岩手の国指定 武家屋敷
武家屋敷といえば東北では秋田県角館の武家屋敷が有名です。
実は岩手にも武家屋敷があることはあまり知られていません。
少し前ですが、旧奥州街道の南部藩、伊達藩国境の金ケ崎を訪ねました。
岩手県胆沢郡金ケ崎町にある
金ケ崎町武家屋敷城内諏訪小路(かねがさきちょうじょうないすわこうじ)は
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
江戸時代、この地は伊達藩の北端に当たり境界を接する南部藩に対峙する
金ケ崎城を中心に武家・足軽屋敷などがあった城下町でした。
地区内には十戸ほどの古い建物が現存しており一部の建物は当時の姿に戻して
復元され見学も可能ですが、住居として使用されている家屋もありました。
このような地区内の小路はほぼ江戸時代のまま残されているといわれています。
築地塀風に刈り込まれた生け垣で囲まれたお屋敷、
どの家も小路から見通せないよう植木や生け垣などで視線を遮っています。
小路から奥へと続く通路の両側は刈り込まれた生け垣で覆われ
小路から敷地の内部を窺うことはできません。
少し前まで持ち主が住居として改造した部分を元の状態に戻して
復元された下級武士の家、
内部を案内してくれた方は復元前の暮らしぶりをご存知でした。
こちらは家老であった坂本家の屋敷
周りには廊下があり開口部が多いせいか
下級武士の家に比べて室内がとても明るく感じました。
もともとは外側のガラス戸はなく、縁側に雨も降り込む構造だったそうです。
ここ坂本家ではお昼をいただくことが出来ました。
雨が降って寒い日だったのではっと汁とくるみのゆべしで温まりました。
南部藩(盛岡藩)では「ひっつみ」といいますが
わずかに藩境いを越えた伊達藩に入るとおなじものでも「はっと」と呼び名が変わっていました。
実は岩手にも武家屋敷があることはあまり知られていません。
少し前ですが、旧奥州街道の南部藩、伊達藩国境の金ケ崎を訪ねました。
岩手県胆沢郡金ケ崎町にある
金ケ崎町武家屋敷城内諏訪小路(かねがさきちょうじょうないすわこうじ)は
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
江戸時代、この地は伊達藩の北端に当たり境界を接する南部藩に対峙する
金ケ崎城を中心に武家・足軽屋敷などがあった城下町でした。
地区内には十戸ほどの古い建物が現存しており一部の建物は当時の姿に戻して
復元され見学も可能ですが、住居として使用されている家屋もありました。
このような地区内の小路はほぼ江戸時代のまま残されているといわれています。
築地塀風に刈り込まれた生け垣で囲まれたお屋敷、
どの家も小路から見通せないよう植木や生け垣などで視線を遮っています。
小路から奥へと続く通路の両側は刈り込まれた生け垣で覆われ
小路から敷地の内部を窺うことはできません。
少し前まで持ち主が住居として改造した部分を元の状態に戻して
復元された下級武士の家、
内部を案内してくれた方は復元前の暮らしぶりをご存知でした。
こちらは家老であった坂本家の屋敷
周りには廊下があり開口部が多いせいか
下級武士の家に比べて室内がとても明るく感じました。
もともとは外側のガラス戸はなく、縁側に雨も降り込む構造だったそうです。
ここ坂本家ではお昼をいただくことが出来ました。
雨が降って寒い日だったのではっと汁とくるみのゆべしで温まりました。
南部藩(盛岡藩)では「ひっつみ」といいますが
わずかに藩境いを越えた伊達藩に入るとおなじものでも「はっと」と呼び名が変わっていました。
愛犬の死
我が家に来て15年になる柴犬が早朝に亡くなりました。
まん丸いモコモコした子犬から白内障でヨボヨボ歩く姿まで、人間の5倍の速度で老化するといいますがあっという間の出来事だったような気がします。
亡くなる少し前から抗生物質の薬を処方してもらって飲んでいましたが、予防接種以外には病院にお世話になることも無く、亡くなる日まで寝込むわけでもなく、下の方もしっかりして全く私達の手を煩わせることもなく静かに逝ってしまいました。
別に私達に気を使った訳ではなく偶然でしょうが、見計らったように家族が揃っている週末に、楽しい思い出だけを残して去っていきました。
15年間思い出を残してくれてありがとう。
新しい家には居場所も用意してあったのですが、それも必要なくなってしまいました。
撮りためた愛犬の写真や動画を見ながらしばし別れを惜しもうと思います。
もう一匹のシーズーはまだ10歳、一人でさびしいかもしれませんが大事に育ていくつもりです。
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