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9月8日は「ハヤシの日」

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~ 「ハヤシの日」について ~

明治の初期、丸善創業者の早矢仕有的(はやし ゆうてき)が考案、そこから名付けられたとされる「ハヤシライス」。
ハヤシライスの命名には諸説ありますが、有的は当時日本を訪れていた多くの外国人との親交があり、また西洋料理にもなじみがあったため、友人が訪れるとあり合わせの肉や野菜をゴッタ煮にして、ご飯を添えて振る舞っていたようです。やがてこの料理は「早矢仕さんのライス」といわれるようになり、評判が評判を呼んでついには「ハヤシライス」の名で街のレストランのメニューになったとか。
(『丸善百年史』より抜粋)

弊社はこれらのエピソードより、昭和29年(1954)日本橋店の屋上レストランでおよそ半世紀にわたり「丸善のハヤシライス」としてその味と香りの文化を提供し、平成元年(1989)には創業120周年を記念して洋食シリーズ缶詰「新厨房楽」を発売、更に2016年9月にはレトルトパックシリーズを発売いたしました。

丸善とハヤシライスは明治、大正、昭和、平成、令和と多年にわたり関わり続けて参りました。丸善の洋食シリーズ「新厨房楽」の製造販売会社である弊社が「ハヤシライスの生みの親」である早矢仕有的の誕生日(9月8日)を「ハヤシの日」として制定し、これからも将来にわたり「丸善とハヤシライス」の文化をより多くの方々に伝えてまいります。

株式会社丸善ジュンク堂書店


~丸善の洋食シリーズ「新厨房楽」~

創業120周年記念商品として誕生した洋食缶詰シリーズ「新厨房楽」は、贈答用化粧箱が辞書の様な装丁で「本屋さんの洋食缶詰」として 多くのお客様に長く愛されてきました。 現在は、2020年11月28日にリニューアル・新発売したハヤシビーフ・カレービーフの2種類の本格的な洋食を手軽にお召し上がりいただける「新厨房楽レトルトシリーズ」がご好評を得ております。ご家庭用として、また大切な方へのギフトとしてご活用下さい。
※新厨房楽シリーズの缶詰商品の製造は終了いたしました。長らくのご愛顧誠にありがとうございました。

新厨房楽レトルトパック2

◆新厨房楽レトルトシリーズ◆

2020年11月28日(土)「ハヤシビーフ」「カレービーフ」をリニューアル、新発売いたしました。

◇新厨房楽レトルトシリーズ ハヤシビーフ
内容量 200g(1人前1袋)/ 日本製
2020年11月28日(土)発売 / 価格 600円(税別)

◇新厨房楽レトルトシリーズ カレービーフ
内容量 200g(1人前1袋)/ 日本製
2020年11月28日(土)発売 / 価格 600円(税別)

◇ギフトボックス
ギフトにぴったりのセット用ボックスをご用意。ハヤシビーフ・カレービーフの組み合わせ自由で、最大4つまで入れることができ、百科事典のようなデザインは本好きの方に喜ばれること間違いなし!
2人前セット箱 98円(税別)
3人前セット箱 147円(税別)
4人前セット箱 196円(税別)


【お取り扱い店舗】
~北海道・東北~
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~ 日本橋店とハヤシライス ~

旧日本橋とハヤシ旧日本橋店(1954~ 2004)

昭和29年(1954)丸善日本橋店に日本初の屋上ゴルフ練習場が開設され、そのクラブハウスとしてレストランがオープンしました。ハヤシライスもメニューに入れられ、知るひとぞ知る隠れた逸品として旧日本橋店が改築のため閉店するまでのおよそ半世紀に渡り「丸善のハヤシライス」としてその味を残してきました。


~ 丸善創業者 早矢仕有的について ~

丸善創業者 早矢仕有的
<HAYASHI YUTEKI 1837~1901>

――医者を志した有的――

丸善創業者の早矢仕有的は天保8年(1837)美濃国武儀郡、現在の岐阜県生まれ。
医師を志し、18歳のときに郷里で開業しました。有的は、のちに庄屋・高折善六(たかおりぜんろく)にその才を見いだされ、江戸へ出ることになり江戸では蘭方医・坪井信道(つぼいしんどう)等に学びながら、日本橋橘町で開業し、文久3年(1863)には結婚、青年医師として順風満帆の人生を送っていました。

――福沢諭吉との出会い――

慶応3年(1867)当時評判の福沢諭吉の私塾(後の慶應義塾)の門を叩くことになり、これが有的の人生においてターニングポイントとなり、塾の主宰者・福沢諭吉こそが有的にとってのキーパーソンとなっていきます。有的は、入塾して2年後の明治2年(1869)、自らが居住する横浜に「丸屋商社」を創業したのでした。開業当時は主に諭吉の著作販売を手掛け、同時に医薬品と医療器具の輸入を行っていました。有的自身も実業家というより、肩書きは横浜黴毒病院の院長であり、医師として多くの患者の治療に当たっていたのでした。

――世界を相手にした商売を行った有的――

明治という新しい時代を迎え、輸入販売を行う丸屋商社は創業の翌年に東京日本橋に店を開設。その翌年には大阪、翌々年には京都にと支店を設けていきます。西洋文化・文物の導入という創業の目的のもと、書籍はもちろん、万年筆、タイプライターをはじめ新しい時代にふさわしいさまざまな商品を輸入紹介、明治30年以前の商品カタログの取扱商品には、シャツ・手袋・煙草・ランプの芯・マッチ・石鹸・帽子・鉛筆・バター・ウスターソース・カレー粉・コンデンスミルク・ビール・リキュールなどがみられます。
時代を読む先取の精神と旺盛な合理的精神によって多くの業績と逸話を残した有的は創業時から明治18年(1869-1885)まで丸善初代社長をつとめ、明治34年(1901)に64歳の生涯を閉じました。

参考「言葉で知る丸善雄松堂」(丸善雄松堂株式会社のウェブサイトに飛びます)

※写真はすべてイメージです。

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