一連の『存在の大いなる連鎖』翻訳を終えたけれど、ラヴジョイ関連のツイートを検索して見てたら、哲学教師が、「ベルクソンとラヴジョイは同じ方向を向いている」という世迷い言を述べているのがあった。どこかにスクリーンショットをとったはずだけど、出てきたら貼り付けておこう。←あった。ベルクソンが存在の連鎖を終わらせた? ふーん。
でも、これはずいぶん首をかしげる話ではある。『存在の大いなる連鎖』でも、ベルクソンは単なる昔の存在の連鎖にもとづく進化論を蒸し返しているだけのヤツで、さらにはへんな悟りっぽいレトリックで人々をたぶらかしてるだけのインチキなやつ、というのは明言されている。この二人が同じほうを向いているはずは絶対ないのだ。
で、たまたままさにラヴジョイがベルクソンについて論じた講演録があったので、それを取り寄せてまずは全文をpdf化いたしました。
A.O.Lovejoiy ”Bergson and Romantic Evolutionism” (1913)
さらにそれを全訳してしまいましたよ。
ラヴジョイ「ベルクソンとロマン主義的進化主義」 (1913)
またこれも講演なんだけれど、まずラヴジョイによるベルクソンの全体的評価はp.5 に明記されている。
ベルクソン哲学全体というのは (最近の議論で十分に示されたことと思いますが)、お互いに対立ばかりしている要素の、単なる出来の悪い寄せ集めにとどまらず、きわめて不安定な複合体です。
というわけで最初から全否定。そしてその後も言ってることは簡単。
第一講義
- ベルクソンはえらい流行ってんだよね。やれやれ
- ご当人は「真の持続の直感」が最大の業績のつもりでいるけど、言葉にはできないそうなんで相手にしないよ。
- 代わりに「創造的進化」の話をしようぜ。
- かれの理論は、生気(エラン・ヴィタール)が次々に新しい生命を作り出して進化発達していくのが宇宙の本質なんだけど、それを「物質」が邪魔する、とかいうもの。
- 時間は哲学の盲点でもあり、うまく扱えなかったが、ベルクソンはそこに目をつけた……のはいいが、きちんと理論化できずに結局レトリックでごまかすばかり
- 物質、つまりは物理学や機械論的な進化に対して、それを打ち破る生命の力、といった存在の連鎖的プラトニズムを蒸し返したのが彼の手柄というか人気の秘密。
第二講義
- で、ベルクソンは神様も、すでに完成した至高存在としてではなく、宇宙とともに進化する存在として見ているんだ。
- しかも神様をそのエラン・ヴィタールの源と見なしてるそうだよ。立派な新プラトン主義の流出論だね。
- 要するに彼の「哲学」は実は、宗教にすぎないのよ。
- 本人はそれを「哲学的に実証」したというけど、してないから。もっとがんばるように。
というわけで、この二人を「同じ方向」と呼ぶのはつらいと思うねえ。ラヴジョイは、ベルクソンが存在の連鎖を終わらせた、なんてまったく思っていない。むしろそれを今更蒸し返しているといってバカにしてるんだ。それは『存在の大いなる連鎖』でも、ここでも一貫している。とはいえ、専門家が読むとちがうのかもしれないねー。あるいは、ぼくの知らないほかの文書でラヴジョイは、が急に方向転換している可能性も……ないと思うなあ。まあみなさん、お暇なら自分で読んでご判断くださいな。