瀬戸内海に浮かぶ大津島。山口県周南市にあり、回天の訓練基地跡が現存し、平和について学べる資料館もある、のどかで綺麗な場所。回天遺構めぐりルートのまとめ。
回天とは
太平洋戦争末期の特攻兵器。“天を回らし、戦局を逆転させる“という願いが込められて誕生した。魚雷に大量の爆薬を搭載し、人間が操縦して敵艦に体当たりする、いわゆる人間魚雷。大津島には回天の搭乗員の訓練基地が置かれ、全国から若者が集まり、厳しい訓練のあと島から出撃していった。戦争末期に開発された回天の完成度は低く、訓練中の事故で殉職する搭乗員もいた。
大津島へのアクセス
船
離島だけどアクセスかんたん!
⚫︎JR徳山駅
↓ 徒歩5分
⚫︎フェリーターミナル(徳山ポートビル)
↓ フェリー44分
⚫︎馬島港(回天記念館最寄りの港)
旅の起点はJR徳山駅。山陽新幹線の停車駅。ここから徒歩5分でフェリーターミナル到着。
フェリーターミナルの券売機で大津島行きの切符を買い(現金のみ)、案内表示に従って徒歩すぐの大津島巡航待合所へ。切符は往復で買っておくと便利。
新幹線から在来線に乗換せずに乗船できるのがめちゃ楽。
▲フェリー新大津島。100人は乗れそうなくらい広い。平日だからか徳山港始発はガラガラ
ちなみに、徳山港発の馬島港行きの船は、わたしが往復で使ったフェリーと小型の客船(鼓海II)の2種類あり、鼓海IIは乗船時間がずっと短い。鼓海IIの乗船場所はフェリーの乗船場所とはターミナルを挟んで反対側。
どっちに乗船するかは各人のスケジュールによるので、大津島巡航のHPで事前に確認必須。
▲周南市が工場夜景を推してるだけあって、徳山港一体は工業地帯なので、出発からすでに工場好きにはたまらん光景〜
ホテル
大津島訪問の前後に宿泊するなら徳山駅すぐのホテルサンルート徳山がおすすめ。新しめで清潔。駅とフェリー乗り場のちょうど真ん中にあってかなり便利。
▲シングル
チェックアウト後でも荷物の一時預かりOK。セブンイレブン目の前。ひとり宿泊OK。このご時世なのにリーズナブル(わたしの宿泊した2024年11月はシングル¥5,800)
フロントに少しだけ回天グッズが売っていた。回天の絵のついたオレンジ色のランチトート。い、いらん。どういう気持ちで使えと?でも、手ぬぐいが品切れでなかったら手ぬぐいは買ってたと思う(手ぬぐいはいいのか
回天の主要な遺構をめぐるルート紹介
ルート
網羅した地図やパンフがネットでも現地でも見つからなかったので手書きしてみた。
狭い範囲に遺構が密集していて全て徒歩で回れるうえ、一本道なのでまず迷わない。というか、そもそも大津島はタクシーがないし、今回のルートは車で通行できない道ばかり。穏やかな瀬戸内海を眺めながら、散歩気分でのんびり回る。
わたしは
07:40 徳山港発 → 08:24 馬島港着のフェリーを利用。
馬島港からスタート。
回天記念館までトイレがないので必ず待合所で済ませる。バリアフリートイレのみ。
港からすぐの、写真を撮っておきたい大看板。そして、
①大津島回天神社
戦跡めぐりの前にお祈りします。近くの社務所のような小屋の窓に御朱印が貼ってあったけど閉まっていた。ここじゃなくて周南市の別の神社でもらえるようだ。
回天神社を左手に、道沿いに進んでいくと大津島ふれあいセンターがあり、
▲このように回天記念館の看板が立っていて左側に行くよう誘導されるけど、それはいったん無視してそのまままっすぐ進む。そうすると大津島小中学校の校舎があり、
このような、80年前と今との比較のわかりやすい看板がある。
1940年代当時にあった整備工場や兵舎、作業場などの大きな建造物は今は跡形もない。
②整備工場跡
小学校のグラウンドになっていた。写真奥左が校舎。写真奥の山は、このあと行く回天山。そしてグラウンド内にあるのが、
③変電所跡
最奥のコンクリートの建物が変電所。大津島対岸から海底ケーブルで引き入れた電力を整備工場に配電していた場所。
④危険物貯蔵庫跡
回天の燃料を保管するところ。変電所や点火試験場と異なり、山をくり抜いてトンネル状になっている。
⑤点火試験場跡
回天のエンジンに点火するための装置が正常に作動するかどうか試験する場所。
⑥地獄の階段
搭乗員たちへの食事の運搬や訓練に使われていたことからこう呼ばれたそう。めちゃ急な階段。太もも破裂しそうな。
お気づきだろうか。③〜⑥がやたら遠目に撮ってあったり変なアングルから撮ってあったりしていることを。これはわたしがミスったからです。先の看板に、③〜⑥は小学校の敷地内にあると書かれていたので、グラウンドに入るのを遠慮してうまく撮影できなかったのさ。平日の朝からスマホ持って小学校の周りをウロつく不審な女‥‥に見られるのを恐れた。
が、このあと立ち去りながら、なーんか校舎周りの木がモサモサで手入れされてなくなーい?まさか〜、と思ってググったら、少子化のためかずっと休校中だった。
昭和の整備工場跡地は、令和には小学校跡地になっていた‥。
今思えば、校門にロープも張られてなかったし、立ち寄って少しくらい撮影してもよかったかもしれない。というかこのとき、この辺ウロついてたのは自分ひとりで、地元の人もいなかった。
気を取り直して、来た道を戻り、ふれあいセンターの看板を指示通りに進み、⑦に向かう。
⑦コンクリート塀
魚雷の機密保持のため、整備工場と島民が通る道にはコンクリート性の高い塀が設けられていた。右側の塀の向こうが、整備工場。戦後に道がかさ上げされたので今は相対的に塀が低くなってしまい、
▲こんな感じで塀の上から整備工場(小学校)が見えてしまうけど、当時は2mを超えていたそう。島民は、壁の向こうで何が行われているんだろうと不気味に思っただろうし、兵士たちは島民との交流は許されず、高い壁に囲まれた閉鎖的な空間で息が詰まっただろうなと思う。乗り越えられないような高い壁って、その建設目的が妥当でも、かなり威圧感あるよね。
ゆるやかな坂道を登っていくと、
⑧貯水槽跡(現養浩館 閉鎖)
隊員の生活や工場の稼働に大量の水が要るため、山から湧き水を引き入れ水槽に溜めていたとのこと。この回天記念館来訪者向けの休憩施設、養浩館は貯水槽跡の上に建設されたが、その休憩所も令和3年に閉鎖され、今はもう廃墟に。
昭和の貯水槽跡は令和には休憩所跡になっていた‥。
ちなみに、今は跡形もないけど、この建物の東側に本部建物があったそう。
中には入れないので、入り口の窓ガラス越しにパシャリ。奥の壁に「七生報国」「非理法権天」というのぼりが。
この養浩館の建物から回天記念館まで続く坂道は当時、回天坂と呼ばれていたそうな。緩やかな坂道を登り、坂のてっぺんまで行くと、
⑨下士官宿舎・練兵場跡(現回天記念館)
回天記念館の建っているところは、飛行予科練出身の隊員たちの宿舎と、運動する練兵場があった。急ぎで作ったので粗末な板張りのバラックで、下士官は士官と違ってもちろん個室なんてないので、雑魚寝状態だったようだ。記念館へ続く道に立つ2つの門も当時のものだと思われる。
回天記念館でトイレをすませる。このあとは帰りの馬島港までトイレなし。
こちらを見学した後、もと来た道を戻ると、養浩館の向かいあたりに小さい広場がある。
⑩士官宿舎跡
この小さい広場は、通称回天山(鬣山(たてがみやま)への登山道入口にあたり、今はその面影はないけど、士官宿舎があった場所。士官宿舎は階級順の並びで個室だったとか。
看板には、山頂まで徒歩20分とな。ここから魚雷見張所跡をめざす。軽登山の始まりッ!
こんな道をひたすら行き、、
励まされながら行く。緩やかな坂道だけどゼェゼェ。
▲登山道途中で見える馬島港。緑の屋根が小学校=整備工場跡地。訓練ではなく実際の戦場へ赴くときは、工場前の桟橋から搭乗員たちは内火艇で沖合の潜水艦まで運ばれ、回天出撃の機会を待った。その桟橋自体はもう残っていないけど、今も80年前と同じ景色を見ている。
軽登山だけど、一本道なうえ要所要所案内板があるので迷わない。が、運動不足のわらしはゼェゼェがとまらない。途中の広場にあるテーブルと椅子で休憩。前日にホテル前のコンビニで買ったけど食べきれず捨てるのも嫌でわざわざ島まで持ってきてしまい暑さでドロドロになったヨーグルトとドロドロの冷凍レモンを食す。何やってんだ‥。そうこうして歩き続け木のトンネルの先に見えてきたのが↓
⑪魚雷見張所跡
結構広い。回天の搭乗員が集められる前から、大津島では酸素魚雷の発射訓練が行われていたので、その酸素魚雷の航跡を確認するための場所。窓からは宇部沖方面が見える。
さて、魚雷見張所から分岐点まで戻り、山頂へ。まだ登るんかーと思いながら数分。
⑫回天山(鬣山)山頂
隊員たちが「回天山」と呼んでいた鬣山は、標高163mの小さな山。運動や競技で登っていたとか。
山頂は広場になっていて椅子が数個あり。ちょっと草が邪魔だけど展望よし。徳山湾の向こうは周南の工場地帯。大津島の周辺には回天の訓練水域がいくつかあって、ここからは徳山湾の訓練コースがよく見える。ここでドリップコーヒーともみじ饅頭でひと休み。景色のいいところで淹れたてのコーヒー飲むために生きてるんだわたしは。
もと来た登山道を戻ると養浩館に出るので、通ってきた道をそのままずっと下り、突き当たりを右に曲がると、いよいよ。
⑬運搬トンネル
大津島の戦争遺構のことはNHKの『戦争遺産島』(2023)という番組で知ったんだけど、この運搬トンネル〜訓練基地の存在がとても印象的で、ずっと来たかった場所。
ここは、回天をこの先の訓練基地まで運搬するために山を掘って造られたトンネル。こういう言い方は不適切なんだろうけど、この入り口に立つと異世界に吸い込まれそうな不思議な気分になる。
▲訓練基地まで回天を運搬したトロッコのレールの跡。
実戦でなく訓練中の事故で亡くなった方もたくさんいたので、ここを通る時は搭乗員たちは死を覚悟して行ったんだろうな‥。
ただ、こういう言い方は不適切かもしれないけど(またか)、このトンネル、建造物としてとても美しいんですよ‥。壁の曲線とかさ▼
巨大かつかなりの重量の回天をぶつけずに運ぶために、トンネルはゆるいカーブを描くように造られている。
観光客が他にいなかったので自分ひとりきり。しんとしていて、トンネルのひんやりした空気のなか歩みを進めると、波の音が。
▲こちらを左側へ抜けると、
⑭空襲時指揮所跡
暗がりのトンネルから見えた、きらきらした水面の瀬戸内海。波の音だけが静かに響く。
ここにかつてあったのは空襲時指揮所。空襲警報が発令されたら、この先の訓練基地の隊員や訓練中の回天に赤旗を振って知らせていたそう。建物そのものはもう残っていない。
トンネルには当時の写真のパネルがあった。出撃で見送りを受けるときの写真。
笑顔なのがなんともいえない感情にさせる。穏やかな海との落差が悲しい。そしてトンネルの出口からは眩い光が差し、外へ続き‥
⑮訓練基地跡
ついに来た‥
訓練基地はまるで、海に浮かぶ要塞、もしくは中世の古城みたいな佇まい。廃墟好きにもたまらない雰囲気だと思う。
堅牢なコンクリート造り。もともと金属製の屋根がかかっていたが、朝鮮戦争の時に供出されたとか。
ここはもともと九三式魚雷の発射訓練の場として建設され、それを回天の訓練基地に転用されたため、▼こんな碑が残っている。
建物の中の、
▼この穴は、魚雷発射試験の時の発射口であって、回天が降ろされた場所ではない。
海の色キレイだな。。ちなみに建物内はフェンスがあり立入禁止なので、この写真はフェンスの隙間から撮影してるよ。
▼回天が降ろされた実際の場所は、魚雷発射口の反対側にある。この錆びついている放射線状のものがクレーンの支柱の鉄骨の跡。
クレーンによって回天は海に降ろされ、発進地点までさらに船で運ばれたとのこと。運搬トンネル出口から見た、回天が降ろされた場所は画面中央の桟橋の手前あたり。
この日は快晴で最高気温20度超え、風もなく心地よい気候でずっとのんびり散歩していたのだが、基地に来ると海上だからか風がものすごく強くなった。真冬もここで訓練していたのかと思うと頭が下がるよ。ブロックに座りしばらく感慨に耽っていた・・かったが、時間ないのと寒いのとで残念ながら長居できず、名残惜しいけど退散する。
基地から見た運搬トンネルと回天山。
ここからはトンネルを戻り、馬島港方面へ。途中の大津島公園内にあるのが、
⑯整備工場入口門
ピンクのどこでもドアがのほう目立っているけど、写真中央の門柱は当時のものそのまま。門をくぐると左手が整備工場、右側が水上偵察機関連施設だったが、今は大津島公園になっている。ちなみに、門の左右には、当時は整備工場と島民が通る道とを遮る板の塀が設置してあり(今は金網フェンスになっている)、塀は2mを超えていたという。⑦のコンクリートの塀も板の塀も、回天の機密保持のために設置された。
そしてこの写真手前の通路も当時から残っているもの。ここからの眺めがお気に入り▼
あぁーチェアリングしたい(椅子持ってないけど)。わたしは東北民なので西日本に来る機会がほとんどなくて、瀬戸内海を眺めたのも今回初めてだったんだけど。・・・瀬戸内海の離島、イイ・・・。この日はぽかぽか陽気で、海は穏やかで水面がキラキラしていて、周りに誰もいなくてさざ波の音だけが辺りに響いて、このまま横になりたいーと思っていたら
ネコチャン登場。
ネコチャンの後方に見えているのが、さっきまでいた訓練基地跡。
うぅ、平和だ・・・。大津島に来た目的は戦争遺構だけど、それ抜きにしてもすごく素敵な場所じゃないかと思ったよ。平成28年から小学校が休校になるくらい過疎化が進んでいるので地元の方は大変だとは思うけど。島のほとんどない地域に住む自分にとって、この多島美はなかなかお目にかかれないもんね。
ネコチャンと一緒にゴロゴロしたかったがタイムオーバーなので、ゴールの馬島港へ。13:00馬島港発のフェリーで帰る。フェリーは定時になったら特にアナウンスもなく出発するので乗り遅れ注意。
▲帰りのフェリーから見た周南市
見どころが多くてあっという間の半日だった。主要な戦争遺構はめぐれたけど、もっと時間があれば、大津島公園沿いの通路から海を眺めてボーっとしたり、なんなら読書したりしたかった。
大津島の回天訓練基地跡めぐりは、穏やかな海を眺めてのんびり散歩しつつ、平和について考えられる素晴らしいルートだった。
所要時間
上記のルートは、わたしは
フェリー
07:40 徳山港発(始発)
08:24 馬島港着
↓ 島内散策
13:00 馬島港発
13:44 徳山港着 というスケジュールで廻った。
島での滞在時間 4時間30分
そのうち、回天記念館での見学に1時間20分と結構時間をかけたので、最後は駆け足で巡った感じ。
主な遺構間の所要時間(ゆっくりめ)
⭐︎馬島港→回天記念館 徒歩15分
⭐︎回天記念館→運搬トンネル経由→訓練基地跡 徒歩15分
⭐︎訓練基地跡→馬島港 徒歩15分
ちなみに、
⭐︎回天記念館→魚雷見張所&回天山山頂往復→運搬トンネル入口 徒歩1時間
なので、時間がない方は回天山への軽登山は省略すればよし。省略して、回天記念館、運搬トンネル、訓練基地跡の主要3つをめぐるだけなら2時間でまわれる。変電所跡や危険物貯蔵庫跡の一角も見るなら+20分。始発のフェリーで馬島港に08:24着、馬島港発11:10で帰れるよ。
2024年現時点での大津島巡航の運行スケジュールが、徳山⇄馬島間で一日7往復している。島の規模の割に本数が多いので、比較的旅の予定をたてやすい印象。ちなみに昼過ぎから散策しても、馬島港→徳山港の最終便が17:40なのでわりと余裕がある日程をくめると思う。ただし回天記念館の閉館時間は16:30と早めなので注意。
大津島へおでかけの際の注意点
まず、飲み物(おやつ)持参必須。特に夏は、炎天下のなか飲み物ナシで歩くのは危険。離島なのでコンビニはなし。回天記念館や馬島港フェリー待合所にも売店はなく、待合所には自販機があったような気もするけど定かでないので。乗船直前なら、徳山駅〜フェリーターミナルの間にあるセブンイレブンが便利。ちなみにマップにある島の食堂は土日のみ営業のよう。
次に、トイレは行ける時に行っておく。トイレは馬島港フェリー待合所と回天記念館のみ。公衆トイレはなし。
おまけルート
回天記念館に↓こんな張り紙がありまして。
馬島まで歩けば、戦艦大和が沖縄へ向かった最後の停泊地を眺められるとのこと。大津島の近くまで来ていたのね。
戦艦大和とは・・・日本の名を冠した当時世界最大の戦艦。完成後ほとんど活躍することがないまま特攻を命じられ、沖縄に向かうも、途中でアメリカ軍の猛攻を受け沖縄に辿り着くことさえ叶わず鹿児島県沖で沈没。今も海底で眠っている。乗組員の約9割にあたる3000人超が死亡した。
馬島は、回天記念館とは反対側にある小高い山の島。馬島港から往復1時間くらいで着くみたいなので、時間がゆるすならここのハイキングも気持ちよさそう。
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※参考
周南市地域振興部文化スポーツ課編集『回天記念館と人間魚雷「回天」』