エミリー・オスター『妊娠出産の常識 ウソホント』:おおお、エミリー・オスターきたーっっっっ!! - 山形浩生の「経済のトリセツ」

エミリー・オスター『妊娠出産の常識 ウソホント』:おおお、エミリー・オスターきたーっっっっ!!

お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント

お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント

きましたエミリー・オスター。アメリカ経済学期待の星(だったんだけど、こないだきたIMFの期待の新星30人には入っていなかったので驚き)エミリー・オスターの、日本初紹介。それとこれって処女作?

その彼女がこんな方面にきましたか、とびっくりする一方で、エミリー・オスターは本当にわけわからないカバー範囲の広さというか無節操ぶりというかの人なので、かえって納得したり。アフリカのエイズと性病の関係については以前紹介した通り。また、そこにも書いたけれど、途上国で女の子が1億人も間引きされているのでは、というアマルティア・センまで大騒ぎした謎に対して、B型肝炎が関係しているのではという意外な分析を提示して見せた(でもこれに対してはアジアの研究者から、長子と第二子以降とのちがいから疑問が呈されて、それを受けて彼女自身が統計分析をやりなおして、自分の以前の結果では説明として不適切だというのを論文にして発表している。自分のまちがいをきちんと認めて自分で尻ぬぐいするだけの誠意を見せているのは実にえらい*1)、そしてまた、ぼくが大好きな研究では、中世の魔女狩りというのが実は気候や経済成長と関係していて、不作になるとそれが魔女のせいにされて魔女狩りにつながる、という得体の知れない研究をしたり。でもすべて、統計的な因果関係をきわめて緻密に見直して、めざましい結果を挙げた研究。

惜しむらくは、腰がすわらないので「この分野の大家!」みたいにならないことなんだよね。まあどちらかといえば保健衛生的な分野での研究が多いといえるな。


で、本書は彼女が、自分の妊娠出産にその統計分析手法を向けたもの。妊娠中は酒やコーヒー絶対ダメとか、あれは食うなこれは食うな、薬は飲むな逆立ちするな、といった話をさんざん聞かされる。おかげで妊婦はノイローゼ気味になっちゃって、これまた母子ともによろしくない。

オスターは、自分の妊娠出産を機に、この手のあらゆる話について「それは本当? 悪いってどのくらい?」とたずね、すべて原論文やもとの調査にまで遡って調べる。その結果、あれこれ言われていることの三分の二くらいは、あまり根拠がないことを示す。酒もコーヒーも、絶対ダメなんてことはない。生肉はやめたほうがいいとかはある。熱すぎる風呂に入りすぎるのもダメ。根拠あるものは根拠あるので、それはちゃんと考えよう。でもそうでないものも多いし、全体としてあまり神経質にならなくていいみたい。


しかもえらいのは、「コーヒーはほどほどに」とかいう曖昧さも許さないこと。「ほどほど」ってどれほど? 彼女はそれを医者などにもギリギリ詰めたあげく(かわいそうなお医者さん……)自分でいろいろ調べて、一日2杯なら絶対大丈夫、四杯でもほぼOK(つまりよほどのカフェイン中毒以外まったく心配無用)ということを明らかにする。すげえ。

もちろん、すっぱりきれいに割り切れる話ばかりじゃない。高齢出産のダウン症の確率の話も結構おもしろい。高齢になると確かに確率は増えるんだけれど、診断の擬陽性の確率もかなり高まるんだって。うーん……むずかしい。

また、エミリー・オースターといえど、独自の思いこみはある。無痛分娩はしないと決めていたんだって。これは別に統計的な根拠があるわけではない模様。オスターがとにかくそう決めたというだけ。ここんところは、ちゃんと調べて無痛分娩したほうがずっと楽だというのをもっと知らしめてほしかったところ。ついでに、無痛だと愛情が薄れるとかいうアホダラ経も踏みつぶしてほしかった。

が、あれもこれも、非常に勉強になる話ばかりだし、いま妊娠目指し中あるいは妊娠中の方々はにはものすごくおすすめ。これを読んで、小サンプルの偏った結果に基づく我流のあれやこれやには惑わされないようにしましょう! 心穏やかになれます。


もちろん特殊な例や根拠レスな信仰を持ち出して「うちはちがう」とかいう人も当然いるだろうけれど、これはいい加減な体験話に基づくことではなく、ちゃんとすべて研究的な根拠つきで出ていることですので、そういうのが理解できる人にとっては説得力の桁がちがいます。これが一年前に出ていたらなあ……

経済学を適用しました、というスタンスなんだけど、経済学というよりは統計手法のほうだなあ。ついでにエミリー・オスターには、はやく続編の育児編を書いてほしいところ。それまでは、こちらがおすすめかな。親にできることなんてたかがしれてます。悪い友だちとつきあってないか見て、最悪引っ越せ! というような本(というと言い過ぎだけど)

子育ての大誤解―子どもの性格を決定するものは何か

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付記 (10/11)

田中秀臣も絶賛! おもしろいもんねー。




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*1:この点、hicksian様からご指摘いただきました。ありがとうございます!