Polèse "The Wealth and Poverty of Cities: Why Nations Matter": Duh. - 山形浩生の「経済のトリセツ」

Polèse "The Wealth and Poverty of Cities: Why Nations Matter": Duh.

Executive Summary

Polèse The Wealth and Poverty of Cities: Why Nations Matter (Oxford, 2021) は、経済発展の原動力として都市のイノベーションを重視する近年の流行に対し、いや都市発展の基盤となる制度をつくるのは国だから都市より国が重要なんだと論じる本。

しかしそもそも都市重視は、歴史的な農村重視と都市の軽視/悪者視に対する批判として出てきたもので、国の役割を否定するものではなかった。だから国が重要だと力説されても、そんなのあたりまえでしょ、と返すしかない。批判対象の文脈を見失って、当然の常識を得意げに力説する本になってしまっている。


ジェイン・ジェイコブズやグレイザーなど、都市こそイノベーションの中心であり、それが経済に豊かさをもたらすのだ、と述べる論者は多い。つーか、みんな最近それしか言わないのでつまらんわ。

で、本書はそれに反旗をひるがえすのだ、とのこと。都市の発展においては、国が果たす役割も大きく、国なしでは都市も栄えられない、というわけ。ほうほう。なるほどね。

で、具体的には?

えーと、国は税制決めるじゃない? 社会福祉とか決めて所得分配にも影響するじゃない? インフラの計画とか、都市をつなぐネットワーク、通信、その他いろんなものは国が決めるよね。だから国の政策がきちんとしてないと、都市も栄えられないよね?

はい、その通りですねえ。

で、それがどうかしましたか???

そもそも、都市が重要という話は、特に20世紀半ば、農村や地方部こそが食べ物をつくる富の源泉であり、都市の商人共とか職人とかは、その果実にたかって生きている盗っ人どもである、という発想が幅をきかせていたのに対して出てきたものだ。ちなみにこの発想というのは、それこそ社会主義の価値観で、毛沢東下放ポルポトの都市放棄の発想の根底にあるものだし、またキリスト教文化においても農民こそが価値をつくり、みたいな話は山ほどあった。邪悪な堕落した都市と、清貧で気高い農村、といったステレオタイプ的な対比はどこにでもある。

で、そんなのを背景にしつつ、都市への過度の集中はよくない、都市はスラム化する、分散させねばならない、農村と都市を融和させた低密な田園都市を、なんていう思想も強かったし、それが第二次世界大戦後の都市開発において大きな役割を果たしてきた考え方となった。

で、そういう思想に対して、いや都市とそこでの人の集積が生み出すアイデア、創意工夫、そういうものが経済の活性化につながり、農村地方部の農作物の新しい利用、その新しい製造手段の開発にもつながり、経済全体の価値を高めたんだよ、というのが都市重視の基本的な主張だった。ジェイコブズは、おまえらがスラムと思ってるそれこそが都市の真価だ、と看破したのが手柄だった。

つまり都市が重要、というのは地方部、農村との対比においてであって、そもそも国より都市が重要って話じゃねえわな。

そこんとこまるっきり誤解して「いや国も大事です」って、何言ってんだこいつ。そりゃ国は、地方部都市部に共通に影響する仕組みを創るよ。都市だけで勝手にアレコレできない部分も大きいから、国の政策は重要だよ。

で、本書はお国の政策で都市の繁栄/衰退が左右された例をあれこれ出してきて、ほらどうだ、オレの言った通りだろう、都市だけでは発展できないんだぜ、と胸を張るが、そんな常識を持ち出して、だれも言ってないことを否定して見せて、なにいばってんだ、てめえ。英語に「Does the word "duh" mean anything to you?」という表現があって、「おまえ、こんな言わずもがなのことを得意げに言って恥ずかしくねえの?」という意味だけれど、まさにこの本だわ。Duh. Duh. Duh.

ちなみにこの人は The Wealth and Poverty of Regions なる本も書いているので、これが終わったら読んでみようかと思っていたが、やめたやめた。