地球の破綻―Bankruptcy of the Earth 21世紀版成長の限界
- 作者: 安井至,「21世紀版“成長の限界”検討会」
- 出版社/メーカー: 日本規格協会
- 発売日: 2012/12
- メディア: 単行本
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ぐだぐだの書き殴りで、話に一貫性のない困った本と言うしかない。
副題にあるように、本書はあの悪名高い、全然あたらずピントはずれもいいところだった成長の限界の現代版を作って見ようという、安井至個人の試み。本の表紙には共著として「21世紀版”成長の限界”検討会」なるものが挙がっているけれど、あとがきを見ると中身を一切見せずに作ったものだとのこと。あとがきを書いた後で見せたようだが、それがどう反映されたかは一切不明。その意味で、ぼくはまず本の作られ方として不誠実だとは思う。
しかも全体の書きぶりは非常にぐだぐだ。書きながらあーでもない、こーでもない、いやこーかもしれないがあんなこともある、よくわからない、というのがダラダラ続き、結局何が言いたいんですか、というのがあまりに不明。そしてその中でのわずかな主張らしきモノもの、ずいぶんとお粗末なもの。その欠点とは以下の通り:
- 経済学の無理解
- 一貫性の欠如
- 結局はお題目だのみ
さて、ぼくは安井至は決して嫌いではない。一部の変な教条主義的環境論者に比べればかなりマシだし、いろいろ目配りも広いので評価はしている。が、本書を読んで、ぼくはかなり失望したと言わざるを得ない。少し説明しよう。
経済学の無理解
安井の経済学概念無理解は、以下の割引率の「説明」を見るとわかる。この人、割引率すらよくわかっていない。ちょっと長くなるけど、当該部分を見てくださいな。
1-4・2. 世代間衡平(公平)
ブルントラント委員会が提案した理念,“将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく,今日の世代のニーズを満たすような開発”は,別名,世代間衡平(公平)と言う言葉で呼ばれている.英語で書けば, Intergenerational Equityである.このような“未来世代に地球を残す”という原則は,当然のことだと思うのが,現実には,なかなか認められない原則でもある.その理由は,未来というものに対する理解が異なるからである.
この原則に反対を唱える代表格が,スウェーデン人で,“環境危機をあおってはいけない”の著者であるピョルン・ロンボルグである.彼は,“未来の割引率が高くても当然.なぜなら,人類は,過去,いかなる問題に対しでも,イノベーションによって,より安価な解決法を見出したからだと主張する.割引率という言葉に馴染みが無い人もいるかもしれない.未来の可能性をどのぐらい割り引いて考えるか,である.今, 10万円貰うのと, 1年後に10万円+金利相当額を貰うのでは,どちらが良いか,という問にどのように答えるかによって,割引率が分かる.
インフレの状況にあれば,金利も多少高いものの,今10万円で買える商品は,1年後には11万円になっているかもしれない.となると,1年後に10万円貰っても買えないかもしれないので.今10万円欲しい.これが当然の答えだろう.しかし現時点で,世界全体を見れば,デフレの社会である.金利はほぼゼロである.したがって,現在10万円の商品は, 1年後には, 9万円になっているかもしれない.だから,1年後に10万円貰うことで本来であれば,構わないのであるが,なんといってもデフレに加えて不確実な世の中なので,何を信じたら良いのか分からない. となれば,今, 10万円貰っておいて,タンス預金でもしていれば,安心できる.ますます今すぐ10万円が欲しい,という答えになる.現代社会とは,このように,未来に対する割引率が高い社会である.すなわち,未来のために,何をやっても裏切られると感じている人が多いのである.さらに,悪い条件がある.現時点での技術は,ある分野では相当な進化をするのが当然だと考えられる.例えば,デジタル技術はその典型例である.閉じ性能の商品なら, 1年後には8万円になっているかもしれない.となれば,今10万円貰ってタンス預金をしておけば, 2万円余るかもしれない.だから今欲しい.
いずれにしても,現在のような社会情勢では,1年後に貰うという答えを出す人はいない.これが未来に貰う所得は割り引いて考えるという考え方である.この考え方に従えば,来年貰う10万円は,今貰う8〜9万円の価値しかないのである.
ある会社のエアコンを省エネタイプに変えることを考えたとき,その省エネ効果による利益は,現時点から数年後に渡って,閉じ額で受け取ることになるだろう.もしも, 5年後の受け取る金額が,今受け取る金額よりも格段に少ない価値しかもたないとしたら,誰も,エアコンを省エネタイプに変えようとは思わない.経営者が未来の割引率は高いという考え方をもっていると,省エネなどの設備投資が進まない理由である.
もし,格段に優れた環境対策が未来技術の完成によって実現できると考えたらどうなるか.例えば,温室効果ガスの排出をすれば,温暖化(気候変動)が起きるが.気候変動を安価に防止する技術が将来開発されて,効率的な防止が可能になるだろう.たしかにこれは,未来に対する考え方の一つではあるが,これを現時点で許容すべきかどうか.かなり怪しいように思える.なぜならば, もしロンボルグによる主張を繰り返せば,“未来のイノベーションに期待して,現在の温室効果ガスの排出は盛大にやってしまおう.そして,豊かな生活を送ろう” , となる.これも未来の割引率が高いと表現されることがあるが,実際にできるかどうか分からないイノベーションを当てにして良いと批判すべきである.少なくともイノベーションの実現に向かつて努力をしている人のみが言える言葉であって.それ以外の人聞がこれを主張しでも,単なるワガママだ、と評価することが妥当のようにも思える.(pp.60-62)
This is wrong on so many levels. (BTW, Lomborg is a bloody Dane.)
まずそもそも安井は、割引率というのを、何やら物価の話だと思っている。まずそれが全然ピントはずれ。まず割引率というのは基本は投資の話なのだ。この時点で、この人が割引率の概念をあまりわかっていないのが明白。アメリカの不動産事業の割引率は15%とか言われる。これはつまり、不動産事業者はだいたい腐っても15%の投資収益を得られると思っている、という話でもある。
また、インフレだのデフレだの言っているところを見ると、この人は実質の議論と名目の議論の区別もついていない。そして区別がついていないうえ、その話が何の役にもたっていない。インフレだろうとデフレだろうと、来年10万円もらうよりはいま10万円もらうほうがいいそうな。それがどうかしましたか?
だってそれ、どんな環境でも当たり前なんだもの。いま10万円もらうか、1年後に10万円もらうか、という選択だと、ほぼどんな環境でもいま10万円もらうという以外の選択肢はない。インフレだろうとデフレだろうと関係ない。インフレ気味なら、いま10万円もらって銀行に預けるか投資すれば1年後には10万円以上になっております。デフレなら、そのまま持っておけばどのみち1年後には10万円のままだからどっちでもいい。だからそれをあれこれ言うこと自体が無意味。でも安井はその無意味な話を延々と続ける。
ここらへんが怪しいところで、地球温暖化がらみの話がまともにできるとは、ぼくは思わないんだけどな。
こういう基本的な概念があやしいところで、安井はアジアの発展がとか工業生産がとかいう話を後のほうでするんだけれど、ほとんど印象論(それも日本のモノ作りはすばらしい的な)の域を出ない代物。非常に浅はかだと思う。中国に製造業が集中すると世界中にモノがあふれてデフレになるんだって。あのー、中国人もそこまでバカじゃないと思うんですけどー。
一貫性の欠如。
さらに、上の引用の最後の部分をもう一度見てほしい。
なぜならば, もしロンボルグによる主張を繰り返せば,“未来のイノベーションに期待して,現在の温室効果ガスの排出は盛大にやってしまおう.そして,豊かな生活を送ろう” , となる.これも未来の割引率が高いと表現されることがあるが,実際にできるかどうか分からないイノベーションを当てにして良いと批判すべきである.少なくともイノベーションの実現に向かつて努力をしている人のみが言える言葉であって.それ以外の人聞がこれを主張しでも,単なるワガママだ、と評価することが妥当のようにも思える.
なるほど、いま存在していないイノベーションをあてにしてはいけないんですね。少なくとも自分でイノベーションしようとしてない人はワガママなんですね。ぼくはまったく賛成できないけれど、でもそういう立場はありだろう。今後は一切の技術進歩はなく、将来世代はアホばかりでいまの技術を使い続けるばかりが能であり、新しいものは一切生み出せないごくつぶしばかり、という考え方。それを宣言するのであれば、いっそ潔い。そこまで人類に絶望しているのであれば、そもそも将来世代なんかいてもいなくても同じように思うけれど、でももちろんそれは人それぞれだ。
ところが後で、この人はこう言い出す。
しかしここまで考えてみて,この“未来は分からない”という言葉で,すべてを済ませてしまうことは,思考停止状態になることを意味するのではないか,と思うようになった.この思考停止状態を是認することは,未来をなんとかして見ることがヒトという生命に与えられた能力だとしたら,その能力を発揮していないということを意味する.これは,ヒトが背負って生まれてきた義務を果たしていないということになるのではないか.やはり, トレンドを見て,なんらかの未来を想像することが重要だと思う.その手法によれば,穀物生産量が人口の増加に寄与した過去はあるが,人口を減少させるということは,起こりそうもない.勿論,世界人口が120億人になるような事態になれば,話は別である.
何? 最後に人口について,やはり未来は分からないと言っているではないか.しかし人口の動向をこれから考えるが,世界の人々の経済状況,心理状況,などから結婚というものに対する考え方を見たとき,世界人口が120億人になるというストーリーを書くことは,ほほ不可能だ、という結論になる.もっともヒトは気まぐれな動物だと思えば,やはり未来は分からない.(p.85)
さっきは、いまはないイノベーションがあると想定してはいけない、ワガママだ、と言っていたその口で、イノベーション (ここではつまり食料増産の見通し) を想定しないというのは思考停止だ、ヒトが背負ってきた義務を果たしていないという。どっちなんですか?
そしてその次の段落で「でもやっぱりうだうだで未来は分からない」と言って見せてお茶を濁す不誠実さ。そりゃ完全な予測はできないだろう。でも専門家に期待するのは、その中で最大限の知見を持って、少なくとも多少は指針となるべきものを出すことだ。わからない、断言できない、知らない、予想できないと言い続けるのが誠実さではない。ぼくは多くの人がそこらへん間違えていると思う。断言してるからよくないとかいう批判を始終見かけるんだが――だが閑話休題。でも本書はすべて、こういうぐだぐだした逃げに終始する。
さらに、最終章の解決策では「イノベーションによる解決」なるものが50ページにわたり展開される(pp.243-297)。えーと、結局イノベーションがあると想定したいんですか。それはワガママではなかったんですか? それともご自分はこんな本を書くことでイノベーションに参加しているから、それを想定してもワガママではないんだということでしょうか? でもそのイノベーション議論も、クリステンセンにドラッカーの引用というあまりに手垢にまみれたまったくイノベーティブでないものなんですが……
結局はお題目だのみ
で、安井の結論は、結局はリサイクル循環型社会で無排出社会(!! いやマジです。安井は2100年までに炭素排出ゼロ社会を実現するなどというのをイノベーションのための目標として掲げろと主張する。どうします、ぼくたちみんな息を止めたほうがよいんですか?)だ。そのためには、互恵的利他主義と未来志向が大事なんだって。
言われなくてもみんな、互恵的利他主義はやってるんですが。
そしてその互恵的利他主義に基づいて社会を変えろ、ライフスタイルを変えろ、シンプルライフだ――ぼくはそれがお題目以上のものだとは思わない。
まとめ
本書の他の部分は、生物多様性とか気候変動とか、鉱物資源の枯渇とかリサイクルとか、個別の話をあれこれまとめようとはしている。ただ、うえの引用部分でもわかると思うけれど、すべて非常にまとまりが悪くて、なんだか口述筆記をそのまま文章にしたような、議論の骨格がきわめてあやふやなものとなっている。たいへん読みにくいし、また話がいろいろゆらぐため、結局どういうスタンスなのかわからないことだらけで、だから最後はお題目に陥る。本書でダシに使われている「21世紀版「成長の限界」検討会」の人々が個別に書いた本や論説は勉強になるものも多いので、読んだほうがいいけれど、この本はぼくはだれにも奨められない。
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.