盛岡 秋の神子田(みこだ)朝市
もう間もなく9月も終わり、北国は秋本番を迎えますが、
神子田の朝市を覗いてみました。
地元の人、タクシーで乗りつける観光の人たちなど
6時を過ぎたばかりですがたくさんの人が買い物にきています。
ちょうど季節の変わり目なので
夏のものと秋のものが仲よく並んでいるお店もあります。
どのお店でもトマト、ピーマン、なすなど夏野菜は一山いくらでとても安いです。
秋の主役、りんごや梨もところ狭しと並べられています。
あちこちでびっくりするような値段で売られている山盛りの洋梨、
買ってすぐに食べられるものもあれば、
家で一週間ほどかけて追熟させてから食するものがあるのを知りました。
色とりどりの花もたくさんならんでいます。
お供えの花もよく朝市で調達しています。
朝市ではお団子やおでん、惣菜なども売っていますので
そのうちそちらも紹介したいと思っています。
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神子田の朝市を覗いてみました。
地元の人、タクシーで乗りつける観光の人たちなど
6時を過ぎたばかりですがたくさんの人が買い物にきています。
ちょうど季節の変わり目なので
夏のものと秋のものが仲よく並んでいるお店もあります。
どのお店でもトマト、ピーマン、なすなど夏野菜は一山いくらでとても安いです。
秋の主役、りんごや梨もところ狭しと並べられています。
あちこちでびっくりするような値段で売られている山盛りの洋梨、
買ってすぐに食べられるものもあれば、
家で一週間ほどかけて追熟させてから食するものがあるのを知りました。
色とりどりの花もたくさんならんでいます。
お供えの花もよく朝市で調達しています。
朝市ではお団子やおでん、惣菜なども売っていますので
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盛岡 秋の訪れ
朝の気温が昨日は11℃、今朝は12℃まで下がり、
先週までの暑さから一転して秋本番になりました。
昨日、県庁まえを歩いて歩道脇でこんなものを拾いました。
さてこの写真の丸いものはなんでしょう?
(マウスをのせると画像が換わります)
そうです、栃の実です。
県庁の通りや盛岡城跡公園の周りなどに街路樹として
栃の木が植えられていますが、実りの秋を迎え一斉に実をつけました。
栃の実は昔は大切な食料だったようですが、
強いアクを抜く作業に大変な手間がかかるので
いまは食べる人もいないようです。
それでもときどき栃餅が売られているのを見るのは
岩手ならではかもしれません。
山栗の木に絡みついたのはツタウルシでしょうか、
早くも紅葉が始まったようです。
当地ではこれから紅葉が始まり、山々は一面赤や黄色に彩られることでしょう。
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先週までの暑さから一転して秋本番になりました。
昨日、県庁まえを歩いて歩道脇でこんなものを拾いました。
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そうです、栃の実です。
県庁の通りや盛岡城跡公園の周りなどに街路樹として
栃の木が植えられていますが、実りの秋を迎え一斉に実をつけました。
栃の実は昔は大切な食料だったようですが、
強いアクを抜く作業に大変な手間がかかるので
いまは食べる人もいないようです。
それでもときどき栃餅が売られているのを見るのは
岩手ならではかもしれません。
山栗の木に絡みついたのはツタウルシでしょうか、
早くも紅葉が始まったようです。
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古代ロマン 盛岡 志波城
今を去ることおよそ1200年前、えみしを討伐する拠点として
朝廷が坂上田村麻呂に命じてこの地に構築されたのがこの志波城です。
盛岡市の南端、我が家からは車で15分ほどのところにある志波城にいってみました。
江戸時代よりはるか昔の城ですので高い石垣があるわけではなく、
むしろ城柵を廻らせた砦と言ったほうがぴったりきます。
外郭を取り巻く大溝にかかった橋の向こうに城柵の築地塀と外郭南門が見えています。
築地塀で形づくられた外郭は840メートル四方、
そしてその築地塀は土を何層にも突き固めた構造になっており、
高さ5メートル、厚さ80センチほどあるそうです。
築地塀をまたいで一定間隔に設置された櫓も見えます。
外郭南門は高さ11メートルの門で平城宮跡朱雀門(奈良)に次ぐ大きさなのだそうです。
その門の大きさ、南門の内側で涼をとっている女あるじとシーズー犬をみれば
その大きさがよくわかります。
復元された部分の大きさがほんのわずかであることは
パンフレットの写真をみるとよくわかります。
左側を走る東北自動車道の工事に先立つ発掘調査の結果
その遺構の規模から長年不明であった志波城の場所が初めて特定されました。
今も住所として残る盛岡市下太田方八丁の地名も800メートル四方の
遺跡を特定する大きな助けとなったようです。
外郭内側の政庁には東西南北に門が設けられていました。
東門から150メートル先の西門を望みます。
彼方に築地塀を望む外郭内側の水田には黒米も実っていました。
志波城はすぐ北を流れる雫石川の氾濫で放棄され、より南の徳丹城に移りましたが
その後、安倍貞任に代表される安倍氏の興亡を賭けた前九年の役、後三年の役、
平泉に居を構えた奥州藤原氏の繁栄から滅亡へと歴史は続きます。
前述の方八丁を始め前九年町(ぜんくねんちょう)
安倍舘(あべたて:安倍氏の館があった場所)
厨川(くりやがわ:安倍氏の厨川の柵(砦)があった場所)などの
地名が今も残る盛岡は古代ロマン溢れる町でもあります。
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朝廷が坂上田村麻呂に命じてこの地に構築されたのがこの志波城です。
盛岡市の南端、我が家からは車で15分ほどのところにある志波城にいってみました。
江戸時代よりはるか昔の城ですので高い石垣があるわけではなく、
むしろ城柵を廻らせた砦と言ったほうがぴったりきます。
外郭を取り巻く大溝にかかった橋の向こうに城柵の築地塀と外郭南門が見えています。
築地塀で形づくられた外郭は840メートル四方、
そしてその築地塀は土を何層にも突き固めた構造になっており、
高さ5メートル、厚さ80センチほどあるそうです。
築地塀をまたいで一定間隔に設置された櫓も見えます。
外郭南門は高さ11メートルの門で平城宮跡朱雀門(奈良)に次ぐ大きさなのだそうです。
その門の大きさ、南門の内側で涼をとっている女あるじとシーズー犬をみれば
その大きさがよくわかります。
復元された部分の大きさがほんのわずかであることは
パンフレットの写真をみるとよくわかります。
左側を走る東北自動車道の工事に先立つ発掘調査の結果
その遺構の規模から長年不明であった志波城の場所が初めて特定されました。
今も住所として残る盛岡市下太田方八丁の地名も800メートル四方の
遺跡を特定する大きな助けとなったようです。
外郭内側の政庁には東西南北に門が設けられていました。
東門から150メートル先の西門を望みます。
彼方に築地塀を望む外郭内側の水田には黒米も実っていました。
志波城はすぐ北を流れる雫石川の氾濫で放棄され、より南の徳丹城に移りましたが
その後、安倍貞任に代表される安倍氏の興亡を賭けた前九年の役、後三年の役、
平泉に居を構えた奥州藤原氏の繁栄から滅亡へと歴史は続きます。
前述の方八丁を始め前九年町(ぜんくねんちょう)
安倍舘(あべたて:安倍氏の館があった場所)
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