Everything you've ever Dreamed

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ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

氷河期世代最大の敵について

就職氷河期世代が酷い目に遭っているという話を見聞きするようになった。中高年に差し掛かって賃金的にも立場的にも社会的にも弱い立場にあるという話だ。特に大手企業の新卒初任給が30万以上になると報じられてから「あれ?氷河期世代一人負けじゃない?」「悲惨だよね」みたいなことになっている。1973年(生まれは1974年2月)の僕は就職氷河期世代であると同時に団塊ジュニア世代だ。1996年の新卒採用時はまあまあ苦戦した。数十社にアプローチして内定がもらえなかったときは、心が折れかかった。有名私大卒は武器にならなかった。同じような人間が数多くいたからだ。オンシャノトリクミガー、オンシャノキギョウリネンガー、オンシャ、オンシャなどとバカみたいに気持ちの入っていないことを言い続けているうちに虚無な気分になったものである。

僕は、希望する企業や業界に入るのは早々に諦め、入れるところに入る方向へ舵を切ったことが功を奏してなんとか新卒で採用された。同期の連中たちのなかにはこだわりを捨てきれずに、あるいは、楽観的な未来予想図をもっていたがために、正規雇用ではない道へ進んだ者も相当数いた。彼らの多くが救済されず、苦しい人生を歩んでいる。能力や技術は関係なかった。学生時代、僕よりもずっと優秀な者もそのなかにはいたからだ。僕はただただ運が良かっただけである。一点だけ僕が他の者とちがっていたのは、「社会は助けてくれない」という意識が強かったことだ。父がなくなって困り果てていたとき、助けてくれる社会のシステムはなく苦労した経験があったからだ。今でいうセーフティーネット。一度落伍したら戻れないという認識があった。僕は大学時代、周りと比べて自分の能力が高くないと自己評価していたので、なおさらそう思っていた。だから必死に就職活動をしたのだ。就職氷河期とはずいぶん後で言われるようになったわけだけれども、ツイていない年代に生まれたと、当時(1995年くらい)すでに気づいていた。子供の頃はアホな大人たちが楽しく生きているのを見せられて、いざ自分が社会に出るときになって厳しさを突き付けられるとか何の因果なんだと。社会に出てからも昭和世代のクズやバブル世代のノーテンキさにヤラれ、ゆとり世代やZ世代からは「昭和っすね」とバカにされ、いいことは少なかった。ただ僕は運がよかった。なんとなく会社での立場をゲットできているし、51歳まで落伍せず、ゴールが見えるところまで来ることができた。本当に運だけである。新卒時にうまくルートに乗れなかった同世代の者は相当に苦労していると思われる。中高年になってしまった彼らのこれからの大逆転は正直厳しいだろうが、頑張ってほしい。

僕が社会人になって約30年経った。おそらく僕らは他の世代のことがわからない。僕にはバブル世代やZ世代が何を考えているのかどういう価値観で動いているのか想像して推測はしてみるけれども正確にはわからないようにね。先日、若い同僚と苦労している氷河期世代の人たちを救済する取り組みについてのテレビニュースを見る機会があった。若い同僚は「大変なのはわかりますけど30年間ずっと抜け出せないなんてことがありますかね。部長は氷河期世代だけれども管理職として活躍しているじゃないですか」と僕に言った。「甘えだ」と。僕は、いろいろあるんだよ、と言うにとどめたけれども(わかってもらえないから)、苦難の道を歩いている氷河期世代にとってもっとも邪魔なのは、同じ氷河期世代でありながら能力も才能もないのに運だけで落ちこぼれずにやってきている僕のような人間なのだと突き付けられた気がした。氷河期世代最大の敵は氷河期世代なのだ。きっつー。

氷河期世代、団塊ジュニア世代としてこれから出来ることについて僕はわりと真面目に考えている。辛酸をなめてきた氷河期世代全員で、酒をがぶがぶ飲んで身体を壊して、そのうえ120歳まで長生きして、莫大な医療費と年金を後の世代に負担させるというのはどうだろうか。もちろん冗談だけれども、たまたまその世代に生まれたばっかりに他の世代からも理解されずにただ苦しいだけで人生を終えてしまうのは悲しすぎやしないか。なんとかならないものかね。(所要時間20分)

 

食品業界の中の人だけど謎のお米を売りつけようとする怪業者が接触してきたよ。

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僕は食品業界の片隅で働く営業部長。業務用のお米の価格の高騰と取扱量の不足という事態に直面している。ウチの会社はお米の納品先をいくつか持っていて、7割程度をメインの業者、その他3割を数社から納品している。いずれの業者からも値上げとこれ以上の取扱は難しいという打診を受けている。苦境を乗り切るために、お米を使わない商品へのシフト等企業努力をしているが給食部門だけはどうしてもお米を使わざるをえないため苦労している。給食は食材費が定められているので「お米をやめてパンにしましょう」というわけにはいかないという事情もある。

ウチがお米を必要としているという情報を聞きつけたのだろうね、とある業者がお米を買いませんかと売り込みをかけてきた。これまで取引のなかった法人だ。仕入れ担当がサンプル提供と試食を依頼したうえで「保管状況を確認したい」と告げたら、他にもいくらでも買ってくれるところはあると捨て台詞を残して逃亡。この情報を受けて、おそらく品質管理の出来ていない環境で保管しているため実物を見せられないのだろうと結論付けた。お米はデリケートなので、温度や湿度管理の出来ていない、不衛生な場所に放置しておいたらあっという間に鮮度が落ち、虫がついてしまう。そんなもの買えるわけないじゃないかと笑っていたら、僕宛てに知らない業者からコンタクトがあって、米が大量にあるので買ってくれないかという依頼だった。僕にコンタクトしてきたのは、僕が新規開発営業だけでなく食材の買い付け業務もやっているため、どこかで名前を聞きつけたのだと思われる。世間狭すぎ。こんなこともあろうかと、宇宙戦艦ヤマトの真田さんを見習って対策を考えておいたので対応(撃退)しておいた。

「価格表(見積)とサンプルをください。サンプルについては保管している場所に私が出向きますので、無作為抽出したロットからサンプルを取らせていただきます。その場で炊飯して実食して評価させていただきます。その際に保管状況も確認させてください」「価格表はすぐにメールしますが、サンプルについてはこちらからすぐに配送で送らせていただきます。サンプルを取っている様子の動画もあります。保管場所の画像も送ります」「結構です。撮影した動画のサンプルと送られてくるサンプルが同じものとは証明できませんよね。画像だけで保管場所をチェックするのもありえません。サンプルについては検討してください。トレーサビリティは問題ありませんよね」「特別なルートで仕入れているので明かせません…もういいです、他に買い手はいますから」「そちらの言い値で全部買ってもいいですよ」「本当ですか。現金払いですか」「必要なので。最後にもう一点。当社は継続的に相応の量のお米を必要としています。継続的な供給は可能ですか」「一回キリです。量は100ほどあります」「100トンですか」「100キロです」「それっぽっちの量ではどうしようもありません。そのうえ品質が保証できないお米は買えません。以上」こうやって撃退して同業他社に情報を共有しておいた。その法人をネットで検索しても出てこなかった。そういうことだろうね。

今回の米不足に乗じて米を確保した者のなかには米を取り扱ったことのない素人が多いと思われる。皆さまにおかれましては、品質管理のなっていない粗悪なお米をつかまされないように気を付けてもらいたい。ポイントは品質管理とサンプル提供(方法)。それと意外と見落としがちなのが確保している量と継続提供の可否である。ウチが拒否ったお米がどこに辿り着くのかわからないけれど、格安店や激安加工食品に流れ着くのではないかと推測している。しかし今回のような個人に毛の生えたような規模の取扱い量が、何十万トンの行方不明のお米の原因とは考えにくい。うーむ。とりあえずお米を食べたい人はちょっと高いけれどもしっかりしたところで買いましょう。まともに取り扱えない奴らは大損こいて滅亡すればいいけれども、これだけお米がないのに無駄になってしまうお米が出るのは食品を取り扱っている人間としてはやりきれない。(所要時間21分)

 

マネジメントってレベルじゃねーぞ

僕は食品会社に勤務する営業部長だ。中小企業なのでやることが多い。新規開発営業の他にもイベント時のスーツアクター(トナカイくん/トン吉)当番、トナカイくんとトン吉の保守管理等重要業務も任されている。最近は、食材高騰や人件費高騰や人不足の直撃を受け、それらを担当する中間管理職が慌ただしく動いているため、彼らの手が回らないマネジメント業務もやらされている。事業本部長の代理である。事業本部長は「代理だから難しく考えなくていーよー。難題に当たったら持ち帰ってねー」とライト感覚で言ってくれた。

取り急ぎ対応する必要があったのは某小規模事業所。責任者とその他パートスタッフの関係がうまくいっていないという報告を受けての対応だ。マネジメント業務を代理で受ける際に、落ちついている事業所を任せるという約束をしていたので、ルール違反っちゃあ違反だけれども、事業所収益は問題がないので、そういう意味で問題がないということだったのだろうと解釈した。僕は、性善説で生きているのだ。

一応、営業部長として部下を管理しているが、現場管理はビギナーである。だが不安はなかった。経営の神ピーター・ドラッカーのマネジメントの教えが傍らにあったからだ。それに従えば大きな間違いを犯すことはないだろうと確信していた。一抹の不安は、ピーター・ドラッカーの『マネジメント』は難しそうなので、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を通じて概要と薄味になった理論を学んだ点にあった。つまり営業部長が『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を読んだら、状態。大丈夫。僕は、楽天的に生きているのだ。楽天カードも持っているしね。そういえば「はてな」ユーザーだった著者の岩崎夏海さんをネットで見かけなくなったけどお元気なのでしょうか。

『もしドラ』の教えにもとづいて真摯に現場に入って一緒に働いて一連の仕事を見てから面談することにした。まず責任者の女性。仕事を良く知っていて経験も豊富。熱意もある。しかしながらスタッフとの関係がうまくいっていない。彼女は言った。「言うことを聞いてくれない」「何回指導しても覚えない。覚えようとしない」と。そのあとで「でもこういうのも含めて責任者の仕事だと理解しています」と付け加えた。僕が好感を持ったのは言うまでもない。だが離職率の高さという現実がある。彼女は「主任が厳しいからじゃないでしょうか」と私見を述べた。「あの人は感情的になりすぎるから」。それから責任者女史は僕に「部長さんは私の味方ですよね」と質問した。『もしドラ』を1回通読した僕は、目の前にいる人物に事業所の責任者として貢献している実感を与えなければならないと思い、「よくやってくれていると思います。結果も出していますしね。特定の人の味方にはなれません。皆さんの話を聞いてからにします」とビミョーな言い方に終始してしまった。動機付けに失敗したかもしれない。僕は、生来の風見鶏なのだ。責任者ははっきり言った。「私は主任とはうまくやれません」

主任と面談した。仕事を良く知っていて経験も豊富。熱意もある。経験という点では、責任者よりも事業所で長く働いているので上といえるかもしれない。しかし、責任者とはうまくいっていない。彼女は言った。「(責任者は)意見を取り入れてくれない」「好き嫌いでシフトを組む」「感情的になって大声で叱責する。それを理由に離職するパートもいる」と。「でもそういう責任者とパートのあいだの橋渡しをするのが私の仕事だと思っています」と彼女は付け加えた。僕が好感を持ったのは言うまでもない。「責任者は感情で動いているんですよ」と付け加えた。「だから私もついムキになっちゃって。あと仕事がないのに必ずパートを最後まで残そうとするんですよ。理由を訊ねたら必要だからって言うわけ。だから私たちは嫌がらせだと解釈しているのですけど…。ここの数字が良いのはスタッフに恵まれているからですよ。部長さんはどう思いますか」と立場を明確にするよう求められた。『もしドラ』を1回通読した僕は、組織の定義付け、何のためにこの事業所は存在しているのか明確にする必要を感じていた。「皆が感情的になっているように僕には見える。感情のベクトルの向け方が少々違うのではないかな。結果が出ているのも本社は認識しています」「部長さんはどちらの味方ですか」「どちらの味方でもないです。今回の件は持ち帰って判断させていただきます」またも微妙な言い方になってしまった。動機付けに失敗したかもしれない。僕は、生来の小心者なのだ。そんな僕に主任は言った。「私は仕事だから割り切っていますがあの人(責任者)のことが好きではありません」

難題を本社に帰り、頭を抱えていると、本来この業務をやらなければならない事業本部長がいたので相談したらダメ出しをされた。お前がやるべき仕事なんだけどな。「ダメダメ。どちらの味方か白黒はっきり付けてこなきゃ。相手が正しくても味方。間違っていても味方。そうやってその場かぎりをうまく回していくのがマネジメントの本質だよ。君みたいな慎重さはこういう場合はうまくいかない要因になりかねないぞ」「そうですか」「はっきりいってね。あの二人はお互いを嫌いあっているから、その場その場で相手の話にあわせてそのときどきの敵の悪口を口先だけあわせて言っていればオッケー。それで数字は出ているんだから」と本部長は言った。それから「君には任せてられない」といって彼は僕を事業所の担当から外した。

しばらくたってから、当該事業所の従業員から事業本部長のまずい対応で収拾がつかない状態になっていると本社人事部の従業員相談室へ通報が入った。まーねーという感想しかない。マネジメントは大切だ。だがマネジメントが通用するのはある一定のレベルをこえた人間にかぎられると僕は思っている。今回のように感情的に突き動かされて行動する人、仕事と割り切れずに好き嫌いを判断に持ち込む人、それ以外にもお金を盗む人、時間が守れない人、言ったことを2秒で忘れる人、二度寝の遅刻を注意したら三度寝をかます人、もしドラを春のドラえもん映画だと思っている人、意義をイギーポップ、動機付けを動悸息切れ、そういうレベルの人にマネジメントは無力すぎるのだ。マネジメントってレベルじゃねーぞ、と叫びたくなる。絶望的なのは、こういうケースが特別ではないことだ。慢性的な人不足が原因だ。僕のような代理でマネジメントに苦戦している者もいるだろう。特別じゃない、どこにもいるわ、僕は部長A。(所要時間42分)

食品業界の中の人だけど備蓄米の放出でお米の状況はこうなりそうだよ。

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僕は食品業界で働く営業部長。年末から取引のある米業者さんと交渉を続けている。先日、政府備蓄米21万トンの放出が決まった。微妙なタイミング。ちなみにニュースで「5キロ平均4千円」と伝えられている米の価格は、一般向けのお米のものだ。僕が交渉しているのは業務用米。業務用米(ブレンド米)は昨春のキロ400円弱から年末には600円台に急上昇している。さらにヤバいのは取扱量の制限。各業者の担当者から「これ以上の取扱は約束できない」と伝えられた。価格高騰と取扱量の制限の原因について担当者に訊ねると、大手業者や新規業者が大量に確保してとにかく回ってこない、ものがない、という答えが返ってきた。

値段が高い。量も足りない。嘆いていても仕方がない。ウチの会社でも、米飯を使う商品(弁当、おにぎり)の生産を他の商品へシフトしている。それでも給食部門(社食、病院、福祉施設、保育所)では主食の米を減らすのは難しいため、そちらへ米を優先して回して耐えている状況だ。「米が回ってこない」というのが各業者の言い分だったので、備蓄米が市場に放出されることで改善が見込まれるはず、春以降の価格と取扱量の見込みや展望はどうなるのか。ウチはメイン一社と数社の米業者と取引をしているが、すべての業者から備蓄米が放出されても当面状況は変わらないと連絡があった。あれ備蓄米はいずこへ?
「高値で仕入れている分を安くは売れない。備蓄米は関係ない。損したくないから。商売だから」というのが業者の見解であった。ビジネスだからね。備蓄米が市場に出回れば値段は下がるかといえばそうでもないらしい。もともと値段のいい一般向けに優先的に米が回るだろうから、業務用へいつ回ってくるか見通しが立たないとのこと。業務用米特有の事情があるのである。もちろんうまく流通すればそれに越したことはないけど、今のところ楽観できる材料は少ない。こうした事情を給食事業の顧客に説明しても「なんといっても日本人はお米ですから。そこは何とかして」「園児たちの成長に白米は不可欠よー」と一方的に主張して事情を察してくれないからしんどい。お米がないならお菓子を食べればいいじゃない、と言いたくなる。
どこへ米が流れているのか。業者の担当者によれば、取扱量の多い大手と新参の他業種がマネーパワーにものを言わせているとのこと。ニュースで言われているような投機的目的で個人が大量に買うというのはあるかもしれないが主な原因ではないと断言していた。何トンといった量の米を個人が購入するのは考えにくいし、購入できてもその量を温度湿度管理出来る保管場所を用意することができないから、がその根拠。温度湿度管理のできる物流倉庫を保有している者が黒幕だと業者は推測していた。そうなると相応の規模のある者になるよね、と。噂では買い付けを個人名で行う偽装をして集めている業者もあるとかないとか。米の取引についてはグレーな噂と人間のイヤな部分が見え隠れして面白い…じゃなくて残念である。国や自治体が失われた米を追跡していてその結果を来月以降に公表するらしいが、取引自体は違法じゃないし、どうなることやら。米の生産と流通が変わらないかぎり同じ事態が続くのではないかと思うとぞっとする。交渉に疲れて「米がないなら菓子を食え」と叫ばないようにしなければ…。きっつー。(所要時間19分)

 

『バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記』/中高年に刺さりまくる定年おっさんの異世界転生物語

僕は食品会社で働くまもなく51歳になる中間管理職。うっすらと早期退職を考えている。会社上層部からは目の敵にされてこれ以上の出世もないし、30年続けてきた営業職に飽きてしまったし、商談相手のムカつく言動に対する耐性も擦り切れているため、いつブチキレて「屋上へ行こうぜ……」と言い出しかねない状態だからだ。切実なのである。奥様に意思を打ち明けても彼女は「辞めて何をするの?」と返すばかりで、「やりたいことをやるよ」「具体的には?」「知らず知らず隠してた本当の声を……」「YOASOBIっぽく言って誤魔化さないで」という流れで早期退職はいまだ認められていない。きっつー。

奥様から「真面目に考えなさい」の言葉とともに参考図書として勧められたのが本書『バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記』である。面白かった。内容は定年まで新聞記者として働いた著者がバルセロナで豆腐屋を開業、さまざまな課題をクリアして行くという内容のエッセイ。新聞記者と豆腐屋というまったく違う仕事を定年後に始めるのもアクロバティックだが、そのうえ日本から離れたバルセロナで個人事業主としてやるというのだから凄まじい。

まるで「新聞記者だった俺がバルセロナで豆腐屋に転生した件について」、異世界転生もののようだが俺TUEEEE展開にならない。バルセロナで豆腐屋を経営する中での苦労や、バルセロナで生きる市民生活が淡々とエッセイ調で語られている。面白いのが、バルセロナにも豆腐マーケットといえるものがあって、その中でどう商売をやっていくのか試行錯誤していくところ。さまざまな豆腐が流通しているバルセロナの豆腐事情がリアルに綴られているのだ。また、世界的な感染症の際のスペインの対応、豆腐屋で使用する容器を発端としたヨーロッパにおける環境問題対策(日本の基準がヨーロッパでは認められない)。豆腐で使用する容器でその問題にぶち当たる)に語る筆致は新聞記者ならではだ。

この本は定年後について書かれている。引退後ではない。定年退職後の仕事というと、少し力を抜いてこれまでの経験を活かしたものや、趣味的なものを連想するが、ここで語られている定年退職後の働き方は、それ以前と同等あるいはそれ以上の熱量をかけている。全力だ。だからこそ、著者が述べているような、何ものにも替えがたい経験を得られ、良い刺激を受けられるのだ。これは長い人生を退屈しないためのひとつの解決策といえるだろう。
本書は、外国で個人事業主としてやっていくにはこうした方がいい、とか、定年後の働き方のコツ教えます的な視点からはまったく書かれていない。ただただバルセロナで豆腐屋をやりたいという奇特なおっさんによるおっさんのためのおっさんの豆腐屋戦記だ。豆腐屋に弟子入りをし、機器を集め、輸出し、バルセロナで物件を探し、人を雇い小さな豆腐屋を開き、事業承継問題に苦戦するおっさんの物語だ。そして「こういう人生もあるよ」と提示しているにすぎない。それは筆者の仕事観、職業観から生まれたものだろう。体験学習で豆腐屋にやってきた中学生から「なぜ記者になったんですか」という質問を受けたときの著者はこう答える。「あなたはなぜその仕事を辞めないのですかと質問した方がいい」「私を含めて多くの人は良く知らずに仕事を選ぶ。仕事を続けているうちにその仕事が世の中とどう関わっているか。自分はどんな役割を果たしているかが見えてくる」。筆者は自分の役割をただ淡々と見せているにすぎないのだ。

落ち着いた生活を捨てる勇気、それだけでは不十分。本書における豆腐屋のような、夢中になって向かっていけるものを見つけることが、本書のテーマとなっている「一身二生」には不可欠だ。定年前の前半戦は、そういうものを見つけるためにあるのかもしれない。そして、今の仕事と関連する仕事や縁のある土地を選ばない、といった転生するつもりくらいの覚悟をもって取り組んだほうが、これまでの人生で味わえない経験を得られる可能性は高くなると本書は教えてくれる。今からでも遅くはない、これからやってみたいことを「あんなことは出来ないだろう」リミッターを外して考えてみたくなるのが本書である。

そういえば著者のバルセロナ豆腐屋は奥様の多大な協力があってこそであり、本書の最後は奥様への感謝で締められている。ウチの奥様に「僕の第二の人生にはキミの協力が必要だ。ともに血と汗、鼻水、その他の体液を流して苦労しようではないか」と告げたら「なんで私がそんなことをしなければならないのか」と返された。それはそれ、これはこれ、らしいです。TUEEEE。