第1回

 

第一章

 コーヒーとコーラが運ばれてきた。

 

「せっかくの休みなのに、お呼び立てしてすみません」

 

「べつにかまわん。で、なんだ。話というのは」

 

「じつは僕、自衛隊を辞めるかどうかで悩んでいます。想像していた世界とだいぶ違っていて。それで、一任期だけで退職しようかなと。先輩はどう思いますか?」

 

「おまえの人生だろう。好きにすればいいさ」

 

「そうですよね……」

『あの震災発生から半年が経ちました。復旧復興の掛け声は大きいですが、現場ではまだまだ混乱が続いており、作業はとても遅れています……』

 

 ガレキを背に、マイクを持ったレポーターが淡々と喋る。映像が変わり、津波に呑まれる瞬間の集落が映し出された。同じ場所らしい。

 

『この地区での死者、行方不明者の数は……』

 

 壁に掛けられているその大型の液晶テレビに、被災者数のテロップが被さる。テーブル席にひとり座る青年が、食い入るようにその画面を見つめていた。太い息を漏らし、気を落ち着かせるように、その強張った口元にコーラを運ぶ。そして頭を振ると、脇に置いたバイクのヘルメットとウエストバッグの位置を、これも精神を整えるように小さく直した。

 

 全国チェーンのファミレスであった。だが、テレビの放映はやめているはずだった。垂れ流しの自社コマーシャルや衛星放送のニュースに、うるさいなどの苦情が出たからである。けれど震災を機に復活した。国内のニュース番組を流すようになったのだ。国民の関心事であり、また憂いである、東日本大震災の関連情報を提供するのが目的らしい。

 

「そういえば、ここは……」

 

 青年が店内に目を移す。決意を固めた、あの時と同じファミレスである。もちろん、場所は違うが。

 

 テレビの映像に青年が目を戻す。大勢の自衛隊員が、ガレキの撤去や行方不明者の捜索に従事していた。

 

直也なおや? 道畑みちはた直也だよな?」

 

 突然、名前を呼ばれた。レジから外に向かおうとしていたらしい、中年の男性からである。こちらに近づく浅黒い顔に思い出す。高校時代の担任で、所属していた陸上部の顧問でもあった教師である。卒業式以来であろう。立ち上がった直也に、教師はほころばせた顔を寄せてきた。

 

「おまえら、大活躍だなっ」

 

 当時と変わらない大きな声を出し、教師は直也の肩を叩いてきた。テレビと直也に交互に笑顔を向ける。

 

「休暇で戻ってきたのか?」

 

 いえ、と直也は答えた。対照的に声が小さい。けれど習慣が抜けず、背筋はまっすぐだ。といって、この姿勢は陸上部の習いではない。

 

 ひとつ空咳をし、のどの調子を確かめ、言う。

 

「この度、任期満了で除隊しました。今は実家の仕事を手伝っています」

 

 そうだったのか、と教師が意外そうな表情を見せた。

 

「陸自に入ったと知って喜んでいたんだが。部活でもトップランナーだったし、そっちのほうが向いていると思ってな。そうだったか、辞めて横浜に。でも一人息子だったもんな、おまえ。で、いくつになった? 二十歳か?」

 

「いえ、二十一です」

 

「そうか。親父さんやお袋さんは元気なんだろ? 魚屋の」

 

「元気です。じつはここで、仕事の件で父と待ち合わせをしていまして。母さんは……」

 

 どう話したものかと、直也は口ごもる。教師がなにか思い出したような顔をし、腕時計を覗いた。

 

「わるい。今日はこれから研修会があって、ちょっと急ぐんだ。ご両親にもよろしく伝えてくれ。じゃあ……」

 

 くように教師が背中を見せた。けれど歩を止め、振り返る。慇懃いんぎんな顔がこちらに向いた。

 

「本当にご苦労様だったな、災害派遣。みんな感謝してるよ」

 

 しみじみとした声で言い、教師が丁寧に頭を下げてきた。

 

「いえ、僕は……」

 

 教師が片手を挙げながら、足早に去る。その後ろ姿に直也はつぶやいた。

 

「僕は行ってないんです。被災地には」

 

 直也は苦い思いに胸を締め付けられた。そして溜息とともに腰を下ろした。

 

 

 

 道畑直也は、陸上自衛隊に勤務していた。だが、あの震災発生の数週間後に除隊している。それは予定されていた退官であり正しい選択だったと信じているが、胸の中にはずっと晴れないもやがあった。

 

「でも違うだろ、今は」

 

 直也が頭を切り替えるように、そして気合を入れるように、己が両頰を両手で叩く。こちらこそが陸上部の頃からの習い性であった。そうしてトラックのゴールラインを見つめる目となり、直面しているうれいに心を向ける。家業である鮮魚店が今、大変な状況にあるのだ。

 

「どうなるんだろう、これから……」

 

 あの震災の津波は、被災地に甚大な被害をもたらした。そして地元の水産業者を襲ったその波は、直也の手伝う横浜の小さな鮮魚点にも押し寄せていた。思いもしなかった余波である。それで今日は店を休み、父は築地つきじ市場に、直也は三浦半島の漁港に、それぞれ早暁そうぎようから出向いていたのだった。魚の仕入れではなく、魚の情報を仕入れに。その後ここで合流し、報告しあう手筈になっている。父とともに店頭に立っていた母は、パートに出て働いていた。

 

「早かったかな」

 

 腕時計に目を落とす。父とここで待ち合わせてはいるが、はっきりした時刻は決めていない。

 

 先に着いたことを知らせようと、直也はテーブルの上のスマホに手を伸ばした。するとタイミングよく、父からかかってきた。

 

「直也、今どこだ?」

 

 少し疲れたような父の声だった。ファミレスに着いたことを伝えると、そっちの具合はどうだった、と訊いてくる。電話なので手短にまとめる。という以前に、たいした収穫はない。

 

小網代こあじろ佐島さじまで、春先からずっとアオリイカが獲れてるんだって。それも一キロものがコンスタントに。こんなことは初めてだって、どっちの漁師も不思議がってた」

 

「それって、震災があってからだろ?」

 

「あ、ひとりはそう言ってたね」

 

「築地でも似た話を耳にしたよ。あんなに獲れなかったイワシが、今年は豊漁なんだ。逆に、ピタリと獲れなくなった魚もある。どうやら地震で、海の様子が変わったらしいんだ」

 

「で、三陸ものや常磐ものはどうだったの? 横浜の市場と違ってた?」

 

 無音となり、まるで聞こえなかったかのように、それでな、と父が言う。

 

「それでもうひとり、事情通に会えることになったんだ。知ってるだろ、陸前水産」

 

 知ってる、と直也は答えた。横浜の老舗しにせの水産加工会社である。

 

「そこで話を聞いて、それからそっちに向かう。だから飯でも食って待っててくれ。長居はしないから」

 

 ここから陸前水産は遠くない。わかった、と直也は返し、通話を切った。

 

 そうしてテレビ画面に目を移すと、変わらず自衛隊が奮闘していた。またしても胸の中に苦味が広がる。心のきが赤黒く光り、煙が一筋上がった。

 

 ――なぜ、僕はあそこにいないんだ?

 

 もう、何万回考えたかわからない。直也はコーラを飲み干した。そのまま細かい氷を口に含み、じゃりじゃりと歯で砕く。氷を嚙み砕くのは、幼い頃からの癖だった。ただし、苛立った時の。それは両親に指摘され自覚しているが、なかなか直せないでいた。

 

 小さく首を振り、窓側に置かれたメニューに手を伸ばす。するとその腕が止まった。ガラスの向こうの青空に、白い飛行機雲がたなびいている。それは幼い頃より心ときめかせ、ずっと手を伸ばしていた雲だった。だがその手で摑むことは、とうとうできなかった。

 直也は陸自ではなく、航空自衛隊に入るつもりだった。戦闘機のパイロットになりたかったのである。それは父、ただしの兄の、つよしという伯父の影響だった。

 

 伯父は航空自衛隊で戦闘機乗りとなり、そののちは救難機の操縦士となって働いていた。直也は、バイクでふらりと現れるこの伯父が大好きだった。性格も体格も父と正反対で、がっしりとしていて、顔面にまで筋肉が盛り上がっている。そしてやんちゃで冗談好き。その伯父が、どこまで本当なのかわからない話をよくし、直也を夢中にさせたのだ。

 

 領空侵犯機を追い払った、音速を超えると時間の感覚が変わる、などの話は、耳を傾けているうちに自然と正座となった。だが、UFOを追いかけまわした、米軍機と地球を一周する競争をした、嵐と洪水と暗闇の中で離れ小島に着陸したなどとなると、途端に膝と頰が崩れたものである。ともかく話し上手で、聴いていて胸が躍った。

 

 しかし訓練中の事故で伯父は殉職。直也は大きなショックを受けた。だがそれ以上の感銘も受ける。横須賀よこすかの生家にて執り行われた葬儀に、伯父に助けられたという島民が遠方から弔問に訪れ、遺影の前で泣き崩れたのである。生前に聞いた、急患搬送のため悪天候の中で離島に強行着陸したという話は本当だったのだ。

 

 部隊葬でも多くの活躍を耳にし、沢山の嗚咽おえつを目にした。「空の弁慶」と呼ばれ、多数の隊員に敬慕されていたことも知った。生涯独身を通した姿を、常在戦場じようざいせんじようの武人だったと語る同僚もいた。ライバルをなくしたと、大きな体を震わせて泣く米兵も見た。直也は胸を打たれ、心に思う。伯父のように国土を守り国民を救う、航空自衛隊のパイロットになりたい――。

 

 こうして伯父の死は、直也の未来の空に道筋をつけた。

 

 戦闘機乗りになるためには、いくつかのコースがある。直也は一番最短で確実な「航空学生」を目指すことにした。高校を卒業して航空自衛隊に入隊し、教育航空隊にてみっちり学び、パイロットの国家資格取得を目指すのである。

 

 けれど運命は残酷である。父の勧めで念の為にと受けた民間の「航空身体検査」にて、戦闘操縦者になるのは難しいと告げられたのだ。高校三年生となり担任を通じて受け取った、航空学生の募集案内パンフレットを毎日眺めていた頃であった。

 

 検査で指摘された不適格理由は、「耳管通気不良」。耳管通気とは、外耳と内耳の気圧差を解消する、ダイバーなどが鼻をつまんでやる、あの「耳抜き」のことである。これがどう頑張ってもできない。それも片耳だけ。

 

 検査した医師は既往歴を見て、以前にかかった中耳炎ちゆうじえんが関係しているのかもしれないと言った。記憶にないが、幼い頃、はながうまくかめずに中耳炎になったことがあるらしいのだ。ともかく専門医に診てもらったほうがよいと、元空自医官でもある耳鼻科医師を紹介してくれた。そうしてそのクリニックにて検査してもらうと、鼓膜も含め耳管自体に疾病はないことがわかった。聴力もいたって正常である。けれど、耳管が普通の人より細い。そして中耳炎の跡も残っていた。耳抜きができないのは、これらが影響しているのだろうと医師は診断した。さらに鼻中隔びちゆうかく、つまり左右の鼻の穴の間の仕切りが曲がっていることも指摘される。どちらも航空身体検査で、重視される項目らしい。

 

 診断に戸惑いながらも、直也は思い出した。母の親族には耳が悪い人が多いのだ。母も耳が痛くてダイビングを諦めたと以前に言っていたことがある。また父にはアレルギー性鼻炎があり、鼻の穴が細くて繊細なんだと、よく苦笑している。それらを伝えると、おそらく遺伝が関係しているのだろうと医師は言った。といって日常生活を送る上では、どれも支障はないと継ぐ。片方だけ耳抜きができずに困ることはないし、鼻中隔湾曲も、日本人のほとんどがそうだという。

 

「でも『上空』となると話は別なんだ。急激な気圧の変化が伴う戦闘機のパイロットになるのは、まず無理だろうな」

 

 愕然とした。手術してどうにかならないかと直也は食い下がるが、医師は首を振る。同じような患者を過去に何人も診察しているらしいのだ。適性で落ち、けれど夢を捨てきれずに耳鼻を手術し、翌年に受験したが、やはり皆、身体検査で落ちたという。

 

「大空を飛ぶには、資格以前に適性がいるんだよ」

 

 元空自医官が、諭すように言う。

 

「適性とは、生まれ持った資質。戦闘機パイロットには、常人以上の優れた資質が求められるんだ。どこか手術しなければならないという時点で、戦闘機乗りとしての資質はないんだよ。残念だがね」

 

 直也は承服できない。乳幼児の時に罹った中耳炎は別として、ここまで病気らしい病気をしたことはないし、何度も陸上競技の大きな大会に出場している健康体なのだから。飛行機に乗った時にもなにも問題はなかったし、鼻も正常で、花粉症でさえないのである。

 

 納得がいかない直也は医師の言葉を無視し、航空学生の試験を受けた。それで諦めがつくのならと、父は反対しなかった。けれど航空身体検査で、やはり片耳だけ耳抜きができず、落第したのである。

 

 幼い頃からの夢が潰えた直也は、深くうなだれたものだった。

 

 そうして新たな道を模索したが、高校を卒業しても就職先は見つからない。他の職業に魅力を感じなかったのである。なにせ、パイロットになることしか思い描いてこなかった。それが、自分ではどうしようもない理由で霧散してしまったのである。

 

 この人生初めてともいえる挫折に、いじけ、自棄やけにもなった。だが譲ってもらった伯父のバイクに乗っていて、考えが変わった。風の中に伯父の言葉を思い出したのだ。

 

「自衛隊は最後の砦。でもその中で、本当に最後の砦になるのは陸自の歩兵だと思う」

 

 歩兵とは普通科連隊。それが最後の、最後の砦となる。ならば空ではなく陸にて、伯父のように国土を守り、国民を救おう。

 

 こうして直也は、陸上自衛隊への入隊を決めたのである。陸自の身体検査に、耳管通気の項目はない。

 

 しかし――。

 

 

 

「やっぱ自衛隊だよな。すげえよ、あいつら」

 

「でもさ、コントだろ、さっきのあれは」

 

 直也が食事をしていると、近くのテーブル席に座る二人組の声が聴こえてきた。どちらもだらしない格好で座る、十代半ばであろうジャージ姿の少年である。どうやらテレビに映る、震災特番を話題にしているらしい。

 

 食事の手を止め、直也が画面に目を向ける。自衛隊の放水車が、福島第一原子力発電所の建屋に放水していた。発災当時の映像であろう。

 

「これならわかるけどさ」

 

 コントだろと言った少年が、顎でテレビを指して続ける。

 

「さっきのヘリはムリクリだろ。放水ってより、水撒きだったじゃん」

 

 観てはいないが、おそらく陸自ヘリによる、上空からの海水投下の場面が映っていたのだろう。たしかにあれは、効果を疑問視された放水作業だった。

 

「あのなあ……」

 

 言われたほうの少年が、身を乗り出して相手を睨みつけた。

 

「あれは一番最初の、被曝覚悟の決死の作戦だったんだよ。死んじゃうかもしれなかったんだぞ。命かけてんだよ、あの人らは。今この瞬間だってそうだ。なのによ……」

 

 少年が拳でテーブルを叩く。なにかに苛立っている様子だった。言われた片方はキョトンとしている。

 

「……おまえ、今日おかしくね?」

 

「おかしいのはおまえのほうだろ。学校サボって、こんなところでダベっててよう。これでいいのかよっ」

 

「サボってんのはおまえもだろ。どうしちゃったんだよ、そんな熱くなってよ」

 

「……決めた。卒業したら自衛隊にゆく。行って男になる」

 

 ――そんなところではない。

 

 横目で眺めていた直也は、思わず苦笑した。

 

 

 

 直也は任期制隊員として陸上自衛隊に入隊した。いや当初は補生こと「一般曹候補生」で入隊し、下士官に相当する「曹」を目指すつもりだった。だが父の「まだ若いのだから、焦らず、まずは様子を見たほうがよい」との助言を聞き入れ、任期制に決めたのである。任期制での入隊でも努力次第で下士官以上になれるし、問題はなかった。また高校新卒ではない19歳での入隊だが、応募資格の年齢は幅広く、これも支障はなかった。

 

 宣誓して始まった「新隊員教育」は、とても厳しいものだった。しかし部活動に励んでいたためか体力に不安はなく、集団生活や厳しい規律も苦にならなかった。職種は迷うことなく普通科を希望した。

 

 教育期間が終わり、いよいよ部隊配属となった。けれど着隊した関東のある駐屯地にて、直也は驚く。多くの先輩たちが、とてもだらけていたのである。戦闘服は皺だらけであり、半長靴は泥だらけであった。教育隊ならば、これだけで腕立て伏せである。課業が始まり、直也はこれにも面食らった。掃除や洗濯、草刈りや洗車などの、雑用が主なのだ。しかも先輩たちは後輩にそれらを任せ、途中からサボりだす。また社会人としておかしい先輩も多く、それにも驚いた。ギャンブルに狂い借金まみれだったり、女性自衛官の尻ばかり追いかけていたり、言動があまりにも幼稚だったり。直也は首をひねるばかりである。

 

 困惑はさらに増す。ほとんどの隊員が「国防」など考えていないのである。入隊動機をまわりに訊くと、「公務員だから」という答えが圧倒的なのだ。「国土を守り国民を救う」という志で入隊した直也は、同じ考えの者がかなり少ないことに啞然とし、また憮然とも憤然ともなった。

 

 けれど部隊には、信頼できる上官もいた。まわりを気にせず黙々と事にあたる明石あかし三曹もそのひとりであった。過酷なレンジャー課程を優秀な成績で終了していると他の先輩に聞くが、胸にレンジャー徽章きしようはない。小隊長に訊ねると、「こんなもののために受けたのではない」と、徽章をつけることを拒否したのだという。変わり者だが頼りになる、と小隊長は笑っていた。

 

 想像していたものとは違う現実に戸惑いながらも、直也は日々課業をこなしていった。自衛隊ならではの演習や射撃訓練、行軍などに「国土を守り国民を救う」やりがいを見出そうとしたのである。けれどある日、掘ったタコツボを埋め戻していてハッとした。これが自衛隊の本質ではないかと感じたのだ。なにもなかったところに穴を掘り、今度は埋め戻す。そこにはなんの生産もなく、国民の負託にこたえているという実感もない。いい大人が集まって戦争ごっこをしているだけだ――。

 

 エンピと呼ばれるシャベルを呆然と眺めて立ち尽くす。除隊を考えた、最初の瞬間であった。

 

 己を冷静に見つめたくなり、自宅のバイクを駐屯地に運ぶ。伯父が地元で乗っていた400㏄のオンロード車。伯父は生前、このバイクを「ウルエ号」と呼んでいた。けれど命名の由来は、とうとう教えてもらえなかった。ともかく伯父の言う「地上で戦闘機に一番近い乗り物」であり、伯父が大切にしていたバイクである。

 

 そして風の中で考え、答えを出す。一任期、二年で退職しよう。それは、先の信頼できる明石三曹にも相談し、決めたことでもある。とはいえ明石三曹は、「おまえの人生だろう。好きにすればいいさ」と言っただけであったが。

 

 いよいよ任期も残り三ヶ月となり、有給消化で除隊後の諸々の準備を始めた。3月末には在隊二年での任期満了退職となる。

 

 退官後の有事に召集される「予備自衛官」には希望しなかった。自衛官は、もう充分である。

 

 

 

「どうしたんだろ」

 

 食事を終えた直也が腕時計を覗く。すると父から電話がかかってきた。訪ねた陸前水産で、つい酒を飲んでしまったという。

 

「それで直也。悪いんだが、おまえがここまで来て、軽トラを代わりに運転してくれないか」

 

 それはかまわない。だが直也はいぶかった。そんな軽率な行動をとる父ではないのだから。

 

「いったい、どうしたの?」

 

 父が小さくうなる。続く声は、通夜か告別式にでもいるように暗かった。

 

「陸前さん、店を畳むらしいんだ。社長が、とても落ち込んでいてな。それでつい、一緒に飲んでしまったんだよ。励まそうというより、こっちも愚痴を聞いてもらいたくなってな。でも、缶ビールが一本だ。酔ってはいない。朝から飲んでた社長は、酔い潰れて寝てしまったがな」

 

 陸前水産の件は驚いたが、ともかく事情はわかった。直也は素早く、今後の行動を組み立てた。腕時計に目をやり、父におおよその到着時刻を伝える。父と働く店舗と住居は別であり、一度マンションに戻ってバイクを置き、それから電車で陸前水産に向かうことになる。頼む、との父のすまなそうな声が聴こえた。直也はヘルメットとウエストバッグを持って立ち上がった。

 

 ファミレスから出てバイクを国道に進める。すると深緑色をした車列に追いついた。車体に「災害派遣」と幕を張った、自衛隊の車両である。無意識に出た呻きが、霧のようにシールドを曇らせた。誇らしさと後ろめたさ、そして悔しさと情けなさといった複雑な感情が、胸の中で混ざりあう。そのためであろう動悸がし、全身の筋肉が強張ってゆく感じがする。直也は現れた脇道にウインカーを出した。舵を切ると、徐々に心身がならされた。除隊して以降、自衛隊の車列に遭遇するといつもこうである。

 

 気づくと、消し忘れたウインカーが明滅していた。そしてそれは、あの日の点滅していた信号機を思い起こさせた。

 

 

 

 直也の除隊が近づいていた、3月のある日。有給を使いバイクで外出していると、突然、激しい揺れに襲われた。身についた習慣から腕時計に目を走らす。11日、14時46分。場所は駐屯地から五キロほど離れた、市街地であった。

 

 すぐに近くに停まっていた車に駆け寄り、カーラジオを聞かせてもらう。すると「東北地方で震度7、津波を避け高台に上るように」とのアナウンサーの緊迫した声。直也は異常事態であることを認識した。「震度5以上はただちに帰隊」との決まりもあり、ウルエ号にて駐屯地を目指す。けれど停電で信号が消え、あるいは点滅信号となり、路上はパニック状態になっていた。各所で交通事故や渋滞が起こり、バイクでさえなかなか進めない。それでも裏道を辿りなんとか駐屯地に着くと、皆が慌ただしく走りまわっていた。災害派遣の準備をしているのであった。

 

 急いで戦闘服に着替え、「災派」の支度を手伝う。そしてまわりに状況を訊く。すると地震と津波で東北の多くの街が壊滅したらしいことを知った。さらには福島県の原発も危ないらしく、「原子力緊急事態宣言」が政府から発表されたとのこと。東北地方の自衛隊の基地や駐屯地も被災し、機能を失ったらしい。

 

 準備を終えてテレビに目を向けると、まるでスペクタクル映画のような映像が流れていた。隊員の皆が絶句している。実況しているヘリの自衛隊員も言葉を失っていた。津波に呑まれた屋根の上で、ビルの屋上で、人々が手を振り助けを求めている。ガレキの中にも多数の生存者がいるに違いない。直也は両の拳を握り締めた。こんな時こその自衛隊だろう、早くこの人たちを救わなければ。そしてそう、不遜かもしれないが、ようやく志を遂げる時が来たのだ――。

 

 直也の体は、なにかわからぬもので震えた。

 

 その夜、翌暁に部隊が被災地に向かうことが通達された。隊員たちの目の色が違っている。どの顔にも、少しでも早く、ひとりでも多く救ってやるとの意気込みが読める。もちろん、直也とてまったく同じ気持ちだった。いや、他の隊員より逸っていた。

 

 けれど直也は外された。除隊する者を危険な場所に向かわすわけにはいかないらしい。直也は歯嚙みし、地団駄を踏んだ。無念さに一睡もできぬまま朝を迎え、仲間たちの車列を複雑な思いで見送った。

 

 その2011年3月の末、直也は任期満了にて自衛隊を退官した。けれどやはり気になるのは「東日本大震災」と名づけられた未曾有みぞうのこの大規模災害であり、被災地での自衛隊員の活動であった。ニュースで映し出される自衛官は、ほとんどが迷彩服の弾帯に携帯エンピなどを装備した、普通科をはじめとする戦闘職種の隊員である。直也は部隊にいる後輩に連絡を取り、災派に向かった者たちの様子を訊いた。だらけていたあの先輩たちが、きちんと働いているのか疑問だったのである。

 

 すると驚いた。皆、懸命に活動しているというのだ。この先輩には注意しろよと伝えていた、サボってばかりいて一番だらしない陸曹は、誰よりも精勤しているらしい。後輩の小島こじまが電話で言う。

 

「凄いっスよ、あの先輩は。トイレに行く時間が惜しいって、水分を採らず、持参したオムツして水に浸かってますから。休憩の時もひとりで不明者を捜してますし、見つけたご遺体もおぶって運んでます。なんつうかもう、別人ですよ。たぶん、部隊で一番頑張っていると思います」

 

 直也は啞然とした。そして混乱した。すると伯父の言葉が脳裏に蘇る。

 

「自衛隊は最後の砦。でもその中で、本当に最後の砦になるのは、陸自の歩兵だと思う」

 

 悔しさと誇らしさがぜになったような、今まで経験したことのない感情が直也を襲った。

 

 多数の迷彩服が献身する画面に考え込む。

 

 ――自分はなぜ、あそこにいないのだ?

 

 ――というよりこれがあの、自分が見切りをつけた自衛隊なのか?

 

 ――除隊という自分の判断は、はたして正しかったのか?

 

 いくら考えても、答えは出なかった。

 

 すると、画面のこちら側の異常事態にも気がついた。まるで津波に流されたように、魚の入った箱が消えているのである。実家の鮮魚店「魚三うおみつ」は、三陸と常磐の業者と直接取引をし、その魚介類を主力にしていた店だったのだ。その取引業者のすべてが被災し、休廃業してしまったのである。