1. はじめに
最近、キューバでのプロジェクトが始まって、いま二回目の現地調査。キューバというと、みんなゲバラにカストロ、葉巻で、ついでにブエナビスタ・ソシアルクラブで町中が音楽に満ち……というような漠然としたイメージしか持っていない。このぼくもそうだった。その一方で、アメリカの経済制裁の影響や社会主義経済の常として元気がなく、停滞しているという話も聞いていた。
で、行ってみたら……うーん。何と言おうか。いや、いいところなんだよ。いろいろおもしろいのは事実。でも、どこがいいのか、と言われると口ごもる。どうだった、と言われると、次から次へと悪い点ばかりが出てくるんだけれど、でもじゃあ、そんなひどいところかと追われると、それほどでもないどころか結構楽しい。うーん。
ということで、ちょっとキューバの話を書いてみよう。ただ……
キューバのことを理解するためには、いくつか常識を捨てる必要がある。そしてその常識はずれの部分の大半は、ここが社会主義経済だということから生じている。
さてこれを読んでいる半分くらいの人は、社会主義が世界の一大勢力だった時代すら知らない。その他の人も、ほとんど具体的なイメージはないはず。ソ連では、ものが手に入らず、なんでも行列して、品質が悪く、といった話を間接的に聞いているだけだ。
いや知ってるよ、という人もいるはず。中国、ベトナム等々、いわゆる移行経済(transitional economy)で変な規制と官僚主義にホトホト悩まされた、と。でもそういう国は、「旧」社会主義国だ。政治は社会主義でも、今後はどんどん市場経済化を目指すというのが基本方針だった。
が、キューバはちがう。社会主義経済を堅持する、というのがその方針だ。いまどきそんな国はキューバと北朝鮮とベネズエラくらいだし、北朝鮮やベネズエラがまともな社会主義国といえるかどうか。
そして社会主義経済とは? 移行経済国の経験しかない人は、ぼくも含め、それが何やら市場経済のできそこないだと思っている。でも実は、それはまったくちがう代物だ……というのをぼくは今回、痛感したので、それを少し書こう。
2. キューバ: 憲法改正と「市場経済化」
さて、出発点として、まずキューバ関係でいま大きめの話題であるキューバ憲法改正からはじめよう。社会主義経済と市場経済の関係が、この憲法改正でも大きな問題になっているからだ。
山形が最初にキューバに出かけた2018年10月には、ドラフトが出てきて、インターネット経由で広くパブリックコメントを募集しようとしているところだった。二回目にきた2019年1-2月には、パブコメをもとにした最終ドラフトが出てきた。
そしてこれについて2月末に国民投票をすることになっている。このため、「イエス投票!」という一大キャンペーンを政府が展開し、いたるところにこんな標識が出ている。
そしてそれをもとに2019年4月には固めるという。かなり急ピッチの改正だ。
ではその中身はどんなものか? 山形のいい加減な話なんか見るより、2018年10月半ばに日本キューバ友好協会の招きで在日キューバ大使館がやった、憲法改正をテーマにした講演の資料とビデオをまずはおいておく。
どうせ怠惰な読者はせっかくの資料を見もしないだろうし、結構長いので簡単にまとめると、この10月時点での改正案の主要ポイントとしては:
がある。
2.1. 市場経済の導入
この中でいちばん重要なのは、もちろん最初の市場経済だ。これまでアドホックに入れてきた市場経済を、新憲法下ではもっと明確に位置づけて採り入れるのだ、と。おお、キューバ経済開放か! 日経新聞もそういうところに注目している。まあそうだろう。
だが……そうではない、らしい。少なくともぼくたちが思うような形では。
この講演会でも、この部分が最も関心の高いところだった。そしてキューバが今後どういう方向で市場経済化を目指すのか、という質問は出た。中国式? ベトナム式? もう少し制約が多いやり方もある。どんな感じで? すると、返事は「いや、中国は中国だし、うちはうち。他の国のやり方を真似るつもりはない。そもそも、市場経済化ではない。市場経済を導入するだけで、社会主義が基本である。その導入方法は、これから考えるのだ」というものだった。
市場経済化ではない。市場経済を導入するだけで、社会主義が基本である!
2.2. 私有財産と「生産手段」
が、そうはいっても、これまでの関連報道を見ると、憲法改正では私有財産を認めるようになるのが大きなポイントだ、と述べられていた。さっきの日経新聞の記事にも「民間企業や個人の財産所有を容認する」とある。社会主義といえば、まず第一に私有財産がなく、すべてが共有というのが(ぼくも含め)一般的な認識だ。私有財産を認めるなら、もうそれはかなーり市場経済っぽくなるのでは、と思うのが人情だろう。
講演会でも、当然この質問が出た。私有財産は認められるようになるんですよね? すると大使館の人は「何を言ってるんだ」という。いまだってキューバでは私有財産は認められている。車も持てる。家も持てる。自分のものだ、と。
ぼくたちは、それを聞いて「あらそうでしたか」と思う。ではいまのキューバも、すでにかなり市場経済的な要素を持っているのか、と思ってしまう。そして、それ以上のことは特に訊こうとはしない。私有財産が認められるなら、あれも、これも、いろんなものが黙ってついてくるのが当然だと思っているからだ。そして質問者も、それで「はあ…」という感じで引き下がった。
そこが黄色資本主義に染まったぼくたちの度しがたいことだ。ぼくたちは「銀河ヒッチハイクガイド」に出てくるストラグ(一般人)と同じだ。
なにかの拍子に、ストラグ(ヒッチハイカーでない人)がタオルを持ったヒッチハイカーに出会ったとします。ストラグは自動的に、ヒッチハイカーが、歯ブラシや手ぬぐい、石けん、ビスケットの缶、水筒、磁石、地図、紐、蚊取りスプレー、雨具、宇宙服などを持っていると判断します。(中略)ストラグはこう考えるのです——銀河系をはるばるヒッチハイクし、不便な生活に耐え、身の毛もよだつ一か八かの賭に勝ちぬき、それでもタオルを離さなかったような男なら、まちがいなく一廉の人物だ、と。(ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイクガイド』)
もちろんこれは浅はかな考えだ。タオルを持ってるくらいでバックパッカーなんか信用しちゃいけない。そして私有財産があるからといって、市場経済の下地があると思ってもいけない。
というのも、社会主義の決定的なポイントは、厳密に言えば私有財産ではないからだ。マルクス経済学でも、別に労働者が家や車を持てないなんてことは言ってない。
ではマルクス経済学で、資本家と労働者を分ける決定的な要因は何か? それはもちろん「資本」だ。だって「資本家」ですもん。ピケティだってそう言ってます。
が、その資本というのは何のことか? これはピケティ本でもいろいろ問題になっていたことではある。が、産業革命を受けて構築されたマルクス的な発想だと、それは何よりも工場設備であり、生産、特に大量生産のための機械だ。資本家はそういうものを持ち、労働者を使役し搾取することで肥え太る、というのがマルクスの主張だ。
つまり社会主義で重要なもの、資本家の独占を許してはいけないものは、私有財産すべてではない。生産のための資本、つまり「生産手段」だ。
そしてキューバでは、生産手段の私有は認められていない。今も。そしてこれからも。
さっきの私有財産に関する質問への回答で、「いや私有財産あるよ」との回答に続いてこの一節が述べられたとき、会場はどよめいた。これが講義や講演なら、ここで百本くらい質問の手があがってほしいところだ。私有財産は認められて、生産手段の私有は認めない? どういうこと? そこで言ってる「生産手段」って何のことですか? 持っていいという家や車だって、いろんな生産に使えるんじゃないんですか?ホワイトカラーは機械なしで(まあコンピュータとかはあるけど)主要な生産手段は頭の中の人的資本じゃないんですか?知的財産はどうなるんですか?あーだこーだ。
はいはい、すべておっしゃる通り。
だがマルクス経済学は、20世紀頭で考え方が止まっている。したがって、そういう面倒なことは基本的には考えない。キューバもそうだ。私有財産と生産手段の仕分けも、単純きわまりない。自分で所有して使っている分には私有財産だ。そして、それを使って多少の商才を発揮するのもありだ。でもそこまで。それを超えて商売をやったら、それは生産手段の所有を行っていることになる。
具体的にはどういうことか? 家を一軒持つのはかまわない。車を一台持つのは構わない。そしていまや、それを使って商売してもいい。たとえば民宿/AirBNBみたいに部屋を人に貸してもいい。レストラン(パラドール)を開いてもいい。車を使ってタクシー業をやってもいい。現実に、キューバにいけば宿の多くはそうした民泊だし、町のタクシーも多くはそうしたものだ。
でも、一軒、一台を超えたら、それは生産手段ってことだ。家を二軒持って宿泊業を営んではいけない。レストランも、本店と支店とかいうのは持てない。車を二台もってタクシー事業をやってはいけない。英語で話をしていると、「You can own A house/car」と、さりげなく単数の「A」が強調されているのだけれど、ぼくたちは普通そんなのは聞き逃してしまうのだ。
2.3. 労働、雇用、「搾取」
さらに、生産要素とえばKとL、つまり資本と労働だ。市場経済化で、労働はどうなる?自由に雇用はできるのか?
それに対してキューバ大使館の人がまっさきに言ったのは、「搾取はいけない」いうことだった。搾取がいけないのは当然じゃないの? と思うだろう。ぼくもそう思った。でも、ここで言っている搾取というのは、ぼくたちの考えるようなものではなかったのだ。
社会主義においては、(資本家が)人を雇用するのはすべて搾取だ。あらゆる雇用は、当然ながら、雇い主が従業員の労働の成果をある程度ピンハネすることで成立する。だから「搾取はいけない」というのは、「人を雇うのはダメ」ということだ。
そしてここで社会主義経済のすごいところが出てくる。雇う雇わない以前に、そもそも、雇えるような人がいるのか、というと……公式にはいない。社会主義では、あらゆる人は基本は政府に雇われているのだ。失業者は公式にはいない。キューバは、これまで不承不承ながら市場経済を導入する中で、1割の労働者を「放出」し、上で述べたような個人事業ができるようにしている。でも、その人たちが雇えるような遊休労働者は、原則としていない。雇うときには、国営の(!!)人材派遣会社から人を派遣してもらうことになる。
つまりどういうことか?日本的に言えば、個人事業主として活動するのはいい。家族がそれを手伝うのもいい。だけど、それを多少なりとも拡大して中小企業にするのはできない。個人事業の範囲を超えるものは、(協同組合というものはあるが)もう基本は国営だ。
2.4. 「市場」経済は1割
そして個人事業主も制約がある。たとえば農業。キューバは食べ物は配給制だ。だから、食物は基本、政府が買い上げる。全部ではない。九割を政府が(国際価格とはかけ離れた——低い——価格で)買い上げる。残り一割は、自分で使ったり商売したりしていい。葉巻もそうだ。ハチミツもそうだ。
さっき、国民はみんな政府雇用で、1割が放出されて個人事業ができる、と述べた。この製品買い上げの仕組みを見ても、自由になるのは1割。つまりキューバ経済においては、現状では市場経済部分として計画されているのは一割、ということだ。
でも、その一割の部分の多くは、外国人相手の商売となる。すると外貨収入ができる。外貨があれば、輸入品が買えるし、生活水準は著しくあがる。
政府は、それを気にしている。だから、外国人と国民との接触にはきわめて神経質だ。『ブエナビスタ★ソシアルクラブ』を見ると、老ミュージシャンの自宅訪問場面が何度も出てくる。でも実は、キューバでは普通はあんなことはできない。外国人は、キューバ人の自宅には基本的に行ってはいけない。通信機器は制約されていて、Wifiルーターは原則として持ち込めない。インターネットは一応あるけれど、街角の公園や限られた施設などに公共Wifiスポットがあって、そこで接続するしかない。テザリングや携帯回線のネット接続なんてのはない(……と書いていたら、解禁された! 3Gだけど、涙が出るほどありがたい)。
そして、外国人相手の商売がえらく儲かるのも警戒されている。タクシーや民泊など、外国人相手の商売はきちんと登録して、高価なライセンス料を払わねばならない。外国で活躍するキューバ人の野球選手も、キューバ人医師たちもそうだ。たぶん、『ブエナビスタ★ソシアルクラブ』に出てきた老ミュージシャンたちも、あれでお座敷はかかるようになりカーネギーホール公演までしても、そのあがりはほとんど国庫に入り、本人たちはあまり儲かってはいないはずだ。
そういう状況だと何が起こるか? ある農業関係者は「おれたちは、作物の90%は政府に納めて、25%は手元に置くんだ(ニヤリ)」と述べていた。あれ、なんか計算があわないような気がするのはなぜかな? ぼくには見当もつかないよ(棒)。結果として、経済としては外貨建ての部分の、それも非公式経済のほうが大きいとも言われている。
だんだん社会主義経済の壮絶さがわかってきてもらえただろうか?
2.5. 憲法改正で何が変わるのか?
でも、と話は最初に戻ってくる。憲法改正でそれが変わるのではないの?市場経済を積極的に採り入れるのではないの? うん、その通りなんだが、一方でかれらは社会主義経済を捨てるつもりはないという。今の体勢をまったくひっくり返してドカンと市場経済を入れる、ということにはならない。
具体的にどうなるかは、まだまだ未定で、可能性はいろいろある。ただこの講演会を聞いた限りでは、あまり期待すべきではないのかもしれない。市場経済を積極的に採り入れるとは言っても、しょせん、彼らの感覚での「積極的」なのだ。家を二、三軒持って営業できるようになるとか車二、三台持って事業ができるようになるのではないか、というのが大使館の人のコメントだった。さらに、人の雇用もある程度は認めるのではないかとのこと。
その程度だと、確かにあまり大きな変化は期待できそうにない。そしてまさに、それがキューバ政府としての狙いなのだろう。あまり大きく変化はさせない。少しずつ変える。変えてどこに向かおうとするのかはわからない。
外資は導入したいので、外国企業の権利についてはいろいろあるらしい。が、これについてはまた次回以降。
もちろん、ガラリと変わる可能性は当然ある。そもそも人が(直接)雇えるようになる、というだけでもすごい変化ではある(そのための人がどこにいるのか、というのはまた次の問題ではある)。もっと全体に自由化が進むと解釈すべきなのか? さっき、いまの市場経済は1割、と述べた。それが2割、3割になれば、たぶん状況はすさまじく変わる。ここらへん、ホント実際の動向次第ではある。
が、政府としてはすでに現状の市場経済化でも、格差が出てきているのをかなり気にしているという。地方部のサトウキビ農家は、外国人相手の商売も限られ、50年前の社会主義時代からあまり変わらない生活をしている。その一方で、ハバナの外国人相手の商売は儲かる。大学を出るより、タクシーの運転手になったほうが稼ぎがいい、という状況になっているし、そうするといろいろ国民の士気にもかかわってくる。
一方で、現状はある意味で、格差を抑えるために成長も抑える、という状況だ。それもまた、国民の特に若者にとっては不幸な状況だ。がんばっても大きく生活が改善する様子はない。医療は優秀で平均寿命が長いから、政府の中でも上のほうはずっとつかえている。ここらへん、日本ととても似ている。さてどうするのがいいんだろうか?
共産主義という文言を最初のドラフトでは削っていたが、それが最終ドラフトでは復活した。それをどう読むかはいろいろだけど、やはりあまり急激な市場経済の導入には警戒があると見るのが普通だろう。すると何があるのか……
3. 憲法改正のその他の部分
憲法改正のその他の部分は、まあキューバの国内問題なので、ぼくたちにはあまり関係ない。大統領や首相を入れて、どういう仕組みでやっていくかは、細部次第。同じく地方分権は、まあやり方次第だ。そして法治の徹底とデュープロセスは、重要ではある。これまで法体系があまり整っていなかったのを整理する、という。デュープロセスというのは、何かやったときにいきなり処刑されたりせず、裁判を受けて公平な処分を受ける仕組みができる、ということだ。え、これまではどうだったのよ、というのはつい考えてしまう。まあこれまでも一応それは行われていて、今回はそれを制度的にきちんと裏付けるのだ、というのが公式の立場。
朝日新聞は、同性結婚が認められる、というところに注目したがった。
でもいまのキューバで、同性婚なんていちばんどうでもいい話だ。ついでにいえば、他のところでもLGBT問題なんてホントどうでもいい話。というより、マイノリティの権利を守るために「マイノリティ、ウェーイ!なんとかリボンで連帯!参加しないやつらは差別主義者だからSNSで吊し上げ!」とかやり、人の頭の中まであれこれ検閲しようとする運動のやり方自体が基本的にまちがってるとは思う。が、閑話休題。
ちなみに、同性婚の部分はドラフト段階で落とされてしまったとのこと。残念でした。
4. で……
で、そういう仕組みになっているというのがわかったところで、それが具体的にどんな結果となるかについて、説明しよう。そして冒頭近くに「社会主義経済とは(中略)ぼくも含め、それが何やら市場経済のできそこないだと思っている」と書いた。つまり多くの人は、それが非常に不合理で非効率なものだと思っている。でも、合理性や効率性というのは、何を基準に見るかでまったく変わってくる。キューバの経済体制は、実はそれなりに合理性と効率性を持つのだ。それは何を最大化しようとするかのちがいでしかない。
そんな話を書いてみよう。
書きました。 ↓
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata は Creative Commons 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。