「チームワークあふれる社会を創る」。サイボウズでは障害の有無にかかわらず、この理想に共感するメンバーが活躍できる会社づくりを、試行錯誤しながら進めています。
その一環として、障害がある方との相互理解を深める場をつくろうと、2024年9月に「障害者インクルードインターンシップ」を5日間にわたって実施。マーケティング本部では、弱視という視覚障害がある工藤蒼さん(筑波技術大学保健科学部情報システム学科)の受け入れが決まりました。
受け入れ担当者であるブランディング部の高部哲男と、エンタープライズ プロモーション部の河村大輔は「準備段階では、インターンの進め方について不安があった」といいます。
そんな不安をどのように乗り越えたのか? 一方、インターン生の工藤さんはサイボウズで過ごした日々をどのように感じたのか? インターン期間を過ごすなかで見えてきた気づきを語ってもらいました。
※合理的配慮:障がいのある人から、社会の中にあるバリアを取り除くために何らかの対応を必要としているとの意思が伝えられたときに負担が重すぎない範囲で対応すること(事業者においては、対応に努めること)(総務省『「合理的配慮」を知っていますか?』より)
※「障害」が漢字表記になっている理由について: サイボウズでは障害を、個人の問題ではなく社会の問題だとする「障害の社会モデル」のスタンスを取っています。すなわち、障害の「害」の字は、障害者個人に対してではなく、障害を生み出している社会の問題に対して用いています。障害者差別解消法もこの考え方にもとづいており、法令文書などでも使用されている表記にならい、漢字で記載しています。
※インクルードインターンシップの詳細はこちら
企画:深水麻初(サイボウズ) 執筆:流石香織 撮影:高橋団(サイボウズ)、栃久保誠 編集:モリヤワオン(ノオト)
]]>9月7日、東京・下北沢のBONUS TRACKにて散歩社とサイボウズ式ブックスが合同で開催した「BOOK LOVER'S HOLIDAY ーはたらくの現在地ー」。はたらく価値観が多様化する今の社会において、本を通してあらためて自分の仕事について見つめ直す機会をつくりたいという思いで開催した本イベント。
イベントの中では、これからの「はたらく」を考えるための3本のトークをご用意しました。
その中のひとつが、2019年にTVドラマ化もされた人気小説『わたし、定時で帰ります。』の作者である朱野帰子さんと、新書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がヒット中の三宅香帆さんとの対談です。
会社員、兼業作家、自営業としての作家──。これまでさまざまな立場で働かれてきたおふたりに、仕事観について対談していただきました。
※晃太郎:『わたし、定時で帰ります。』の中に登場する、仕事大好きなキャラクター。ワーカホリックで、日曜にも出勤して仕事をするくらい仕事が好き。
社員数が1000人を超えてから、組織的にはいろいろと「よろしくない面」が出てきました──。サイボウズ代表の青野慶久はそう打ち明けます。
かつてのサイボウズでは考えられなかった出来事が起きたり、社歴の差による考え方の違いが出てきたり。2024年には、これまで胸を張って掲げてきた、働き方に関する表現を見直す決断もしました。
このままサイボウズは、よくある大企業の1社になってしまうのか。サイボウズが変えるべきもの、守り続けるべきものとは。
他社でも同じような悩みを抱えるケースは少なくないはずです。組織が拡大するなかで、企業としての成長と、社員一人ひとりの幸福を両立し続けていくためには何が必要なのでしょうか。
サイボウズの社内大学「CAAL(カール)」卒業生の2人が青野を囲み、本音を語り合いました。
※CAAL:Cybozu Academy for Ambitious Leadershipの略。サイボウズの社内大学。
企画・編集:深水麻初、竹内義晴/執筆:多田慎介/撮影:加藤甫
変更履歴:特定の社内イベントを指し示す表現のように見えてしまい、誤解を生む可能性があったので修正しました。(2024/11/13 09:55)
変更前:サイボウズではいろいろな社内イベントが動いていて、チームビルディングにつながるものであれば、会社から費用を支援しています。ところが、「前泊を伴う」「飲食代がやたら高額」など、チームビルディング目的にしてはお金をかけすぎてしまう例も出てきました。
変更後:サイボウズではいろいろな社内イベントが動いていて、チームが一体となり、より良く機能するための取り組みであれば、会社から費用を支援しています。ところが、「前泊を伴う」「飲食代がやたら高額」など、目的に対してお金をかけすぎてしまう例も出てきました。
9月7日、東京・下北沢のBONUS TRACKにて散歩社とサイボウズ式ブックスが合同で開催した「BOOK LOVER'S HOLIDAY ーはたらくの現在地ー」。はたらく価値観が多様化する今の社会において、本を通してあらためて自分の仕事について見つめ直す機会をつくりたいという思いで開催した本イベント。
イベントの中では、これからの「はたらく」を考えるための3本のトークイベントをご用意しました。
その中のひとつが、夏葉社(なつはしゃ)代表・島田潤一郎さんによる講演会。20代後半まで作家を目指していたという島田さんは、夢に破れ、社会的にも認められず一度は「絶望的」な状況を味わったと言います。ただそこから出版社である夏葉社を2009年に立ち上げ、今では15年間、ぶれることなく美しい本を作りながら、健やかに仕事をして生きられています。
今の島田さんの仕事の仕方に至るまでには、どのような紆余曲折があったのでしょうか? 島田さんの仕事観をたっぷりとお話いただきました。
はじめまして。島田潤一郎です。
私は夏葉社という出版社を経営しています。2009年に始めた出版社で、今年の9月1日で15周年を迎えました。1年間アルバイトの方が手伝ってくれたこともあったのですが、基本的にずっとひとりでやっています。
「ひとりで出版社ができるものなの?」と思われる方もいるかと思いますが、それが、できているんですよ。家族4人で、ちゃんと生活できています。なんと今年は夏休みを3週間も取ることができました。こんな夢のような話はないと思いませんか?(笑)
でも、もともと僕は編集という仕事をやったことがありませんでした。当時は本を作ったこともありません。ただただ、本が好きなだけで出版社を始めたんです。
「なぜ出版社を始めたのか?」という問いに答えるには、2つのきっかけがあります。ひとつは、僕はもともとプロ作家志望で、22歳から27歳まで仕事をせずにずっと本を読み、小説を書いていたんですね。いろんな賞にも応募したのですが、まったく鳴かず飛ばず。新人賞はおろか最終候補にも残らないし、なんなら一次にすら通らない。全然芽が出ずに、5年間で諦めました。
そうすると、あまり有名ではない大学を卒業して、作家志望で5年間仕事をしてこなかった人間に対して、この社会はあまり優しくないことに気がつきました。履歴書の特技欄に「プルーストの『失われた時を求めて』を読破」って書いているような若者はどの会社にも入れないんです(笑)。
すると、朝から午前0時まで働かなければいけないような会社にしか入れなくて。しばらく会社勤めをしたけれど、うまくいきませんでした。32歳、ちょうどリーマンショックの時に2社目をやめて、働かなきゃいけないから仕事を探したんですけど、50社受けてもどこにも受かりませんでした。平たく言うと絶望的なわけです。まずはそういった、自分自身の状況がありました。
もうひとつは、同じくらいの時期に、子どもの頃からずっと仲が良かったいとこが亡くなったんですね。彼は僕にとっての一番の親友でした。まったく予想もしなかった親友の突然の死に、当たり前ですけど非常にショックを受けました。
自分の仕事の状況と、親友の死。それが重なったのが、2008年のことでした。
そしてちょうど2008年ごろは、ミシマ社さんをはじめとして「小さな出版社」がたくさん出てきていた時代でした。
今のXやInstagramのようなスマートフォンをベースにしたSNSは当時なかったのですが、mixiなどはあって、そういったブログを通して、作家ではない編集者が自分たちの声を読者に対して届けるようになっていたんですね。「自分たちはこういう思いで本を作った」というようなことを、僕と同じくらいの年齢の人たちが発信し始めた。
そういう彼らの文章を見て、「ああ、僕も出版社をやってみたい」と思ったんです。
僕は人より優れた能力があるわけではありませんでした。性格は真面目ですけれども、チームを組んで何かをやるとか、マネジメントがうまいとかそういうのもないし、ExcelもWordもパソコン作業全般は今も苦手です。社会から見て僕は能力がないようなものだったけれど、じゃあ僕が20代を無駄に過ごしたのか? というとそうではなくて、文章を書いて、小説をたくさん読んできた。
そして親友が亡くなった時、思ったんです。人生で一番ハードでつらい時間を乗り越えるために、僕は本を読んできたし、文章を書いてきたのではないか? と。そう考えると、すごく自分の中にみなぎるものがあった。自分のやってきたことは無駄ではない。今までの経験を使って、本を作ろう。そうすれば何とかなるような気がしました。
だから、出版社を作ったんです。
出版社をやろうと決めて、僕はまず亡くなったいとこのことを思い、「叔父と叔母を慰めるような本を作ろう」、2人の力になるようなものを作ろうと思いました。
そして、最愛の息子を失った叔父と叔母のために『さよならのあとで』という本を作りました。ヘンリー・スコット・ホランドという100年ほど前に活躍した神学者がいまして、その人が書いた、「死」にまつわる一遍の詩をぼくはたまたまある本で知ったんです。それを1冊の本にしようと。
ただ、編集の経験がないのでどうすればいいかわかりません。絵を描いていただいて、造本を考えて……結局その一編の詩の本を作るのに、2年ほどの歳月を要しました。
実際に作り終わって、印刷所から会社に届いた本を見て、よくやったなと思ったかと言われたらそうではなくて、これがいい本なのかどうか、全然わからなかったんです。
でも、この本は現在、弊社で一番多く売れている本なんですね。刊行は2012年1月ですが、今でもずっと増刷を続けています。
それはおそらく、叔父と叔母のためだけに作った本だからなんです。
大多数の誰かのために作ったのではなく、叔父と叔母のためだけに作った。それ以上でもそれ以下でもない。その強い思いが、きっと他の多くの読者にも届いたわけです。誰かひとりのために作る。それが、ものづくりの一番のスタートではないかというふうに今でも思っています。
僕は15年間出版社を続けてきましたが、経験を積み、本づくりのことがよく分かり、効率よく作れるようになったから本が売れるようになるのかというと、そうではないと思っています。
ものを作るという意味においては、経験は決して自分を助けてくれない。それよりも、「ゼロの気持ち」と言いますか、初心者のような強い純粋な気持ちで何かと向き合って作れたものの方が、いいものができるような気がするんです。
『さよならのあとで』を作っている時、もうひとつ重要な価値観の転換がありました。それは、僕がそれまでに培ってきた、本を読んだり文章を書いたりする能力を、自分のためではなく誰かのために使いたいと思うようになったこと。
一生懸命やってきたことが、もしかしたら誰かのためになるんじゃないかと思えた時、自分の中で頑張ろうという思いがさらに増したんですね。
それまでは、いかに能力を身に着けるかとか、他の同級生よりも賢くなりたいとか、社会的に認められたいとか、そういうことばかり考えていた気がします。そのために努力をしなきゃいけないと思って頑張っていましたが、そうではなく、自分の努力を誰かのために使う方が元気がみなぎってくることに気づいたんです。
泥臭い言い方ですが、自分よりも誰かのことを大切に思えるようになった時、人は大人になれるんじゃないかなと思います。僕はそれまで自分が一番大切だったけれども、ある時から、自分ではない誰かのことを同じくらい大切に思うようになってきた。
そんなことに気づいたのも、夏葉社で本を作り始めてからでした。
僕は、自分が作った本が飛ぶように売れなくてもいいと思っています。つまり、バズらない。バズらないけれども、ちゃんとコツコツ売れていくこと。それがいいことだと思っています。
これは一般論ですけど、ものを作り、それを1ヶ月で売り切るのは非常に難しいことです。3ヶ月でも難しいと思います。何か起爆剤みたいなものがなければいけないし、それは今の時代だったら、誰か有名な人に紹介してもらうとか、それこそ「バズ」らないとそういうものの消費は生まれないわけですよね。
1ヶ月でものを売ろうとすると、挫折を多く味わう。3ヶ月で売ろうと思っても、多くの挫折を味わう。でも、それを半年、1年……もはや5年と考えたら、いけると思いませんか?
自分がいいものを作れたなという確信があって、周りの同僚や家族や友人たちもそう言ってくれたとする。1ヶ月で3,000個売りたいとなると、何か施策を打たなければいけません。でも、5年・10年かけて全部売りたいのだとしたら、途端に売る視点が変わると思います。仕事の質が変わっていく。
短く多くの人に届けるよりも、ちゃんと見てくれている読者の信頼を裏切らないこと。それが一番大切です。我々は何のために仕事をしているのかと言えば、読者のために仕事をしてるわけです。もちろん作家のために仕事してるという側面はありますが、第一義的には読者です。
だからこそ、シンプルなものづくりで、なるべく綺麗な紙をつかって、中身もちゃんとしたものを作る。それをコツコツ売っていく。誠実でいれば、商売というものはだんだんうまくいくのだと思っています。
もちろんこの仕事の仕方では、1年目はとてもきつかったです。2年目もしんどかった。たくさん営業に行って、全部かき集めても500冊とか600冊ぐらいの注文で、その日にたくさん売れることはありません。
でも、それでも地道に本を作っていくと、タイトル数が増えていきます。夏葉社の刊行数は、今では53冊になるかな。売り上げも、塵も積もれば方式になって、どんどんと上がっていく。
僕の場合、10年目ぐらいになってから仕事がやっと楽になりましたね。仕事のスタイルは何も変えていないし、なんならさらに好きなものを作っていますけれども、経営は楽になっていきました。それは、15年かけてコツコツといいと思える本を作ってきたからです。
ある時期から、書店に営業に行くと、書店員さんに「夏葉社の本だから買ってくれるという人がいるから、きっと大丈夫ですよ」と言っていただける機会が増えていきました。
それは今、数で言ったら2500人ぐらいかもしれない。夏葉社の本は、初版2500部ほどが、2年、3年かけて売り切れてくれることが多いです。
だから僕は、2500人の読者に対して誠実であろうと思っています。あとの1億2000万人に対しては、もしかすると誠実ではないかもしれない。でも、うちの本に対していいと思ってくれる、認めてくれる2500人に対してきちんと誠実に対応していれば、何とか出版社というものは継続していけるものだと思っています。
そりゃあ、ポルシェには乗れないですよ(笑)。ポルシェには乗れないし、高級品を買うことはできないけれど、しっかり家族4人が食べて暮らしていける。3週間の夏休みが取れる。だいたい最近は、労働時間は1日5時間ほどで仕事が成立しています。
僕には、「こんな企画の立て方があって」とか「企画の煮詰まった時はこんなことやって」とか、そういうものはまったくありません。ただ、真面目にコツコツ誠実に仕事をしてきた。僕にとっての仕事とは少なくともそういうことであって、大したことではないんです。
でも、そうやって本を作って生きていけていることは、こんなに幸せなことはないんじゃないかなって今でも思うんですよ。
]]>新しいデジタル技術やITツールによる業務効率化が進み、求められるスキルも変化する今。
自分が培ってきたスキルはいつまで役に立つんだろう? このまま働き続けられるのだろうか?
キャリアを重ねていく中で、ロールモデルが見つからないまま、不安が頭をよぎることがあります。そんなとき、64歳でITベンチャー企業へ転職し、今も現役で働く「kintoneおばちゃん」こと根崎由以子さんに出会いました。
根崎さんは、kintoneユーザーが一堂に会する「kintone hive」で新しいITスキルを身につける喜びをいきいきと語っていたのです。「新しいITツールに触れる高揚感が自分の仕事を支えてきた」と話す、根崎さんのキャリアの歩みを辿ります。
根崎さんのキャリアのスタートは1981年。時はバブル前、ワープロやFAX、コピー機などがやっとオフィスに導入され始めた、ノートパソコンもインターネットもスマホもないデジタルの草創期。
そんな時代に根崎さんは、大学卒業後、高速道路の信号機、気象衛星や銀行のシステムを動かす大型コンピュータの情報処理の現場に飛び込みます。
「大学は法学部でした。卒業後は、地元の福岡に戻る予定で就職先も決まっていたんですが、どうしてもワクワクできなくて。東京に残って大学の先生の紹介で潜り込んだんです。選んだ、というよりはそこしかなかった。
文系だったけど、触れてみたらプログラミングがおもしろくて。障害が発生すると、原因を突き詰めるまで徹夜でチームで作業をしていたんですが、原因はここだ! とわかった瞬間も、でかした!と褒められる瞬間も気持ちがいい。毎日が文化祭の前日のようでした」
プログラミングに魅せられた根崎さんは、以来20年間、システムエンジニアとしてアプリケーション開発に従事。その間に、3人の子どもを出産。子育てと仕事を両立するために転職も経験しました。
時代は終身雇用がベースで、男女雇用機会均等法が施行されたばかり。出産後、女性が働き続けることも、転職も今ほど“当たり前”ではありませんでした。
「ワクワクする毎日から離れたくなかったし、出産で仕事を辞めるという発想が私にはなかったんです。働き続けることに迷いはなく、フルタイムで保育園の送り迎えができる会社に転職しました。
当時はプログラマーが少なかったため、ITスキルの資格さえあれば、仕事は見つけやすかったんですね」
初めて転職した会社は、ガソリンスタンド向けのPOS開発をする会社でした。ここで、根崎さんの仕事との向き合い方に変化が起こります。
「取り組む課題の種類が、ガラッと変わった感じがしたんです。大型コンピューターの情報処理は、機械と数字に向き合うばかりで、利用者の顔が見えません。また、大きい規模の組織で働いていると、自分の開発が誰の役に立ってるかわからなくなってしまうんです。
でも、POS開発は売り場に直結するので、現場のユーザーさんと一緒に考えてシステムをつくり上げていく過程が楽しくて。人の顔や言葉を通して感じられる手応えがありました」
働き始めて10年が経つ頃、バブルがはじけて、勤めていた会社での仕事が激減してしまったという根崎さん。ちょうど3人目の子どもを妊娠中でした。
「仕事が減っていくことへの不安と、生まれたばかりの子どもを預けて働く不安。産んだ後、一体どうなっちゃうんだろう? って途方に暮れました。
でも、友だちに『人生ジタバタしても、どうしようもないときもあるよ』って言われて。どうせなら産んだあとにジタバタしようって開き直ることができました(笑)」
そうして会社でIT雑誌を読み漁っていたときに知ったのが、日本に上陸して間もない「Windows」でした。根崎さんは沸き立つ心に従って行動します。
「大きな波が来た!と感じました。世の中も会社も、自分の働き方も変わっていくような期待感と高揚感でしょうか。いてもたってもいられず、秋葉原を徘徊し、デモンストレーションをやっているお姉さんと仲良くなって情報を聞いてまわりました。
書籍を読み漁って、必死に勉強して、Microsoft認定のトレーナー資格を取得。ふと気づいたら臨月でした。試しに登録していた派遣会社から、産後1週間で、Windowsに関する仕事のオファーの電話が鳴り止まなくて驚きました」
出産後は、以前所属していたガソリンスタンド向けのPOS開発をする会社から声がかかり、再就職。WindowsによるPOSのオープン化を進め、あこがれの欧州にも視察に行きました。
ところが、当時新設された大学などで情報処理を専門で学んだ下の世代の技術力や、ものの捉え方を目の当たりにした根崎さんは、SEの仕事から離れることを決意。
「下克上ですよね。場当たり的に身につけたスキルでは、下の世代に太刀打ちできない。だから足を洗おうって。まったく違う場所に行かないと後ろ髪を引かれてしまうので、地元の美容クリニックに就職したんです。そこでは、ひとつだけあると聞いていたPCに風呂敷がかかっていました(笑)。」
事務職としての転職でしたが、最終的には事務長としてクリニックの運営にも携わります。そのうちに根崎さんの心境に変化が。
「クリニックで縁の下の力持ちになろうと事務職に打ち込んでいたんですが、来院者のデータ分析をやるようになって……。Excelを駆使して、売り上げの予算実績管理をしていくのが楽しくなっちゃって。加えて、インターネットの普及に伴って世の中が変化していく様子を見ていたら、IT業界に戻りたくなっちゃったんですよね」
根崎さんは沸き立つ気持ちに従って、自分がワクワクする方へ舵を切ることに。
「転職を思い立ったのが、50歳直前でした。この時初めて転職の大変さを思い知りました。私がかつて取得した資格やITスキルは時代の変化とともに使いものにならなくなっていたし、5年のブランクがありましたから。なので、ハローワークから専門学校に通って、 JavaScriptとJavaを一から勉強したんです。
そしたらもう、学生に戻ったみたいで楽しくて仕方なかった。
ですが、1か月経った頃に、九州で暮らす父が倒れて急逝してしまい……。その対応に追われているうちに出席日数が足りなくなり、退学になってしまいました」
それでも、捨てる神がいれば拾う神あり。実家から帰った数日後、以前所属していた会社からの紹介で、連結会計システムのコンサルティングの仕事が決まりました。
採用の決め手になったのは、ガソリンスタンドのPOS後方機開発の経験と、合間にとった「簿記」の資格。思いがけず、過去と現在がつながります。
「皮肉にも、決め手はITの資格ではなかったんですね(笑)まさか、簿記の資格が役立つ日が来るなんて。ほかにも取得した資格の知識が思わぬところで生きる場面がありました。
いま振り返って思うのは、自分の資格やスキルの評価は、時と場所によっても変わるということ。ある時点では無駄だと思っていても、長期的な視点で役に立つこともあるんですね」
キャリアを進めるうえで、ITスキルを中心に、簿記や労務、産業カウンセラーなど、その職種・職場で求められる知識とスキルを身につけてきた根崎さん。
「“新しいもの好き”なので、運良く“旬”になるちょっと前のITスキルを取得できました。もちろんお蔵入りしたものもありますが、とにかくたくさん学び続けたことで、数年ずつ仕事がつながってきました。
ただ、IT分野の資格の賞味期限はどんどん短くなっていって、永久的なものはないと思うんです。現に10〜20年前に苦労して取得したマイクロソフト認定の資格は、いまではとっくに廃止になっていますから。
だからこそ、資格に寄りかからず、目の前の仕事だけでなく、できるだけ外にアンテナを向けて、ワクワクを見逃さないでいたいんです」
学び続ける中で、その姿勢にも少しだけ変化がありました。
「お金のためとかキャリアアップのためと打算的に学んだ資格より、ワクワクするから学びたい! という心に従ったほうが、身につくし、自分を助けてくれる気がします。
だから、ビビッときたら調べて、ワクワクしたら勉強して、仕事に活かしたいと思ったら資格試験に挑戦する。たくさん失敗もしたけど、自分の感覚を優先したほうが結果的にキャリアを拓いてくれると今は確信しています」
ITサービスのマネジメント、出向先での労務管理に従事。定年を迎え、残る再雇用期間も5年となった根崎さん。その頃に出会ったのが「kintone」でした。
「再雇用期間に入ると、会社での仕事がなくて暇で、こんな感じで再雇用期間の5年を過ごすのかあって悶々としていたんです。たまたま出会ったkintoneに、秋葉原でWindowsに触れたときと同じ衝撃が走って。
そこから業務改善の小ネタを見つけてはアプリをつくりました。kintoneに触れると、昨日できなかったことが今日できる高揚感があって。夢中になって時間を忘れます」
「いまは、ITをつかった業務改善や、ツールの活用法を学び合うために、全国のkintone cafeを訪ねるのが趣味です。先週は山梨、その前は関西と九州に行って、次は三重へ。同じ熱量で活用法を教え合える仲間がいるから、居心地がいいんですよ」
根崎さんは発信力、提案力と人を巻き込む力を身につけて、もっとできることを増やしていきたいと意欲を燃やしています。
「ジョイゾー副社長の琴絵さんは、そのすべてを兼ね備えていらして、嫉妬するくらいあこがれちゃいます。全国を飛び回って、その場でパソコンを広げて問題を解決する姿をみていると、かっこいいなあって。あこがれは下の世代に抱いてもいいですよね。あこがれるのも、ロールモデルにするのも、老若男女は関係ないですよね。
『やりたいけどできない』を『できないけどやりたい』に変換して、やりたい気持ちをあきらめたくない。次は喜寿でのkintone hiveの登壇を目指しています(笑)」
下の世代にかなわないと一度は自分のやりたい気持ちに蓋をした根崎さんはいま、下の世代にあこがれを抱き、「できないことが、できるようになる」高揚感に身を包みながら、新しいツールの習得に挑戦し続けています。
たとえ身につけたスキルが古くなったとしても、学び続ける姿勢と意欲を絶やさずにいれば、きっと働き続けることはできる。そんな希望を見せてくれました。
企画・取材:神保麻希/執筆:徳瑠里香/撮影:もろんのん
]]>みなさんは、人類にこれからどんな未来が待っていると思いますか?
AIが仕事をすべて引き受け、人間はのんびりと過ごせる未来でしょうか? SFが描く未来はわかりやすいですが、現実は複雑で、未来を完璧に予測することはできません。
でも、この「複雑さ」を受け入れ、複数の可能性を同時に進めていけるとしたら? わたしたちはもっと便利で、安全で、幸せな未来をつくれることでしょう。
これが、台湾の初代デジタル発展相を務めたオードリー・タンさんと、経済学者でマイクロソフトの研究主任でもあるグレン・ワイルさんが提唱する「Plurality(プルラリティ)」に基づく未来の考え方です。
2人はつい先日このビジョンを紹介する書籍を出版しました。サイボウズ式ブックスでは、2人の考えをさらに広めるために、「PLURALITY」の日本語翻訳を進めています。
出版に先駆け、オードリー・タンさん、グレン・ワイルさん、シビックハッカーでCode for Japanの設立者でもある関治之さんとともに、Pluralityによって描かれる未来の社会についてディスカッションを行いました。進行役は、サイボウズ・ラボ株式会社の西尾泰和が務めます。
本記事では「Plurality」という新しい概念をより正確に理解するため、専門用語を多く使用しています。そのため、通常の記事よりも注釈を多めに入れてお届けします。 ※この記事は、Kintopia掲載記事「Understanding Plurality: A Unifying Vision for a Diverse Future」の抄訳です。※Plurality:「多元性」「多様性」「複数性」を意味する言葉です。多様な視点や考え方を認め、テクノロジーと民主主義の共存を目指す考え方
※シビックテック:市民開発。市民(普通の人々)が、技術(特にIT技術)を使って、社会の問題を解決しようとする活動や取り組み
どちらも社会をよりよくしていくためのムーブメントであり、この2つは相互に関わりあい、おたがいを補完する。
※g0v:台湾で設立された、情報の透明性、オープンな結果、オープンな協働を大切な価値観にしている自律分散型のシビックテックコミュニティ
※総統杯ハッカソン:台湾各地が抱える課題を国民が提議し、政府が提供するオープンデータを活用しながら、公共サービスの質を改善するための解決策を提案するイベント
※クアドラティック・ファンディング:公共財に対して、公正で包括的な資金提供を促進することを目的とした民主的なクラウドファンディングのしくみ。個々の寄付の金額だけでなく、個々のプロジェクトへの寄付者の数も考慮してマッチング資金を配分する
企画・編集:神保麻希(サイボウズ)/取材・執筆:Alex Steullet/翻訳:ファーガソン麻里絵
]]>AIの発達による自動化や効率化に代表される、とどまることのないテクノロジーの進化によって、世界は大きく変わろうとしています。
その変容を肌で感じてはいるものの「会社で新たに導入されたデジタルツールを使いこなせず、業務に活用できていない」「ITの知識に疎く、わからないことを人任せにしてしまう」という人も少なくないはずです。急速に進化し続けるテクノロジーに対して、わたしたちはどんな距離感で接すればいいのでしょうか。
そのヒントを探るべく今回お話をうかがったのは、AIエンジニア・起業家・SF作家として活躍している安野貴博さん。2024年の東京都知事選に「テクノロジーの力で誰も取り残さない東京をつくる」というビジョンを掲げて出馬した人物です。
わたしたちの未来はテクノロジーの力で、どのように変わっていくのか。また、その未来では、どんなスタンスでテクノロジーとかかわることが求められるか。わたしたちとテクノロジーの理想的な「距離感」について、サイボウズ代表の青野慶久が安野さんに聞きました。
※デジタル時代の新しい民主主義。分散したコミュニティが平和的に共存してコラボレーションを強化していくことが期待されている
※「多元性」「多様性」を意味する言葉。多様な視点や考え方を認め、テクノロジーと民主主義の共存を目指す概念
企画:小野寺真央(サイボウズ) 執筆:流石香織 撮影:栃久保誠 編集:野阪拓海(ノオト)
]]>2024年6月16日、女優の東ちづるさんが理事長を務める⼀般社団法⼈Get in touchが制作した映画『まつりのあとのあとのまつり~まぜこぜ一座殺人事件~』が先行公開されました。
本映画には、さまざまなマイノリティによるパフォーマー集団「まぜこせ一座(いちざ)」のメンバーが出演。彼らが直面する「なぜ、わたしたちの生きづらさは変わらないのか?」という課題を、視聴者に自分ごと化してもらう試みをもった作品です。
実は本映画の撮影場所となったのは、サイボウズの東京オフィスの一角。「チームワークあふれる社会」を目指すサイボウズが、Get in touchの「まぜこぜの社会」という理想に共感し、撮影場所が決まりました。
今回は本映画に寄せて、脚本を担当したドラァグ・クイーンのエスムラルダさんにお話を伺いました。会社や組織の中で、誰⼀⼈排除せず多様な個性を活かし合える「まぜこぜのチーム」は、どうすれば実現できるのでしょうか?
映画『まつりのあとのあとのまつり~まぜこぜ一座殺人事件~』は、2024年秋に上映予定です。
・監督:齊藤雄基
・脚本:エスムラルダ
・プロデューサー:東ちづる
・制作・提供・配給:一般社団法人Get in touch
・上映館一覧:
10月18日〜24日
ヒューマントラストシネマ渋谷(東京)
キネカ大森(東京)
10月25日〜31日
アップリンク京都(京都)
11月11日〜11月17日
テアトル梅田(大阪)
※順次全国公開。
※詳細は後日、サイボウズ式公式Xでお知らせいたします。
企画:野阪拓海(ノオト)+サイボウズ式編集部/取材・執筆:園田もなか/撮影:小野奈那子/編集:野阪拓海(ノオト)
]]>「みんな一緒」のお堅い企業から、「多様な個性を重視する」IT企業に転職したコウテイペンギンのエマ。
100ペン100通りだけど、ペンギンたちのチームワークは素晴らしいです。自由すぎる環境に戸惑いつつも、自分はどういう働き方・生き方をしたいのかを問い、よちよちと自立していく日常をお届けします。
最終章では、エマの成長をお見せします。
おしまい
このたびサイボウズ式では、新シリーズ「大規模組織のつくり方」をスタートします。
チームワークあふれる社会の実現を目指すサイボウズは、規模拡大により「100人100通り」の組織から「1000人1000通り」の組織へ。「10年後の組織を、どうデザインしていくか?」が新たな課題となっています。
これからも”サイボウズらしい”大規模組織を目指していくために、この特集では様々な企業さまに取材してまいります。
記念すべき第1回は、ほけんの窓口グループ株式会社 代表取締役社長・猪俣礼治さんをゲストにお招きしました。現在、3,500名強の社員を抱え、大規模組織としてさまざまな局面を体験してきた同社は、どんな課題をどう乗り越えてきたのでしょうか?
1995年の創業以来、急成長を遂げたほけんの窓口グループは、その過程で一体どのような葛藤があったのか? サイボウズ株式会社マーケティング本部長の栗山圭太が、同社代表取締役社長・猪俣礼治さんにお話を伺いました。
成長企業が直面する「高揚感」と「陶酔」、次第にトライアンドエラーを怖がってしまう風潮……。ほけんの窓口グループの軌跡をたどっていくと、企業が成長し続けるために必要なことが見えてきました。
チームワークあふれる社会の実現を目指すサイボウズは、規模拡大により「100人100通り」の組織から「1000人1000通り」の組織へ。「10年後の組織を、どうデザインしていくか?」が新たな課題となっています。
組織デザインが変革していく過程で、現場が組織や経営方針に対する不安を感じないことが理想的ですが、どうすれば実現できるのでしょうか?
記事では「経営と現場が円滑に連携し合うためのヒント」について対談しました。ぜひ、動画とあわせてご覧ください!
企画:神保麻希、深水麻初(サイボウズ) 撮影:谷峰登、砂原洋一 編集:齊藤雄基
]]>チームワークあふれる社会の実現を目指すサイボウズは、規模拡大により「100人100通り」の組織から「1000人1000通り」の組織へ。
「10年後の組織を、どうデザインしていくか?」が新たな課題となっています。
組織デザインが変革していく過程で、現場が組織や経営方針に対する不安を感じないことが理想的ですが、どうすれば実現できるのでしょうか?
そのヒントとなる企業が、ほけんの窓口グループ株式会社です。同社は従来の保険の常識を覆す来店型保険ショップを立ち上げた「第1の創業」から、顧客本位の業務運営を徹底して社内に根付かせてきた「第2の創業」、そして、保険ショップの枠を超え、新たな事業を展開する「第3の創業」に向けて進化を続けています。
今回は同社代表取締役社長の猪俣礼治さんに、サイボウズ株式会社マーケティング本部長の栗山圭太が「経営と現場が円滑に連携し合うためのヒント」を聞きました。
企画:神保麻希 執筆:流石香織 撮影:栃久保誠 編集:野阪拓海(ノオト)
昭和8年に創業した高円寺の老舗銭湯「小杉湯」。変わらず“街の銭湯”でいるために、変わり続ける。そんな思いで、2024年4月、東急プラザ原宿「ハラカド」に2店舗目となる「小杉湯原宿」を開業しました。そこでは企業の垣根を超えたコラボレーションが実施されています。
小杉湯のぶれない思いに共感する人々が集まり、協働することで新しい価値が生まれ、互いが長期的に活動を続ける仕組みができていく。その姿は、サイボウズが重視する「多様な個性を活かしたチームワーク」と重なります。
100年後も街の銭湯としてあり続けるために、他社と協働しながら、理想と利益の両立をどう実現しているのだろう?
そんな問いを携えて、サイボウズ式編集長・神保麻希が「小杉湯原宿」の番頭・関根江里子さんを訪ねました。
企画・取材:神保麻希/執筆:徳瑠里香/撮影:もろんのん
「ワークお湯バランス」を実施中です。7/31(水)まで!
サイボウズ式のオリジナルTシャツや書籍の販売、人気のコラム記事や漫画など、おすすめコンテンツを紹介しています。ぜひお越しください!
社会は複雑で、常に変化していくもの。その課題解決は容易なものばかりではありません。
岡山市北長瀬にある街づくり会社「北長瀬エリアマネジメント」の石原達也さん、新宅宝さんは、コロナ禍で表面化したフードバンクの課題を「仕組み」で解決しました。
そこにあったのは、「熱量」でも「仕事だから」でもない、個人的な「なんとかしなきゃ」という想いでした。
北長瀬コミュニティフリッジの詳しい取り組みは、サイボウズチーム応援ライセンスのページでも紹介しています。
企画・執筆・編集・撮影:竹内義晴
]]>サイボウズ式の人気シリーズ「ブロガーズ・コラム」。このシリーズでは、ブロガーのみなさんの体験談をもとに、新しいチームワークや働き方について考えます。
今回は、仕事も家庭もがんばる「フルキャリ」という働き方を実践されている、会社員兼ブロガー・はせおやさいさんにコラムを執筆いただきました。
わたしが子どもを産んだのは、2018年。高齢出産で産んだ子どもはそれはそれはかわいく、このまま家庭中心の生活にシフトしてもいいかな……と思ったこともありました。
しかし、いざ子ども「だけ」に向き合ってみると、なかなかそのライフスタイルが自分にフィットしない。子どもはかわいいのですが、子どもを主語として生きていると、それまで自分の中にいた「わたし」がいなくなってしまうような感覚にとらわれました。
あれ? このままではいけないぞ……と思い始めて仕事に復帰してからは、仕事に集中したあと子どもや家族と向き合う時間があることが、何よりありがたく、家族と向き合う時間があることで仕事へのモチベーションも上がる、という好循環でした。
女性の働き方は「バリバリ働いて上を目指す(バリキャリ)」か「キャリアはほどほどに、充実した生活を送る(ゆるキャリ)」かの二極化で語られることがよくあります。でも、働き方のタイプって本当にそれだけなのでしょうか?
そんな疑問を持ちながら働いていたところ、知人に薦められて読んだ一冊に、「バリキャリ」でもなく、「ゆるキャリ」でもない第三の働き方を「フルキャリ」と定義した本がありました。
『フルキャリマネジメント―子育てしながら働く部下を持つマネジャーの心得』(著:武田 佳奈)この本では、仕事だけ、私生活だけ、という二者択一ではなく、どちらも同じくらい取り組みたいと考える人を「フルキャリ」と名付け、筆者が行ったアンケートによると5割の人がこの「フルキャリ」という働き方をしている、と回答したのだとか。
個人的にこの考え方がとてもしっくりきていて、仕事だけ、私生活だけ、ではなく、両方を選ぶスタンスで生活しています。
とはいえ、仕事も私生活もがんばることは、そう簡単ではありませんでした。そんなわたしが、このやり方を選び、実践できた理由はなんだろう、と考えました。
もしかしてわたしに向いているのは「バリキャリ」でもなく、「ゆるキャリ」でもない、「フルキャリ」なのでは……?
そう感じてからは、以下のように自分の中で取り決めをし、上司や周囲に宣言することから始めました。
①残業はせず、定時で仕事を終える
②そのぶん、業務時間は120%で仕事を遂行する
③仕事と家庭を天秤にかけたら、圧倒的に家庭が大事
とくに③は大切な意思決定でした。
仕事をしていると、つい「これは自分がやらないと……」「わたしがいないと回らないから……」と考えがちです。
子どもが赤ちゃんだった頃は、発熱で保育園から早く帰ってきてしまい、仕事にならない! ということがあり、葛藤した経験もありました。
そういうときこそ「仕事の代わりはいるけれど、家族にとってわたしの代わりはいない!」と唱えて割り切るようにし、そのぶん、自分がいつ抜けてもよいような仕組みを作ることに注力しました。
「仕事と家庭なら、家庭を優先します」と明言するだけでは、仕事への覚悟が伝わりません。しかし、代替可能な仕組みを作ることで、「この人は本気で仕事と家庭の両立を目指しているんだ」と周囲に伝わりやすくなります。
代替可能な仕組み作り、というのにはポイントがいくつかあると感じているのですが、
という感じで、やるべきことの解像度を上げ、その業務の本質は何かを考えたうえでやるべきことをしっかり言語化しておく。言語化しておくことの重要性は、「ほかの人にもわかる状態にしておく」ためです。この流れは、どんな業務にも転用できるのではないかと思っています。
もちろん、限られた業務時間で求められている成果を出す努力もしました。でも、自分に合っているやり方なので、苦じゃなかったんですよね。それもまたよい発見でした。
そして自分が管理職側になったとき、そうやって動く部下のありがたさを実感することになります。決められた時間で働き、成果を出す。急に担当が変わっても、業務が止まらない仕組みを作り続ける。自分を助けるための仕組みが、会社の役にも立っていたのです。
その後、わたしと同じように働きながら子どもを育てる部下を持ちました。そこで、まずしたのは「あなたはどうしたい?」と聞いて、考えてみてもらうことです。
というのも、わたしは過去に「あなたは子どもを預けてまでフルタイムで働くのだから、バリキャリ志向ね!」と勝手に判断され、仕事をぎゅうぎゅうに詰められたことがありました。子どもを夫に任せて、泊まりの出張へ頻繁に出なければならなかったりと、仕事と家庭の板挟みになり、とてもつらかった経験があります。
自分が選んだわけでもないのに、相手から「よかれ」と押し付けられるのは本当につらい。でも、そうなってしまう原因のひとつに、「自分でも自分がどうしたいか分かっていない」こともあったんですね。
少し話が逸れますが、子どもを産んで家庭を運営しようとすると、本当に自分と向き合う時間は減ります。幸せな悲鳴ではありますが、それでも「わたしってどうしたいんだろう?」を自分に問いかける時間が減るというのは、とてもあやういこと。
自分に向き合わずにいると、「母親はこうあるべき」「ワーママはこうあるべき」という「べき」に沿って流されてしまい、自分の本当にやりたい方法を選ぶことが難しくなってしまいます。
自分と向き合うこと。自分がどうしたいかを考え抜いて、何かを選ぶこと。そのきっかけを与える、というのも上司が出すべき指示のひとつではないかと思うのです。
そのうえで本人がマインドも環境も「仕事に全力投球できる」のであれば、その方向で業務を調整するし、家庭を優先したいというのであっても同様です。価値観やその人の選択を尊重し、その上で業務を調整するのが管理職の仕事だと考えています。
とはいえ、「業務を調整する」と簡単に書いていますが、具体的にどんなことをするのか。
これに対する完璧な正解はまだ見つけられていないものの、現時点で思う、もっとも重要な管理職の仕事は、「何をやめるか決めること」ではないかと感じています。
仕事自体、やろうと思えば無限にできてしまう。やったほうがいいこと、やりたいこと、やるべきこともさまざまです。現場のメンバーにとっては、「あれもこれも、やることがたくさん!」という状態に陥りがちです。
そのうえで、「いま、このタイミングでやるべきこと」を意思決定し、逆に「このタイミングでやらなくていいこと」も決める。これはチームや全体のことが見えていて、進むべき方向を決める決裁権のある管理職がやる仕事ではないでしょうか。
ここまで書いてみると、わたしが仕事も私生活も優先する「フルキャリ」なスタイルを実現できているのは、まず「自分」と会話し、「周囲」と会話することができているからだな、と感じます。
そのためには意識して会話する時間を確保することが大切。日々、忙しくしていると「自分ひとりでゆっくり考える時間なんて……」と思うかもしれません。でも、そういうときほど、少し立ち止まって「自分はどうしたい?」を自分と会話してみて欲しいのです。
もちろん、自分と会話してみて「まだ、わからない」となることもあると思います。 であれば、それをパートナーや信頼できる同僚・上司に打ち明けてみるのはどうでしょう。会社の人には話しづらい……というのであれば、外部のカウンセリングやコーチングを受けてみるのもいいかもしれません。
まず、なにしろ「他者と会話する」を始めてみてください。
人に話そうと思って話し始めると、意外と気づいていなかった自分の本心が出てくることもありますし、自分の話したことへのフィードバックというのは、他者がいないとできません。
そのうえで、最終的に決めるのは自分。
理想の働き方がすぐに実現できなくても、「自分はこうしたいんだ」という軸は、きっとあなたを支える杖になってくれるのではないかと思っています。
「メンバーの育成」「メンバーの動機付け」「メンバーのメンタルケア」など、マネジャーには些細な気配りや心配りが求められています。それはまるで、ちょっとしたカウンセラーのよう。
ひょっとしたらそれは、近年話題の心理的安全性の影響も、あるのかもしれません。
でも、マネジャーにばかり負担を強いていいのでしょうか? マネジャーもひとりの人間。いま、マネジャーに必要な支援とは?
近年、マネジャーの負担が増えているようだ。
リクルートワークス研究所のマネジャーの仕事の変化を「感情労働」の観点から考えるによれば、2020年の調査開始以来で初めて、人事もマネジャーも、「ミドルマネジメント層の負担が過重になっている」ことが、最も優先度の高い組織課題だと指摘した。
マネジャーの負担を高めている主な要因は、「メンバーの育成・能力開発をすること」「メンバーの仕事に向けたやる気を高めること」「メンバーの心身のコンディションのケアをすること」となっており、部下に対して「“繊細な”『気配り』や“細やかな”『心配り』が求められるようになっている」という。
また、この記事でわたしがもっともうなずいたのは、現役マネジャーからの「カウンセラーみたいなことをしている」というコメントだ。というのも、わたしにも似たような経験があるからである。
わたしには以前、20名ほどのメンバーを担う中間管理職だった時代がある。
詳しい言及は避けるが、当時、いまだったらパワハラ、モラハラと言われてもおかしくないような上位の管理職からの言動や、ストレスやプレッシャーで人を動かすマネジメントの影響で、わたしが担っていたチームは、あまりよい状態とは言えなかった。中にはうつっぽいメンバーもいた。というより、わたし自身がそういう状況だった。
「この状況をなんとかしたい」と思い、マネジメントや組織づくりに関する書籍を読みまくった。その結果「組織を変えるためには、メンバーとの関わり方を変えていく必要があるらしい」ことに気がついた。
それまでのわたしは、メンバーとそれほど積極的に関わろうとしなかった。もともと、コミュニケーションがそれほど得意ではないし、むしろ、めんどくさいと思っていた。また、思い通りにならないことがあると、「察しろよ」と言わんばかりに、あからさまに不機嫌な態度をとっていた。しかし「それではダメだ」と思った。
そこで、コーチングやカウンセリング、心理学を学んだ。学んだことを実践しようと、毎月1人30分ずつ、メンバー全員の話を聞いた。いまでいうところの1on1ミーティングだ。
また、普段の言動にも気を配った。メンバーがネガティブな事件を起こしても「正直に話してくれてありがとう。そのおかげで、おおごとにならずに済んだよ」のように、ポジティブな言動を心掛けた。
行なっていたことは、まさに「カウンセラーの振る舞い」だった。ちなみに、相手に対して心理的に前向きな働きかけをするために、自分の感情をコントロールする働き方のさまを、近年は「感情労働」というらしい。
幸いなことに、わたしのチームはその後、メンバーの変化を感じられるようになった。わたし自身、人の成長を支援する仕事の楽しさを知った。
だが、そう思えるようになるまでに2年ほどかかったし、カウンセラーのような振る舞いを実践するためには高度なコミュニケーションスキルが必要だった。
その経験からしても、現役マネジャーからの「カウンセラーみたいなことをしている」というコメントは痛いほど分かったし、感情をコントロールしながら働くさまを想像すると「きっと大変だろうなぁ」という状況が、容易に想像できたのだ。
近年「心理的安全性」という言葉をよく見聞きするようになった。ひょっとしたら心理的安全性も、マネジャーの負担を増やしているひとつの要因かもしれない。
「心理的安全性」とは、メンバーが不安や悩みを抱えたとき本音を話せるよう、また、チームの生産性を高めるために、失敗を恐れず新たなチャレンジができるよう、気軽に相談できる安心・安全な場を形成することだ。
心理的安全性を高めるためにはいくつかの手段があるが、「メンバーが何でも言えるような環境を整える」ことが基本といえる。
わたし自身、管理職時代にカウンセラーのような働きかけをしてきた経験があり、心理的安全性の大切さはよく理解できる。
だが、「メンバーが何でも言えるような環境を整える」と一言で言っても、傾聴のような振る舞いは、実際にやってみるとことのほか難しいし、変化を実感できるまでに相応の時間も掛かる。逆に、実践して上手くいかないと「オレってダメだなぁ」「なんでうまくいかないんだろう……」なんて、自分を責めたくなることもある。
つまり、「心理的安全性を高めよう」という行動が、マネジャーの心理的負担になってしまうのだ。
マネジャーが負担を感じているときにつらいのは、メンバーとの関わりだけではない。本当につらいのは「相談相手がいないこと」「本音を言えないこと」だ。
マネジャーは管理職という立場上、メンバーに弱みを見せにくい。
マネジャーより上位の管理職が相談にのってくれる人ならいいが、そうとは限らない。中には「メンバーをまとめるのがお前の仕事だろ」と丸投げしたり、「とにかく、頑張ってみろ」と精神論で乗り越えさせようとしたり、「俺が若い頃はな……」と自分の成功体験でマウントをとろうとする人もいる。
違う、そうじゃない。本当は本音を話したいだけなのに……。
こういった課題に対して相談窓口がある会社もあるが、実際に相談を持ちかけるのはなかなかハードルが高い。実際、僕はできなかった。
また、社外のコーチやカウンセラーに相談できなくもないが、ビジネスコーチングはまぁまぁな費用が掛かる。それを個人で支払うのは負担だ。そもそも、誰に相談したらいいのかわからないし、合いそうな人を探すのも大変だ。
その結果、マネジャーたちは誰にも相談できぬまま、過度な負担を抱え続けるのである。
マネジャーの業務的、心理的負担に対して、組織としてできることは何なのか? マネジャーの支援に対して、ここでは2つの提案をしてみたい。
1つ目は、「マネジャーが相談できる環境をつくる」ことだ。
繰り返しとなるが、負担を抱えているときにつらいのは、「相談相手がいないこと」「本音を言えないこと」だ。
サイボウズでは、業務中に何でもざっくばらんに話ができる「ザツダン」という取り組みがある。ラフな1on1ミーティングと理解していただければいいだろう。
実際、わたしも月に1回30分、心のメンテナンスをするために上司に話を聞いてもらっている。定期的に話を聞いてもらうことで頭の中が整理でき、心理的な負担がずいぶんと軽減できている。
ただ、これには上位のマネジャーに傾聴力をはじめとしたコミュニケーション能力が必要だ。また、ミドルマネジメントのしわ寄せが、さらに上位のマネジャーに及ぶことがある。そこは注意したい。
上司だけではなく、異なる部署のメンバーにメンターの役割を担ってもらう「メンター制度」を取り入れている企業もある。
サイボウズ社内にもコーチングやキャリアコンサルタントの資格を有している社員がいるが、同じ会社でも、業務上の関係が薄い人なら本音を話しやすい場合がある。専門的なトレーニングを積んでいる社員がいれば、協力を仰いでもいいだろう。
2つ目は、「グループウェアの活用」だ。
サイボウズの多くの業務やコミュニケーションは、自社の製品でもある kintone で行なっている。以前、あるマネジャーの発言が、社員の共感を誘ったことがある。コロナ禍の出来事だ。
コロナ禍がはじまって、多くの企業がテレワークを強いられた。サイボウズもご多聞に漏れず、限られたごく一部の社員を除いて、ほぼ全員が在宅勤務となった。
マネジャーの書き込みがあったのは、在宅勤務がはじまってしばらくしてからのことだ。詳しい内容は伏せるが、在宅勤務になり家にこもって仕事をした結果、「実はうつっぽくなっていた」ことを告白する内容だった。
この書き込みには、多くの社員からの「いいね」が寄せられた。また「わかる」「管理職がこういった発言をするのは勇気が必要だったろう」といった、共感やねぎらいの声があふれた。
こういった「マネジャーの本音」を書き込めるか否かは、オンライン上でやりとりされているコミュニケーションの雰囲気にもよるだろう。だが、マネジャーの本音に多くの社員が共感できたのは、オンラインというオープンな場での「心情の吐露だったから」だ。コミュニケーションの手段は対面だけではないことを実感した。
実は、わたしも最近、日報を書くついでに、その時々で感じている心情を意識的に吐露するようにしている。書き込みに対して「いいね」がつくと、少し癒される気分になる。
心理的安全性をはじめ、マネジメントのノウハウには、「メンバーを支えるために、マネジャーは〇〇のように接しよう」という情報が多くある。
一方、「マネジャーを支えるために、周囲の人は〇〇のように接しよう」という情報はほとんどない。なぜなら、マネジャーは「支える側」であり、「支えられる側」ではないという認識が一般的だからだ。
だが、マネジャーもひとりの人間だ。悩むこともあるし、負担を感じることもある。自分の負担が大きければ、メンバーを支援できないこともある。
そうなると、「だから、組織として考えよう」「会社として対応しよう」と言いたくなる。だが、主語が大きいと個人の行動は変わらない。職場にいるのは「組織さん」や「会社さん」ではなく、「わたし」と「あなた」だ。
時には、マネジャーの負担を想像すること。年齢や立場に関わらず、気になる人がいたら「〇〇さん、大丈夫ですか?」と声を掛けること。このように「自分ごと化」していくことが、大切なのかもしれない。
]]>「みんな一緒」のお堅い企業から、「多様な個性を重視する」IT企業に転職したコウテイペンギンのエマ。
100ペン100通りだけど、ペンギンたちのチームワークは素晴らしいです。自由すぎる環境に戸惑いつつも、自分はどういう働き方・生き方をしたいのかを問い、よちよちと自立していく日常をお届けします。
第2章は、エマの初めての挑戦をお届けします。
多様性とは「ある集団の中に、さまざまな特徴や特性を持つ人がともに存在していること」。
少し前までは、人種や国籍、性別、年齢、障がいの有無、宗教、性的指向といった「何らかの事情を抱えたマイノリティ(少数派)」に対して使われるケースが少なくありませんでした。
一方、近年は、価値観をはじめ「一人ひとりの違い」に目が向けられ、より多くの場面で、多様性という言葉を見聞きするようになりました。
しかし、多様性という言葉が多くの人に知られるにつれて、各企業では「新たな課題」が生まれているようです。
僕はサイボウズで複業しながら、しごとのみらいというNPO法人を経営している。
しごとのみらいでは、僕がかつて受けた、ストレスをかけるマネジメントにより心が折れかかった経験や、自身が管理職になり、関わり方を変えることで、チームが変わった経験をもとに、組織づくりやコミュニケーションに関する企業研修や講演に携わっている。
特に、2022年5月に『Z世代・ゆとり世代の上司になったら読む本』を刊行させていただいてから、世代間ギャップに関する講演依頼が増えた。
世代間ギャップの講演といえば、以前だったら人事や研修担当部署からの依頼がほとんどだった。しかし近年、DE&Iの部署からの依頼が増えている。
ここでいうDE&Iとは、ダイバーシティ(多様性)、エクイティ(公正性)&インクルージョン(包括性)の略で、いわゆる「多様性を扱う部署」である。大企業を中心に、DE&Iの担当部署が設置されている。
なぜ近年、多様性を扱う部署からの講演依頼が増えているのか? そこには、各企業で起こっている「多様性の尊重が生んだ弊害」があるようなのだ。
ここでいう「多様性の尊重が生んだ弊害」とは、特別な事情を抱えていない社員が、「自分たちは尊重されていない」と感じてしまう問題である。
講演を依頼いただくDE&I担当者と話をさせていただく機会が多くある。彼らは、口をそろえて次のように指摘する。
「一人ひとりの個性や事情を尊重し、働きやすい職場を作るためには、多様性はとても大切な考え方です。しかし、多様性の重要性を伝えれば伝えるほど、特別な事情がない社員の関心が薄れていくんです」
多様性という言葉は、最近多く使われるようになってきた。だが、「一人ひとりの個性や事情を尊重する」というよりも、まだまだ、何らかの事情を抱えているマイノリティ(少数派)に対して、「さまざまな事情を、個性の1つとして受け入れよう」といった印象がある。
その結果、「多様性」「ダイバーシティ」と言われると「それは、特別な事情がある人たちの話であって、自分たちのことではない」と感じる。
そればかりか、「なぜ、少数派の人たちだけが優遇されるのか?」「わたしたちだってがんばっているのに……」といった声が聞こえてくるようになったと、先のDE&I担当者はいう。
本来、多様性は特別な事情を抱えている人だけではなく、一人ひとりの個性や特徴を活かして働くことができる環境づくりが大切だ。だが、特別な事情がない社員にとっては、自分ごと化しにくく、逆に「尊重されていない」と感じてしまうのである。
そこで、DE&I担当者たちは、多様性を考えるうえで、すべての社員が「自分ごと化できるテーマは何か」を考えた。そこで上がってきたのが、エイジダイバーシティである。
エイジダイバーシティとは、「世代や年齢の多様性」のことだ。
年齢は、すべての人が持っている多様性の要素のひとつだ。一人ひとりの価値観は、それぞれが生きてきた環境や、時代背景によって当然異なる。
だが、仕事をしていると、「最近の若い世代は……」「おじさんはこれだから……」のように、ある世代をまるっと一括りにして、「あの人たちは、僕たちと違うから……」のような関わり方をしてしまう。
しかし、ある世代を一括りにしたとらえ方やコミュニケーションを過度にしてしまうと、世代間の分断が生じてしまう。また、異なる世代とのコミュニケーションがおっくうになって「関わらないでおこう」とする場合もある。
実際、世代間ギャップを感じている人は多い。龍谷大学が2022年に調査した世代間ギャップの調査によれば、上司・部下世代ともに、7割近い人が世代間ギャップを感じているそうだ。
特に近年は、パワハラ防止法などの法改正もあり、「パワハラ・モラハラが気になって、うまい距離感がとれずに困っている」といった声を、本当によく聞く。
このように、多くの人が当事者であるテーマであれば、多様性を「自分ごと化」できるかもしれない。そういった試みが、さまざまな企業で始まっているのである。
年齢や世代に関わりなく、一人ひとりの個性や強みが活かされているためには、それぞれの価値観や、理想、悩み、困りごとなどをおたがいに知る必要があるだろう。
そのためには、どうすればいいのだろうか?
僕の意見では、世代や年齢を含めて多様な価値観を知るためには、最終的には「1対1で対話をする」しかないんだろうな……と思っている。
相手が「何を考えているのか分からない」のは、対話をしていないから。ざっくばらんに対話ができれば、相手を「理解」はできなくても、「何を考えているのか」はわかるのではないか。
とはいえ、「話をしよう」「対話をしよう」と言うのは簡単だが、これがなかなか難しい。「たまには、話をしませんか?」と声をかけるのも、かなり勇気がいることだ。
たとえば、サイボウズでは「ザツダン」という取り組みがある。ざっくばらんな話をすることで、上司・メンバー、おたがいを知る機会になっている。
しかし、僕自身もそうだが、関係がそれほど構築されていない相手に対して「今度、ザツダンしませんか?」と声をかけるのは、なかなか勇気がいる。年齢や立場が違えばなおさらだ。
「分かってはいる。でも、できない」――読者のみなさんにも、きっと経験があるのではないか。
だが、僕の場合、オンラインツールのおかげで、救われてきたところが多分にある。
サイボウズでは、日常の業務やコミュニケーションの多くを、kintoneという、弊社が提供している業務改善プラットフォームを使って行なっている。
kintoneは、業務改善を行なうためのアプリケーションを、専門的なプログラミングの知識がなくても作成できるサービスだが、それ以外にも、自分の考えを書いて社内に発信・共有したり、直接やり取りしたい人にはメンションを飛ばして連絡するなど、コミュニケーションツールの一面もある。
対面でコミュニケーションを行なう場合、人見知りの僕は、「あの~、〇〇さん」と、直接声を掛けることに、とてもドキドキする。だが、オンラインでのやりとりなら、対面よりもハードルが低い。
また、僕はサイボウズで複業をはじめた2017年からフルリモートで働いているが、物理的に離れているために、そもそも、対面で声を掛けること自体ができない。
以前、「あいつ、家でちゃんと仕事しているのか?」──コミュニケーションが難しい在宅勤務を円滑にする工夫という記事を書いた。テキストコミュニケーションのポイントについて触れたものだが、さまざまな制約があるテレワークでも、いろんな工夫をしてきたし、「オンラインだからこそできる関係構築のやり方があるな」と思っている。
そこで、話しかける際には、まずはオンラインで声をかけ、そのあとで「今度、ザツダンしませんか?」のように、1対1で話をする場に誘うようにしている。
また、異なる世代とよりよい関係を構築していくためには、相手のよいところを見つけ、ポジティブなメッセージを伝えていくことも大切だと思う。
「○○さん、すごいですね!」と、面と向かって伝えるのはなんとなく恥ずかしいが、オンラインなら、目の前に相手がいないため比較的書き込みやすく、書き込んだポジティブな言葉はずっと残る。
そこで、冒頭にお話した世代間ギャップや多様性の講演会では、「もしも、異なる世代と関わるのが難しければ、オンラインからはじめるのもひとつの方法ですよ」「オンラインのほうが実践しやすいこともありますよ」と、伝えるようにしている。
冒頭でも触れたように、本来「多様性」とは、「ある集団の中に、さまざまな特徴や特性を持つ人がともに存在していること」である。ここには、特別な事情がある人だけではなく、すべての人が含まれる。
一人ひとりの事情が尊重され、個性や強みを活かして仕事ができる。それが、もっとも理想的な姿であることに、間違いはないだろう。
だが、多様性という言葉に「なんで少数派の人だけ……」といった、自分ごと化できないという声がある事実は、多様性が、まだまだ浸透していない証拠でもあるのだろう。
一人ひとりが自分ごと化していくためには、すべての人が当事者になる必要がある。
年齢や世代を多様性の1つの要素としてとらえ、多様性を自分ごと化していくこと。そして、年齢や世代を越えて、関わりを持てるようにしていくこと。
そのためにも、オンラインだからこそできる方法で、年齢や世代を越えた関係構築ができるといいなと思うのだ。
]]>サイボウズでは、「100人いたら100通りの働き方」があってよい、という考え方のもと、働き方に関するさまざまな取り組みをしてきました。
キャリアについても、「会社が決める」のではなく、それぞれのステップに合わせて「自分で選択する」自律性を大切にしています。
しかし、キャリアに関するアンケートを取ったところ、社員の2人に1人が「キャリアについて困っている」という結果となりました。
「今後、人事としてどのような支援をしていけばいいのか」──そこで、社員のキャリア自律と組織のあり方について、法政大学キャリアデザイン学部教授の武石惠美子先生に、サイボウズ人事の石川憂季が悩みをぶつけました。
サイボウズ式の人気シリーズ「ブロガーズ・コラム」。このシリーズでは、ブロガーのみなさんの体験談をもとに、新しいチームワークや働き方について考えます。
今回は、日野瑛太郎さんに「仕事の視座を上げる前に考えたいこと」についてコラムを執筆いただきました。
会社で働いていると、えらい人から受けがちなアドバイスに「経営者目線を持って仕事をしよう」というものがあります。
言葉にはいくつかバリエーションがあり、「経営視点を持って仕事しよう」とか「視座を上げて働こう」とか色々言われますが、基本的にはすべて同じことを意味しているのだと思われます。要は、ひとりの従業員としての立場を離れて、高い視点から自分の仕事を捉えつつ働こうというアドバイスです。
僕も新卒で入った会社で、事業部長から「もっと経営者目線を持って仕事をしたほうがいいよ」と言われたことがあります。当時はまだ社会人2年目ぐらいでしたが、正直あまりピンと来るアドバイスではありませんでした。もっとはっきり言ってしまうと、こういったアドバイスを受けて、僕は猛烈に腹が立ちました。
僕たち従業員が経営者目線を持って仕事をしたところで、待遇が経営者並みになるわけではないし、本当の意味で経営に関与できるわけでもない。なんだかものすごくズルいことを言われている気がする──当時の僕は、そう考えたのです。
あれから10年以上が経ちました。当時、僕がこの言葉に対して抱いた反感は、いまでも部分的には正しかったと思っています。「経営者目線を持って仕事をしよう」というアドバイスには、やはりどこかにズルさが潜んでいることは否定できません。
その一方で、自分のやっている仕事を俯瞰してみる、つまり視座を上げつつ働くこと自体には、良い面も少なからずあるとも思うようになりました。捉え方や実践の方法さえ間違えなければ、視座を上げて仕事をすることは、実は働く個人にとっても大きな利益をもたらします。当時、社会人になりたてだった僕は、まだこのことがわかっていませんでした。
そこで今回のコラムでは、「経営者目線を持って働くこと」の意味について、良い面と悪い面の両方から、あらためて考えてみたいと思います。当時の僕のように、このアドバイスを受けてもやもやしている人がいるとしたら、参考にしてもらえたら嬉しいです。
まず、「経営者目線を持て」という言葉をなぜ僕はズルいと思うのか、その点を少し整理してみます。
僕がこの言葉をズルいと思う最大の理由は、それがあまりにも経営者にとって都合が良すぎる言葉だからです。
基本的に、経営者と従業員は立場がまったく異なります。経営者は仕事の指示を出して給料を払う側であり、従業員は労務を提供して給料を受け取る側です。会社の規模がどうであろうと、仕事の内容が何であろうと、「雇用する側と、される側」という立場は変わらないはずです。
そしてこの関係に立って考える限り、経営者の利益と従業員の利益は、多くの部分で相反します。たとえば、経営者から見れば従業員には安い給料で多くの仕事をしてもらったほうがいいですし、有給だってできるだけ取ってもらわないほうがいいでしょう。一方で、従業員から見れば給料は高いほうがいいでしょうし、有給だってたくさん取得したいはずです。
このような状況下で、仮に従業員が「経営者目線」を愚直に実行してしまうと、どうなるでしょうか。会社のためを考えて、安い給料でも文句を言わずに働こうとか、有給を取るのはできるだけ我慢しようとか、そういった考えを是認することになりかねません。
さすがにそれは極論だと思う人がいるかもしれませんが、現実に「経営者目線」で考えた結果、本来であれば行使できるはずの従業員の権利を放棄してしまう人は少なからずいます。
僕が新卒で入った会社でも、有給が使用しきれずに消えることを勲章のように語る人や、働いた分だけの残業代をもらっていないことを誇らしげに語る人が大勢いました。彼らはみんな、例外なく仕事の目線は高かったと思います。高すぎて、自分が従業員として行使できる権利があることをすっかり忘れているように見えました。
このように、「経営者目線」という言葉は、低待遇で従業員から高いコミットメントを引き出すために便利に使われてしまうことがあるのです。実際、ブラック企業ほど従業員に経営者目線を求めがちです。
なので、もしえらい人から「経営者目線を持って仕事をしよう」と言われたら、アンフェアな取引を持ちかけられているのではないかと、一度は警戒してみるぐらいの心構えはあったほうがいいと思います。
このように「経営者目線」という言葉は厄介な言葉なのです。
一方で、経営者目線を持って仕事をすることがすべて会社から搾取されることにつながるのかというと、そういうわけでもありません。
僕自身、視座を上げつつ働くことの利点に気づいたことがありました。それは新卒で入った会社を辞めて、社員数5名程度の小さなスタートアップで働き始めた時のことです。ここまで会社の規模が小さくなると、社員は全員、嫌でも視座を上げて働かざるをえなくなります。すると、新卒の時には見えていなかった、視座を上げて働く利点が少しずつわかるようになってきました。
従業員の利益や権利を放棄するような形で発揮される経営者目線は問題ですが、それ以外の面では、むしろ経営者目線を持って仕事をすることは、個人にとってプラスの効果をもたらします。
では仕事の視座を上げると、どのような良いことがあるのでしょうか。
まず挙げられるのは、そのほうが面白く働ける場合が多いということです。これはものすごく単純に思えますが、極めて重要です。人生のなかで仕事に費やす時間は少なくないですから、どうせなら面白いほうがいいに決まっています。
個人の仕事は、ほとんどが会社全体が扱っている仕事のほんの一部分です。まともな会社であれば、大抵は会社全体の戦略のようなものがあって、個々人の仕事はそのどこかに位置づけられます。それを知って働くのと知らないで働くのとでは、仕事から感じられる面白さに大きな差が出ます。
たとえば、ある会議に出席して議事録をひとつ取るにしても、単に会議の内容をテキストに起こす仕事だと捉えてしまうと、その仕事を面白いと思える要素はほぼないと思います。
一方で、その会議が会社全体にとってどういう位置づけの会議なのかを把握したうえで議事録を取るなら、そこでされた議論がどう会社の戦略に影響するのか、自分なりに考えられるようになるでしょう。
さらにその戦略と自分のいまの仕事との関わりが把握できれば、議論の内容にも自然と興味が出るでしょうから、単純なテキスト起こしと考えるよりも面白く働けるかもしれません。
また、そのように視座を上げて仕事ができると、単に面白いというだけでなく、結果的に仕事の質も上がることも少なくありません。
さきほどの議事録の例でいえば、視座を上げて考えることで、議事録を起こす際の情報の取捨選択の精度が上がるといったことが考えられます。また、仮にその会議が大局的な視点から見てあまり意味のない会議だったとすれば、「そもそもこの会議、要ります?」といったような、踏み込んだ提案だってできるかもしれません。
個人が日々の仕事を面白くすることや、仕事の質を上げることは、従業員と会社の双方にとって良いことです。こういった目的で経営者目線を持つのであれば、反対する理由は何もありません。
さらに、仕事の視座を上げることで、初めて把握できることもあります。それは自分の労働市場における市場価値です。これは個人がキャリアプランを描く際には、必ず知っておかなければならないものです。
市場価値というのは結局のところ、雇う側がその労働力に対して、いくらまでなら払っても良いと考えるかによって決まります。つまり、経営者目線によって決定されるのです。
自分のいまの仕事が、客観的に見て高く売れる仕事なのか、あるいは買い叩かれてもおかしくないぐらいありふれた仕事なのかは、自分を守るためにも知っておいたほうがいいと言えるでしょう。
つまり、個人にとっての良いキャリアプランを描く際にも、経営者目線に立って考えることは役に立つというわけです。
もっと言うと、この場合の視座は、ひとつの会社の経営者よりもさらに上、社会全体という視点に立って考えられるとなお良いと思います。その場合は、もはや経営者目線とは言わないかもしれませんが、視座を上げることが個人の役に立つという点では同じです。
ここまで述べてきたように、経営者目線を持って仕事をすることには、会社から搾取されることにつながりかねない危険な側面と、働く個人にとっても利益となる側面の両面があります。ではこのふたつの面と、個人はどう向き合っていくべきなのでしょうか。
まず、個人と会社の利害が対立する部分では、自分はあくまで「労務を提供して給料を受け取る、従業員である」ことを忘れないようにすることが大切です。とくに「経営者目線」という言葉でなんらかの権利が侵害されそうな場面では、立ち止まって「おかしいのでは?」と考える勇気を持ってもらいたいと思います。
一方で、個人と会社の利害が一致する部分では、しっかりと視座を上げて働くことも大切です。具体的には、日々の仕事に取り組む際には、基本的には視座を高く持ったほうが仕事も面白くなりますし、いい仕事ができる割合も増えるでしょう。そういった部分では、個人と会社は互いに協力ができます。
以上を一言でまとめるなら、「自分のために」経営者目線を持って仕事をしようということになると思います。それが結果的に、会社のためにもチームのためにもなるはずだと、いまの僕は信じています。
思えば、新卒の頃の僕は、ここまでは考えることができていませんでした。警戒感だけが先立って、仕事で視座を上げることを全面的に拒否していたような気がします。もしかしたら、それで個人的に損をしていたこともあるかもしれません。
みなさんが同じ轍を踏まないように、うまくこの言葉と付き合っていけることを祈っています。
同じ歳で、同じ大阪大学に通い、同じ下宿先で暮らしていた毎日放送(MBS)アナウンサー・西靖さんとサイボウズ代表の青野慶久。ふたりにはもうひとつの共通点があります。それは、3人の子どもがいる親として「男性育休」を取得したこと。
前編では、ふたりの30年のキャリアをふり返り、50代のあり方を考えました。後編では、それぞれの男性育休の経験から「誰もが育休をとりやすい組織をどうつくるのか」をテーマに対談しました。
企画・編集:深水麻初 執筆:徳瑠里香 撮影:高橋団