酒やめて、1394日。
「酒やめたらいいことあって当然」の心理は当然でしょ!
酒やめたら人生が好転する、とは、どの断酒ブログにも書かれていることです。そして断酒を志す者にとってはこのことが一つの心のよりどころになり、同時に大きなモチベーションをもたらしてくれます。私もまったくもってそうでした。
で、酒やめて結構苦しい時期、断酒一ヵ月とか二ヶ月くらいのときに、断酒友に訊いたわけですよ。酒やめて本当にいいことなんかあるんかね? と。その時点では、「人生好転」をまったく実感してなかったということです。
そうした問いを発したベースには、この飲んだくれの頂点(あるいは底辺)の俺様が酒やめたんだから何か見返りがないとやってられねーよという浅ましい思いがありました。とにかく酒やめたんだから何かくれー! ってな心理だったのです。
で、この課題(?)について若干エラソーに言わせていただくと、「見返り」はあります。人生が劇的に変わるかというと、それが変わるのですよ! それはスピリチュアルな現象と言ってもいいと思います。多くの断酒ブロガーが「奇跡」という所以です。
そのスピリチュアルを科学してみようというのがこの項の趣旨なのであります( -`д-´)キリッ
もちろん見返り≒人生好転といっても人それぞれですが、私の場合で言えば、酒飲んでた時はどん底であり、飲み続けると、文字通り底が抜けるのが分かっていたので、どういうふうになろうが好転は好転です。ですから当然と言えば当然なのですけれども、私のように底まで行ってない、けれども酒やめたいと思っている人も多いと思いますので、ご参考までにちょっと書いてみたいと思います。
まず、ですね、いつも書かせていただいているように酒をやめると暇とエネルギーと金が生まれます。そしてこの三つを使って、いや、お金については酒やめたばかりの頃は経済状態も最悪なので、あとの二つを使って何かをしようという気になってくるのです。酒も飲めないしやることないから、まあしょうがねーなーと始めたことでも、それが積み重なれば人生を好転させていく原動力になるというのは、一つあると思います。
でも、これはやっぱり人それぞれですよね。こう書いてしまうと、我ながら鼻白むほど綺麗ごとです。
しかし、ですね、飲酒時代は間違った方向の努力なんて無駄だあーと思っていたのですが、酒をやめたら、やることがないのでなんかしてみようとなり、そのなかには「努力」に類するものもあって、その方向が間違っていようが何であろうが、少なくとも「経験」にはなります。そして、それを生かした生き方ができる……、といった感じでしょうか。上手く言えませんけど。
執着心がなくなると、人生劇的にラクになる!
さらに大きいのは、やはり心理状態が変わってくることですね。一番顕著なのは、執着心がなくなることです。執着心こそ人間の不幸の源泉だとはお釈迦様も言ってますよね。お釈迦様はそこから解脱し悟りを開いたわけですけれども。まあそれに喩えちゃいかんですが、近いような心持ちになるのは事実です。
酒を大量常飲していると、思い込みの強い脳の構造になり、それが執着心を生み不幸の源泉になるということではないのかなあーと思います。少なくとも私の場合そうでした。自分の考える幸福のかたちのようなものがあり、それに執着し、酒を飲んでいるとそういうことが実現しにくくなり、そのギャップにもだえ苦しむ、という感じでしょうか(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。そのギャップが人生をどんどん悪い方に導き、そうであるがゆえに、ますます酒を飲む、という構造です。
でも酒をやめると穏やかで執着のない心持ちになりますので、どんなことでも良いほうに捉えられる……というとまたもや綺麗事めきますが、そのような傾向が現われてきます。それが、あーなんとなく人生好転に向かっているなという実感をもたらしてくれる、てな感じですかねー。
で、今、酒やめて数ヶ月経ったときの自分に対して言いたいのは、「いいこと」っていうのはこんなもんだよーということですね(笑)。