アフリカ
2019年07月31日
搭乗時に話を戻したい。
機内に入り、まず目にするのがビジネスクラス。
背もたれの上部が茶色で落ち着きを感じるが、意外にも、他のキャリアの大型機と比べて、特に特徴がないビジネスクラスのシートであった。
座ってまず気がつくことは、足元が広く、膝とシートの間に余裕がある。
正面に目をやると、テーブルがあり、その後ろにカップを固定するプラスチックの輪が独立してあった。
その上には、大型のモニター、その下にディスプレィ付きのコントローラがある。
エンターテイメントは、映画、音楽、ゲーム、テレビ等がある。
特筆すべきことは、その一つ一つが充実しており、例えば映画は、日本映画のみでも18本あり、日本語の映画数となると、その6倍以上はある。
そして、なによりも嬉しかったのは、これらの機材が故障していなかったことだ。リモコンのボタンを押しても、チャンネルが変わらなかったこと等に時々遭遇したことがあった。
柔らかく分厚いお肉、本格的なチーズ、蚕のようなパン、甘さを抑えたムースである。
美しい焦げ目がついたチキン。
更に、ナプキンも厚く、こんな細かいところも気を抜いていない。
また、機内でWiFiが使用でき、持参しているスマートフォンでニュースを見ることができる。
その他にも、荷物入れの中に、とり忘れ防止用の鏡があるなど、乗客の立場にたった配慮を感じる。
エコノミークラスの乗客も見捨てないエミレーツであった。
美味しいお食事を終え、ボフェミアン ラプソディを観ていたら、睡魔が襲ってきた。
2019年07月30日
この大型機の搭乗率は80%を越えており、アフリカの田舎からの便としては、奇跡と言える繁盛ぶりであろう。
しかも、私の隣にはロシア語を話すミニスカートのジェブシカ(ロシア語で“おねえさん”の意味)だ。但し、数十年後には、バブシュカ(ロシア語で“おばあさん”の意味)と呼ばれるであろう。
感心したことは、このジェブシカが「モウジュナ イッショ ヤブラク」とCAにリクエストすると、CAが「パジャルスタ」と言いながら、アップルジュースを渡したことだ。
ちなみに、「ヤブラク」はロシア語でリンゴを意味する“ヤブラカ”の対格(日本語の直接目的語をイメージするとわかりやすい)である。
また、“ください”を意味する動詞の“ダーチ”は、「モウジュナ イッショ ヤブラク」の文中に入っていないが、“ダーチ”の直接目的語となる“ヤブラカ”を対格である「ヤブラク」にすることにより、意味が十分にわかる。
このように格が変化するロシア語は、格助詞が変化する日本語を使用する日本人にとって、なんとなく親しみがわくのではなかろうか。
話を戻すと、眼鏡をかけた若いこのCAは、明るく愛想があるうえに、アラビア語、英語、ロシア語がわかるスーパーCAだ。
しかも、離陸前に他社では見られないポライド写真のサービスもあり、お子様連れの家族が楽しそうに、写真を撮ってもらっていた。
小型であるがプリッツのような形をしており、塩辛く食が進む。
機体は定刻よりも1分早く駐機場を離れ、速やかに滑走路へ向かった。
目の前の大型モニターを、機体に搭載されているカメラの映像のチャンネルにして、二度と来ることはないであろうタンザニアの大地を見つめていた。
高度を上げた機体は、エメラルドグリーンのインド洋に出て、ドバイへ向かって北上した
2019年07月29日
凶悪犯罪都市との噂を聞いて、ビビって赴任したダルエスサラーム。
しばらくすると、それほどでもないと分かり、犯罪に巻き込まれることはなく、3年間を過ごすことができ、帰国の日となった。
朝方空は、雲に覆われていたが、アパートを出発するお昼頃は、青空が広がっていた。
私を乗せたタクシーが、2019年5月に完成予定の空港新ターミナルに沿って左折すると、渋滞が発生していた。
先を見ると、係員が抜き打ちに、車の中をのぞきこみ、さらにトランクを開けて検査をしていた。
この様なことは今までなく、なぜ、このタイミングで、セキュリティを強化し始めたのだろうか
ターミナルビル入口前にある、出国書類をチェックするカウンターの前には誰もおらず、その後の荷物検査でも、誰も待つことなく通過した。
ただし、この日のこのカウンターの係員は、いつもより数名多くおり、更にターミナル内に引率された集団を見かけることから、新空港ターミナルビルのオープンのための、新人の研修をしているようである。
ところで早めに到着したにもかかわらず、エミレーツのチェックインカウターの前には、長蛇の列。
それでも、さほど待たされることなく、機内預けと手荷物の総重量30kgの手続きを終え、出国審査に向かった。ちなみに、エミレーツは、23kgの機内預け荷物2個と7kg機内持ち込み荷物1個、計51kgがMaxだ。
出国審査でパスポートをさしだすと、オフィサから「レジデンスパーミットの有効期限が切れている」と指摘された。
そこで、にっこりと微笑んで「切れてから、まだ1月以内だよ~ん」と言い、親指をたてた。
すると、オフィサは苦笑しながら、パスポートに出国スタンプを捺した。
タンザニアに3年もいると、タンザニア人の心が分かるようになり、図太とくもなるものなのだ。滞在許可期間が切れていようが、パスポートの有効期限が切れていようが、へっちゃらだ(良い子は、このようなことはしないように)
カフェでゆっくりとしようとしたが、いくつかのフライトが重なっているためか空いている席がなく、仕方なくジュースとキャンディを購入し、長椅子へ運んだ。
カフェの上の電光広告によれば、現在、ダルエスサラームの気温は33度、首都ドドマは36度。
長椅子の廻りには、土産物店が並び、ショーウインドゥには、深みがある黒色のマコンデが私の方に向かって鎮座していた。
ドバイ行きの機体はボーイング777-300ERで、250席ほどある。
搭乗口2番の前のスペースは、この大人数を運ぶ機体の乗客専用となっていた。
出発時刻1時間前に、搭乗案内が始まった。
2019年07月28日
寝る前に、開け放った窓から人々が話す声と、国連通りを走る車の音が時折、聞こえる。
目を開けると、室内は真っ暗で何も見えず、窓の外に目をやると、赤い航空障害灯が点滅していた。
ナイトテーブルの上の目覚まし時計のライトをオンにすると4時20分をさしており、いつも起きる時間(4時47分)よりも、少し早い。
目覚まし時計を5時45分にセットし、目を閉じ、微睡んだ。
アザーンが聴こえる。
この朝のアザーンはこぶしがあり、人々へ哀愁を感じさせることができる人がマイクに向かってを唸っている。
国連通りを走る車からの音は、途切れることがなくなり、街は目覚めつつあった。
目覚まし時計を見ると、5時半であった。
いつもの習慣からか頭が冴えて、もはや眠れず、ベットから出た。
昨夜のうちに用意した朝食を食べていると、東の空が赤く染まり出した。
6時28分。
タンザニアで最後に見る日の出の時間だ。
2LDKで一月の家賃が2,500ドルのビバタワーの後ろから、太陽が昇り始めた。なお、太陽の昇る位置は季節によってかわる。
しばらくするとインド洋は輝き、建物は太陽に照らされ、黄金に染まった。
タンザニアでの最後の日は、このように始まった。
2019年07月27日
ダルエスサラームの一日で、最も暑く感じるのは夕方だ。
西陽が窓から室内へ、ほぼ水平にさしこんで壁に窓の形を作り出す。遠くに見える太陽に照らされたビルは輝き始め、そして外壁は熱をもち、室温をあげる。
暑くて過ごしにくい時間であるが、この日の夕方は、不快に感じなかった。
湿度が低いこともあるが、この日がタンザニア最後になると思うと、暑さも気にならなくなる。
眩しくて見ることができなかった太陽が、地平線の彼方に消え始めると、太陽からの光が弱くなり、太陽を直視できるようになる。
陽が完全に沈み、街が闇に覆われ、家や街灯からの光の粒が揺らめき、近くのモスクからアザーンが風にのって、窓から入ってきた。
タンザニア最後の夜が更けるとともに、街は日中のざわめきから、夜の落ち着きへ向かい、闇と静けさが徐々に深まっていった。