『俺たちはみんな神さまだった』
○初版
2017年12月20日
ベンヨ・マソ著
安家達也訳
未知谷刊
★評
1:
ロードレースの本は英語でかなり読み、イギリス人記者、フランス人記者の取材の徹底ぶりや勉強ぶりに何回も圧倒されましたが、
この本の関係者へのインタビューを含めた調査の完璧さは他に類を見たことありません(*_*)。
著者のマソの本職は社会学者だそうですが、
普段の仕事でやっている論文と同じ手間暇、精神力を掛けこの本を書いたのは間違いありません。
正確さを期する心構えは正に学者や研究者のものであり、良心の賜物です。
子母沢寛が永倉新八初め存命の新撰組組員や関係者にインタビューして書き上げた「新撰組始末記」に匹敵する力作です。
この様な良書を僅か数千円で読める喜びは人生の喜びであり、
内容は至上のものでありながらも、大して売り上げを期待出来ない本を出した未知谷には感謝の仕様がありません。
またこの良書を見つけた訳者初め関係者にもただただ感謝するだけです。
2:
この本が取り上げているのは、1948年のツール・ド・フランス。
どんなレースだったかと言うと、
○第二次大戦後、2回目のツール。
○イタリアのバルタリが10年振りに優勝。
○バルタリはピレネー2区間連勝、アルプスでは、何と、3区間連勝(*_*)。
、とこれ位は記憶に残ってました。
レキップが出した「ツール100年」の中の泥道のクロワ・ド・フェール峠を登るボベとバルタリの写真も覚えてます。
訳者はフランスチームの選手達の「自由奔放さ」を満喫した様ですが、
私CYPRESSには、バルタリ初め選手達の心の動きが興味深かった。
中でも驚いたのはツール終盤のバルタリの神経質とも言える心配振り。
全盛期のメルクスと同じ(*_*)。
神経質なのではなくあらゆる事態を考慮に入れているだけ。
「細大漏らさぬ心配性」はチャンピオンとして当然の心構えと改めて納得しました。
3:
しかし、
私CYPRESSにとって一番印象的だったのはレース自体ではなく、報道に関する事。
p.104から
それにもかかわらず、彼らがこのようなやり方で作り上げたイメージは決して完全なものではなかった。空想で補わざるを得ない隙間というものが常に残された。
(引用終わり)
色々本を読むと同じ事でも内容が少しづつ違うんです。
原因は、記事や本には字数制限があるんで筆者が取捨選択するためだけではない様です。
名著や定番と言われている物でも鵜呑みにしない冷静さが我等ファンにも必要なんですなぁ(溜め息)。
4:
この年のツール自体は大変スペクタルな展開でありながらも、
全編にわたりマソの筆が滑る事がないのも注目すべきでしょう。
一つの事象に対して報道陣は複数の解釈をしますが、真実は当事者しか分かりません。
レース後に選手達にインタビューしても色々な事情から真実を話しているとは限りません。
また締め切りなどから、選手達にインタビューし確認しているとも限りません。
この本は報道の「悪意皆無の誤報」に対する警戒心がとても強く、冷静さがあちこちから立ち上っています(^o^)。
5:
ただ、この良書がロードレース好きの万人向きかと言うと、ビミョー(笑)。
かなり「強い」本だからです。
私CYPRESSが最近好きな日本画で例えると、
伊藤若沖の「動植綵絵」や長谷川等伯の「松林図屏風」と同じ位「強い」。
私の様なビョーキ(笑)でない方は少しづつ読んだ方がいいです。
1ステージに3、4日掛けて読んだ方が心に負担が少ない。
6:
p.346 訳者のあとがきから
スポーツをただの刹那的な娯楽、その場限りの憂さ晴らしと考えるのではなく、一つの文化の流れと考えてみることは大切なことだと思う。
(引用終わり)
バルタリの母国イタリアではフェラーリデイをローマで行い、数々のレースカーが公道を走り多くのファンを楽しませています。
お台場でF1日本グランプリが開催される日は来るのでしょうか?
この良書がスポーツも文化の一つと日本人に気付かせる一助なると信じているのは、
私CYPRESSだけでしょうか?
タグ バルタリ ツール・ド・フランス