ミシュランのタイア
ミシュランのタイア
1:
19世紀後半、自転車が生まれ、自転車レースも始まり、その頃から自転車や自転車部品を作り、今でも作っているメーカーと言えば、
タイアのミシュラン
自転車のプジョー
自転車のビアンキ
くらい。
今回のお題は、ミシュラン。
2:
ランドナーが身近な自転車だった私の世代でミシュランと言えば、650Bの赤タイアと白タイア。
非常に主張の強い色のタイアなんで一般的ではありませんでした。
私はウォルバーの「スーパーランドナー」を使ってました。
3:
次にミシュランの名前が大きく出るのが、1985年。
700Cでパンクに強く、トレッドがつるつるのスリック、しかもWO(=クリンチャー)の「ハイライト(HI-LITE)」シリーズが発売された時。
ロード用では80年代に入るとアメリカのアヴォセット(Avocet)や日本の井上タイアがパンクに強いWOを出しましたが、主流になるのはまだ先の話。
ハイライト以前の700CのWOは細い物が無く(→25Cが一番細かった)、またケーシングが硬かったため乗り心地とコーナリング性能が悪かった。
これらの欠点を解決したのが、ハイライトでした。
それでも値段が高価だったし(→1本\6,200)、トレッドが摩耗に弱く減るのが早かった。
個人的には使わず友達の車輪を使わせてもらっただけでした。
WOに変えなかった理由は金額。
当時は5本\5,000のチューブラが有り使い捨てで使ったり、
ケーシングとチューブの間にポリウレタンの薄いベルトを入れたウォルバーの「SP-1」シリーズもありパンクにも比較的強かった。
ネオプロSP-1は1本\2,500程でしたな。
またWOを使うにはリムとスポークを変える必要があり、これも躊躇する理由でした。
(注:スポークはそのまま使えますが、耐久性を考えるとリムを交換する時に同時にスポークを全部変える方が無難)
4:
さて、ヨーロッパのロードレースで「ミシュラン」の名前が最初に出るのが、
パリ~ブレス~パリ
1891年9月6日(日)
1,200㎞
参加選手206人
午前6:17スタート
優勝:シャルル・テロン(Charles Terront) 71時間18分(=2日23時間18分!)
9月9日(水)午前6:35ゴール
使用タイア:ミシュラン製取り外し可能空気入りタイア
まぁ、この辺まではミシュラン特約店のHPにも書いてあるので、更に詳しい事を。
4-1:
19世紀末、無垢のゴム製タイア「ボーンシェイカー」(=bone-shaker=骨を揺るがす物)に対し、
スコットランドのジョン・ボイド・ダンロップ(John Boyd Dunlop)が「ゴム製のチューブに空気を入れ布で保護する」タイアを開発し、
特許を取りました。
このダンロップが開発した「ソーセージ」と呼ばれたタイアはボーンシェイカーより衝撃と振動の吸収性に優れていましたが、
リムに糊付けしてありパンクの時には無数の工具を使い複雑怪奇な手順を行わねばなりませんでした。
そのため修理の説明書は60ページにも及びました。
1889年のある春の日の昼下がり、フランスのクレルモン・フェラン市のミシュランの工場に自転車と自転車乗りを乗せた牛車が到着。
ダンロップのソーセージの1本がパンクしてました。
工員達はまだ珍しかった空気入りタイアに好奇心を刺激され、困った自転車乗りのために一肌脱いでやろうと奮闘しました。
おかげで修理は3時間で終わりましたが、糊の乾燥に時間が掛るので引き渡しは翌朝になりました。
(→現在のチューブラと同じ物と思われますが、詳細不明のため「糊」と「糊付け」にしました)
翌朝引き渡しの前、ミシュランの社長エドゥアル・ミシュラン(Edouard Michelin)はこのタイアに非常に関心が有ったので、クレルモン・フェラン市街へと走り出しました。
しかし、数分後戻って来ました、自転車を押しながら。
このパンクがエドゥアル・ミシュランのタイアを改良したいという興味に火を点けたと言っていいでしょう。
エドゥアル・ミシュランが掲げた目標は、
「15分以内にチューブを交換する。
方法は単純にする。
専門家を不要にする。
言い換えると、一般人が頭を悩ますことなく自分で修理できる取り外し可能タイア」
2年間の試行錯誤と努力の結果、3件の特許を含み完成。
3件目の特許の日付は1891年8月14日。
パリ~ブレス~パリのスタートの24日前でした。
4-2:
ミシュラン社はパリ~ブレス~パリには、実は、最初にテロンではなくこのレースで2位になるジョゼフ・ラヴァル(Joseph Laval)に接触しました。
ラヴァルは当時ダンロップと契約中であったのとミシュランの革新的取り外し可能タイアは現物が無く設計図しか無かったため契約しませんでした。
さて、ミシュラン社はテロンのパリ~ブレス~パリでの勝利がゴール前日に明らかになったので宣伝用のチラシを作りテロンがゴールすると同時に観衆に配りました。
4-3:
パリ~ブレス~パリでテロンはブレスの手前60㎞のモルレクス(Morlaix)でパンクしレースに復帰するのに42分掛かりました。
ミシュラン社はこの事実を見て見ぬ振りはせず、更に改良を重ねました。
その結果を発表したのは3か月後の12月、ロンドンのスタンリー自転車ショー(Stanley Cycle Show)でした。
このショーでミシュランの技術者は1分55秒でタイアを外し、来客にも実際に外させました。
速い人だと2分、遅くても4分で外せました。
他のタイアメーカーがこのデモンストレイションを見せ付けられどう思ったか想像に難くありません。
このタイアがミシュランの「デタッチャブル」(Detachable)です。
この事をキッカケにミシュラン社は大いに発展していくのです。
4-4:
当時のミシュランを率いていたのは、2人の兄弟でした。
兄がアンドレ・ミシュラン(Andre Michelin)で、建築家を目指していましたが広報と渉外を担当。
弟がエドゥアル・ミシュラン(Edouard Michelin)で、画家志望でしたが、開発と生産管理を担当。
5:
ツール・ド・フランスとミシュランで私の世代が思い出すのは、最近は見掛けなくなったキャラバン隊のビバンダム(Bibendum)の着ぐるみ。
やっていたのは、1973年から1989年まで。
モーターバイクに乗って立ち上がり両手を上げたり等の軽業を演じていました。
このモーターバイクで17年間軽業をやっていたのは、フィリップ・シャピュイ(Philippe Chapuis)。
ローラースケートの元フランスチャンピオンだそうです。
参考文献
La fabuleuse histoire du cyslisme
The Michelin Man, 100 years of Bibendum
Cycle Sport
Pro Cycling
Bicycle Club 1985年9月号
Miroir du cyclisme
Winning bicycle racing illustrated
タグ ツール・ド・フランス ミシュラン
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