2021年8月20日 (金曜日)
阿仏尼
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デンマンさん。。。どういうわけで 阿仏尼 を取り上げるのでござ〜ますかァ〜?
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卑弥子さんは阿仏尼という おばさんを知ってますか?
もちろん知っておりますわァ。。。でも、そのおばさんは現在生きているおばさんではござ〜♬〜ませんわァ〜。。。鎌倉時代に生きていた才媛ですわよう。。。『十六夜日記(いざよいにっき)』という書物を残しておりますわァ〜。。。
さすがァ〜、京都の女子大学で腐女子たちに「源氏物語と日本文化」を講義している橘卑弥子・教授ですねぇ〜。。。改めて卑弥子さんの蘊蓄(うんちく)を窺(うかが)い知りました。。。
おだてないでくださいましなァ〜。。。おほほほほほほ。。。
そのように謙遜しなくてもいいですよ。。。あの「現実主義者」と自称する男のように、褒められたらスキップして喜んでください。。。
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わあああああァ~♬~
うれしいなあああァ~。。。
デンマンさんが
卑弥子さんが登場する記事に
オイラのことを持ち出して
くれるのです。。。
オイラはネットで多くの
ネット市民の皆様に
知れ渡るのです。
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デンマンさんのおかげで
多くのネット市民の皆様に
知れ渡るようになりました。
これもデンマンさんが足掛け
5年にわたってオイラのことを
書いてくれたおかげです。
この人気を心強い味方にして
ブログを立ちあげれば
多くのネット市民が読みに
やって来るでしょう!
やってみるだけの価値がありそう…
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オイらの人生にもやっと
明るい未来が見えてきた…
もう、こうなったら
年のことも忘れて
オイラは喜ばずには居られないのです!
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わァ~♬~
うれしいなあああァ~。。。
やはり、仏のデンマンさんは
すばらしいです。。。
オイラの事が書いてある記事に
“いいね”が700個を越しました。
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もうこうなったら、
恥も外聞もなく
天にも舞い上がる気持ちで
スキップしたいと思います。
皆さんもオイラと一緒に
スキップしてくださいねぇ~。
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わァ~♬~
うれしいなあああァ~。。。
ルンルンルン
ランランラ~♪~ン
もう一つおまけに
ルンルンルン
ランランラ~♪~ン
ああァ~♬~、
うれしいなあああァ~。。。
デンマンさん! いい加減にしてくださいなァ〜! 最近、デンマンさんは、この愚か者にこだわっているのですわァ〜。。。あたくしが登場する記事に、この男の名前を出さないでくださいまし。。。格調高くデンマンさんとお話をしようとしているのに、この男がスキップして馬鹿な真似をしたら、あたくしまでが、この男の同類だと思われてしまいますわァ〜。。。んもおおおおおォ〜。。。
失礼しました。。。最近、この愚か者のことがオツムから離れないので、ついつい、この男の名前がポロリと出てきてしまいました。。。今後、卑弥子さんが登場する記事に、この男の名前を出さないように気をつけます。。。
ところで、デンマンさんは、もしかして 阿仏尼 の名前を知らなかったのでござ〜♬〜ますかァ〜?
すっかり忘れていました。。。
でも、どういうわけで阿仏尼に出くわしたのでござ〜ますかァ〜?
実は、バンクーバー市立図書館で次のDVDを借りて西暦1400年までに活躍した偉大な女性たちという講義を聴いていたら阿仏尼が出てきたのですよ。。。
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1400年までに活躍した36人の女性たちの講義を聴いたのでござ〜ますかァ〜?
そうなのですよ。。。一人の女性について約30分ほどの時間をかけて説明するのです。。。
つまり、18時間もかけて36人の偉大な女性たちのお話を聴いたのでござ〜ますかァ〜?
もちろん、18時間もかけて すべての女性たちの講義を聴いたわけではありません。。。知っている女性は 早送りをしてざっと観たのですよ。。。日本人では紫式部と阿仏尼の二人が出てきたのです。。。Lady Murasaki という英語の名前からはすぐに紫式部だということが分かったけれど、Abutsu という英語の名前からは、全く昔の日本女性の名前が浮かばなかった!
確かに「あぶつ」と言われたら ちょっと迷ってしまうでしょうねぇ〜。。。
話を聞いて1222年に生まれて1283年に亡くなったということを手がかりに調べてみたらウィキペディアの次の説明に出くわしたのですよ。。。
阿仏尼
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貞応元年(1222年)? – 弘安6年4月8日(1283年5月6日)
阿仏尼(あぶつに、阿佛尼)は鎌倉時代中期の女流歌人。
女房名は安嘉門院四条(あんかもんいんのしじょう)または、右衛門佐(うえもんのすけ)。
実父母は不明。奥山度繁(おくやまのりしげ)の養女となる。
ただし奥山度繁の養女ではなく実の娘であるとする見解もある。
桓武平氏大掾氏流の平維茂の長男である平繁貞の子孫である奥山度繁の娘(または養女)。
安嘉門院に仕え、出仕中10代で初恋の失恋の失意から出家を決意し尼となったが、その後も世俗との関わりを持ち続けた。
30歳頃藤原為家の側室となり、冷泉為相らを産む。
為家の没後、播磨国細川荘(現兵庫県三木市)の相続をめぐり、正妻の子二条為氏と争い、1279年(弘安2年)幕府に訴えるため鎌倉へ下った。
このときの紀行と鎌倉滞在のことを記したのが『十六夜日記』である。
訴訟の結果がわかる前に鎌倉で没したという説と、京都へ帰った後に没したとの説がある。
「弘安百首」などに参加し、関東にある10社に勝訴を祈願して奉納した「安嘉門院四条五百首」や「安嘉門院四条百首」などもある。
歌論書に『夜の鶴』がある。
また若い頃に書いた『うたたね』は失恋の顛末を記した日記である。
『続古今和歌集』以下の勅撰和歌集に計48首入集しているものの、阿仏尼の孫である冷泉為秀が参画した『風雅和歌集』や阿仏尼と親しかった京極為兼が選者を務めた『玉葉和歌集』では入集数が多い一方で冷泉家と対立した二条家が選者を務めたときは入集数は極端に少なく、当時の歌壇の政治的対立状況を反映していると考えられる。
出典: 「阿仏尼」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
何がきっかけで、この尼さんのことをデンマンさんは思い出したのでござ〜ますかァ〜?
高校の日本史の時間に、先生が「鎌倉時代に女だてらに土地の相続を巡って訴訟を起こした尼さんがいる」と、語っていたことを思い出したのですよ。。。尼さんが訴訟を起こしたというのが印象的だったので覚えていたのです。。。
日本人でも阿仏尼を知っている人は少ないと思うのに、アメリカ人のおばさんが阿仏尼を取り上げて講義するというのも驚きでござ〜♬〜ますわァ〜。。。
確かにそうですよ。。。僕も驚きましたよ。。。ところで、阿仏尼が書いた日記の中に、なにか面白いことでも書いてあるのですか?
若い頃に書いた『うたたね』は失恋の顛末を記した日記ですけれど、阿仏尼が才媛であることがこの日記を読むと、実によ〜♬〜く分かるのですわ。。。
卑弥子さんも『うたたね』を読んで胸をときめかしたのですかァ〜?
そうでござ〜♬〜ますわ。。。あたくしはこの『うたたね』を読んで以来、生まれてきた時代を間違えたとマジで実感したのですわァ〜。。。
どういうわけで。。。?
もし、あたくしが阿仏尼と同時代に生まれていたら、あたくしも『卑弥子のうたたね』という日記を残していたと思うのですわァ〜。。。おほほほほほほ。。。
卑弥子さんの日記はどうでもいいから、阿仏尼のおばさんが若い頃に書いた日記が読みたいです。。。卑弥子さんが現代語に訳して聞かせてください。。。お願いします。。。
デンマンさんが それほどまでに言うのでしたら、あたくしが現代語に訳してみますわァ〜。。。
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もの思うことで心が安まるわけではないが、眠れない夜の友として慣れてしまった月の光が今夜も待っていると出てきたので、いつものように妻戸を押し開けてただ一人で外を見ている。
荒れている庭の秋の露も、恨めしそうな様子の虫の声も、どれも それぞれに わたくしの心を痛ませるきっかけとなるので、心の中に乱れ落ちる涙を押さえてしばらくの間 過去のことや行く末のことを考え続けていた。
すると、いかにも情けなく はかなかった あの方との愛の契りのことを、なぜあの時はあんなに思い込んだのであろうかと、我が心ばかりが、どう考えてみても恨めしい。
春ののどかな日に、なんとなくたまってしまった手すさびの使用済みの紙などを破り捨てるついでに、あの方からのお手紙の数々を取り出して眺めてみる。
すると、去年の早春の梅の枝につぼみが色づき始めた恋の初めの頃から、冬草が枯れ果てて恋も終わってしまうまで、その折々の抑えきれない思いのあれこれを思い出すのです。
うちとけて手紙をかわした頃のことも、今はこれが最後と思って見るのは、感慨深い。
この手紙は いつもらったのだろうか?
どうして今、目にとまったのかしら?
そのようなことを考えていると、こちらの部屋の主の女性が、
「今宵はたいそう寂しく、なんとなく恐ろしい気がするから、あなたも一緒に ここにおやすみなさいなァ」
そうおっしゃるので、わたくしの部屋に戻らないでしまった。
あぁ、厄介なことになってしまった、と思われるけれど、出家のことを心に決めている身に ひどく気がとがめるので、
「わたくしの部屋に戻りますわ」
とも言わないで、そこに横になった。
同室の人がみんな無心に寝入ってしまったころにそっと部屋を出ると、灯火が消え残っていて、心細い光のみです。
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だれか目を覚ましはしないかとひどく恐ろしいけれど、ただ唐紙一枚を隔てた自分の部屋なので、そこに昼から用意しておいた鋏や、箱のふたなどがすぐに探り当てられるのもたいそううれしい。
いよいよ髪を切ろうと手で髪を引き分けたときは、やはりなんとなく恐ろしかった。
髪を削ぎ落してしまったので、この箱のふたに髪を入れて、書いて置いた手紙などをそれに取り添えて置こうとするとき先刻出てきた襖の口から、灯火の光が依然としてほのかに見える。
手紙を書きつけた硯がふたもしないであったのがそばに見えるのを引き寄せて、そぎ落した髪を包んだ陸奥国紙の端に、ただちょっと思ったことを書きつけたが、外の灯火の光なので、暗くて自分の書いた字も見えないのです。
嘆きながらわが身を川の早瀬の底に沈めたとしても そこがどことさえわからず、魂が迷うことになるだろうと思えば、死後のことまでも悲しい。
そのときの わたくしは身を投げてしまおうと思っていたのであろうか。
今すぐにでも家を出てしまいたい気がして、そっと縁側にある妻戸を開けたところ、月の終わりごろの月のない空に、雨雲までも幾重にも重なって、ひどく気味が悪いように暗い。
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そのうえ夜もまだ深い折から、宿直の人までも ちょうどその折に夜回りの改まった声をあげたりするのもわずらわしい。
聞いているうち、これでは人に見つけられるかもしれないと気がとがめて なんとなく恐ろしいので、もとのように部屋に入って横になった。
でも、そばにいる朋輩は身じろぎさえもしない。
以前から宿直の人は夜遅くに門を開けて帰宅するのが常であったから、その時刻をひそかに待っていると、今夜に限って早く戸を開けて出て行った音がする。
それで わたくしもその夜、邸を出たのでした。
それにしても、目的地への道もはっきりとはわからなかった。
ここも都のうちではなく、北山の麓というところなので、人目も多くない。
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木の下陰を伝って、かすかに見覚えていた山路を、たった一人で歩いていく心地は、とてもひどく危なっかしくそら恐ろしかった。
山里の人の目にもあやしまれないままに、異様で何かに憑かれたような姿をして歩いているわたくしの姿も、全く現実のこととも思われない。
そうであっても、目ざす尼寺は、京の西方の山の麓であるから、とても遠くはるかな先であるうえに、夜中から降り出した雨が、夜が明けるにつれてしっとりと衣も濡れるほどになった。
住み慣れた北山の麓から嵯峨のあたりまでは、少しもさえぎるものもなく見渡すことができるほどの道であるから、何の支障もなく行き着きました。
マジで卑弥子さんが 現代語に訳したのですか?
そうでござ〜♬〜ますわァ〜。。。デンマンさんが読んで、何か間違いでも見つけたのでござ〜ますかァ〜?
いや。。。さすがは京都の女子大学で腐女子たちに「源氏物語と日本文学」を講義している橘卑弥子・教授だと思い、改めて卑弥子さんの格調高い現代語訳を読んで、心が洗われたような気持ちになりました。。。うへへへへへ。。。
でも、そのようなうすバカ笑いを浮かべているデンマンの表情を見ていると、素直に喜べない気持ちですわァ。。。
喜んでください。。。僕は、卑弥子さんを見直しましたよ。。。マジで。。。
そうですかァ〜。。。実は、現代語に訳しながら、阿仏尼さんが あたくしに乗り移ったような気持ちになりました。。。
うん、うん、うん。。。 なんだか僕の目の前の卑弥子さんまでが、いつになく十二単を着て輝いて見えますよ。。。
あらっ。。。マジで。。。冗談でも、そう言われると 嬉しくなってしまいますわ。。。
じゃあ、あの「現実主義者」のようにスキップして喜んでもいいですよ!
デンマンさん! んもおおおおォ〜! あの男の名前は持ち出さないと約束したばかりではござ〜♬〜ませんかア!
失礼しました。。。気をつけます。。。
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ですってぇ〜。。。
あなたも阿仏尼さんの上の日記の一部を読んで鎌倉時代の女性の心の中を覗いたような気分になりましたか?
ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令するのでござ〜♬〜ますかァ〜?
分かりましたわ。。。。
では、あなたもビックリするような
忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。
なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!
無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。
つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。
浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?
そのへんのところが詳しく映像に残っております。
観るだけの値打ちがありますわ。。。
では、どうぞ。。。
ところで、どうして小百合さんが
「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
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あなたは ご存知でござ~♪~ますかァ?
実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。
そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。
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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。
そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。
軽井沢・雲場池の紅葉
軽井沢のイルミネーション
秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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メチャ面白い、
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
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