ヌード』

『あんどん かつどん』

『とろり人妻』

『権十郎の芝居』

『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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Fire Festival

 

Fire Festival

 


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Kato, you’re in Japan enjoying the fire festival, aren’t you?


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Yes, I am in Gyoda—my birthplace—right now, but the festival was held in last spring.

So you missed it, huh?

Unfortunately, I didn’t see it myself, but a friend of mine showed me the above video.

How come you didn’t take part in the festival?

Well… I wasn’t in Gyoda at the time. The fire festival is held in May every year. I usually take a pre-Christmas vacation in October or November to visit my mother and brothers.

I see… Tell me about the couple in the video. They seem to wear old Japanese costumes.

Yes, they do… The festival is about Konohanasakuya-hime and her husband.

Who is Konohanasakuya-hime?

She is a famous character in Japanese mythology.

Konohanasakuya-hime


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Konohanasakuya-hime (木花咲耶姫) is the blossom-princess and symbol of delicate earthly life.

She is the daughter of the mountain god Ohoyamatsumi.

She is often considered an avatar of Japanese life, especially since her symbol is the sakura (cherry blossom).

Kono-hana is also the goddess of Mount Fuji and all volcanoes.

Kono-hana-hime is the wife of the god Ninigi.

She met him on the seashore and they fell in love.

Ninigi asked Oho-Yama, the father of Kono-hana-hime for her hand in marriage.

Oho-Yama proposed his older daughter, Iwa-Naga-hime, instead, but Ninigi had his heart set on Kono-hana because Iwa-Naga-hime was ugly.

Oho-Yama reluctantly agreed and Ninigi and Ko-no-hana married.

Because Ninigi refused Iwa-Naga-hime, the rock-princess, human lives are said to be short and fleeting, like the sakura blossoms, instead of enduring and long lasting, like stones.

Kono-hana became pregnant in just one night, causing suspicion in Ninigi.

He wondered if this was the child of another kami.

Kono-hana was enraged at Ninigi’s accusation and entered a doorless hut, which she then set fire to, declaring that the child would not be hurt if it were truly the offspring of Ninigi.

Inside the hut, Ko-no-hana had three sons, Hoderi, Hosuseri and Hoori.

Shrines have been built on Mount Fuji for Konohanasakuya-hime.


(fuji199.jpg)


(fuji198.jpg)

It is believed that she will keep Mount Fuji from erupting, but shrines to her at Kirishima have been repeatedly destroyed by volcanic eruptions.

She is also known for having tore up the Yatsugatake Mountains, because it was higher than Mount Fuji.


SOURCE: “Konohanasakuya-hime” from Wikipedia

I see… Quite interesting… But, Kato, how come you’re telling me about this festival?

Diane, have you ever heard that the Japanese emperor was believed to be a living god before the second world war?

Yes, I have. But I can hardly believe that.

Anyway, according to the mythology, the third son or Hoori is supposed to be the ancestor of the current emperor.

Kato, do you believe that?

No, I don’t, but my mother used to believe it before the second world war.


(laugh16.gif)

【Himiko’s Monologue】


(himiko22.gif)

Canada extends from the Atlantic to the Pacific and northward into the Arctic Ocean, covering 9.98 million square kilometres (3.85 million square miles) in total, making it the world’s second-largest country by total area and the fourth-largest country by land area.

Canada’s common border with the United States forms the world’s longest land border.

Naturally, many wild animals live in the vast land—especially in the northern part of the country.

Some of these animals are shown in this documentary called “Snow Babies,” which depicts the first year of baby animals and their families originally broadcast on television as individual episodes in 1996.

Prepare for your heart to melt as the “BBC Eath” program brings you an in-deapth look at adorable baby animals in the beautiful but harsh world of ice and snow.

It is a fascinating and entertaining documentary.

Please take a look at the following trailer.


(snowbabies.jpg)

In any case, I hope Kato will write another interesting article soon.

So please come back to see me.

Have a nice day!

Bye bye …


(hand.gif)


(renge400.jpg)

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


(juneswim.jpg)

A Second World

Adele Hugo

Bach Collegium Japan

Banana @ Eden

Big Mystery

Call Girl Mystery


(biker302.jpg)

Cleopatra

Climate of Doubt

Crocodile Meat

Dolly the Sheep

Fireflies

from Korea

Glory of Death

God is coming!


(dianesun.jpg)

Golden Shower

Hitler and Tramp

Killer Flood

Mystery of Dimension

Motre Dame

Omakase@Sushi

Popes@Spotlight

Quartet

Ramen Boom

Richard III

Savge vs. Civilized


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Strange Love

Submerging Island

Titanic @ Sendai

Typhoon & Emperor

Unforgettable Flicks

Unknown Tragedy

Victorian Prudery

World War B.C.


(surfin2.gif)


(bare02b.gif)

Hi, I’m June Adams.

Kato is a real movie lover, who tries to watch 1001 movies by the end of this year.

As a matter of fact, he has already accomplished his goal.


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『Actual List』


(june001.gif)

Kato watched “The Arabian Nights” or “One Thousand and One Nights” as his 1001th movie.

You might just as well want to view it.


(1001nite.jpg)


(1001nite10.jpg)

The stories in “the Arabian Nights” were collected over many centuries by various authors, translators, and scholars across West, Central, and South Asia and North Africa.

The tales themselves trace their roots back to ancient and medieval Arabic, Persian, Indian, Egyptian and Mesopotamian folklore and literature.

In particular, many tales were originally folk stories from the Caliphate era, while others, especially the frame story, are most probably drawn from the Pahlavi Persian work Hazār Afsān which in turn relied partly on Indian elements.

What is common throughout all the editions of the Nights is the initial frame story of the ruler Shahryār and his wife Scheherazade and the framing device incorporated throughout the tales themselves.

The stories proceed from this original tale.

Some are framed within other tales, while others begin and end of their own accord.

Some editions contain only a few hundred nights, while others include 1,001 or more.


(bellyan15.gif)


(renge730.jpg)


(bikini901b.jpg)


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(girlxx.gif)

桜屋敷

 

桜屋敷

 


(sakura11.jpg)


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デンマンさん。。。、桜屋敷と言うのは、デンマンさんのご先祖が住んでいた屋敷の事ですか?


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いや。。。僕の先祖は、たどってゆくと百済からやって来た騎馬武者なのですよ。。。7世紀の白村江(はくすきのえ)の戦いで百済が 唐と新羅の連合軍に敗れて、当時の大和に避難民として逃げてきたのですよ。。。九州から当時の平城京まで下って行ったのだけれど、食ってゆくために必要な土地がもらえなかったので、ついに関東まで下ってゆき、武蔵の国の忍、現在の行田市に住み着いたのです。。。詳しい事は次の記事で書きました。

 


『デンマンの祖先は百済からやって来た』

 

そんな昔のことがデンマン家には家系図として残っていたのですか?

家系図など当てになりませんよ。。。 昔は家系図を買ったり、新しく作らせたりしたものです。。。僕の実家には遠い祖先が書き残した土地を分けていただきたいという漢字の請願書が残っており、結局その請願書は突き返され、それが家宝のように伝来してきたのです。。。

。。。で、現在はどうなっているのですか?

僕が第132代の当主として持ってますよ。。。デンマン家は、日本の皇室よりも古い歴史を持っているのです。。。

。。。マジで。。。?

いや。。。冗談です。。。でも、百済からやって来たという事は本当です。。。

つまり、この事を言うために、わざわざ 桜屋敷 を持ち出してたのですか?

いや。。。そういうわけではありません。。。確かに、避難民として関東に下って、当時の忍藩の騎馬武者として小田原の合戦に はせ参じたのだけれど、豊臣秀吉の軍に敗れて武士を捨てた頃には、屋敷は手を入れることもなく、やがて廃屋(はいおく)のようになってしまった。

 


(sakura12.jpg)

 

つまり、デンマンさんが子供の頃は、こんなあばら家に住んでいたのですか?

上の写真は江戸が明治に変わる頃のものですよ。。。もちろん、実物のものではありません。。。

つまり、デンマンさんの江戸時代の祖先は落ちぶれて、このようなあばら家に住んでいたと言うために 桜屋敷 を持ち出してきたのですか?

違います。。。

じゃあ、どういうわけで桜屋敷を取り上げたのですか?

実は、ユーチューブで古今亭志ん朝さんの落語を探していたら次の噺に出くわしたのですよ。。。

 


(sakura16.jpg)

 

本所 桜屋敷

鬼平犯科帳

 

天明8年(1788)の正月のある朝、「火付け盗賊改め役所」の長官である長谷川平蔵は昨年末逮捕し、処刑した凶盗・野槌(のづち)の弥平(やへい)一味のうち、取り逃した小川や梅吉を本所で見たという密告を受けた。
密告したのは、越中・高岡で生まれ育った元盗賊で、今は佐嶋与力の密偵をしている岩五郎である。

平蔵はすぐ一人で本所へ向かった。
本所は父の屋敷が三ツ目にあり、17歳から父が町奉行となった京へ赴くまでの10年間、過ごした町である。

最初、平蔵は梅吉が姿を見せ、消えたという南割下水みなみわりげすいの近辺を巡回したが、何の手掛りもなかった。
そこで三ツ目の昔の屋敷を訪ねてみたが、屋敷も周りの情景も17年前と変わらず、懐しかった。
さらに昔剣術を学んだ法恩寺横の一刀流・高杉銀平道場を訪ねてみると、道場は廃屋となっている。

また道場の北側には「桜屋敷」と呼ばれる、この辺りの名主・田坂直右衛門の屋敷があった。
そこの山桜の老樹の花片が道場の窓から吹き込んできたし、名主の孫で両親のいないおふささんが蕎麦切と冷酒を下女に運ばせ、門人に差入れをしてくれた。
それが今や武家屋敷に変わっており、平蔵は茫然とたたずんでいた。

 


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この時、背後からわざと斬りかかった者がいる。
うまくかわした平蔵は高杉道場で猛稽古をした剣友・岸井左馬之助と20余年振りに再会した。
そして2人は法恩寺門前の茶店へ入り、湯豆腐と熱い酒で、積もる話を語り合った。

実は桜屋敷のおふささんは2人の初恋の女性であった
だが2人が22歳の春、彼女は花嫁姿で舟に乗り、横川よこかわを下って日本橋の呉服問屋・近江屋へ嫁いでしまった。

 


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その頃、幕府は本所、深川の土地に目を付け、名主の土地・百姓を他へ移していたため、名主の力が弱体化しており、祖父は孫娘の幸せを願い、思い切って日本橋の大店へ嫁がせたのである。

平蔵は翌年父の跡を継ぐことになり、将軍・家治に拝謁(はいえつ)し、市井の無頼者(ぶらいもの)との付き合いも止めた。

一方岸井は今も十月とつきに1回の割合で桜屋敷を訪ね、独身を貫いている。
おふささんが今は御家人の御新造となり、本所で暮しているからでもあるらしい。

岸井と別れた後、平蔵は南割下水の御家人・服部角之助の家を探してみた。
家は見つからなかったが、今度は本所の無頼者で親しくしていた相模さがみの彦十と20余年振りに出会った。

二ツ目の軍鶏(しゃも)鍋屋・五鉄に誘うと、彦十は、先程は御家人・服部の家から出てきたが、そこでは毎日賭場(とば)が立っている、御新造もばくちを打っているという。
それで平蔵は今の役職を打ち明け、梅吉の人相書を渡し、服部の家にいないか調べるよう頼んだ。

さらに役宅へ戻った平蔵は、日本橋に住む改め方の御用聞・文治郎を呼び、近江屋のおふささんのことを聞くと、彼女は幸せに暮らしていたが、子供を死産してから数日後に夫が馬に蹴られ、1ヶ月後に亡くなってしまった、後取りはもめたが、結局夫の弟に決まり、その弟が桜屋敷を御公儀へ売り払い、いくらかのお金を渡し、彼女を追い出したということであった。

ところで彦十は別れてから4日後の夕、役宅へ来て、服部の家に梅吉がいると報告してくれた。
さらに翌々夜、駆け込んで来て、無頼仲間の蓑虫(みのむし)の久(きゅう)が服部の家に呼ばれ、日本橋の近江屋の押し込みに一枚乗れと言われた、服部の旦那が糸を引き、梅吉と浪人くずれ7人が中心となり、数日中に押し込む様子と急報してくれた。

平蔵はすぐに改め方20余名に出動命令を出し、午後11時には服部の家を取り巻いた。
そして彦十の連れてきた蓑虫(みのむし)の久を使って門を開けさせると、先頭に立って中に入り、服部夫妻を含め梅吉達を一網打尽にした。

取り調べはおふさ以外の者を平蔵が担当し、梅吉は、蓑虫の久を誘い込んだのが運のつきであった。
梅吉は、旦那のお目を逃れて服部の賭場へ転がり込んだ。
そして、御新造と仲良くなった。
近江屋への押し込みは御新造が勧めたものであったと白状した。

 


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最後のおふさは村松与力が取り調べた。
その日平蔵は岸井を役宅に招き、詮議場の横の部屋の障子のすき間から一緒に白洲の彼女を見た。

村松与力がびしびしと調べを進めると、おふさは、近江屋にはうらみがある、それ故梅吉をそそのかせ、近江屋夫婦を殺害させるつもりであった。
お金を盗むことよりもそのことの方が、私には大事であった、とはきはきと答えた。
どういううらみがあったのかと聞かれると、おふさは、日本橋の御用聞が平蔵にいった通りの内容をはっきりと述べた。

おふさが白洲から引き立てられる時、2人はたまりかねて詮議場へ出ると、おふさは2人を見たが、表情は少しも変わらない。
まったく、おふさは2人を忘れ切ってしまっていたのだ。

そのことを平蔵が思わずささやくと、岸井の両眼から泪が湧きこぼれた。
左馬はこれ程までにおふささんを思いつめていたのか。
平蔵は深い感動を覚える。

春になり、梅吉、服部、浪人くずれは死罪、おふさは服部家の小者その他と遠島となった。

数日後平蔵は神田川の船宿で小舟をやとい、本所の横川よこかわへ向かった。
大川から竪川たてかわへ入ると一ツ目橋、二ツ目橋、三ツ目橋とあり、そこに屋敷があった。
三ツ目橋をくぐり、新辻橋の手前から左へ曲ると横川。

横川を北へ進むと右手に法恩寺の屋根が見え、舟は出村町にさしかかり、横川町沿いに止まる。
対岸の桜屋敷の山桜は今が満開である。
そして対岸の草地にたたずむ男がひとり見える。
おふさを想い独身を貫き通した岸井左馬之助だった。
舟は静かに去った。

 

殺伐とした捕り物帖のエピソードの中に、おふさと言う美しい女性を登場させ、若い頃の平蔵と、彼の親友の岸井左馬之助のロマンが語られるのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。映画では、岸井左馬之助とおふさが寺の土塀が続く道で軽く会釈をして擦れ違うシーンがある。。。この場面は京都の妙心寺でロケされたのだけれど、実に美しいシーンなのですよ。。。このシーンが岸井左馬之助の胸の内にあるから、いつまでもおふさを想い続けられたのだと思うのです。。。

 


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岸井左馬之助がおふさと寺の土塀が続く道で軽く会釈をして擦れ違うだけのことで’、一人の女性を想い続け、男は独身をとおすことができるのでしょうか?

あのねぇ~、江戸時代は儒教と武士道が若者の行動を支配していたのですよ。。。「男女7歳にして席を同じくせず」。。。戦前までは、小学校でも小学5年生、6年生になると教室は男女別々になったほどです。。。

 


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デンマンさんも小学生の頃は男女別々の教室で勉強したのですかァ~?

あのねぇ~。。。僕は戦後生まれですよ。。。だから、小学校でも、中学校でもずっと共学でした。。。戦前は、普通の男女にとって、男女関係は まるで別世界だったのですよ。。。

 


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当時、千代田女子専門学校国文科の1年生だった、戦後、歴史小説家になる杉本苑子さんも、この学徒額出陣式に参列していたのです。。。彼女が話したように、当時そんな事をしたら不謹慎であるにもかかわらず、女学生の中には心の中で恋い焦がれていた男子学生が行進の中にいて、最後の別れをしようと手の届くほどまで近寄ったのです。。。

それに刺激を受けて、もう世間体も気にならずに本能的に行進している男子学生に雪崩(なだれ)を打つように他の女学生も手の届くほどに近づいたのですわねぇ~。。。

そういうことですよ。。。その女学生の一団の中に杉本苑子さんもいたというわけです。。。この出陣式に出席した9か月後に、兄をサイパン島の激戦で亡くした妹の戸田聰子(としこ)さんが言っているように、希望が持てる時代ではなかった。。。だから、ほとんどの女学生は、この男子学生の多くが戦地で戦死すると思ったに違いない。

それで、できれば恋焦がれている男子学生の手を取って、最後の別れをしたいと思ったのでしょうねぇ~。。。

でも、そうすることは当時の慣習では、許されることではなかったのですよ。。。

デンマンさんが、その女子学生だったら、どうしますか? 恋焦がれている男子学生に近づいて手を取り、最後のお別れをしますか?

多分、タブーを犯して手を取って最後の別れをするでしょうねぇ~。。。

でも、憲兵がやってきたらどうしますか?

その時は、逮捕される前に、貨物船に忍び込んで海外に密航します。。。

デンマンさんは口では、そういう勇まし事を言ってますけれど、当時に生きていたら絶対に、そういう事はできなかったと思いますわァ~。。。

たぶん、そうでしょう。。。でもねぇ、僕は戦後生まれだから、そういう古臭い慣習にはとらわれません。。。あのねぇ~、岸井左馬之助とおふさが寺の土塀が続く道で軽く会釈をして擦れ違うシーンがある。。。この場面は京都の妙心寺でロケされたのだけれど、実に美しいシーンです。。。このシーンが岸井左馬之助の胸の内にあるから、いつまでもおふさを想い続けながら独身でいられた。。。しかし、今の時代では、そういう事はまず無理ですねぇ~。。。

あらっ。。。無理ですか?

無理です。。。じゃあ、僕の思い出の話を聞いてください。。。

 

ん? クラシックで片思い?


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そうなんですよね。
僕は多分、恵美子さんに片思いしていたと思うんですよ。


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中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、
全校生徒が体育館に集まった時に
同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。

僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。

曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。

よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。

小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、
中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。

しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね?)

とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。

とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。


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そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。

当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。


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これまでに一度も言葉を交わしたことのない女性に初めて電話して僕のピアノの演奏を聞いて欲しいと言ったのですからね。
もちろん、どうしてそういう気持ちになったのか、かいつまんで説明しましたが、
今から思うと“すっご~い心臓”を持っていたものだと、自分ながら呆れる思いです。

その後、恵美子さんがコンサートピアニストになったのかどうか、僕は、もうぷっつり連絡していないから全く分からないのです。
僕は社会人になると間もなく海外へ出てゆきましたから。。。

当時、彼女の家にはグランドピアノがあって、その頃でもピアノ教室が別棟にあって、そこで子供たちに教えていました。
とにかく、恵美子さんに会ったのは前にも後にもそれっきりなんですよね。
電話した事もなければ、手紙を書いたこともない。
本当にその時会ったのが初めで最後!

まず、このように書いても誰も信用してくれないと思いますが、これは実話です。
恵美子さんの名前は本名です。
僕の生まれは行田市です。

もしかして、この記事を恵美子さんが読む事があれば、すぐに僕が誰かと言う事が分かるはずです。
もちろん、僕は恵美子さんにまた会いたくなったから、と言うのでこの記事を書いているわけではありませんよ。

小学生のときに芽生えた“乙女”に対する思いが僕の“乙女の祈り”の演奏を聴いてもらう事によって完結した。
言ってみれば、そのような儚(はかな)くも淡い“恋”ではなかったのか?

もちろん、それは“片思い”にすぎなかったのだけれども、僕はその片思いをあのような形で完結したのだと。。。
今から思い返すと、そう思えるのです。

しかし、ずいぶんと下手くそで間違った演奏を聞かせたものだと、気恥ずかしくなりますよ。
この記事を恵美子さんがもし読む事があったら、夢のような馬鹿ばかしい思い出として、苦笑しながら思い出すことでしょう?

お恥ずかしい事ですが、クラシックだと言われている“乙女の祈り”を誰が作曲したのか?
この記事を書くまで知らなかったという“おまけ”までがついていますよ。うへへへへ。。。。
ついさっき調べたら次のような事が分かりました。

 


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1856年作曲

乙女の祈り (La prière d’une vierge)

テクラ・バダルジェフスカ (Tekla Badarzewska)

(1834年1月1日~1861年9月29日)

生誕地:ワルシャワ、 ポーランド

 

なんと、この人物は27歳で亡くなっているんですよね。
冥福を祈りたいですね。

とにかく、この人物が“乙女の祈り”を作らなかったら、僕は恵美子さんに会うことはなかったんですよ。

小学生の時に、恵美子さんのことを可愛い女の子だなぁ~と思っていただけで、一生会って言葉を交わす事はなかったはずです。

クラシックの“威力”なのでしょうか???

実は、この片思いの事は6月13日に書いた記事の一部です。全文はもっと長いのですよ。
興味があったら次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
クラシックに限らず音楽好きの人なら面白く読めると思います。

『ん? クラシック興味ある?』

Realogで書いた、この記事に対してRealogのメンバーの藤守美愛さんから次のようなコメントをもらいました。
ありがとね。 (デンマン注: 残念ながら、Realogは閉鎖・消滅しました。)

 


(gal06c.jpg)

初です☆
クラシック好きなので、
タイトルに釣られて来てしまいました。
コントラバスしてたんですか?
私はペットとパーカッション&ドラムしてました(^O^)

乙女の祈りはエレクトーンで弾いたので懐かしい~
独学でピアノは大変ですよね。
とても素敵な想い出だと思います=^▽^=

 

by 藤守美愛 2006/06/14 03:45


『ん? クラシックで片思い?』より
(2006年6月19日)

 

あらっ。。。これってぇ~、デンマンさんが夢を見たのではありませんか?

いや。。。夢の話ではありません。。。現実に起こったことです。。。

。。。で、もしデンマンさんが岸井左馬之助だったら、どうしますか? 桜屋敷を1週間に1度外から眺め、おふささんを想い出しながら、一生を独身で過ごせますかァ~?

いや。。。僕なら、おふささんを追って遠島で流された八丈島まで舟をこいで会いにゆきます。。。

でも、その当時に生まれていたら、絶対にできませんわァ~。。。

いや。。。できます。。。なぜなら、江戸時代に生まれ育った、上杉鷹山が次のように言いました。。。

 


(youzan10.jpg)

 

為せば成る為さねば成らぬ何事も

成らぬは人の為さぬなりけり

 

そういうわけで、デンマンさんは危険を冒して密航してカナダまでジューンさんに会いにいったのですか?

そうです。。。為せば成るのです。。。


(laugh16.gif)

【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

言っておきますが、デンマンさんは、わたしに会いにカナダにやって来たわけではありません。。。

日本が嫌になったからやって来たのですわ。。。 うふふふふふふ。。。

日本が嫌になっても海外に出てゆく勇気がないと

その不満がたまって神武君のようにセクハラコメントを書いたり、

白衣を着て女の子のお尻にクサビを打ち込んだりするのですわァ。

 


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『セクハラ止めない神武君』

 

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ〜。。。

 

 

「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」

貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


(dog810.jpg)

 

ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。

天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』


(miya08.jpg)

『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

『裸女に魅せられ』

『素敵な人を探して』

『カクセンケイ』

『博士の異常な愛情』


(teacher9.jpg)

『パレートの法則』

『こんにちわ@ブリュッセル』

『いないいないばあ』

『食べないご馳走』

『10分間に900件を越すアクセス』

『5分間に340件のアクセス』

『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

『露出狂時代』

『露出狂と反戦』

『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

『共産党ウィルス』

『馬が合う』


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『オックスフォードの奇人』

『風馬牛』

『未亡人の苦悶』

『群青の石deロマン』

『露出で検索』

『テレポーテーション』

『露出狂』

『第6感』

『大邱の読者』

『無重力の性生活』

『パパは何でも知っている』

『音の力』

『ソフタ』

『くだらない』

『くだらない』

『アルゴー船』

『無重力』

『集団行動』

『ブラック・ダリア猟奇事件』

『殺し屋火山の謎』

『彗星に着陸』

『日本の貧困親子』

『ホログラム』

『ホログラム』

『めでたい動物たち』

『初笑い@動物』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

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『平成の紫式部』

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めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

“JAGEL – Soft Japanese Bagel”


(linger65.gif)

『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

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『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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『今すぐに役立つホットな情報』


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女帝の業(ごう)

女帝の業(ごう)

 

防人の歌碑の前に立つ小百合さん

 

投稿日時: 2008/09/22 03:58 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午前11時58分
バンクーバー時間: 9月21日 午後7時58分

防人の歌碑のところまで行って、
新しい道を探して 見つかった時の 新鮮さ。
長男や次男のこと、デンマンさんのことも
忘れて 自分だけのことで 走り回ってました。

■ 『ビバ! 白鳥の湖 (2008年6月15日)』
(防人の歌碑については上の記事を読んでみてね。)

“防人の歌”。。。懐かしいですねぇ~。

そうです。そうです。
あの防人の歌の歌碑も、小百合さんと一緒に見たいものですね。

 

日の暮れに

うすひの山を

越ゆる日は

背なのが袖も

さやに振らしつ

 

(巻第十四 東歌 三四〇二

詠み人知らず)

現代語訳:

日の暮れ時に、碓氷の山の峠を越える日に、我が夫が、別れの時に目につくほどはっきりと袖を振っていたわ。

(峠を越えて去ってゆく夫を慕う妻の心情を詠んでいる。)


 

ひなぐもり

うすひの坂を

越えしだに

妹が恋しく

忘らえぬかも

 

(巻第二十 四四〇七

他田部子磐前 [おさたべの子いわさき])

現代語訳:

ひなくもり(碓氷を導く枕詞)碓氷の坂を越える時は、国へ置いてきた妻のことが恋しくて忘れられない。

(碓氷峠越えの別れの恋歌。)


■ 『夢のホテル (2008年5月8日)』より

 

昭和25年ごろの手書きのマップを見つけ
コピーして 今大切に見てます。
大きくして額に入れようかな~ 

本当に 雲場池のところに ニュー グランドホテル
と書いてあった。 

 


(lodge25.jpg)


(lodge24.jpg)

&nbsp

1度見てみたい 竈岩(かまどいわ)
白人はジャイアントチェアー と呼んでいたらしい。
南のプリンススキー場の裏側なので 見たこと無いです
ごめん ごめん 私の事ばかり

うん、うん、うん。。。

小百合さんの事を、もっともっと書いてくれてもいいよう。

 

私 今月末と思ったら 10月末 よね。
ネットカフェ・コンコルドであわてて デンマンさんの旅程表を見たから勘違いしてました。

あと1ヶ月ですね。

まだ1ヶ月以上ありますよう。
でも、1ヶ月なんてすぐに経ってしまいますからね。

僕は1ヶ月分の記事を用意しなければならないので、
この1ヶ月間は大変です。

 

これ SUBMIT できるかな
何だか お気に入りが減ってるし、マウスはどっか
無くなってるし やりずらいなー

これが 現実の世界ですよ、今日も次男坊と喧嘩がはじまりそうー。

では 今日も洗たく 掃除…
今から始めます。

では、また。。。

小百合より

 

そうですよう。そうですよう。
軽井沢は、小百合さんにとって“今一つの世界”なのですよう。

日常茶飯事から開放されて、小百合さんの“夢とロマンの生活”を軽井沢に求めているのですよう。

つまり、それこそ小百合さんの“女の世界”です。
デンマンの“ロマンポルノ天国”と重なると思うのですよう!
うしししし。。。

行田で元気に再会しましょうね。
“恍惚のハグ”を楽しみにしていますよう!
じゃあね。

 


投稿日時: 2008/09/22 07:16 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午後3時16分
バンクーバー時間: 9月21日 午後11時16分

『帰省スレッド』より
ロンドンの“ビーバーランド e-XOOPS”

 

また、防人の歌でござ~♪~ますか?

そうですよう。防人に狩り出された人たちは苦労したのですよう。苦労どころか、3年こき使われて九州から関東平野まで歩いて帰ってくる途中で、追いはぎや山賊に襲われて亡くなってしまった人もたくさん居たのですよう。

つまり、上の歌は今生(こんじょう)のお別れの歌なのですか?

そうですよう。もう2度と会えないかもしれないと思いながら防人は九州に出かけて行ったのですよう。

。。。んで、大伴家持のおじ様は防人の世話をする役目についていた事があるのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。だから、防人の悲劇をたくさん見たのですよう。

。。。んで、万葉集にも防人の歌をたくさん載せて、大伴のおじ様は当時の政府の非情なやり方を後世に伝えようとしたのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、さらに、持統天皇の陰謀、柿本人麻呂の悲劇までも大伴のおじ様は万葉集の中に書き残そうとしたのでご~♪~ざますか?

そうなのですよう。万葉集をしっかりと読めば、そのような史実がちゃんと書いてあるのですよう。

でも、そのような事をあたくしは学校で教わりませんでしたわ。

それはそうでしょう。万葉集を歴史書だと教える先生は居ないでしょうからね。万葉集は「日本最古の歌集」だと先生は教えますよう。

でも、実は歴史書なのでござ~♪~ますか?

ちょっと次の書評を読んでみてください。クイズを持ち出してきて、全く関係ないじゃないか!。。。そう思わずに面白いから最後まで読んでみてくださいね。

 

欺瞞の根本原理

 

 

上の図を見てください。
O は円の中心、 AB の長さ 14センチ、 BC の長さ33センチという事だけ分かっている。この円の半径は何センチですか。
別にむつかしい計算は要りません。
30秒で答えてください。
もし30秒で答えられなかったら、考えるのをやめて、この小文を終わりまで読んでください。

 (中略)

手元にあったロースン (Clayton Rawson) の長編は Death from a Top Hat (1938)というので、この題名は手品師のシルクハットから兎や鳩が飛び出すように、「死」が飛び出したという意味。ディクスン・カーが褒めるはず、この作はカーの手品趣味をさらにいっそう極端にした徹底的な手品文学である。

 (中略)

その他、この小説にはオカルティズムと手品趣味が充満していて、手品小説愛好者をヘトヘトに堪能させてくれる。結末の種明かしそのものには非常な創意があるとは云えないが、そこまでの道程が面白いのである。カーですら極端だと思っていたのに、そのカーに輪をかけて極端な手品作家に接して、上には上があるものと、ほとんど呆れた次第である。

冒頭に記した謎の図も、マリーニー(主人公探偵)がこの図を描いて警部ともう一人の人物に示し、探偵学の一助とするのである。この図を示されると、誰でも一応は、図の半径 AO の内の AB の長さが分かっているのだから、残りの BO の長さを求めればよいと考える。 ところで、BOC という不等辺直角三角形の底辺 BC の長さは分かっているが、その他に何もデータがないのだから、これだけではどうしても BO の長さを算出する事ができない。これは不可能だ。とてもむつかしいと考える。そう考えたらおしまいである。まんまと手品師の術中に陥ったのである。

そんな考え方をしないで、BC を対角線とする矩形(くけい)を良く見ればよいのである。そして O から発して BC と相交わるもう一つの対角線を描いてみる。すると矩形に置ける二つの対角線の長さは相等しいのだから、O から円周に達する対角線の長さは即ちこの円の半径で、それは BC と同じく33センチなのである。

マリーニー名探偵は云う。
どうだい、答えはちゃんと君の目の前にさらけ出されていたじゃないか。君はそれを見なかったのだ。なぜかというと、AB という余計な太線があり、その長さを14センチと、何か意味ありげに示してあったので、その残りの細線の長ささえ算出すれば半径が分かると、ついその方に気をとられてしまうからだ。この「目くらまし」にかかって、君の論理は脇道にそれ、袋小路(ふくろこうじ)に突き当たってしまった。手品師がハンカチや時計を消して見せるトリックも全くこれと同じなんだよ。左手で何か細工をしようという時には、見物の注意を右手の方に集めるのだ。右手にその品を握っていると思わせるのだ。そして、見物の目が右手に集中されているひまに、易々(やすやす)と左手で物を隠してしまう。見物は全然左手なんか見てやしないんだからね。つまりこの図のAB線は手品師の右手に当たるわけだよ」

名探偵はさらに言う。
「観察力がうまく間違った方向に導かれると、どんな利巧な見物でもごまかされてしまう。これが欺瞞の根本原理だ。この原理は手品師ばかりではなく、賢い犯罪者と、それから探偵作家が常に用いている。だから、これさえ飲み込んでいれば、君は手品や犯罪や探偵小説に欺かれる心配はないわけだよ」


785-789ページ
江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」
光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行


『愛と心の構造 (2008年9月28日)』より

 

このクイズが万葉集と大伴家持おじ様に関係あるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。日本人の多くは万葉集が日本最古の歌集だと長い間、思い込まされてきたから、重要な歴史的事実を見逃してきたのですよう。

つまり、万葉集が“歌集”だと言うのは「目くらまし」なのでござ~♪~ますか?

そうですよう。そのようにしない限り、つまり、歌集として世に出さない限り、後世の我々に持統天皇の陰謀や柿本人麻呂の悲劇を伝える事ができなかったのですよう。

要するに、当時の藤原政権は、大伴家持のおじ様にまんまと騙されてしまったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。“愛の歌、恋の歌がたくさん集められている女・子供が読むための歌集でございます”。。。このように言って、時の政府の文書検閲官を騙して出版したのですよう。

でも、実は歌で綴られた歴史書なのでござ~♪~ますか?

大伴家持は、そのつもりで編集したのですよう。万葉集の中には、名前が伏せてあるものや“読み人知らず”になっている歌がたくさんあるけれど、すでに見てきたように1073番の歌も柿本人麻呂が詠んだに違いない、と僕は見ているのですよう。

 

 

玉垂(たまだれ)の

小簾(をす)の間(ま)通し

ひとり居て

見る験(しるし)なき

夕月夜かも


詠み人知らず

万葉集 巻第七・1073

 

このような素晴しい月夜の晩に、

一人で簾の隙間から月を見ているが

ああ~、愛(いと)しいあの人は、

もうこの世の人ではない。

あのように儚(はかな)く

逝(い)ってしまうのであれば、

もう少し足しげく通って、

優しい言葉をかけてあげたかった。

でも、そうできない事情が

あったのだ。

今更嘆いたとて、どうなるものでもないが。。。

それでも、あの人を思い出すと

慟哭せずには居られない。

 


『万葉集の謎 (2008年9月23日)』より

 

分かりましたわ。。。んで、まだ他にも柿本人麻呂のおじ様が詠んだ歌で“名無し”として載せられている歌があるのでござ~♪~ますか?

ありますよう。次の長歌も柿本人麻呂が詠んだのですよう。『万葉集』の第一巻に「藤原宮御宇天皇代」の歌として載っているのですよう。

でも、それは「藤原宮の役民の作れる歌」と書いてありますわ。

それで、多くの人は騙されてしまったのですよう。

これも「目くらまし」でござ~♪~ますか?

そうですよう。とにかく、その長歌を読んでみてください。

 

 

やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子

あらたへの 藤原が上に 食国を 見し給はむと

都宮は 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに

天地も 寄りてありこそ 磐走り 淡路の国の

衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまでを

もののふの 八十氏川に 玉藻なす

浮べ流せれ そを取ると 騒く御民も 家忘れ

身もたな知らず 鴨じもの 水に浮きゐて わが作る

日の御門に 知らぬ国 寄り巨勢道より わが国は

常世にならむ 図負へる 神しき亀も 新代と

いづみの河に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず

いかだに作り のぼすらむ 勤はく見れば 神ながらならし


万葉集 巻第一・50

 

持統八(694)年12月6日に都を藤原宮に移したのですよう。高市皇子が死去する2年前です。この長歌は、この藤原宮で働いている役人が詠んだ歌だと書いてある。

でも、柿本のおじ様が詠んだのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕一人だけが、そう信じているわけじゃないのですよう。多くの古典研究者や歴史研究者がこの長歌は人麻呂が詠んだ長歌に違いないと考えているのですよう。

この長歌は、当時の天皇・持統女帝に献呈された歌だと、あたくしは教わりましたわ。

学校の教科書には、そのように書いてあるのですよう。

でも、違うのでござ~♪~ますか?

もし、人麻呂が持統天皇のために詠(うた)ったのであれば、名前を出しても良いのですよう。

なぜ、柿本のおじ様の名前を出さなかったのでござ~♪~ますか?

なぜなら、人麻呂は持統天皇ではなく高市天皇のために詠(よ)んだからですよう。

しかし、高市天皇なんて日本史では認められていませんわ。

その通りですよう。持統天皇に暗殺されてしまったのだから。。。

まさか。。。?

それが僕の言う悲劇なのですよう。

しかし。。。しかし。。。そのような事は、あたくし、日本史で勉強しませんでしたわ。

だから、この史的事実は隠されてきたのですよう。それで、上の長歌も人麻呂が詠んだのだけれど、“藤原宮で働いている役人が詠んだ”と万葉集に書いたのですよう。

なぜでござ~♪~ますか。。。?

そのようにすれば、本当の真実を後世の人が分かってくれるだろうと考えて大伴家持は、そのように書いたのですよう。真実を書いたら、大伴家持の首が飛んでしまうから。。。

そうでしょうか?

だって、そうでしょう?上のような長歌を藤原宮で働いている役人が詠んだのですよう。本当に持統天皇のために詠んだものであれば、詠んだ人の名前を伏せる必要はないのですよう。しかし、その人の名前が書かれていない。不自然ですよう。これは臭い!。。。何か隠されているに違いない。。。僕はそう思いましたよう。

でも、ただそれだけでは、あたくし、納得できませんわ。

だったら、卑弥子さんが納得できるように、もっと詳しく説明しますよう。まず、ジューンさんが書いた次の文章を読んでみてください。

 

ある少女の悲劇

 

 

こんにちは。ジューンです。

今日は興味深い歴史のお話をします。

乙巳の変(いっしのへん)から

4年後の649年3月の事です。

当時、右大臣であった蘇我倉山田石川麻呂が

謀反を企てていると、石川麻呂の弟の日向が

中大兄皇子に告げ口したのが事件の始まりでした。

石川麻呂は当時の孝徳天皇に身の証をして

助けを求めたのですけれど、

聞き入れてもらえなかったのです。

中大兄皇子と石川麻呂は

政治的に意見が対立していたので

中大兄皇子はさっそく兵を

石川麻呂の邸宅に向かわせたのです。

危険を察した石川麻呂は

飛鳥の自宅である山田寺にすでに逃げていました。

しかし、その山田寺もやがて包囲され、

石川麻呂は観念して妻と共に自害したのです。

しかし、事件はそれだけではすみませんでした。

やがて陰謀が夫の中大兄皇子のしわざと知った

遠智娘(おちのいらつめ)は

半狂乱の状態になってしまったのです。

無実の罪を着せられて、夫に父親を殺された。

そう思い込んでいる遠智娘は、

身重な体を抱えながら

心が晴れないままに日を送ったのでした。

“父親殺害者”の子を宿していたのです。

その年の暮れに建皇子を生み、“この子を頼むわね”

そう言って満4才の女児に言い残して

20代半ばの短い人生に終わりを告げて

遠智娘は命を絶ってしまったのでした。

後に、中大兄皇子は

義理の父である石川麻呂の忠誠の心を知り、

死に追いやった事を後悔したそうです。

ところで、当時の結婚は“妻問い婚”が普通でした。

男性が女性宅を訪れ一夜の契りを結べば

それが結婚となり夫婦になるわけです。

男はその家にとどまることなく

自由に女の家を出て自分の家に帰り、

女は男のまたの訪問を待ちます。

子供が生まれればその子は妻の家で養育し、

父が子供に会うのは女性宅を訪れる時だけです。

その子供の養育費はすべて女性任せで、

子供は女性の実家で養育される事になります。

当然の事ですが、子供はたまに会う父よりも、

母方の祖父母への愛着が深くなります。

優しいおじいさんとおばあさんが一緒に亡くなり、

そのあとを追うようにお母さんが亡くなってしまった。

満4才の童女は、当時そのことは知らなくとも、

やがて自分の父親が祖父母と母の三人を

“殺した”と知ることになります。

可愛がってくれていた3人が死んでしまった。

しかも、父親の陰謀がその背景にあったのです。

その衝撃はトラウマになって、

その後の童女の人格形成に大きな影響を与えた事は

想像に難(かた)くありません。

その時の4才の女児こそ、後の持統天皇になる

讚良(さらら)皇女だったのです。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

 


『女帝の憎悪 (2008年9月25日)』より

 

つまり、持統天皇は少女の頃に大変つらい思いをしてきたと。。。その事をデンマンさんは強調したいのでござ~♪~ますわね?

そうですよう。“血塗られた家系”という言葉があるけれど、この言葉は、まさに持統天皇のためにあるような言葉なのですよう。

それ程、血塗られているのでしょうか?

だって、そうでしょう?持統女帝の父親である中大兄皇子は乙巳の変(いっしのへん)では蘇我入鹿を殺しているのですよう.

 

 

板蓋宮(いたぶきのみや)における

暗殺の場

 

太刀を振り上げているのが中大兄皇子(後の天智天皇)、弓を手にしているのが中臣鎌足。
蘇我入鹿の首が飛んで御簾(みす)に喰らい付いている。

何食わぬ顔で、かぐや姫のように奥で澄まし込んでいるのが中大兄皇子の実の母親である、当時の皇極天皇(女帝)です。

蘇我入鹿と女帝は、男女の関係で結ばれていたのではないかと信じている歴史家もかなり居ます。
蘇我入鹿は女帝が助けてくれると思っていたのに助けてくれないので、
“この尼!”と追いかけるようにして首だけが御簾に喰らいついている、という怨念の込められた絵です。
ただし、これは江戸時代に描かれたもの。


■ 『藤原鎌足と六韜 (2003年7月17日)』より

 

確かにこれは、すごい事でござ~♪~ますわね。。。これだけでござ~♪~ますか?

まだありますよう。大津皇子を死に追いやったのも持統天皇ですよう。それで、持統天皇は次のような歌を詠んでいるのですよう。

 

 

春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の

 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山

 

あの有名な歌でござ~♪~ますわね。

そうですよ。これを文字通りに解釈したら全く平凡で、つまらない歌ですよ。“もうすぐ夏になるのだなあああぁ~、香具山のふもとで農民が白妙を干しているから。。。” 初めてこの歌を読んだ時、僕はこの歌の素晴しさが全く分かりませんでしたよ。一体、何のために大伴家持は、この歌を『万葉集』に載せたのか?

今のデンマンさんには、大伴家持が上の持統天皇の歌を『万葉集』に載せた理由が分かるのですか?

分かります。上の歌は次のように解釈する事ができるのですよ。

 

春が過ぎて夏が来たようだ。

天の香具山に美しく真っ白な衣が

干してあるなあぁ~

でも、私の心はあの山の裏にある

磐余(いわれ)の池を見ているのです。

 

 

大津皇子が自害する前に池の端で

辞世の歌を読んだという。

自害の後で、皇子の妻であり、

私の腹違いの妹でもある山辺皇女が

髪を振り乱し、裸足で駆けて行き、

共に殉死したという。

痛ましいには違いない。

しかし私は、ああせねばならなかったのです。

怨霊になって私を憎んで

いるのかもしれないけれど、

私には他にとるべき道はなかったのです。

どうか、心安らかに眠っていて欲しい。


『愛と陰謀 (2008年2月27日)』より

 

上の歌を持統天皇は藤原京の宮殿から香具山を見て詠んだのです。

 

 

この地図で見れば分かるように、香具山の裏に磐余(いわれ)の池があるのですよ。この池の端で大津皇子は辞世の句を詠んだのです。現在では、ほとんどの歴史家が大津皇子は持統天皇の陰謀によって死なされたと見ています。

デンマンさんも、そう考えているのでござ~♪~ますか?

そうです。持統天皇は自分の子供、草壁皇子を天皇にしたかった。血のつながりがある甥の大津皇子が邪魔だったのですよう。結果として大津皇子の妻、持統天皇にとっては腹違いの妹も死に追いやったわけですよう。

それで、なぜ、持統天皇は上のような歌を詠んだのでござ~♪~ますか?

この当時は怨霊ということがマジで信じられていた。“怨霊の崇り”ということが現在で言えば“テポドンで攻撃を受ける”程度に怖い事として考えられていた。持統天皇だって、テポドンを宮殿に打ち込まれたくないので大津皇子の怨霊を鎮魂するために上の歌を詠んだのですよう。

つまり、持統天皇は自分の血がつながったものだけを天皇にしたかったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。それは持統天皇にとって、悲劇的に死んでしまった亡き母親や、おじいちゃんや、おばちゃんの供養のためだったのでしょうね。

それ程、持統天皇は自分の血筋に、こだわっていたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。持統天皇が藤原不比等と組んでやった事を見ると、その事が実に良く分かるのですよう。すでに、その事を僕は記事に書いたので、ここに引用します。

 

女の意地と執念

 

 

天平年間は、災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依しました。
いわば、現代流に言うならば、極めて人間的な人だったと僕は思いますよ。
つまり、藤原4兄弟などの策謀が渦巻く中で、政治に嫌気がさしていたと思いますね。
“長屋王の崇り”も、“藤原氏の一員”として充分に感じていたでしょうね。

聖武天皇は741年には国分寺建立の詔を出します。
743年10月には、東大寺大仏の建立の詔を出しています。
また、度々遷都を行って災いから脱却しようとしたものの官民の反発が強く、最終的には平城京に復帰しました。
このような聖武天皇の行動を見ると、意志の弱さが見えますよね。優柔不断です。

また、藤原氏の重鎮が相次いで亡くなったため、国政は橘諸兄(光明皇后とは異父兄弟にあたる)が取り仕切りました。
結局、聖武天皇は政治に見切りを付けていたのですよね。
それで、出家したのでしょう。
その気持ちが分かるような気がします。

それに引き換え女性たちの意志の強さは驚くばかりです。
特に持統天皇の強烈な執着と執念が目を見張らせます。

 

 

持統天皇の相談役とも言える橘三千代がすごい人ですよね。
この人のもとの名は県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)です。
三千代は持統天皇がまだ天皇になる以前に彼女の女官として仕えていたのです。
持統天皇の孫の軽皇子(かるのみこ)の乳母(めのと)だった人です。
三千代は皇族の美努王(みのおう)と結婚して3人の子供をもうけています。
早くから女官として内裏に仕え、持統天皇の信頼を得ています。

藤原不比等は持統天皇、彼女の息子の草壁皇子、さらにその子の軽皇子(後の文武天皇)に仕えていました。
この関係で橘三千代と知り合い、持統天皇の皇統を守る同志として二人の絆が生まれたのです。
三千代は美努王(みのおう)と離婚していますが、すでに二人は三千代の離婚以前から深い関係になっていたようです。

 

 

美努王は三千代と離婚する以前、694年に九州の太宰帥(だざいのそち)として九州に赴任していますが、妻の三千代はこのとき夫に従ってゆかず、都にとどまって女官として仕え続けています。
この年の暮れには藤原京への遷都があり、新都の華やいだ雰囲気の中で藤原不比等と三千代の不倫関係が深まってゆきました。

藤原不比等は女性関係でも精力的で、この時期に天武天皇の未亡人である五百重娘(いおえのいらつめ)とも親密になっており、695年に二人の間に藤原不比等の四男・麻呂が生まれています。
ちなみに五百重娘の父親は藤原鎌足です。つまり、五百重娘は不比等の異母妹でした。

『続日本紀』によると、石上麻呂の息子の石上乙麻呂(おとまろ)が藤原不比等の三男・藤原宇合(うまかい)の未亡人となった久米連若売(くめのむらじわかめ)と通じた罪によって処罰を受けています。
石上乙麻呂(おとまろ)は土佐国に流され、久米連若売は下総国に流刑になります。

藤原不比等の場合には大胆にも、かつての天武天皇の后妃であり、新田部皇子の母でもある五百重娘(いおえのいらつめ)を相手にして、子供まで産ませているのです。
ところが、何の罰も受けていません。

橘三千代にしてみれば、不比等に裏切られたような気がすると思うのですが、ヒステリーになるわけでもなく、大事の前の小事と割り切ったようです。
持統天皇のそばに仕えて厚い信任を得ていたので、その立場を利用して不比等の出世のために持統天皇へのとりなしに動いたようです。
このようなことを考えても、橘三千代が只者ではないと言うことが分かります。

感情的にならず、大事を見失わずに困難を乗り越えてゆく三千代の姿がはっきりと浮かび出ていると言えるでしょう。
深謀遠慮の藤原不比等と組んで持統天皇を取り入れ、橘三千代は三つ巴で持統皇統を継続させてゆきます。
女の意地と執念を感じさせますよね。


『日本女性の愛と情念の原点』より
 (2006年5月30日)

 

これだけ女帝がたくさん出てきたのは、なぜだと思いますか?

持統天皇の血を分けたものだけを天皇にするためでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、天皇になった高市皇子を暗殺したのですか?

そうですよう。

でも、高市皇子は、持統女帝の夫である天武天皇の子供ですわ。

しかし、持統女帝の産んだ子供ではないのですよう。彼女の血は一滴も高市皇子には流れていないのです。

要するに、高市皇子は持統天皇の意地と執念にとって邪魔者でしかなかったのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。上の系図を見れば、その事が実に良く分かるのですよう。

しかし。。。、しかし。。。、証拠が。。。?

その証拠が出てきたのですよう。

まさか。。。?

マジで出て来たのですよう。
 
どのような証拠でござ~♪~ますか?

1988(昭和63)年8月下旬、北宮、通称「長屋王邸宅」と呼ばれていた場所の地下2メートルのところで1条の溝が発掘されたのですよう。

何が出てきたのでござ~♪~ますか?

合計4万点にものぼる木簡が出て来たのですよう。その中に高市皇子の長男である長屋王の名が「長屋親王」と書かれた木簡があった。

「親王」というのは、確か天皇の男の子か孫でござ~♪~ますよね。

そうですよう。つまり、この木簡に従えば長屋王は“高市天皇”の長男だったのですよう。上の柿本人麻呂が詠んだ長歌は持統天皇のために詠んだものではないのです。高市天皇のために詠んだのです。だから、“日の皇子”になっている。つまり、皇子とは男です。

それが正しいとして、柿本人麻呂はどのように関わっていたのでござ~♪~ますか?

持統天皇があれほど目をかけてやって出世できたというのに、事もあろうに柿本人麻呂は高市天皇になびいてしまったのですよう。それで、持統天皇の手が伸びて高市天皇が暗殺されたあと、人麻呂は石見国に左遷された。そこで、失意のうちに人麻呂は亡くなったのですよう。

どうして失意のうちに亡くなったと分かるのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、卑弥子さんも天神様を知っているでしょう?

もちろん知っておりますわ。菅原道真を祭(まつ)った神社でござ~♪~ますわ。

どうして菅原道真は祭られたのですか?

だってぇ~、道真は何も悪い事をしていないのに、告げ口によって。。。つまり、陰謀によって左遷されてしまったからですわ。

人麻呂も同じ事ですよう。「人麻呂」は転じて「人丸」とも言われるようになったけれど、そこから「火止ル」になったり「人生マル」になったりして、火難防除や安産、疫病防除のための語呂合わせともなり、その後「人麻呂信仰」になったのですよう。つまり、その当時、知っている人は知っていたのです。柿本人麻呂が持統天皇に睨(にら)まれて不遇な身になった事を。。。

つまり、人麻呂さんは何も悪い事をしていないのに、高市皇子になびいてしまったので、持統天皇に恨まれたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。持統天皇は執念深いのですよう。“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”。。。それで、人麻呂は持統天皇にトコトン疎(うと)まれた。でも、知っている人は知っていたのです。だから、人麻呂の人徳をたたえて、石見には柿本神社や人丸神社がたくさん建っているのですよう。その事を考えれば、人麻呂が悲劇の死を迎えたのも実に良く分かるのですよう。

【卑弥子の独り言】

 

ですってぇ~。。。
いつものように、デンマンさんは、あちらから、こちらから、いろいろな資料を持ち出してきましたけれど、
なんとなく理屈に丸め込まれてしまったような気がするのでござ~♪~ますわ。
あなたは、どう思いましたか?

とにかく、あさって、まだ面白いお話が続くと思います。
あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいましね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

神社を英語に訳すと

“shrine”ですよね。

でも、英語と日本語の大きな違いがあります。

日本では、神社がやたらに多いのですよね。

デンマンさんの上の記事にも出てきましたけれど、

天神様

柿本神社

でも、まだまだたくさんあります。

東郷神社

乃木神社

秋葉神社

浅間神社

小国神社

。。。

アメリカでもカナダでも、shrineを探そうと思うと、

まず身近にはありません。

ところが、日本に行くと、神社は一つの町だけでも

10以上簡単に見つけることができます。

日本って、本当に神社の多い国だと思いました。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

日本最古の本

 

日本最古の本

 


(lookanim.gif)


(kojiki10.jpg)


(shoki21.gif)


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(himiko22b.gif)

デンマンさん、。。。日本最古の本を探しているのでござ〜ますかァ〜?


(kato3.gif)

僕は歴史オタクだと思っているのですよ。。。だから、当然、現在 日本最古の本だと言われている本を知っているつもりです。。。

それなのに どういうわけで 日本最古の本 というタイトルにしたのでござ〜ますかァ?

あのねぇ~、僕は先日 次の記事を書いたのですよ。。。

 

AIによる作文

 


(capcut60.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

 

赤い楕円で囲まれたリンクをクリックします。。。すると次のページが出てきます。。。

 


(capcut62.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

 

最も簡単なやり方は、ベティさんが書いた文章を書き込むのではなく、”/” を書き込むとAI writer がベティさんに成り代わって作文してくれるのです。。。”/” を書き込むと次の画面が出てきます。。。

 


(capcut61.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

 

“Write about love” とか ”movie history” という語句を入れるのですよ。。。もし思いつかなかったら、画面にお勧めの語句が3つ見えます。。。スクロールダウンすると 更にお勧めの語句が出てきます。。。どれも気に入らなかったら、右側の中ほどに ”See others”というリンクをクリックすると更にお勧めの語句が表示されます。。。僕は”Introduce AI development”を選んでみました。。。

 


(capcut61x.jpg)

 

選んだら赤い楕円で囲まれた  Generate video  をクリックします。。。 こうしてAIによって制作されたのが次のビデオ・クリップです。。。

 


(about-ai.jpg)

 

 

ちょっと見た感じは、ビデオ制作のプロフェッショナルが作ったような印象を与えますわねぇ〜。。。

そうなのですよ。。。素人が初めて作ったとは思えない。。。

でも、デンマンさんは語句を選択しただけだから、他に何もしていないということですよねぇ〜。。。結局、素人が選んだ語句に基づいて、AIがスクリプトを作成し、スクリプトにふさわしい画像を選択し、更にバックグラウンド・ミュージックをつけ加えてビデオクリップをを完成させたわけですよねぇ〜。。。

そういうことです。。。

つまり、どれだけ優れたAIを使うか? それによって作品の出来が決まるわけですわねぇ〜。。。


『AIによる作文』より
(2023年12月6日)

 

ベティさんが言ったように「どれだけ優れたAIを使うか?」それによって作品の出来が決まるわけですよ。。。この言葉で僕はひらめいたのです。。。果たして、上のビデオを自動制作したAIは、どれほど優れているのか?

それを見極(みきわ)めるために 日本最古の本 を入れて AI にビデオを作らせたのでござ〜ますかァ〜?

そうなのです。。。

 


(book11.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

 

日本語を入れてもビデオを作ってくれないので「日本最古の本」を英語で the oldest book in Japan と入れたのです。。。で、赤い丸で囲んだリンクをクリックすると、AI がスクリプトを作成してくれます。。。それが次の画面です。。。

 


(book14.jpg)

 

上の画面の右下の Generate video をクリックすると 次のような手順をふんで 自動的にビデオを制作してくれます。。。

 


(book15.jpg)

 


(book16.jpg)

 


(book18.jpg)

 

こうしてビデオを制作してくれます。。。  Export  をクリックすると パソコンのハードディスクに保存することができます。。。

 


(book19.jpg)

 

ファイルの名前を変えたり、解像度を変えたけれが、この画面でそうします。。。

 


(book21.jpg)

 

この画面で Tik Tok、YouTube、Facebook, Instagram にアップロードしてシェアすることもできます。。。パソコンに保存するときには赤い楕円で囲んだ Download をクリックします。。。

 


(book22.jpg)

 

こうして出来上がったビデオを YouTube にアップロードしたのが次のクリップです。。。

 

 

このビデオを作るのに AIが作成したスクリプトが次の文章です。。。

 


(shoki21.gif)

 

Welcome everyone!

Today, we will be discussing an intriguing topic: The oldest book in Japan.

The Nikkeijinsho, or “Nihon Shoki,” is often considered the oldest known Japanese book.

It was written around the 5th century AD, making it over 1500 years old!

This ancient work is a compilation of stories and legends from the Japanese mythology, focusing on the origins of the gods, and humans.

The Nikkeijinsho is considered a sacred text, and it has been revered by Japanese culture for centuries.

One fascinating aspect of this book is its unique structure.

It is divided into two main sections: the Shoki and the Murasaki Shogi.

The Shoki tells the story of the creation of the world and the gods, while the Murasaki Shogi is a tale of a great battle between gods and beasts.

In addition to its historical and cultural significance, the Nikkeijinsho has also played a role in the development of Japanese literature.

It has inspired many writers and artists throughout the ages, and its stories continue to be cherished and retold in modern Japanese literature.

In conclusion, the Nikkeijinsho is a remarkable piece of Japanese history and culture.

Its age and status as the oldest known Japanese book make it a fascinating subject for study and appreciation.

So, the next time you come across a copy of this ancient work, take a moment to appreciate its incredible contributions to the development of Japanese civilization.


ようこそみなさん!

今日は、日本最古の本という興味深いテーマについてお話します。

日系人書、または「日本書紀」は、既知の日本の本としては最古であると考えられています。

 


(book31.jpg)
‘ 

 

これは西暦 5 世紀頃に書かれたもので、1500 年以上の歴史があります。

この古代の作品は、神、そして人間の起源に焦点を当て、日本神話の物語と伝説を編纂したものです。

日系人書は神聖な文書とみなされ、何世紀にもわたって日本文化で尊敬されてきました。

この本の魅力的な点は、そのユニークな構成です。

書紀と紫将棋の大きく2つのセクションに分かれています

 


(book32.jpg)
‘ 

 

書紀は天地創造と神々の物語、紫将棋は神と獣の大いなる戦いの物語

 


(book30.jpg)
‘ 

 

日系人書は、その歴史的、文化的重要性に加えて、日本文学の発展にも役割を果たしてきました。

それは時代を通じて多くの作家や芸術家にインスピレーションを与え、その物語は現代の日本文学の中で大切にされ、語り継がれ続けています。

結論として、『日系人書』は日本の歴史と文化の素晴らしい作品です。

その古さと既知の最古の日本語書籍としての地位により、この本は研究と鑑賞にとって魅力的な主題となっています。

したがって、次にこの古代の作品のコピーに出会ったら、日本文明の発展に寄与した驚くべき貢献をじっくりと味わってください。

(デンマン訳)

 

AIも完璧ではないから間違うだろうと思ったのだけれど、マジで いくつか間違えましたよ。。。まず、「日本書紀」が最古の本だと書いてあるけれど、書紀は720年に完成したと言われているのです。。。「古事記」はそれより以前の712年に編纂されたと言われている。。。

上のスクリプトには「日本書紀」は西暦 5 世紀頃に書かれたものだと書いてますわねぇ〜。。。

そうです。。。5世紀といえば 400年代ですよ。。。完全に間違えてます。。。また、「日本書紀」が 日系人書 とも呼ばれていると書いてあるけれど、GOOGLEで調べても どこにも出てきませんでした。。。「日計人書」、「日経人書」、「肉桂人書」、「日型人書」…と思いつくままに似たような語句を入れたけれど、出てきませんでした。

「日本書紀」の構成は 「書紀」と「紫将棋」の大きく2つのセクションに分かれているとも書いてありますわねぇ〜。。。

そうなのです。。。『日本書紀』は、神代から持統天皇11年(697)までの記事からなり、本文30巻、系図1巻で構成されているけれど、「紫将棋」なんて聞いたことも読んだこともない。。。

ずいぶん間違えてますわねぇ〜。。。

そうなのです。。。これほど間違えるとは思いませんでした。。。

やっぱり、AI も完璧ではないのですねぇ〜。。。

完璧でない人間が作るものですからねぇ〜。。。間違いはありますよ。。。

でも、上のスクリプトは間違いだらけという感じですわ。。。

5年もすれば、もっと素晴らしいものができるでしょう。。。それを期待します。。。

 


(laugh16.gif)

【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ~。。。

あなたも、AIを試してみて、間違いを見つけたことがありますか?

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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邪馬臺国

 

邪馬臺国

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで邪馬臺国を取り上げるのでござ~ますかァ?


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あのねぇ~、僕は現実主義者と自称する現実君のことを2017年から追跡しているのですよ。。。

なぜですか?

2017年に僕のブログに下らないコメントを書いたのです。。。

つまり、現実君が、その時に邪馬臺国のことで誤ったコメントを書いたのでござ~ますかァ~?

いや。。。邪馬臺国とは全く関係ないコメントでした。。。

それなのに、どうして邪馬臺国を取り上げるのでござ~ますかァ?

この現実君が恩師として慕っているのが伊藤浩士先生なのですよ。。。それで現実君がしばしば伊藤先生のブログにコメントを書くのです。。。ところが、最近、現実君は反省したのか? あるいは落ち込んで引きこもってしまったのか? 伊藤浩士先生のブログに、全くコメントを書いてない。。。

あの多重人格症を患っている愚か者の神武君は、毎日のように伊藤先生のブログにコメントを書いてますわァ~。。。うふふふふふ。。。

現実君も、かつては愚か者の神武君のように、ほぼ毎日 伊藤先生のブログにコメントを書いていたのですよ。。。そういうわけで 僕は現実君のコメントを見るために、いつしか伊藤先生のブログを覗いてみるようになったのです。。。

つまり、最近、伊藤先生が 邪馬臺国 を取り上げたのでござ~ますかァ~?

そうなのですよ。。。短いので、ここに全文を書きだします。。。。卑弥子さんも読んでみてください。。。

 

邪馬臺国

 

 
 
日本の歴史研究の中で邪馬臺国ほど、素人の手でぐちゃぐちゃになってしまったものはないと思っています。
まともな研究は顧みられず、素人の珍説ばかりが出版されて売れて行く、そんな感じになっています。

邪馬臺国島原説は、書いた人が盲人だったという、内容とは別のところで話題になって持て囃され、臺は中国では神聖文字であったから蛮国の名に使用されるはずがないから邪馬壹国であったとか、四国の山上にあったとか、魏志倭人伝に書いてある旅程通りに行けば九州から南に行くからルソン島であったとか、その時代の日本列島は時計回りに90度南にずれていたから、倭人伝の旅程通りで大和に着く、その後の地殻変動で90度北に振れて今の位置にきたのだとか、無茶苦茶を言った者が勝ちになってきています。

倭人伝の旅程が、南に向かって長期間旅行することになっているので、そのまま行けば太平洋上に出てしまいますから、大和説は方角を修正していて、九州説は距離と日数を修正しています。
定説も無理をしているので、素人が珍説を展開して定説をひっくり返したような気分になることが可能なのです。

地理では結論が出ません、言語学で真実に迫るという考え方もあります。
魏の使者が住民に国の名を聞いたのですが、倭人に国という概念がないので、住んでいる場所を聞かれたと思い、耕地に接した小山の上に住んでいたので「山たい」と答えて、それが邪馬臺国と記録された

鹿児島であれば「山でごわす」と答えたはずで、京都であれば「山どすえ」と答えたはずで、大阪であれば「山でんがな」と答えたはずで、名古屋であれば「山だがや」と答えたはずなので、「山たい」と答えるのは北九州の人ということになります。

言語学的には邪馬臺国は北九州です。


デンマン注:
読みやすいように改行を加えています。
イラストはデンマンライブラリーより。
赤字はデンマンが強調のため。

『10月23日 … 邪馬臺国』より
2023-10-22 08:00:00
(伊藤浩士先生のブログ)

 

あらっ。。。目の付け所がユニークですわねぇ~。。。言語学的に邪馬臺国は北九州にあったと言うのですわねぇ~。。。

そうです。。。 僕も邪馬臺国は北九州にあったと思うのですよ。。。

それなのに、どういうわけで伊藤先生の「邪馬臺国」を取り上げたのでござ~ますかァ~?

魏の使者が住民に国の名を聞いたのですが、倭人に国という概念がないので、住んでいる場所を聞かれたと思い、耕地に接した小山の上に住んでいたので「山たい」と答えて、それが邪馬臺国と記録されたという説は非常に面白い、と思いながら読んだのですよ。。。でも、伊藤先生は10月27日にも邪馬臺国のことで記事を書いている。。。その中で「前回の邪馬臺国はネタでしたが、今回は真面目に考えてみます」と言っている。

つまり、伊藤先生は、半分 冗談のつもりで書いたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。読んでみて、僕はすぐに可笑しな事に気づいた。。。

どこが可笑しいのですか?

あのねぇ~、魏の使者は 240年の春に朝鮮半島にあった帯方郡を出発して北九州に向かったのですよ。。。今から 1780年も昔のことですよ。。。その当時、北九州に住んでいた倭人が現在の北九州の方言を使ったとは思えない。。。そう考えるのは、僕一人じゃない。。。Yahoo!知恵袋でも、この事で質問しているネット市民がいた。。。

 

倭国の女王卑弥呼の時代の

倭人の日常の話し言葉は?

 


(yamatai11.jpg)

 

話言葉は考古学でも歴史学でも発音が残るものではないのでどんな言葉を使っていたのかわからないと思いますがそれだけに興味があります。
そもそも倭人といっても、北方より北海道東北を通って入ってきた人たち、朝鮮半島を通って入ってきた人たち、南方より沖縄九州を通って入ってきた人たちがそれそれれ「くに」をつくっていたと思います。
当然それらの人々は言語が異なり文法も異なっていたと思います。

倭国争乱があり卑弥呼が女王として共立されたと魏志倭人伝にあります。
また邪馬台国は各地域と交易していたとあります。
それは考古学にても物資が流通していたことがみられると思います。
この場合皆がそれぞれ違った言葉を使っていたのでしょうか。

卑弥呼は各地域の言葉を統一したのでしょうか。
あるいはそれ以前から統一しつつあったのでしょうか。
その場合どの地域の言葉が主となったのでしょうか。
またそれはどんな言葉だったのでしょうか。

統一した場合主導権争いはなかったのでしょうか。
この統一した言葉は現代の日本語につながっているものでしょうか

また卑弥呼が魏に使いを贈り見返りに金印鏡などをもらったとありますが、このときはどんな言葉を使ったのでしょうか。
中国語(魏の言葉)でしょうが、ではどんな人が文章を作ったのでしょうか。


ベストアンサー

2012/1/22 0:18

確かに、古代、特に日本の国が出来始めた黎明期の言葉(特に発音)は興味深いところです。
私も以前に興味を持ったことがあり、自分なりに解釈したことを簡単に記載します。

まず、卑弥呼や大和王権初期の頃の言葉ですが、単語は今と比べて圧倒的に少なかったはず。
単語の数は、物質や情報の量など、いわゆる文明の程度に比例すると言われており、当時は身の回りの物を指す程度の単語しかなかったと考えられています。

例えば、「かね」と言う単語が今でも残っていますが、古代は全ての金属を指す意味でした(今もそう)。

現在は、各金属種類を指す単語(鉄、銅、金など)があり、この例だけでも単語の数の違いが想像できるかと思います。
又、古代からある単語は、多くが1~2文字でできているという特徴があります。山、川など。

これらの「単語の数が少なく」かつ「単語を構成する文字数が少ない」という点から、交易や移動により、簡単に言葉が揃いやすい環境にあったんだろうと思います。

ただ、どこかの言葉が中心になったことは間違いなく、その中心となった氏族は大和王権の祖先で、朝鮮半島から渡ってきた氏族だったろうと思われます。
文法が、日本語、朝鮮語とモンゴル語が(中国語と比較してほぼ)同じですから、朝鮮半島経由で日本に来た氏族がもっとも影響を与えたんでしょう
やはり、武力を持ち、求心力のあったこの氏族の言葉に、周りも合わしていった可能性が高いです。

あと、魏に行った際の言葉ですが、まず間違いなく中国語で話したはずです
卑弥呼の邪馬台国にしろ、大和王権にしろ、当時の先進地域である中国大陸からの帰化人を高級官僚として抱えていたと考えれますので、中国語には対応出来たでしょう。


ama********さん

2012/1/24 21:55

古代の場合は、言葉の地域差はもっと大きかったと考えられます。
しかし、交流が活発であれば、自然と言葉は共通化してくるので、方言の分布を見れば、古代の交流の様子もわかるかもしれません。

例えば、九州であれば、鹿児島県の言葉は非常に特異で、純粋な方言は他の九州の人でも全く分かりません。
一方で、福岡から佐賀・長崎・熊本は同じ系統の言葉です。

近畿地方でも京都や兵庫の北部はいわゆる関西弁ではありません。
山陰地方と同じ系統の言葉になります。このように言葉の分布を見ると、
古代からの関係がわかると言えるかもしれません。

古代は各地の交流が盛んだったことがわかっていて、それなりに意思の疎通は出来ていたようです。
身振り手振りで通じたのかもしれません。

また、中国との交流も古くからありましたが、これについては漢書や魏志倭人伝あるいは晋書などには、通訳がいたと書かれています
中国語を話せる人が日本にはいたことになります。
通訳がいるほど交流が盛んだったと言えるかもしれません

魏志倭人伝は、当時、中国から日本にやってきた梯儁と張政の報告書のようなものが元になっていると考えられます。
それを陳寿がまとめて魏志倭人伝になったようです。


弥生時代以前の日本では

どのような言葉が

話されていたのか?

 

文字による記録がないので分かりませんが、
後述する日本語の特徴を鑑みれば、
縄文時代には日本語の祖語になり得るような共通言語が存在していた事は否定できません。

共通言語としての古代日本語の

成立過程及び成立時期は?

 

大和朝廷の列島統一と同時期(4~6世紀)だと考えます。
また、ヤマト言葉(大和朝廷の使用言語)が元になったと考えるのが妥当だと思われます。
(質問者さんは邪馬台国がそのままヤマト王権になった事を前提にしているようですが、その事については敢えて触れません)

古代日本語の特徴と

そのルーツは?

 

1.古代日本語の特徴

①語順がSOV
②膠着語
③母音終止
④RとLの発音の区別がない(Rの発音がない)
⑤ラ行が語頭に立たない
⑥濁音が語頭に立たない
⑦重子音がない
⑧重母音がない
⑨単語が2音節
⑩形容詞は名詞の前に来る

2.日本語のルーツ

結論から言えば、日本語のルーツは日本列島です。
つまり、日本列島に渡って来た人達(南北アジアから)の言語が列島で混じりあって出来上がった言語です。

理由は上記の日本語の特徴に南北アジアの言語の要素が混じり合っているからです。
例えば、①②⑤⑧⑩はアルタイ諸語(北アジア)の特徴ですが、
③④⑦はポリネシアなどの南アジアの言語の特徴を持っています。

また基礎語彙に関しては中国南部・ビルマ系言語の影響を受けていると言われています。

邪馬台国(卑弥呼)と魏とでは

どのような言語が

使われていたのか?

また誰が文章を作ったのか?

 

現在でも同様ですが、異民族間での使用言語は強文化を持っている国の言語が共通言語となります。
従って、弥生時代の共通言語は漢語だったと思われます。

また、旧石器時代から日本列島と朝鮮半島及び中国大陸には交易関係が認められますから、当然、通訳(バイリンガル)は存在していたと思われます。

<参考文献>
安本美典「日本語の成立」
宮崎嘉夫「日本語と日本人のルーツを掘り起こす」


デンマン注:
読みやすいように改行を加えています。
イラストはデンマンライブラリーより。
赤字はデンマンが強調のため。

『Yahoo!知恵袋』より
(2012年1月12日)

 

あらっ。。。古代でも意外に国際化は進んでいたのですわねぇ~。。。

そうです。。。日本では、国際化は江戸時代の鎖国が終わって、明治維新で文明開化が始まって やっと日本が国際化したと思っている人が多いようだけれど、世界を見渡せば、そもそも国際化というのは文明が発生した頃から始まっていたのですよ。。。

つまり、縄文時代から弥生時代にかけて、特に日本は海外との交流が激しい時代だったのですわねぇ~。。。

そうですよ。。。その当時の国際化によって、いろいろな地域との交流や交易がおこなわれて、稲作が始まったり、文字が大陸から伝わって、当時の日本は一気に先史時代から有史時代に突入したのですよ。。。

卑弥呼女史は、どのような言葉を話していたのでござ~ますかァ~?

もちろん、現在の北九州方言はまだその時には存在しなかったはずです。。。

その証拠でもあるのですかァ~?

あのねぇ~、アイヌの言葉が地名として今でも九州に残ているというのですよ。。。

 


(ainu30.jpg)

 

『九州の先住民はアイヌ』の著者・根中治氏は、アイヌ語は関西から四国、九州にかけて広範に残されているが、中でも九州が最も多く、その中でも北九州の福岡・佐賀・熊本にかけてが特に多いと述べている
その一例を見てみることにする。

福岡では、筑後川の上流およびその周辺地区、那珂川、多々良川上流、遠賀川上流地区にアイヌ語地名が残されており、いずれも先土器遺跡や貝塚を含む縄文遺跡のあるところ、もしくはその周辺に散在しているようである。具体的に例を挙げると、

① 米冠(シリカンベまたはシリカンゲ) アイヌ語で「海際の山」、または「水面に浮かぶ丘」の意である。語源となる 「シリ」は元々、土地、地の意味であるが、高地、山、崖(水際の)、島といった意味がある。カンベとは水面とか水際という意味である。

北海道にも「尻別川(シリベツガワ)、「シリナイ」、「尻場(シリパ)」などの地名が残されている。

② 下代久事(ケタイクジ)  アイヌ語の意味は、「川向こうの山の頂に密集した森のあるところ」。現在でも那珂川上流の右岸の山手には、鬱蒼とした原始林があり、その一部は杉林になっている。アイヌ人の住まいは、那珂川の左岸にあったものと思われる。

③ 釣垂(ツタル)  「川岸の切り立った2つの尾根」という意味。「ツ」は二つという意味と、尾根または峰という意味がある。タル(タオル)は川岸の高所の意味。
現在、釣垂(ツタル)には市の水道用水の南畑ダムがあるが、そこには、二つの切り立った岸壁があって、その間を渓流が流れている。

④ 背振山(セブリヤマ)  「高く、広い山」の意。 福岡県と佐賀県の県境を延々と連なる標高1055Mの背振山の名前の由来については飛竜が背を振ったとか、弁財天の竜が背を振ったとか色々の説があり、中には、周辺に「白木」のつく地名が多いことから、朝鮮の「新羅」を類想し「ソウル」が転訛したものだという説まである。
しかし、アイヌ語のセブリ(高い、広い)が一番納得感がある。


佐賀県でアイヌ語の地名が最も多いのは、有明海に面した嘉瀬川(かせがわ)、六角川、塩田川の流域、火口地帯である。個々の地名は抜きにして、ここでは最も興味深い地名「ヅーベット山」を取り上げてみる。

① 「ヅーベット山」  県内の東背振村の田手川上流にある標高730メートルの山がヅーベット山である。
この山の名前は地理院の5万分の1の地図にカタカナで表示されているが、カタカナ記載の山というのは珍しい。
おそらく、先住民の言葉として伝えられてきた名前が、漢字表示が出来ずにそのままカタカナで表示されてきたものと思われる。

アイヌ語で「ヅー」は、「峰」という意味と「たくさん」という意味がある。
ベットに該当するアイヌ語が見当たらないが、このあたりの谷間は小さい川がたくさん集まっているので、恐らく「たくさんの川の集まったところ(峰)」という意味ではないかと思われる。


『九州から琉球諸島に残っているアイヌ語の地名』より

 

つまり、文字が大陸から伝わってきた頃には、縄文人がまだ少数ながら九州に住んでいたのですよ。。。

ということは、卑弥呼女史は、縄文言葉も使っていたということですかァ~?

現在使われている北九州方言よりも、縄文言葉を話していた可能性の方が高いですよ。。。時期的にも縄文時代に近い。。。でもねぇ~、魏の使者が九州にやって来たときには、使者が現地の倭人と言葉を交わしたとは思えない。。。なぜなら、言葉が通じるはずがないのですよ。。。

じゃあ、魏の使者はどなたと会話したのですか?

もちろん、通訳ですよ。。。通訳が、当時の縄文言葉交じりの九州方言を話すことができたので、現地人の言ったことを翻訳して魏の使者に伝えたのです。。。

つまり、伊藤先生が半分冗談で言ったような、魏氏の使者が現地の倭人に話しかけたら「山たい」と答えた、というような事実はなかったのでござ~ますか?

そうです。。。そういうことはなかったのです。。。考えてみてください。。。現在でも、アメリカ人が日本で暮らしている日本人に質問して、いったい幾人の日本人が英語で答えることができますか? ”No English”と答えるのが関の山ですよ。。。

そうでしょうか?

あのねぇ~、オーストラリアに面白いエピソードがある。。。白人が現地人に「あのピョンピョン跳ねて走ってゆく動物は何というのォ~?」と尋ねたら現地人が「カンガルー」と答えた。。。それは、現地語では「分からない」という意味だった。。。つまり、「貴方の言う事が分からない」という意味だった。。。

マジで。。。?

だから、もし、魏の使者が現地の倭人に尋ねて「ヤマタイ(山たい)」と答えたとしたら、それは、当時の現地語で「(貴方の言ってることは)分からない」という意味だったに違いないのですよ。。。

 


(laugh16.gif)

【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ~。。。

あなたも デンマンさんの説明に納得しましたかァ~?

とにかく、初めて外国人に話しかけられたら、何を言ってるのか分からないものですわァ~!

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『汚いパンツを見て』

『神聖少女』

『良寛さん@台湾』

『入れ墨熟女』

『忍藩の下級武士』

『熟女の入れ墨』

『ズロースで女装』

『日本語の難しさ』

『人間ドキュメント』

『ブラジル人溺死』

『確信という誤解』

『どこで見つけたの?』

『聖徳太子@インドネシア』

『ガチで浦島太郎』

『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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聖徳太子@インドネシア

 

聖徳太子@インドネシア

 


(find2.gif)


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デンマンさん。。。、インドネシアにも聖徳太子がいたのでござ〜ますかァ?


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いたはずがないでしょう!

じゃあ、どういうわけで紛らわしタイトルを書いたのですかァ〜?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(liv23-08-30.jpg)


『拡大する』

『聖徳太子の母親』

 

これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で8月31日の午前0時49分から午前2時33分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。

8月31日の午前2時33分に https://www.pinterest.com/ からやって来て 聖徳太子の母親 を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうです。。。実は、インドネシアのタンゲラン市に住んでいるミトラ・サチュルディン(Mitra Sachrudin)さんが読んだのですよ。。。

 


(ip44233.jpg)


(tangerang.jpg)

 

あらっ。。。インドネシアでも大きな都市なのですわねぇ〜。。。

インドネシアの首都ジャカルタに隣接して、メトロポリタンエリアの一部になっているのですよ。。。

ミトラさんは、タンゲラン市で何をしているのですか?

地元にあるペリタ・ハラパン大学(Pelita Harapan University)で日本文化と日本史を勉強しているのですよ。。。

 


(pelitau.jpg)

 

ピンタレストの どのページからやって来たのですか?

次のページです。。。

 


(mom23-09-08.jpg)


『拡大する』

『実際のぺージ』

『聖徳太子の母親』

 

このページを、ミトラさんは、どうやって見つけたのですか?

次のように検索したのですよ。。。

 


(gog23-08-30.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

『聖徳太子@pinterest』

 

聖徳太子の母親 pinterest と入れて検索したのですわねぇ〜。。。

そうです。。。すると、157,000件ヒットするのですよ。。。トップに出てきた3つのピンタレストのページは、僕がピンタレストで立ち上げたページです。。。ミトラさんは、3番目のリンクをクリックしたのです。。。すると、「聖徳太子の母親」のページが出てくるのです。。。

 


(mom23-09-08.jpg)


『拡大する』

『実際のぺージ』

『聖徳太子の母親』

 

でも、どういうわけで聖徳太子の母親を調べようとしたのでござ〜ますかァ〜?

ミトラさんのクラスメートが「ネットでサーフィンしていたら、聖徳太子の母親がイスラム教徒らしい写真があった」と言ったのですよ。。。どうやら次の写真を見たらしい。。。

 


(pergal9.jpg)

 

昔のイスラム教徒は顔はもちろん、体全体を隠していた。。。

でも、聖徳太子の母親がイスラム教徒だということはありえませんわァ〜。。。

それはどういうわけでぇ〜?

だってぇ、イスラム教が起こったのは7世紀ですわァ。。。聖徳太子が生まれたのは6世紀ですわ。。。だから、聖徳太子の母親がイスラム教徒だということはありえないのですわァ〜。。。

さすがは、京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・教授ですねぇ〜。。。

おだてないでくださいまし。。。その程度のことは日本人の常識ですわァ〜。。。

日本人の常識かどうか知らないけれど、確かに、イスラム教が起こったのは7世紀で、聖徳太子が生まれたのは6世紀なのです。。。もう一度検索結果を見てください。。。

 


(gog23-08-30n.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


『聖徳太子の母親にはペルシャ人の血が…』

 

僕はかつて聖徳太子の母親にはペルシャ人の血が流れているという記事を書いて、投稿した後でツイッターで その事を呟いたのですよ。。。そのツイートのリンクが紫の枠で囲んだ箇所です。。。リンクをクリックすると次のツイートが出てきます。。。

 


(gog23-08-30n.jpg)


『拡大する』

『実際のツイート』

 

水色のピンタレストのリンクをクリックすると、どのページが出てくるのですか?

次のピンタレストのページが出てきます。

 


(pin-mom23-09-08.jpg)


『拡大する』

『実際のぺージ』

『聖徳太子の母親』

 

上のページの緑の楕円のリンクをクリックすると、同じように聖徳太子の母親 を読むことになるのです。。。

。。。んで、ミトラさんは聖徳太子の母親にペルシャ人の血が流れていることに納得したのでござ〜ますかァ〜?

次の箇所を読んで納得したのです。。。

 

聖徳太子のママの謎

 

当時ペルシャ人をハシ人と呼び、波斯人と書きました。
太子の個人教授の一人である覚袈(かくか)がペルシャ系の人ではないかという推測は、太子の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。
間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないか!と、いうわけです。

太子が赤い髪の毛をしていたという伝承があります。この伝承に真実が隠されているのではないか?
もしそうだとするなら、太子の母親がペルシャ人であるということも決して荒唐無稽な事ではありません。

 

Family tree of Prince Shotoku (shotoku03.gif--366x617)
(shotoku03.gif)

 

聖徳太子の父は用明天皇、母は蘇我稲目の孫娘です。
この稲目の父は高麗(こま)で、高句麗からやってきたのですが、実はこの人がペルシャのサカ族の出身だと言う歴史研究家も居ます。

しかし、そんな遠いところにペルシャ人を持ってゆかなくてもよいのです。
私はその説よりも、むしろ穴穂部間人の母親、つまり小姉君(おあねぎみ)がペルシャ人の血を受け継いでいるのではないか、とみています。

もし当時、ペルシャ人が日本へやってきて、どの一族を頼りにするかといえば、当然、飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我氏の元を訪れたことでしょう。
その頃、渡来人を掌握していたのが蘇我氏だからです。

ペルシャ人の中には、蘇我氏との絆を確固なものにするために、蘇我稲目に娘を側室として差し出す親も現れたでしょう。
そのようにして穴穂部間人が生まれた、と考えるわけです。

小姉君の父はたしかに稲目なのですが、母親の出自について日本書紀は沈黙しています。
なぜ沈黙する必要があるのか?
その答えを出すには誰が日本書紀を書いたかが分かれば簡単です。
天武天皇の息子の舎人親王が編集長だったと言うように書かれていますが、彼はむしろ発行人であり、実際に編集に当たっていたのは藤原不比等です。

藤原氏は、元、中臣氏ということで、日本古来の氏族となっていますが、不比等のおじいさんの御食子(みけこ)は百済からやって来ました。
従って、自分たちが「よそ者」であるということを書きたくなっかたように、穴穂部間人の出自についても沈黙していたのです。

では、なぜ、不比等は自分の名前を編集長として書紀に書かなかったのか?
それには、これまた事情があります。
そのことについてはこのページ (『壬申の乱』は天智帝暗殺で始まった) で説明しています。

しかし、この説を採ると、飛び越えねばならないハードルがあります。
どういうことかというと、実は、小姉君の母親が物部氏出身と思える節があるのです。

というのは、当時の皇子・皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通でした。
そして育った土地の名前をつける慣習がありました。
飛鳥で育った大王の娘なら飛鳥皇女と呼ばれるわけです。
すると穴穂部間人皇女の穴穂も地名に由来することになります。

大和周辺に穴穂の地名は河内と奈良の石上にあります。
皇女がどちらで育ったか分りませんが、どちらも物部氏の領地なのです。

つまり小姉君は蘇我稲目の娘であると同時に、物部氏の娘でもあったのです。
しかも穴穂部間人皇女は物部の土地で成長しました。
しかし、ご存知のように、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏は対立し、それまでの史上最大の戦闘を繰り広げました。
したがって、このようなことがあり得るだろうかと、あなたは疑問に思うかもしれません。

ところが、それ以前、朝廷で権力を握っていた大伴氏を退けるため、蘇我氏と物部氏は手を握り合ったことがあります。
どういうことかというと、小姉君は、蘇我氏と物部氏が宮中で勢力を伸ばす方策として、互いに婚姻関係を結んでいた当時の産物ということになります。
「友情の証」として、蘇我稲目かあるいは彼の父親の高麗が自分の側室の中から美しいペルシャ人の娘を物部の氏の長者に与えたのでしょう。

このようなことは、この当時よくあることでした。
軽皇子(後の孝徳天皇)が小足姫(おたらしひめ)を中臣鎌足(藤原鎌足)に与えたのもこのような例です。
このことについては、このページ (藤原鎌足と軽皇子) で述べています。

そのお返しに、今度は、物部氏がペルシャ人の女性から生まれた娘を蘇我稲目の側室として与えたわけです。
その娘から生まれたのが小姉君だというわけです。
したがって、小姉君の体内にはペルシャ人の血が4分の1流れていたわけです。
彼女の娘が穴穂部間人皇女です。

確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになります。
太子が赤い髪の毛をしていたという伝承は、このことによって説明がつきます。

また、後に推古天皇を生む堅塩媛(きたしひめ)と小姉君の間の確執も、このことによっていっそう良く理解することができます。

つまり、この腹違いの姉妹は共に欽明天皇の後宮に入ります。
ところが、若くてきれいな小姉君へと天皇の愛は傾いてゆきます。
それも分かるような気がします。
エキゾチックなペルシャ人の血を引いている小姉君は、天皇の目には、さぞかし魅惑的に映ったことでしょう。

しかし、堅塩媛(きたしひめ)にしてみれば我慢のならないことです。
このようなことを身近に見て来た娘の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)も、当然、この混血児の叔母のことを良く思うはずがありません。
母親からずいぶんとグチをきかされたことでしょう。
この豊御食炊屋姫が推古帝です。

推古天皇は、後年、この小姉君の血を引き継いでいる皇子(聖徳太子も含めて)が天皇になることを極力避けようとしています。
推古帝の身になってみると、2重の意味でこのような皇子を排除したかったでしょう。
先ず「よそ者」の血が流れているということ。

しかも、この混血児の叔母のために、自分の母親がつらい目にあってきたということ。
このように考えてゆくと、つまり小姉君にペルシャ人の血が流れているとすれば、このあたりの事情が非常にすっきりと説明できます。

しかし、これだけに止まりません。
なぜ、聖徳太子は厩戸王子と呼ばれたのか?
母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本書紀などに見られます。
これはキリストの生誕を彷佛とさせます。
しかし、納得ゆくような説明が見当たりません。

ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居たことを考えると、このことも、非常にうまく説明がつきます。
では、次のページでもっと詳しくこのことを見て行こうと思います。


『聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた』より
(2003年8月3日)

 

なるほど。。。デンマンさんの説では聖徳太子のお母様のお名前の“穴穂”は地名から取ったと言うのですわね。

そうです。。。当時、そのように皇子や皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通だった。 そして育った土地の名前をつける慣習があったのですよ。

つうことは。。。“穴穂(あなほ)”を“うつほ”という齋藤さんの説は、こじつけだとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♬~ますか?

 

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Comments :

楽しく読ませていただきました。
ペルシャのことを波斯国と中国で呼ばれたことですが、同じ国名が「うつぼ物語」のなかにでてきますが聖徳太子の母の名が「穴穂」が冠されていますので、穴穂で「うつほ」と著者の源順は充てていると考えています。

これを、引継いで紫式部が源氏物語を書いたと思います。
うつほ物語の中では波斯国の琴が中心に書かれていて「仏教」に掛けられています。

ここを抑えて読まなければ、聖徳太子のことや、うつほ物語、源氏物語も正しい翻訳さえ怪しいものとなってしまいます。

Thank you for using Bravenet Email Form Processing!

 

いや。。。齋藤さんの説がこじつけだと言うつもりはありません。 そのような考え方も面白いと思いますよ。 

 


(utsuho2.jpg)

 

俊蔭の娘は、太政大臣の子息(藤原兼雅)との間に

子をもうけたが、貧しさをかこち、

北山の森の木の空洞 – うつほで子(藤原仲忠)を

育てながら秘琴の技を教えた。

 

空洞 – うつほ と“穴穂(あなほ)”の「穴」は「中が空っぽ」という意味で共通しますからね。 だから、“穴穂”を「うつほ」と読ませても不思議ではない。

じゃあ、『うつほ物語』の作者も、そう考えたのでござ~♬~ますか?

いや。。。『うつほ物語』がマジで聖徳太子のお母さんと関係ある話であれば『宇津保物語』としないで『穴穂物語』としたでしょうね。 でも、実際には『うつほ物語』と聖徳太子のお母さんは関係ありません。

つまり、齋藤さんのコメントは見当違いだとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♬~ますか?

いや。。。全くの見当違いでもありません。 遣唐使清原俊蔭(としかげ)は渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着するのですよ。 唐でもなく、琉球でもなく、お隣の高麗でもなく、ましてや呂宋(ルソン)や越南(ベトナム)でもない。

作者は、どうして波斯国(ペルシア)をえらんだのでござ~♬~ましょうか?

要するに、当時でも遣唐使清原俊蔭(としかげ)が渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着したとしても荒唐無稽な話ではない程にペルシャ人がけっこうたくさん京都に住んでいたという証拠ですよ。

つまり、波斯国(ペルシア)は遠い国かもしれないけれど、ペルシャ人は身近にも居たということでござ~♬~ますか?

その通りですよ。 『竹取物語』には伝奇的性格が強い。 それと比べれば、『うつほ物語』は当時の“世話物語(現実的物語)”ですよ。 そのような現実的な話の中にペルシャが出てくるということ自体、ペルシャ人が当時、身近に居たという証拠だと僕は思いますね。 だから、聖徳太子のお母さんにペルシャ人の血が流れていたとしても不思議なことではないのですよ。

 


(laugh16.gif)

【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ〜。。。

あなたも聖徳太子のママにペルシャ人の血が いくらか流れていることを上の記事を読ん納得しましたかァ?

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。

覗いてみてください。。。男性ならば、ムンムン、ムレムレになって元気をだしてください。。。

女性であれば、若い頃を思い出して、若やいだ気分になってくださいねぇ〜。。。

 


(shitagi23-06-30.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

 

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で 更に、あたくしに御命令するのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。

 

 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ〜。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 

 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)

メチャ面白い、

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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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