Everything you've ever Dreamed

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ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

初代死霊騎士団長就任と役職手当8千円の謎

体調不良で休職していた東海営業所の責任者が退職することになった。東海営業所は新設された拠点のため軌道に乗っていない。会社上層部が立てた対前年売上400%という無謀な目標の達成は絶望的である。このように課題は山積みなうえ、後任の目途は立っていない。後任は、上役にあたる担当役員が代行すればいいのだが、金融機関からやってきて定年を待つだけの無気力な人間がわざわざ火中の栗を拾うはずがなく、アチアチの栗を水面下で僕に投げつけたきたのは数週間前のことである。「まず君の顔が浮かんだ」「君しかいない」「他の人には断られている」「誰もやりたがらない」「君なら難局を乗り越えられる」「営業部長は楽な仕事で物足りないだろ」「やりがいが欲しくないか」数々の矛盾した言葉、人の気持ちを逆なでする言葉で、僕の心を揺さぶろうとした。パンチを喰らったボクサーのように脳が揺れていたのは担当役員の方であった。僕は生活のために仕事をしている。お金になるのならパンツの中にアチアチの栗を入れたってかまわない。僕は「やりがいは要りません。手当はいくらになりますか」と質問した。役員は安心感をあたえるような笑みをたたえて「八千円」と答えた。嘘。私の手当て少なすぎっ。「年額じゃないよ。月額だ。東海営業所は利益が出ていないから本来は役職手当を支払う余裕はないが特別に八千円とした。営業部長を兼務している君なら十分な額のはずだ。何より大事なやりがいがある」と役員がクソにもならない下痢レベルのフォローを続けようとしたので「聞かなかったことにします」といって話を打ち切ったのである。それから数週間ほど経って役員が改めて接触してきた。「君のプライドを傷つけてしまって申し訳なかった。君しかいない。改めて内容を社内メールで送るので確認してほしい」とのこと。内容を確認すると確かに変更されていた。変更①東海営業所を東海支社に格上げする。変更②それにともなって役職は死者長(原文そのまま)となる。死者長……不吉すぎるだろ。死に体の東海営業所を率いるにふさわしい名称だ。変更③それにともなって所長手当は支社長手当となる。そして肝心の金額はというと…

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月八千円!変わってない。変わってないよ!僕が文句をいうことを見越し、金額の根拠も付けられていた。クレイジーな根拠であった。死者長手当(A)はまあまあな額で、僕がいただいている営業部長手当(B)より一万円多い額であった。そこまではいい。そこからがクレイジーなのだ。なんと、(A)と(B)の差額を部長手当(B)に加えて支給するというのである。僕の認識では手当の額は(A + B)であったが、脳が揺れている人の認識は(A-B)+ Bであった。なお、一万円と八千円の差額の二千円は支社の事業が軌道に乗ったときにあげられるとのこと。馬鹿にしているのか。責任とノルマが倍増。神奈川から東海地方への車移動も増えるため腰痛悪化確実。それで月八千円。受ける人間がいるのだろうか。速攻で断った。「何で?」とピュアに理解できないみたいな表情を浮かべてその言葉を吐ける人物がこわかった。彼を昔から知っている人によると、彼は金融機関勤務時代、まかされた支店(営業所)の業績が悪くて手当を減らされた恨みを部下や後輩にぶつけて晴らしているらしい。迷惑すぎる。なお、この直後に我が営業部は大型案件が取れたため、東海支社を兼務する余力がなくなり、僕の死者長就任の話は消滅した。今後は担当役員が初代死者長代理となり死に体の現場を率いていくことになる。目指すは対前年売上400%。彼が、死者長代理の名にふさわしい社内的な死に様を見つけられることを僕は祈っている。(所要時間20分)

君ははじめて見たブラのことを覚えているかい?

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25年前、僕は二十代の若者で、仕事に追われる日々を送っていた。誇張抜きに実家と職場を往復するだけの毎日。自宅の近くに幼稚園バスが送迎にやってくる場所があって、僕は毎朝、バスを待つ親子と目を合わさないようにして通り過ぎていた。ある日、バスを待つ親子のなかに男の子と一緒にいるマユミちゃんの姿を見つけた。彼女は幼馴染で、小学校最後の二年間は同じクラスだった。草野球やドッジボールも一緒にやった仲のいい友達のひとりだ。男の子は彼女の子供らしい。1985年、小学六年の夏、僕は彼女と幻の湖をさがす旅に出た。僕らが暮らす町は山と海に囲まれていて、あの山の向こうに誰も知らない湖がある、というマユミちゃんの言葉を信じて、僕と彼女とその他二人(誰だか忘れた)はお菓子と水筒を入れたリュックサックを背負って湖を目指した。マユミちゃんは小さい頃からいつも僕より前を歩こうとしていた。僕はそれが気に入らなくて、いつも彼女の前に出ようとした。でも幻の湖への道中は違った。パラダイムシフトが起きたのだ。

良く晴れた暑い日だった。シャツはすぐに汗で濡れてしまった。湖はピクニックコースから外れたところにあるので藪の中を進むしかない。足もとは湿っていて靴の中に水分が染みてきて気持ち悪かった。真夏の太陽の暑さと、下からの湿度に挟まれてペチャンコになりそうだった。出直そう、誰かが言ったけど、マユミちゃんから、男のくせに弱虫ね、と言われて帰るに帰れなくなった。マユミちゃんは先頭を譲らず、僕は彼女の背中にくっつくようにして歩いた。あとの二人は僕より少し離れてついてきた。実はマユミちゃんの背中から目が離せなくなっていた。彼女はブラジャーを身につけていた。僕が彼女のブラジャーに気づいたのはそのときが初めてだった。汗で濡れて透けてしまったシャツはブラジャーの守護者としての役割を放棄していた。ブラジャーは僕にこれが彼女と遊ぶ最後の機会になるという不吉な予感をもたらしていた。

ブラジャーはゴールテープに似ていた。僕は足が遅く、運動会の徒競走は3着が最高で、ゴールテープにふれることなくいつもレースを終えていた。遊びの延長でブラジャーに触れることもできた。お前ブラジャーなんかつけているのかよ、と茶化すこともできた。僕と彼女のあいだには遮るものはなかったからだ。でも出来なかった。触れることで大切なものが未来永劫に壊れてしまう気がしたのだ。僕らはこのままではいられない悲しい予感。僕らの背丈より高い藪の向こうにあるような未来がそれほど良いものではなかったら…という不安。そういうことを考えるとバラバラになりそうだったけれど、目の前で揺れるブラジャーに集中することで何とか落ち着きを保つことができた。後ろの二人が拾った木の枝で藪を叩く、ピシッ、という音が鬱陶しかった。そろそろだよ、もう少しだよ、幻の湖の接近を知らせるマユミちゃんの声が少年時代の終わりを知らせるサインのように響いて耳をふさぎたくなった。

ふいに目の前のブラジャーが大きくなる。マユミちゃんが立ち止まったのだ。僕とほか二名はマユミちゃんの横に出た。湖はあった。地図にはない湖。サイズは湖と呼ぶにはいささか小ぶりで湖面の多くは藪と葉っぱと影に覆われていたけれども、小さい僕らから見れば立派な湖だ。僕は目の前にある小さな湖より、横にいるマユミちゃんの胸が気になった。「湖が本当にあってよかった」と彼女が言い。「あるに決まっているよ」と僕は横目で見ながら答えた。旅は終わった。

中学生になると、僕とマユミちゃんは他人になる。予感的中。一緒に遊ばなくなり、話をすることすらなくなる。素行のよくないグループと行動を共にするようになった彼女の背中に、ピンクや水色のブラジャーのラインが浮かんでいるのを見たとき、僕の知っている彼女は変わってしまったと思い知らされる。別の高校に進学すると他人度は加速。軽く頭を下げても無視されるようになる。ガラの悪い男の中型バイクの後ろから降りてくる彼女は、制服を着ていてもわかるほど胸が大きくなっていたけれども、一緒に湖を探して歩いた少女の面影を残していたことがかえって僕の哀しみを深いものにする。あの夏、彼女のブラジャーはやはりゴールテープだった。僕は徒競走と同じようにゴールテープに触れることなくレースを終えていたのだった。

僕は、大学生、社会人になり、そして25年前、サラリーマンになった僕は母親になったマユミちゃんと再会する。僕は、彼女が子供といる幼稚園バスの送迎場所の前を毎朝通り過ぎた。目が合えば軽く会釈はした。彼女は頭を下げて返してくれた。何年か経つとマユミちゃんの姿は消えた。子供が幼稚園児から小学生になったのだろう。本当の終わりだ。もし、あの湖の前でブラジャーに触れていたら、茶化していたら。僕らは違うルートの未来を歩いていたのだろうか。わからない。戻れない。そして10年、20年と時は流れる。幼稚園バスの送迎場所の前を僕は毎日のように通り過ぎた。幼稚園に通う親子は何代も入れ替わり、幼稚園バスも新しい車に代わり、運転手のおじさんは引退しておばさんになった。

今年、僕は50歳になった。立派な初老だ。ブラジャーについて語る年頃はとっくに終わっている。今年の春、幼稚園バスの待ち合わせ場所でマユミちゃんを見つけた。彼女は小さい女の子を抱っこしていた。僕は頭を下げて挨拶した。5メートル先の彼女は声を出さずに口だけを動かした。マ・ゴ。孫!僕はなんだか胸がいっぱいになってしまった。幻の湖をさがした小旅行と僕の前を歩く彼女の白いブラジャーの記憶が一気に蘇った。あのブラジャーはずっと僕の前にあり、今も僕の前にある。ブラジャーのゴールテープは永遠に届かないものではなく、道標のようにずっと先にあり続ける道標だった。僕は僕しかジャッジできない、僕の、僕だけのレースを走り続ける、それだけのことなのだ。(所要時間40分)

パートさんと現場で働いたら「年収の壁」より厄介な「圧力」の存在に気づいた。

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僕は食品会社(中小企業)の営業部長、相変わらず現場の人手不足は深刻で、僕もシフトの穴を埋めるためにパートさんと混じって惣菜工場で働いている。今月末までは週2日、年末になると週5日は惣菜工場で稲荷ずしをつくることになりそうだ。営業部長なのに…。なぜこんなことになったのか。理由は二つ。ひとつは、人手不足状況下で人材確保のためにパートスタッフの時給を上げたこともあって、早期に「年収の壁」に達するパートスタッフが増えたからだ。彼らが出勤日数と勤務時間を抑制しはじめたため、シフトが埋まらなくなったからだ。(パートさんの代わりに現場で働いたら「壁」の存在に気付いた。 - Everything you've ever Dreamed)

もうひとつは、年末の壁が近づいてきたから。これまでは背に腹は変えられず、パートさん達に頼み込んで無理に出勤してもらっていたが、年末に向けて、勤務日数と時間を抑制するシフトの調整をするパートさんが増えてきたからだ。「助けてあげたいけど来月はもう無理です営業部長」と言われてしまった。これが年収の壁に続く年末の壁である。(パートさんと現場で働いたら「年収の壁」よりヤバい「第二の壁」の存在に気づいた。 - Everything you've ever Dreamed)後で触れるけどこれらの根底には主婦パートの多くが持つ「それほど働きたくない」という意識がある。とりあえずシフトを社員で埋めるという応急処置で乗り切るしかない。年末まで頑張ろう、そうすれば何とかなるという気持ちで僕も頑張ってきたけれども、その気持ちをくじく第三の壁の存在に気がついてしまった。

第三の壁は壁というよりは圧力である。「人がいない」「シフトが埋まらない」という会社サイドの足元を見たパートスタッフからの圧力だ。パートスタッフには二種類いる。年収の壁を無視して思いっきり働いて稼ぐタイプと、年収の壁を前に働くのをセーブするタイプ。僕が実際に現場に入ってパートさん達と一緒に働き、話してみてわかったのは後者のタイプの方が圧倒的に多いということだ。世間一般や政治家の人たちの中には「年収の壁のせいで働きたくても働けない」みたいな認識を持っている人がいるけれども、実際の主婦パートさんは「これ以上働きたくない」「家計の足しになればいい」と考えている人がほとんどだった。そのため年収の壁をガンガンぶっ壊して働いてくれるパートさんは頼もしい戦力になる。シフトを埋めてくれる存在がこれほど大きいとは…感謝しかない。

しかし、ここに落ち度があった。ガンガン働く系のパートさんは、できるだけ稼ぐことが第一である。そして、会社が人不足でシフトが埋まらない現状を熟知している。現状のパートスタッフの離脱が会社にとって痛恨の極みになることも知っている。会社サイドの弱みを握ったガンガン働く系の人たちが、足元を見て、より多くの時給を支払ってもらえないとこれ以上ここでは働けないと言ってきているのだ。会社サイドの人間として僕も貢献してくれる人にはお金で報いたいと考えているが、限界がある。僕がヘルプで入っている食品工場は惣菜やいなり寿司といった安価な商品を生産しているため製造原価(かけられる労務費)には限界がある。「商品価格に転嫁すればいい」という人は浅はかだ。いなり寿司を1つ500円で買う人はいない。商品にはその商品に求められる価格がある。いなり寿司を500円では売れないのだ。またガンガン働く系のパートさんの時給を上げたらパート全員の時給のアップも不可避。「あの人の時給が上がるなら私も」「不公平だ」といわれて応じなければ現場が破綻してしまう。

パート同士だからこういう事態が起こりうる。だが、社員となれば別である。というわけでガンガン働く系のパートさんには「社員にならないか」と打診している。試算すると時給を上げて週五日八時間労働すると一部若手の社員よりも稼げてしまうのだ。それなら正社員にしたほうがよいという考えである。安定した収入になる。しかし、うまくいかなかった。ガンガン働く系のパートさん達は誰もその提案に応じなかった。理由はシンプル。「パートだけど社会保険や年金に入っているから不安はない。社員になって多くの責任や義務を負いたくない」こうして若手社員よりも稼いでしまうが責任と義務は負いたくないうえ会社に対しては強気に出てくるモンスターパートスタッフの誕生を僕は目の当たりにしている。

「収入の壁」を理由に稼がないように調整するパートスタッフ。出勤日と時間を調整せざるをえなくなる年末の接近。会社の弱みを握って昇給を求めてくるガンガン稼ぎたい系のパートスタッフ。これら3つの壁によって中小企業の現場は死に体である。最低でも年収の壁の額を地域ごとに設定してほしい。そもそも最低賃金や地域ごとの求人ベースの金額が違うのに、年収の壁だけが全国1つが狂っている。つか地域だけでなく働き方によって年収の壁を設定するしかないのではないかな。

最悪なのは中小企業は体力がないため、パート人件費の上昇を補填するために、正社員の昇給を抑えなければならなくなっていることだ。若手の正社員と変わらぬ給与をもらっておきながら、責任と義務を負わないモンスターパートスタッフ。僕ら社員が彼らに頭が上がらない構図はどう考えてもおかしい。穴だらけのシフトを埋めるパズルを解きながら、「お願いだからシフトに入って」「やめないで」と懇願しながら、そんなことを思う毎日である。

くわえて現場から戻るときまって会社上層部から「遊びに行っている」「人件費が無駄だ」と言われてムカついている。近いうちに会社上層部中最弱の男を現場に連れて行き、「口を動かす前に手を動かしてくたさい。稲荷寿司がぬるくなってしまいますよ」「回転釜も使えないで食品会社を仕切っているのですか」と叱責して人手不足の地獄を見せて日々のストレス解消したいと考えている。(所要時間30分)

中山七里『超合理的!ミステリーの書き方』が色々な意味ですごかった。

会社勤めを愛し、会社に裏切られ、会社勤めを憎んだ。家族に退職を切り出しても「辞めてもいいけど今以上の収入を確保せよ」と諭され、逃げ道がなくなった。能力や特技もない。若さと気力は失われて久しい。50歳で、今から転職するのもダルい。そんなふうに人生に諦めていたところ、ミステリー作家中山七里先生の『超合理的!ミステリーの書き方』(中山七里)が目にとまった。帯には『個性や才能は不要』とある。つまりこの本を読んで紹介されている方法を実践すれば小説が書けて収入が得られて会社勤めを辞められるというわけである。

中山七里先生のデビューが50歳前で、今の僕とほぼ同じ年齢であったこともプラスになって、すがるように一気読みをしたのだが、凄い本だった。自費出版を趣味としているように本書はあくまでプロの小説家になる方法について述べている。なので《最初に三日三晩かけてプロットを考えぬく》《伏線の張り方》《情報の開示のコツ》《トリックは後で考える》《帰納法ではなく演繹法で書く》《取材はいらない》といった中山流ミステリーの書き方がわかりやすく解説してあるのと並行して商業出版について、たとえば《編集者との付き合い方》《関係者に迷惑をかけるな》《締め切りについて》について頁を割いて述べられている。ミステリーの書き方については、インプットの量があって中山流のコツをつかめば確かに個性や才能がなくても書けそうだと思える実践的な内容だった。できたら三日三晩考えるプロットの書き方を伝授していただけたら完璧だったけれども、そこは自分で考えろということなのだろう。

で、ミステリー作家になれる感がマックスになったところからが、この本の真骨頂なのである。中山流の厳しさを叩きつけてくるのだ。「会社勤めを辞めてミステリー小説でも書いてみようかな」なーんて軽く考えている僕のような人間には戒めの連発であった。まず、前半のミステリーの書き方でも述べられていたとおり中山流はとにかく作品を「量産」することが大事なのであるが、そのベースとなる「三日三晩考え抜いた2000文字のプロットで頭の中で設計図が出来ている」「原稿の直しは頭の中のものを出しているだけだから一度もない」について述べているあたりから、ミステリー作家になれる感がしぼんできて、「地獄を楽しんじゃうタイプ」「専業作家になったときからまともな暮らしを諦めた」「トイレは一日一回」「睡眠時間は3時間」「命の限り書く」「遊びたい、休みたい、と思ったらやめる」と中山流作家生活を述べる章を読んでいくと、「中山先生…個性や才能は要らないかもしれませんが、そのかわりに怪物的なバイタリティが必要じゃないですか…」と圧倒されてしまうのである。きっと「才能や個性がなくてもバイタリティとタフさがあればミステリー作家になれるよ」という中山先生なりの優しさなのだろうが常人にはできませんよ、それ。ひとことでまとめると、非常に分かりやすいミステリー書き方指南書の皮をかぶって、怪物のような中山七里流作家生活を紹介しているのが本書である。どんでん返しで有名な先生らしく「ミステリーなんて誰でも書けるよー(^^)」からの「ミステリー作家やばいよー」へのどんでん返しが面白い本であった。

なお、本書で紹介されていた方法を参考にしたら、僕も1ヵ月ちょっとで10万字弱のミステリー(っぽい)小説が2本書けたので、紹介されている方法論はマジで実用的だ(1行目に伏線を張り、どんでん返しも入れた)。で、本書にあるように他人の評価を得るべく、ウチの奥様に書いたミステリー小説を読んでもらったら「つまらない」と酷評され、2本目は読んでももらえなかった。ミステリー作家への道は厳しい。(所要時間21分)

パートさんと現場で働いたら「年収の壁」よりヤバい「第二の壁」の存在に気づいた。

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僕は食品会社の営業部長。会社の規模は中小企業だ。新規開発営業が僕の仕事だが、人不足のためときどき食品工場(惣菜工場)に入って、パートさんと一緒に働いている。実際にパパートさん(全員が主婦である)と働いていると、103万や130万といった「年収の壁」が話題にあがる。「年収の壁」とはその額をこえると税金がかかる、社会保険に加入になるという限度額のことだ。1円でも超えたら手取りが減ってしまうから、パートさんたちは年収が壁の手前で抑えるのだ。

現場の声をきいてわかったのは、「壁があるから働けない」という人より、「できることなら働きたくない」と考えている人の多さだ。「旦那の稼ぎの不足分を補いたいだけ」「昼間空いている時間を有効活用している」という声だ。言いかえれば、壁を働かない理由にしているのだ。だから、政治家が年収の壁の撤廃を主張していても半分の人の指示しか得られないだろう。慢性的な人不足に悩まされているのでパートさんたちに「もっと稼げば?」「正社員にならない?」と打診しているけれども「働きたくない」を理由にうまくいかなかった。なお、地域ごとに最低賃金や求人環境が異なるのに年収の壁が全国一律で設定されているのは論外である。

もともと当社では、労働力確保のため時給を最低時給より高く設定している。そのため、年収の壁を越えないようにするパートさんたちの働ける時間が少なくなっている。壁の条件は、103万や130万といった年収の額以外にもう週20時間以上、月88,000円以上といった条件がある。それに抵触しないように労働条件を決めていくと時給1300円× 5時間@日× 3日@週× 4週間= 78,000円(月収)が当該工場の基本モデルになる。当社の工場は週5日8時間稼働なので、このモデルを適用すると1人1日あたり3時間、週2日の労働力が不足する。その分を補填するために多めにパートスタッフを雇用してシフト体制をとっているわけだが、人不足のために補充が追いつかず、夏から僕のような社員が埋めるような事態になっている。

補充のために時給を上げればいいという意見もあるが、新採用を時給設定1400円、1500円で出した場合、既存のパートさんの時給を上げることになり、また既存パートの労働時間が短くなってしまうという地獄になる。正社員を増やそうにも、名前のない中小企業なので、よい人材は来ないという地獄である。増大した人件費を価格に転嫁するにも限界がある。たとえば1個500円の稲荷寿司を買いますか?

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ここまでが前回の話だ。地獄だと思っていたら、せいぜいプチ地獄だった。もっと大きな地獄が迫っているのだ。これまで、既存のパートさんにお願いして少し多めに働いてもらったりして労働力不足を埋めてきた。けれども、年収の壁の他にもう一つの壁が迫っていることを僕は現場のパートに教えられた。「部長さん、年末が来るわよ」と。

第二の壁は「年末の壁」である。年収の壁の期限は年末である。多く働いてもらったパートさんが年末に向けた年収調整で、勤務日数や労働日数を減らしてくるのだ。つまり、「ちょっと多めに今月出てもらえない?」「1時間長く働いてくれない?」作戦でごまかしてきたツケを払うときがきたのだ。年末までのシフトを組んだら、多く働かせてしまった分、皆が勤務時間と日数を調整して減らしてきたため、今後のシフトがスカスカになってしまった。社員で埋めるしかない。僕の場合、朝7時から10時まで稲荷寿司を作り、そこから営業マンとして15時まで働き、15時から19時まで稲荷と洗浄というイミフな働き方をすることになる。疲労で別のおいなりさんに悪影響が出なければいいのだが…。経済界の重鎮が「賃金引上げができない企業は退場」といっていたが、賃金引上げの結果退場になりそうなんですけど…。

現状を変えるためには、工場自体の稼働日数・時間を減らす、工場自体を減らして労働力を集約するしかない。決定権があれば工場のひとつを年末まで停止したいくらいだ。賃金を上げて価格転嫁させることは大事だけれども、商品の特性であげられないものもあるし、そもそも価格転嫁自体に限界がある。人件費の上昇によって年収の壁に達するまでのリミットが少なることの方が問題だ。多くの人は、働けないのではなく働きたくないのだ。そういう認識がないかぎりこの地獄からは抜けられないだろう。

秋までは何とかごまかしてやってきたけども、ついに年末の壁が来る。「パートやアルバイトの環境をよくするため」といって賃金を上げても、年収の壁に直面して、企業は工場や現場を縮小せざるをえなくなる、という前回のエントリの結論に加えて、迫り来る「年末の壁」という問題がまったなしである。解決策として、年収の壁や年末の壁とは無関係の僕みたいな正社員がお稲荷地獄に墜ちるのである。年収の壁を時給の額に応じて柔軟に設定すること、年末の壁の区切りを2年か3年に1度にすること、それぐらいしか解決策が思い浮かばない。主婦パートさんの「働きたくないでござる」という意志が強すぎる。なお、会社上層部は「なんでパートは働かないんだ?」と理解できないようであるが、自分たちがたいして働いていないのに働きたくない気持ちが分からないのが不思議でならない。あと僕はお稲荷さんを作るのがめっちゃうまくなりました(^^)/ (所要時間30分)