いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今日は私の教員経験を振り返って「こんなに変わった」高校の姿をご紹介します。
今日の記事は、全く学習や進路の役に立たない記事(^^;ですが、
今の高校生が聞いたら「ビックリするような過去」ばかりです~~
もちろん30年前の私は、まだ駆け出しの新米教師でしたから、見るもの聞くもの、それが「標準」になってたんですね~
しかし時代は流れ、過去の常識が、今では非常識なこともたくさんあります。
今日書くことは「昔はまぁ常識的」だったことです。
おそらく30年後の学校でも、今の常識が非常識になっていることはたくさんあるでしょう。
勉強の合間とかに一読していただけるとうれしいです。
研修
校内研修?
私が教師になったのは昭和62年度。バブリーな時代でした。
最初に赴任した高校は進学校で、私自身が入試に失敗して不合格だった学校でした(^^;
教師として見るもの聞くもの全てが初めてで、緊張の毎日でした。
もちろん新規採用教員には「研修」があり、月に一度?くらいは研修センターに出張し、大学の講義みたいな話を延々聞くこともありました。
夏休みには4泊5日で宿泊研修もありました。
校内では教頭先生から一度だけ研修を受けた記憶があります。
「生徒を叱る時は、真剣に叱ること」ということを教えていただきました。
年度末に教頭から呼び出され、
「この書類書いて」
と渡された用紙は「校内研修報告書」でした。
見ると20くらいの欄があり、校内で、いつ、どんな研修を受けたか?を報告する書類なんですが、
「え?こんなたくさん研修してないですよ」
と目を白黒させてたら、
「適当にやったことにして書いておいてね」
と言われて、やってもいない「授業研究」とか「人権学習」をやったことにして欄を埋めて提出しました(;´∀`)
ちなみに今は初任者研修制度が確立しているので、こんなことはできません。
今現役の先生は、ほぼ全員がこの研修を受けていらっしゃるので、心配はご無用ですよ。
生徒が教えてくれた
ホント私は研修らしい研修をあまり受けた記憶はありませんが、幸いにも進学校に赴任したおかげで、生徒が色々と教えてくれました。
そこで学んだことは、生徒目線と教師目線・保護者目線はずいぶん違うな~ということです。
授業の教え方や教師の姿勢など、生徒目線から教えてもらったことが良かったです。
私も若くて生徒と歳が近かったのが幸いしました。
中でも印象的だったのは、
「いくら経験を積んでも生徒をバカにするような先生にはならないで」という授業の感想文です。
これは退職までずっと私の「姿勢」として持ち続けました。
教師1年目、初めて迎えた卒業式で、授業を受け持った卒業生から玄関前に呼び出され、
「先生ありがとう」とタバコを1カートンプレゼントされ、
その場で胴上げされちゃいました(^^;
普通逆でしょ!?
今では考えられない光景ですね(^-^;
タバコ
30年前はどこでもタバコが吸えるのが普通で、職員室でも喫煙者の机上には灰皿が置かれ、仕事をしながらプカプカ🚬
私も当時は吸っていたので、マイ灰皿持ってました(^^;
修学旅行のお土産で生徒から灰皿をもらったこともあります(^^;
卒業式でタバコ1カートンもらったのも、そんな背景があったからです(^^;
職員会議では会議室入口に灰皿が山積みに置いてあり、それを取って席に着き、会議中もプカプカ🚬
当時はJRの電車も普通にタバコが吸えましたからね(;´∀`)
いつからか、職員室や会議中の喫煙は禁止になり、学校には喫煙室が作られ、そこでプカプカ🚬
喫煙室は情報交換の場でしたね(;´∀`)
そのうち、校地内全面禁煙となり、それでも吸いたい先生は学校前に出てプカプカ🚬
そのおかげか?最近はタバコを吸う先生はほとんどいなくなりました。
今思えば、かなり不健康な「常識」だったんですね(;´∀`)
名簿
今では考えられませんが、30年前は毎年「生徒名簿」を作って教師全員に配布していました。
クラスごとに氏名、住所、電話番号、保護者名までも書いてあったような気がします。
卒業アルバムにも、これ(住所・氏名)が載っていました。
だから当時の卒業生からは、今も年賀状が来ます。
また県内の教職員名簿も毎年発行されていて、一部2,000円でしたが、何度か購入したこともあります。
今のようにネットやメールが無かった時代、緊急連絡は電話のバケツリレーでした。
これもいつの頃か?個人情報保護が叫ばれるようになり、住所や電話番号は厳密に管理するようになりました。緊急連絡も、メールやアプリで行われるようになりました。
教職員名簿もいつの間にか廃止されましたね。
君が代・日の丸
私が採用された頃から、入学式や卒業式では「日の丸を掲揚」し「君が代を斉唱」することが学校に強く求められました。
これに対し、君が代と日の丸は戦争の象徴であり「子どもたちを再び戦場に送るな」と組合が強く反対したのです。
当時の職員会議は、組合とこれを推し進める管理職とが、喧々囂々の論議を繰り返し、なんだか意味が分からない新人の私は、ただただ会議が終わるのを何時間も耐えていた記憶があります。
1999年に国旗国歌法が公布され、以来ピタリとこの論議は消えて無くなりました。
「あれだけ反対してて何これ!?」
と、個人的にはあの時に奪われた会議の時間を返して欲しい気持ちを、今も持っています。
修学旅行
30年前の修学旅行は、業者の接待合戦でした。
修学旅行は、一度に数百人の予約が取れ、キャンセルもないことから、業者にはドル箱事業なんですね。
初めての引率で驚いたのは、
新幹線の席に着いた途端に新聞と缶コーヒーが運ばれてきます。
夜、翌日の打ち合わせに集まった部屋では、山盛りのおつまみとともに、添乗員がビールを注ぎに回ってきます。
…で、その後ほろ酔い気味の先生方は夜の見回りに行くんですね~(;’∀’) お~こわ~
旅行が終わって解散時に、大きな紙袋に旅行先のお土産が詰まった紙袋を手渡されます。「次も当社をよろしく」という感じです。
他の先生が旅行先でお土産を買ってない理由がその時わかりました(;’∀’)
…ですが、今はそんなことは一切ありません。
業者決定も「プレゼン」をして、学年と管理職の合議で決めてるし、業者からの接待要素は一切ありませんので、ご理解ください。
体罰
私もやっていた
自分の高校時代も、教員になってからも、教師の体罰や暴言は特に珍しいものではありませんでした(;’∀’)
初任校は進学校で、生徒に暴言や体罰を振るうことはありませんでしたが、次に異動した地域の最困難校では、最初から驚きの連続でした。
転勤後に言われたのは、
- 生徒にはケガをさせてはいけないから、頬を叩く時は耳を避けること
- 生徒は大きな音に弱いから授業中静かにさせたい時は「教卓」を蹴るといい
- 女子には手を出してはいけない。だから女子生徒の指導は面倒だ
- ここはいじめっ子といじめられっ子しかいない学校だ
…と。
退職した今だからカミングアウトしますが、私もこの学校では生徒に体罰を加えたことがあります。
今思えば、これは「そうすることで自分を守っていた」一面もあることを認めます。
ただ手を出すのは、よほどの場合に限ったことです。
だから私が心掛けていたのは、手を出した時は保護者にはそれを連絡していました。
あるいは、指導前に保護者に確認を取ってからボコボコにしたこともあります。
家では全く手に負えない生徒ばかりだったので、保護者としてもその方がありがたい、といった気持ちをよく聞きましたね。
もちろん今では一切ありません。
体罰が学校から消えて変わったもの
しかし今、暴言や体罰は絶対に許されません。…というか、元々体罰が法律で禁止されているのは、教師なら誰もが知る事実です。
■学校教育法■
第11条
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
これを許してきた背景は「悪いことしたら先生にガツンとやられる」という感覚が社会でも普通だったことや、「みんなやっているから」という同調意識もありましたね。
2012年大阪の高校で起きた「体罰自殺事件」が発端となり、こうしたハラスメント行為に対する世間の感覚が一気に変わりました。
この時、私は「今後学校は荒れるかも?」と直感しました。事実この年、別の学校では「殴れるものなら殴ってみろよ」と教師を挑発する生徒もいて、指導困難な事例を耳にしたからです。
しかし、その不安は杞憂に終わりました。
体罰や暴言を排除した学校は、人権がより尊重される場となりました。これは今の学校が比較的落ち着いている一要因だと私は思います。
力で押さえつける教育が否定されたことは、今思えば大きな前進だったんですね。
教師への信頼
昔は大きかった教師への信頼
30年前の教師への信頼は、今以上に大きかったと思います。
保護者からはお中元やお歳暮もいただきましたし、生徒もなんだかんだ言って教師に一目置いていたような感覚があります。タバコ1カートンもそんな気持ちの表れだったのかな??
しかし年を追うごとに教師への信頼は低下する一方です。
夏休み=自宅研修?
新規採用時、夏休みは一切出勤しない先生もいらっしゃいました。
30年前は「自宅研修」といって、出勤せず在宅で研修している躰にしても大丈夫だったんですね(;’∀’)
給料はそれでも1か月分ちゃんと支給されてました…(;’∀’)
私は部活やりに学校に行って、午後は少し仕事してから、その後を自宅研修扱いにして時々ですがパチンコ屋に行ってたこともあります(;’∀’)
パチンコ屋で、同僚の先生と会うこともありましたね(;´∀`)
しかし、そんな勤務体制に非難が集まって、自宅研修制度は早くになくなりました。
世間が教師に厳しい目を向け始めたのは、このくらいからです。
ま、いま思えば「当たり前」のことなんですがね…(^^;
「教師の常識は世間の非常識」を象徴する昔話ですね(;’∀’)
ちなみに今はそんなことありませんよ。
夏休み中であっても、勤務時間内は学校でしっかり仕事しています。
逆に定時に帰れるのは夏休みくらいになってしまいました…
今教職は厳しすぎる仕事になってしまいましたね…
なり手が少ないブラック企業、、、どっちも極端だと思うのは私だけではないでしょう。
生徒と結婚
私の同期にはいませんが、先輩先生で「生徒と結婚した」という先生は何人もいらっしゃいました。
真田広之主演の『高校教師』というドラマもありました。
ただし女性の先生では聞いたことがありません。
特に商業高校など、女子率の高い学校に赴任すると、どんなルックスでも(;’∀’)必ず「推し」が付き、毎日生徒がお弁当を作って届けてくれる、という耳を疑う話も聞いたことがあります(;’∀’)
私は普通科勤務だったので、そんなことはありませんでしたが、生徒から告白されたことはありますね(^^; 丁重にお断りしました…
若い頃はベテランの先生から「生徒と結婚した方がいい」と何度も言われました。
「なぜですか?」
と聞いたら、
「たくさんの中から、顔良し、性格良し、家柄良し、の生徒を見つけられるからだ」
と言われました(;’∀’)
「俺は大学の同級生と結婚して後悔してる」
とも言っておられましたね(;’∀’)
私の採用前、女子率高い学校では「学年のかわいい子は、ほとんど先生と結婚した」という話も聞いたことがあります(;’∀’)
ホントなの!?
今では絶対にあり得ないことですね💦
ブルマ
私の初任校では、女子の夏の体操服はブルマでした(;’∀’)
「まだあったのか!?」と、その時ですら思いましたが、おそらく珍しかったんでしょうね…
たまに体育の授業をじっとフェンス外から眺めてるおじさんもいました(;’∀’)
担任をしていたクラスの子はみんな「嫌だ」と言っていましたね。
私ですら、体育祭やスポーツテストでは目のやり場に困ることが何度もありました…
転勤後はどこもハーフパンツになって、そんな思いはなくなりました。
もう一つ変わったのは、制服から下着が透けなくなったことです。
昔はカッターシャツの下が透け透けで、これも目のやり場に困りましたね(;’∀’)
いつの間に透けない素材に変わったのかな?
ここ10年ほどはそういうことは感じなくなりました。
さらに女子生徒のスカートも非常に短い時代がありました。
いくら「危ないから」と指導しても聞き入れず、「かわいいから」とか「減るもんじゃない」とまで言い返してくる生徒もいましたが、今そんなのはすっかり見なくなりましたね。
至って正常になったと思います(^^;
まとめ
今日の記事は、30年間の学校の移り変わりをテーマとしましたが、
大きく変革したのは学校だけではありません。
社会全体が大きく変わったことは、誰の目にも明らかです。
私が最も強く感じるのは、ここ30年間で「個人の尊厳」が大きく尊重される時代に変わった、ということです。これは良い面でもありますが、個人主義的なイデオロギーが強くなりすぎると、半面で失うものもたくさんあるのでは…?という危惧も同時に感じています。
この30年で大きく変わったことの一つに「女性の社会進出」があります。共働き世帯が普通になると保育所の需要が増すため、待機児童の問題が一時クローズアップされるようになりました。
今でこそこの問題はずいぶんと改善されましたが、次の問題は莫大な教育費を捻出するため「さらに少子化が進行」し、如いては「結婚を望まない若者の増加」という新たな問題を発生させる結果を招いています。
今後さらに少子化が進むと、せっかく増やした保育所や、小学校~大学までの「学校」がどんどん淘汰される時代になることは明らかです。
そしてますます不均衡な年代構成を抱える我が国の将来は、明るくないでしょう。
このように個人主義と全体主義を程よいバランスで今後も改革していかなければならない、という課題が我々には求められています。
30年後、今の心配が杞憂に終わる社会を作り上げるのは、今の高校生をはじめとする若い人たちです。
ぜひ、様々な問題意識を持って、より良い社会を構築していく立派な社会人になってくださいね。
そのためには「今を一生懸命生きる」ことが何よりも大切です。
回り道もたくさん経験すると思いますが、前を向いてがんばってください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今日は以上です。ではでは、、、
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