私を生きる
アインシュタイン「神は宇宙を相手にサイコロ遊びなどしない」
ニールス・ボーア「アインシュタイン、神にどう振舞うべきか教えようとするのはもうよしたまえ」
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時々、生き方について相談を受けるときがあって
私だったらこう生きますよ、とよくこんなふうに伝えています。
「わたしはわたしを生きている。
わたしはわたしを生きているのであって、
あなたや別のあなたを生きてるわけではない。
わたしはわたしを生きるために生まれてきたの。
わたし自身を生きたいの。
こうすればもっといい女になれるとか
こういうことを言わなければ、しなければ
もっと素敵な女性になれるとか
そんなことをよく言われてきたけれど、
言うこと聞かなかった。
いい女になりたいとか、
素敵な女性だと言われたいとか、
誰かに好かれたいとか、
褒められたいとか、
そんなために生まれてきたんじゃないから。
そんなことのために生きてるんじゃないから。
わたしはわたしを表現したいだけ。
生命を完全に開花したいだけ。
そして自分に課せられていることをしたいだけなの。
誰でも、思うように思いっきり生きればいいと思う。
人生が悪くても良くてもみんな自分が選んだ結果。
昨日があるから今日があるように
一分前にあることをしたから今のわたしがあるように
親だって自分で選んで生まれてきたと思ってるの。
誰かのせいじゃない、全部自分が選んだもの。
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ねえ、運命と宿命ってどう思う?
一緒だと思う?違うと思う?
よく運命、運命というけど、わたしは運命はないと思ってるの。
運命を思わず誤解せず
変えようと思ったら、その時変えればいいと思うの。
いくらでも変えられるでしょ?
運命はないけど、でも宿命ってあると思ってるの。
わたしの宿命?
…これは内緒。
車の運転って人生に似てると思わない?
助手席から運転してる人をみてよくそう思う。
あ、今、発進すればいいのに、
あ、ここを曲がればいいのに、
あ~、今出たら危ない
この人はこうやって生きてきたんだな、って
だから運転見てると楽しいし、考えさせられる。
人生のタイミングととっても似てる。
それから
よく言うことなんだけどね、
まゆみさんって、こういう人なんですね、とか言う人いるじゃない。
あなただって同じようなこと経験してるでしょう?
人によっては、断定したり決めつけたりするでしょ。
全然、違うのにって思うでしょ?
腹が立つこともあるでしょう?
それって実は違うの。
腹なんて立てなくていいの。
たとえばね、
Aさんからみた「ふるいちまゆみ」という存在は
あくまでもAさんの世界から見たものなので、
それはイコール「ふるいちまゆみ」ではないの。
あくまでもAさんの世界なの。
Aさんの世界で起きていることなの。
わたしじゃないの。
言ってることわかる?
だからどんなに酷いことを言われても全く関係ないの。
気にすることないの。
違う世界で起きていることなんだから。
親子だってパートナーだって友人だってみな同じこと。
これが判れば、生きることがとっても楽になると思う。
人の言葉に一喜一憂しなくなるでしょ。
皆、他者の言葉に反応しすぎると思う。
褒められても同じことだけどね。
人は人を世界を誤解するのが常。
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なんて説明すればいいかな…
世界には人間の数だけのシャボン玉のようなものが浮いていて、
その一つ一つのシャボン玉に一人ひとりが入ってるのね。
しかもシャボン玉は透明ではなくて半透明なの。
人によってはそのシャボン玉が、くすんでいたり、濃い色が着いているの。
そして、そのシャボン玉はなかなかくっつかなくて
仮にくっついても仕切りがあって、一つにはならないの。
ちょっと悲しいかもしれないけれどそれが現実なの。
私には世界がそうやってみえているの。
時間だって空間だって本当の意味では共有できてないのよね。
でもね、みえないところではつながってると思う。
こういう意味では
世界は東洋で言うマーヤ(幻想)なのかも知れない、
世界をありのままに透明にみることが出来ればいいよね。
一億に一つくらいでもいいから
何かの拍子に仕切りが取れて、相手の世界に入ることが出来たら
世界を共有できれていいのになぁ、
ねえ、素敵だと思わない?
あ!今閃いた!
私の世界の見え方って電子とちょっと似てるかも。
ウン、ウン、なかなか面白いかも。
この話はまた今度ね。
それから話はずれるけど、
一番大切なことを伝えておきたいの。
それは、人を思いやること。
自分をきちんと生きていれば、人を思いやることが自然に出来ると思う。
思いやることが出来ない人は、自分をしっかり生きていないと思う。
あなたは誰を生きてるの?
あなた自身を生きてますか?」
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以前書いた、私が唯一なりたいものです。
メッセージNo.3 1998年1月5日
『命をきちんと生きること
まわりを見渡せばどこにでもある、樹、花、草、水、流れゆく雲、台風の去った後のあの
震えるような美しい夕焼け、優しく、時には怒ったように顔をなでてゆく風、まるで宇宙
が呼吸しているかのような風の音 (私は台風の夜に窓を開けてお風呂に入りながら風
の音を聞くのが大好きです。) 、嵐が去りゆく時のあの騒々しい空、そして動物たち、こ
れら自然が生きている姿、これが"命をきちんと生きること" だと思うのです。
何の文句も言わず、誰をも傷つけず、ただそこに在るだけ。
一瞬一瞬、生まれ変わってゆくだけ。
この生命の真っ只中に在る時、私は愛というものを強く感じます。
そしてその姿を、とても美しいと思うのです。
子供の頃からなりたいと思ったものは何ひとつなく (只し、したくないことだけはしない
で生きてきました。) もし、私がこう在りたいと思うことがあるとすれば、こういう存在です。』
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チャネリング詩 = 同感・同観
曖という愛も・・。
心の加々美
磨き照らし 曖いたい・・。
明君の賞を行ふや・・
曖乎として時雨の如
天照○大鏡 でありたいと・・。
| 天照○大鏡 | 2007/11/27 02:35 | URL | ≫ EDIT