盛岡 昼休みの散歩 旧馬検場
気候も良くなってきましたので昼休みに河南地区(市中心部を流れる中津川の南側)まで
足を伸ばしてみました。
古くからあるこの界わいは、鋸屋(のこぎりや)や和楽器製造・直売の店がいまでも
商売をしています。
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この通りのどん詰りは盛岡八幡宮、西暦1500年代終わりに南部氏が
盛岡に城を築いた時代まで遡る八幡宮の参道でもあります。
いまでは珍しくなった懐かしいお店が残り、こんな八百屋さんも店を構えています。
(マウスをのせると画像が換わり、クリックで拡大します)
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通りには桐箪笥の製造直売のお店もあります。
道路に面したお宅の脇にに道しるべがありました。
写真をクリックして拡大してみると、右 馬検場とありました。
(マウスをのせると画像が換わり、クリックで拡大します)
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右に折れて少し進むとブロンズでできた等身大の馬の親子、
むかし、南部駒を商った旧馬検場です。
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古くは藩政時代、牝馬を藩外に出すのは首が飛ぶほどのご法度、厳しく統制をして
南部駒を藩の特産品として藩を財政を経営したと伝えられています。
明治の頃に、藩政時代馬場のあった場所近くからこの地に移った場検場で南部駒の市が立ち、
馬喰たちが闊歩した処です。
今も残る大きな墨書の馬検場の看板は、武士道という本を米国で著し、後に国際連盟の
事務次長を務めた新渡戸稲造の実弟で書家の新渡戸仙岳揮毫の書です。(いずれも盛岡出身です)
(マウスをのせると画像が換わります)
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10歳ぐらいの頃でしょうか、何年か過ごした黒沢尻(盛岡の南50Kmにある現北上市)にも
町の中心部に場検場があって馬市の立つ日には西部劇よろしく馬を繋ぎとめる馬留めに馬が
ずらっと並んでいたり、いつも材木を積んだ馬車が道を行き来していたのを思い出しました。
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古くからあるこの界わいは、鋸屋(のこぎりや)や和楽器製造・直売の店がいまでも
商売をしています。
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この通りのどん詰りは盛岡八幡宮、西暦1500年代終わりに南部氏が
盛岡に城を築いた時代まで遡る八幡宮の参道でもあります。
いまでは珍しくなった懐かしいお店が残り、こんな八百屋さんも店を構えています。
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通りには桐箪笥の製造直売のお店もあります。
道路に面したお宅の脇にに道しるべがありました。
写真をクリックして拡大してみると、右 馬検場とありました。
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右に折れて少し進むとブロンズでできた等身大の馬の親子、
むかし、南部駒を商った旧馬検場です。
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古くは藩政時代、牝馬を藩外に出すのは首が飛ぶほどのご法度、厳しく統制をして
南部駒を藩の特産品として藩を財政を経営したと伝えられています。
明治の頃に、藩政時代馬場のあった場所近くからこの地に移った場検場で南部駒の市が立ち、
馬喰たちが闊歩した処です。
今も残る大きな墨書の馬検場の看板は、武士道という本を米国で著し、後に国際連盟の
事務次長を務めた新渡戸稲造の実弟で書家の新渡戸仙岳揮毫の書です。(いずれも盛岡出身です)
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10歳ぐらいの頃でしょうか、何年か過ごした黒沢尻(盛岡の南50Kmにある現北上市)にも
町の中心部に場検場があって馬市の立つ日には西部劇よろしく馬を繋ぎとめる馬留めに馬が
ずらっと並んでいたり、いつも材木を積んだ馬車が道を行き来していたのを思い出しました。
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