酒やめて、1000日。
酒に支配される人生を送ってきた
酒やめて、今日で千日になりました。その間、一滴も飲んでません。その前はといえば、二十歳の頃から数十年間、飲まない日はないといった生活を送っていました。アル中ですね。もちろん酒での失敗も数知れず、といった状況ではありましたが、それでも酒をやめようと思ったことはまったくありませんでした。
多くの大酒飲みの方々と同様、私も酒がすべて、酒しか楽しみがないといった生活を送っていました。暗くなればひたすら酒を飲み、休みの日は昼から、いや朝から。あるとき、朝11時からやってる立ち飲み屋に行くと、隣にいたおやじが「朝起きて、ここが開店する11時まで(飲まないでいるのが)長いんだよね~」と言っていたのを聞き、おおいに共感したりもしていました。
平日でも、午前中は二日酔いとまではいかなくても、なんとなくぼーっとしていましたし、飲んでるときはそれはそれでいい気分なわけです。
つまり一日のうち、あるいは一年のうち、あるいは人生のうち「素面」でいる時間がほとんどない。物理的に身体的に脳が酒の影響を受けてない時間はあったにせよ、ただ一日中、今日はどこで飲もうかなあ、早く仕事終わんないかなあ、早く仕事終わらせなきゃ、とだいたいいつも考えていました。つまり精神的には、一日中、酒に支配されていた。思考の真ん中に、酒があったわけです。
百田尚樹氏著『フォルトナの瞳』によれば、人間は一日、9000回もの「意志決定」を行っているのだそうです。私の場合、そのすべてに酒が関与していたといってもいい。フィジカル面でもメンタル面でも。
そのことを当然、自分でもわかっているから、その「意志決定」に常に自信が持てないというか、常に後悔がつきまとっていました。今、思えばそういうことになります。
酒ではなく「自分が決める」のだ!
が、酒をやめた今は違います。自分の人生の意志決定、そのすべてが、酒とは関係なく、酒に支配されていない頭脳で行っているものです。
もちろん、そこには後悔もあるし、間違いも失敗も山ほどある。でもそれは、酒ではなく私自身が行ったことですから、後悔はあるにしても、自分で責任が取れるもの、取るべきものになった。とまあ、かっこつけて言えば、そういうことになります。
言い換えれば、酒をやめてはじめて、本当に自分が生きるべき人生を生きることができるようになった。「わが人生に一片の悔いなし」とは、『北斗の拳』の、あのラオウがいまわの際に放った有名な言葉ですが、まさに非常に低レベルながらも今、私もそんな思いを抱くことができるようになった。
それが、酒やめて一番よかったと思えることですねー。