おはようございます。
ふにゃもらけは、ハロウィンイベントが始まりました。うちのふにゃ君も、猫カフェでバイトしているようです。
ハロウィンは、平成に入ってから日本で盛んになったイベントだと記憶しています。
商店街に、カボチャや墓場系グッズがあふれて、百均やファンシーショップでもコーナーができるので、毎年楽しみに眺めています。
近隣の幼稚園では、日を決めて合同でハロウィンパーティをするようで、その日には、大勢の子どもたちが仮装して大通りを歩いていたりします。
でも、うちの子どもの通っていた小学校では、「特定の宗教に関わる行事を学校で行うのは、好ましくない」という、保護者からの申し入れがあったとのことで、ある年を界に、ハロウィンパーティも、クリスマス会も、「お楽しみ会」という名目に変えられていました。
まあ、中身は元々の催しと変わらなかったらしいですが。(´・ω・`)
ハロウィンって、古代ケルトでは「宗教的行事」だったのでしょうけど、いまのハロウィンイベントのどこに宗教色があるのか、申し入れをしたという保護者のかたに聞いてみたかったです。
漫画と小説
宗教が学校行事を忌避する…ということで、思い出した作品二つ。
一つ目は、「よく宗教に勧誘にくる人の家に生まれた子の話」。
よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話 (ヤングマガジンコミックス)
- 作者: いしいさや
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/12/20
- メディア: Kindle版
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主人公の母親は、よく宗教勧誘にくることで知られている教団の信者だった
その母親に、同じ信仰を持つことを強く期待され、主人公も母親の思いにこたえようとして、教団の教えに従い、厳しい決まりを守って暮らしていた。
運動会やクリスマス会などの、学校行事に参加することができず、周囲から浮き上がるほど地味な服を着て、クラスメートと交わることもできず、ひたすら孤独に過ごすほかはなかった。
やがて、図書館での読書経験によって、自分の置かれている暮らしに疑問を抱き、日常のストレスに耐えがたくなった主人公は、信仰生活から離れることを母に宣言し、母は衝撃を受けながらも、それを了承する。
けれども、それでめでたしめでたしで終わる話ではない。洗脳的で抑圧された生育経験は、心に深い傷を残し、その後の人生に多大なる試練を課すことになるからだ。
作者の方、よくこの作品を書かれたと思う。
この漫画を読む前だったか、あとだったか忘れたけれど、村上春樹の「1Q84」にも、似たような宗教団体と、信者の二世としてそこに関わっていた女性の話が出てくる。
「1Q84」の主人公の一人である、青豆は、上に書いた「よく宗教勧誘にくる人の家に生まれた子の話」の主人公と同じような生い立ちをもつ女性である。
青豆も、家族と宗教団体から離れるのだけれど、その後の人生は、スポーツインストラクターという正業を持ちながら、DVの加害者を暗殺し、時々乱交に耽るという、すさまじいものだった。
けれども、どんなに恐ろしい行為に手を染めても、彼女は、自分を厳しく律し、神に祈るという精神基盤から、離れることはなかった。
ウィキペディアの、「1Q84」のページに、村上春樹が、この作品を執筆した動機について触れている談話が乗っている。
「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる」
「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです」(— (毎日新聞インタビュー、2008年5月12日より))
私もそう思う。