鍋つかみ
2011年 12月 19日

ふと、平成というのは来年で24になるのかと気づき、あれあれいつの間に24年も、っと驚くのであります。
昭和天皇が崩御された日は冬でありましたがじめじめとした、へんな雨が降り続く日でありました。
テレビは各局特番を組み、こちらとしても年号が変わるのは初めての経験だったのでじっとテレビにかじりついて見ておりましたっけ。
その頃は、京都からこちらの家に引っ越してきてそう間のない頃でした。デパートの手作り展などの催しに参加し始めた頃でした。
ちょうど、天皇崩御の次の日くらいに説明会かなんかあったのでしょうか、お友達になったMさんと待ち合わせて、その時Mさんが、名古屋城のご記帳所で記帳してきたとおっしゃったことがちょっと驚きで今でも覚えております。
あれから23年も経ったんですね。え?私はまだ30代だったのか、あの時!
※ ※
画像は不用になった衣類の切れ端を繋ぎ合わせた鍋つかみです。
この鍋つかみ、素晴らしいですね。いくらでも大きくできそう^^
昭和天皇崩御のとき、私は日記張をつくる会社に勤めておりました。
その前から、なんだかもしかしたら、という空気はありましたが、まさかだからといって翌年の年号を入れない日記帳を出すわけにもいかず、「昭和64年」という日記帳(色々あったので全部で100種類以上はありました)を出したのでした。
日記を書く人、というのはある意味オタクなので(私も含め)このたった7日間の「昭和64年」がなんとも特別に感じたようで、のちに作った「平成元年」のシールの要望が意外と少なかったことが印象的でした。
ちなみに当時の私は30歳目前でございました^^
昭和天皇崩御のとき、私は日記張をつくる会社に勤めておりました。
その前から、なんだかもしかしたら、という空気はありましたが、まさかだからといって翌年の年号を入れない日記帳を出すわけにもいかず、「昭和64年」という日記帳(色々あったので全部で100種類以上はありました)を出したのでした。
日記を書く人、というのはある意味オタクなので(私も含め)このたった7日間の「昭和64年」がなんとも特別に感じたようで、のちに作った「平成元年」のシールの要望が意外と少なかったことが印象的でした。
ちなみに当時の私は30歳目前でございました^^
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★ハルさん いくらでも大きくできそう、というのはたいへん正解です。どんどん、継ぎ足していけばクッションにだってなるし、もっと継ぎ足せばコタツカバーくらい出来ますね。
そうでしたか、日記を作る会社にね。
昭和64年が珍重されたんですね、それは意外。
あの時、さまざまに混乱したんでしょうね、そういう現場では。
そうでしたか、日記を作る会社にね。
昭和64年が珍重されたんですね、それは意外。
あの時、さまざまに混乱したんでしょうね、そういう現場では。
by daikatoti
| 2011-12-19 08:28
| 雑貨アート
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Comments(2)