酒やめて、1031日。
元首相の中曽根康弘さんが亡くなりました。101歳だそうです。例によってメディアは、昭和の一時代を築いた政治家が令和の時代になってすぐ亡くなったのは何か象徴的だ、などとあまり意味のないこじつけをしていましたが、しかしその生き様は、やはり示唆するところが大きいように思います。
中曽根さんは目的があるから、酒をあまり飲まなかった
実は中曽根さんは、お酒はあまり飲まなかったそうですね。政治家なのでお酒は付きものだろうに、です。
余談ながら、私は飲酒時代、飲み屋で参議院議員に偶然遭遇したことがあります。酔っ払っていたので「よろしく頼むよ~!」とかわけわからんことを言い放ちましたが、先方は神対応でした(先の参院選では、比例代表に党名ではなくその方の名前を書きました笑)。また、これは私の父の話ですが、とある議員について「あいつは演説がいまひとつだな」と、やはり飲み屋でえらそーに放言していたら、何日か後に「勉強させていただきました」と電話がかかってきたそうです。国会議員パネーす!
さて、なぜ中曽根さんは飲まなかったのか。それは、帰って勉強するためらしいのですね。何の勉強かは定かではありませんが、政治家としての悲願は憲法改正にあったそうですから、それについての理論武装だったのかもしれません。いかにも、飲んでいたら難しそうなことですねー。
またもちろん、自分が栄達するという目的もあったでしょう。総理になることを見据えていた、だから飲まなかった。心に何らかの野望を持つ人間は、酒なんか飲んでる場合じゃない。帰って勉強しろというわけです。
このあたりは「余談」で述べた先の二人の議員にも通じるものがあるようにも感じます。なにか大きな目的がある人間は、くだらない酔っ払いにも神対応する。それだけ自分を管理している。その目的の方向性が、社会にとっていい方向なのかそうじゃないのかは別問題ですが、目的によって自分を律していくことは、酒を飲まないことを含めて重要だと思います。
国会議員なんてそういう人が多いから、なおさら脇が甘い人が目立つのでしょうね(笑)。まあ昔の私は、「脇の甘い国会議員」どころの話じゃなかったですけど(苦笑)。
学ぶためには、酒は邪魔なのよ
いずれにせよ、こうしたことの意味は今、ますます大きくなっていると思います。ここでもよく書いていますが、学ばなければならないことが加速度的に増えています。
これまでは、社会のシステムに安住していられた。しかしこれからの若者とってそれは、AIに使われる人間、あなたではなくてもいい人間になることを意味しているのではないでしょうか。
私たちが若い時によく言われたことがあります。なにがしかの野望を持つ人は本を読め、と。これはある意味では真実でしょう。しかし今考えると、本を読むだけでオッケーなんて、なんとラクだったのでしょう。しかも本は酒飲みながらでも読めますからねー(笑)。
しかし今は違います。単純に本を読むだけでは、自分の思い描く未来をつくることができません。もっと具体的な勉強しなければならない。たとえばITや語学について、さらには論理構築ですね。そういうことをするには明らかに酒が邪魔になるのです。ですからやっぱり、中曽根さんの顰に習いたいものです。私は、野望を持つ若者ではないけど。
野望、というか目的意識を持つ若者は、なおさらのこと見習ってみるのもよいのではないでしょうか。