私を生きる つながっているこころ 2

PREV | PAGE-SELECT | NEXT




あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


≫ EDIT

私を生きる



アインシュタイン「神は宇宙を相手にサイコロ遊びなどしない」
ニールス・ボーア「アインシュタイン、神にどう振舞うべきか教えようとするのはもうよしたまえ」


http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/26/62/b0086362_16435774.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



時々、生き方について相談を受けるときがあって
私だったらこう生きますよ、とよくこんなふうに伝えています。

「わたしはわたしを生きている。
わたしはわたしを生きているのであって、
あなたや別のあなたを生きてるわけではない。
わたしはわたしを生きるために生まれてきたの。
わたし自身を生きたいの。
こうすればもっといい女になれるとか
こういうことを言わなければ、しなければ
もっと素敵な女性になれるとか
そんなことをよく言われてきたけれど、
言うこと聞かなかった。

いい女になりたいとか、
素敵な女性だと言われたいとか、
誰かに好かれたいとか、
褒められたいとか、
そんなために生まれてきたんじゃないから。
そんなことのために生きてるんじゃないから。
わたしはわたしを表現したいだけ。
生命を完全に開花したいだけ。
そして自分に課せられていることをしたいだけなの。

誰でも、思うように思いっきり生きればいいと思う。
人生が悪くても良くてもみんな自分が選んだ結果。
昨日があるから今日があるように
一分前にあることをしたから今のわたしがあるように
親だって自分で選んで生まれてきたと思ってるの。
誰かのせいじゃない、全部自分が選んだもの。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/26/62/b0086362_1646525.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



ねえ、運命と宿命ってどう思う?
一緒だと思う?違うと思う?
よく運命、運命というけど、わたしは運命はないと思ってるの。
運命を思わず誤解せず
変えようと思ったら、その時変えればいいと思うの。
いくらでも変えられるでしょ?

運命はないけど、でも宿命ってあると思ってるの。
わたしの宿命?
…これは内緒。

車の運転って人生に似てると思わない?
助手席から運転してる人をみてよくそう思う。
あ、今、発進すればいいのに、
あ、ここを曲がればいいのに、
あ~、今出たら危ない
この人はこうやって生きてきたんだな、って
だから運転見てると楽しいし、考えさせられる。
人生のタイミングととっても似てる。

それから
よく言うことなんだけどね、
まゆみさんって、こういう人なんですね、とか言う人いるじゃない。
あなただって同じようなこと経験してるでしょう?
人によっては、断定したり決めつけたりするでしょ。
全然、違うのにって思うでしょ?
腹が立つこともあるでしょう?

それって実は違うの。
腹なんて立てなくていいの。

たとえばね、
Aさんからみた「ふるいちまゆみ」という存在は
あくまでもAさんの世界から見たものなので、
それはイコール「ふるいちまゆみ」ではないの。
あくまでもAさんの世界なの。
Aさんの世界で起きていることなの。
わたしじゃないの。
言ってることわかる?

だからどんなに酷いことを言われても全く関係ないの。
気にすることないの。
違う世界で起きていることなんだから。
親子だってパートナーだって友人だってみな同じこと。
これが判れば、生きることがとっても楽になると思う。
人の言葉に一喜一憂しなくなるでしょ。
皆、他者の言葉に反応しすぎると思う。
褒められても同じことだけどね。

人は人を世界を誤解するのが常。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/26/62/b0086362_16453426.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



なんて説明すればいいかな…
世界には人間の数だけのシャボン玉のようなものが浮いていて、
その一つ一つのシャボン玉に一人ひとりが入ってるのね。
しかもシャボン玉は透明ではなくて半透明なの。
人によってはそのシャボン玉が、くすんでいたり、濃い色が着いているの。
そして、そのシャボン玉はなかなかくっつかなくて
仮にくっついても仕切りがあって、一つにはならないの。
ちょっと悲しいかもしれないけれどそれが現実なの。
私には世界がそうやってみえているの。
時間だって空間だって本当の意味では共有できてないのよね。
でもね、みえないところではつながってると思う。

こういう意味では
世界は東洋で言うマーヤ(幻想)なのかも知れない、
世界をありのままに透明にみることが出来ればいいよね。

一億に一つくらいでもいいから
何かの拍子に仕切りが取れて、相手の世界に入ることが出来たら
世界を共有できれていいのになぁ、
ねえ、素敵だと思わない?

あ!今閃いた!
私の世界の見え方って電子とちょっと似てるかも。
ウン、ウン、なかなか面白いかも。
この話はまた今度ね。

それから話はずれるけど、
一番大切なことを伝えておきたいの。
それは、人を思いやること。
自分をきちんと生きていれば、人を思いやることが自然に出来ると思う。
思いやることが出来ない人は、自分をしっかり生きていないと思う。

あなたは誰を生きてるの?
あなた自身を生きてますか?」


http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/26/62/b0086362_16465625.jpg',320,240,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



以前書いた、私が唯一なりたいものです。

メッセージNo.3                        1998年1月5日
『命をきちんと生きること
まわりを見渡せばどこにでもある、樹、花、草、水、流れゆく雲、台風の去った後のあの
震えるような美しい夕焼け、優しく、時には怒ったように顔をなでてゆく風、まるで宇宙
が呼吸しているかのような風の音 (私は台風の夜に窓を開けてお風呂に入りながら風
の音を聞くのが大好きです。) 、嵐が去りゆく時のあの騒々しい空、そして動物たち、こ
れら自然が生きている姿、これが"命をきちんと生きること" だと思うのです。

何の文句も言わず、誰をも傷つけず、ただそこに在るだけ。
一瞬一瞬、生まれ変わってゆくだけ。

この生命の真っ只中に在る時、私は愛というものを強く感じます。
そしてその姿を、とても美しいと思うのです。

子供の頃からなりたいと思ったものは何ひとつなく (只し、したくないことだけはしない
で生きてきました。) もし、私がこう在りたいと思うことがあるとすれば、こういう存在です。』
関連記事

| 未分類 | 16:47 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

チャネリング詩 = 同感・同観

曖という愛も・・。

心の加々美
磨き照らし 曖いたい・・。

明君の賞を行ふや・・
曖乎として時雨の如

天照○大鏡 でありたいと・・。

| 天照○大鏡 | 2007/11/27 02:35 | URL | ≫ EDIT

天照○大鏡さん

鏡はきれいなほうがいいですよね。
汚れたり、くすんだり、割れたりしないように。

| mayufuru | 2007/11/27 12:48 | URL | ≫ EDIT

子どもの頃シャボン玉みました。
夜寝ているとき。体を包むようにしてシャボン玉が。
となりをみると。(目を閉じながら?みていた?)親や兄弟にもシャボン玉が。不思議な光景でした。

| | 2016/08/18 12:36 | URL |

Re:

不思議な体験をされたんですね。読んで魂的な絵が浮かびました。

| まゆみ | 2016/08/19 15:32 | URL |















非公開コメント

TRACKBACK URL

https://cocorofeel.blog.fc2.com/tb.php/746-605e5879

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT