ケインズ「一般理論」山形浩生訳 全訳完成 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

ケインズ「一般理論」山形浩生訳 全訳完成


全訳完成。9/1に始めて、途中一週間休みがはいったけど、20日でゼロから仕上げた計算。もうちょっと集中できたら二週間くらいでできたかな。ぼくは翻訳は一発通しで、読み直すことさえあまりしないから、用語の不統一や誤変換はそこそこあるかと思う。でも大きな誤訳はないはず。各種まちがいに気がついたら教えて。

ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』山形浩生訳(全訳) (pdf 840kb)

訳していて気がついたこと。

  • ケインズは、ヒックスにも言われているけど、嫌みったらしくてやーなヤツ。
  • ケインズがわかりにくいのは名文家だからだ、と伊東光晴なんかがしつこく言うが、まったくのウソ。理解できないからありがたい名文にちがいないという変な宗教がかった愚かな信仰は、いい加減捨てていただきたいところ。以下のようないやらしい、関係代名詞に条件節がたくさんぶら下がった文を山ほど書くので、わかりにくいと言われるのはしかたない。でもこれはあきらかに悪文の一種であって、名文とか美文とかでは絶対にあり得ない。道草諸賢は、ちょっと構文解析してみるのも一興。クルーグマンやサムナーの文が、神々しいまでに明晰で単純に思えてモチベーション上がるはず(かな?)。ちなみに、これは比較的ましなほうだったりする*1

For incomes will have to fall (or be redistributed) by just that amount which is required, with the existing propensity to consume to decrease savings by the same amount by which the rise in the rate of interest will, with the existing marginal efficiency of capital, decrease investment.

  • ただしこうした文は、普通の人が一般に話している様子を想像しつつ、目の前でケインズがしゃべっていると思って耳で解釈すると、意外とわかりやすくなる。通常の人の話し方を考えて欲しい。こんなしゃべり方をすると思う。

「ここの部分で、あ、これはこないだもちょっとふれたことですが、ピグーくんが話していることは、かれもまあいろいろ考えてはいたようですが、雇用が、といってもあくまで仮想的な話ですよ、いかに金利と関係してくるか、この場合の金利というと銀行のじゃなくて理論的な意味での話で、なんか前のところでもちょっと触れたやつで別の概念も含めてますけど、その金利との関係を求めたい、といってもあくまで物価一定の仮定の中の話ですが、その関係がどうなるかってことなんです」

  • 上のをそのまま書き下すと、ケインズの文みたいなのになる。それもあって、今回の訳ではですます調にしてみた。
  • ケインズの文章をわかりにくくしているもう一つの理由は、ケインズ青二才的な小利口ぶりをあちこちで発揮して、現実にまったくありえんような特殊な例外状況を嬉しそうにいちいち書き足して、それが話の本筋をしばしば見失わせてしまうこと。24章にはこんなのがある:

そうした希少性の本質的な理由、つまり利子という形で報酬を提示しない限り集められない、本当の犠牲という意味での希少性要因は、長期的には存在しません。例外は、個人の消費性向が奇妙な特徴を持っていて、完全雇用下における純貯蓄が、資本が十分豊富になる以前に終わってしまうような場合だけです。

  • 上のやつ、後半の「例外は」以降は、なぜだか知らんけどあらゆる人々がいきなり「貯蓄するのなんかもうやーんぴ」と言い出したら資本はそれ以上は増えない、という話。それってどんな状況じゃ! そんなくだらんあり得ない話をいちいち書くんじゃないっ!(ま、クレジットカードの過剰債務者だらけの世界がこれに近いとかいうこじつけはできなくもないが。) しかも原文は一つの文なのだ。同じ文の中に、真面目な話とお茶目な極論とを混在させるんで、ほとんどの人はケインズ様が全部にわたって何か深遠なこと言ってるにちがいないと思ってしまう。で、まともに理解しようとして、目が点になる。ときどき酒の席で話をしていると、気が利いたつもりで「あ、でもそこで世界中の人がいきなり超絶美男美女ばかりになっちゃったら話は別ですけどね、アッハッハ」みたいなことを言って、まじめな議論をしらけさせるやつがいるけど、その手のばっか。
  • そういうのを抜いて、あと古典派への疑念は第一部で出し切って、最後になって古典派との対比をまとめてやってくれれば、ずーっと見通しがよくなったんじゃないかなあ。ついでに短くして、いくつかの概念をある程度グラフと式にして……となるとできあがるのは IS-LM になっちゃうのかな。
  • この後、フランス版への序文とドイツ語版への序文もおまけで訳すかも。ちなみに日本語版への序は、ドイツ語版の頭部分を取っただけの手抜き。(訳した)



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*1:しかし途中に引用されていたヒュームの文を四苦八苦して訳した後にケインズに戻ったら、ずいぶんシンプルに思えてしまった。昔のほうほど文が複雑怪奇で、それが現代に近づくほどシンプルで単純になるというのは、時代を追うにつれて人々はバカになっているのか……(いや理由はわかるんだが、でも最初は単純で原始的だった思考が、だんだん複雑化して文もそれにつれて複雑化する、という道筋もありだと思うんだが、なぜそうならんのかな)