アーカイブ :2013年01月19日 つながっているこころ 2

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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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死ぬ時くらい自由に





人は誰しも自由に生きる権利はあるけれど
世界を見渡せば、自由に生きることの出来ない人たちがいる。
いや、ほとんどがそうかもしれない。

だからこそ死ぬ時くらい、自分の好きな死に方で死にたい。
いつ頃からだろうか、生きているときよりも
不自由さを強いられるようになったのは。

政府や誰かのせいにしないでおこう。
原因はきっと私たち一人一人にある。

一人一人が他人任せの手抜きの人生を
垂れ流しの時間を生きたが故に
自らを不自由にしてしまったんじゃないだろうか。

死ぬ時くらい自由に死にたい。
そうでないとあまりにも淋しすぎるもの。

死ぬ瞬間に、あるいは死後に真の自由を得られるという
声が聞こえてきそうだけど、それは逃避だと思う。
明日、世界があるかどうか分からないのに
今までどおりあると信じ切って今日を生きないのは逃避。
先延ばしして、アッという間に人生が終わる。

一歩一歩、歩くように、今この瞬間が次を、今日が明日をつくろ。
道に穴が開いてないか、障害物がないか、しっかり見て歩こうね。
運が良い人はしっかり見ている。


nao-pからです。


リンク先の記事も全部読ませてもらいました。
とてもいい内容だった。

最高の死に様とはなんだろう。

本人と家族と医療現場のコミュニケーション不足により
様々な誤解、ずれ、軋轢が生じ最終的に三者とも苦しむ結末を
迎えてしまう。

本当にきちんとしたコミュミケーションを取るのは難しいけれど、
とても大事なことだと思う。とことんやってやりすぎることはない。

生き様とは死に様という言葉から連想されてできたというけれど、
人は死ぬということがまずあってそれに生きるということが
続いているのかも。

| nao-p | 2013/01/19 21:28 |



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東北、関東で大地震626




この前、雪が降ってから朝方になると少し暖かい。
もしかして?と外を見たら、やっぱり雪。
次の日も次の日も次の日もそうだった。

今朝は寒かった。
もしかして?と外をみたら、
やっぱり雪が降っていない。

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どこを向いても国の崩壊の末期症状の様相。


震災がれき20トン焼く 南相馬の仮置き場」(福島民報

海上犯罪:密漁や不法投棄、違反件数が増加−−昨年の東北 /宮城」(毎日

【福島】風評被害を払拭へ イチゴ狩り、農家奮闘読売
県内のイチゴ狩りのシーズンが到来した。農家では、東京電力福島第一原発事故による風評被害の払拭や、津波被害からの復興に向けて奮闘している。「すごく甘くておいしい」「こっちのイチゴの方が大きいよ」――。12日午前、福島市荒井の「四季の里いちご園」では、招待された同市丸子の鎌田保育園の園児11人が、両手に持った取れたてのイチゴ「とちおとめ」を口いっぱいに頬張りながら、一足早い春の訪れを満喫していた。・・・」


【千葉】成田空港活用 新鮮野菜を海外宅配 周辺9市町構想東京
成田空港周辺の九市町が連携し、地元農産物の注文を海外から直接受け、成田空港から飛行機で新鮮野菜などを届ける「海外宅配便構想」に乗り出した。品質の良い農産物を海外の富裕層向けに売り込みたい考え。周辺自治体トップらが十八日、市場調査のため、香港とマカオに出発した。構想は、海外への販路拡大とともに、空港を活用した輸出型農業への転換を図る狙いもある。多古町の菅沢英毅町長は「自治体で音頭取りして生産者団体を組織し、海外と直接取引したい」と説明する。成田市など九市町は、農産物産出額が県内の四分の一を占める有数の農業地帯だ。稲作やサツマイモ、レンコン、ニンジン、ネギ、落花生、スイカなどさまざまな作物が栽培されている。・・・」

放射能で売れ行きがかなり落ちていることがわかる。
福島の果物がタイの富裕層に人気なのを受けての二番煎じ。


20130118023jd.jpg
スギの葉の煙 かやぶき守る 白石・検断屋敷「いぶり始め」河北

この写真、想像が膨らんで怖いね。
何処の杉か知らないけれど汚染されていたら偉いことになる。
子供や孫が放射能の煙を吸うことになる。
身体にもびっしりくっつく。


県内牧草地、2度目の除染へ 基準超過圃場対象に」(岩手日報
牧草地なんてそのままにしておけばいいじゃない。


かき養殖業者協力し復興支援」(NHK
まさか宮城のカキが広島産になったりするの?


埼玉県・蓮田SAに、石巻のブランド鮭"金華ぎん"を使用した弁当が登場
福島で復興後押し「鍋合戦」 東北4県の食材

石巻魚市場にマダラ8ヵ月ぶり水揚げ 政府が出荷制限解除(河北)
イノシシ肉出荷制限解除 県内4施設で(ちばとぴ)
50ベクレル以下なら出荷ね。

宮城県産ミソ豆から23Bq/Kg(merx)

しいたけお

シイタケ、玄米…( ;´Д`) RT @neko3no3te: うーん。椎茸か… https://twitter.com/neko3no3te/status/292540785415577600/photo/1

岩手県産シカ肉320ベクレル/kg 福島県産キウイフルーツ63ベクレル/kg http://bit.ly/Yeapty 厚労省2013.1.17


https://twitter.com/yokohama_inaka/status/290278807485702144" target="_blank" title="https://twitter.com/yokohama_inaka/status/290278807485702144">https://twitter.com/yokohama_inaka/status/290278807485702144
ぶらぶら病のことですか? RT @gaganjp: @olivenews 現在、東京では厚労省が「慢性疲労症候群」という、疲れが取れない、慢性的にだるい人が急増しているので「受診」を呼びかけている。原因は「免疫力の低下」です、と呼びかけていますね。




robertさんからです。

昨日は、おかしなニュースばかりで、腑が煮えくり返っていました。

で、考えたのだけど、福島を食べて応援するために、「食べて応援」と宣伝している電通とか読売新聞とかNHKに、福島産の食べ物を送ってあげたらいいんじゃないか?と思った。社食で使ってくれということで、福島米を1トンと言わず、百トンでも送って、全国の電通社員、読売新聞社員とその家族に、食べ続けて応援してもらったらいい。

彼らにとってもお金の節約になるだろうし、まさか「放射線ホルミシス」を信じていないはずがないわけで、実際に食べ続けて健康になってもらったらいい。

福島県も、「風評被害だ」とか、「健康に影響はない」と言って、応援してくれている人たち、政治家やメディア関係者、経団連の人たち、東大の人たち、学者さんたちをピックアップして、福島産の食べ物を贈呈して、どんどん食べてもらって、安全性をアピールしてもらったらいいのに。

国際的には、タイなんかに売らないで、「福島で放射能による健康被害はない」という報告書を出してくれている国連、特にIAEAとWHO、ICRPの職員に食べて応援してもらって安全性をアピールすべきだろう。

「食べて応援」と言っている人たちに、率先して範を示してもらうのが筋だろう。しかも持続的に応援し続けてもらうことが大事。

福島を応援したいけど、自分が食べて応援するのは、何をどう分析しても、まっぴらごめんと思っていたけど、自分で買って、安全だと言っている人たちに送りつけて食べてもらうのは、ありかもしれないなあ。

| robert | 2013/01/19 00:31 |


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どのように死んでいくのか


DSC09398.jpg


最近、死に方について話すことが多い。

辺見庸さんの本を今読んでいるのですが、その中に
ナミブ砂漠の赤い砂の布団を目元までかぶって眠る話があって、
実は私には昔からサハラ砂漠の赤い砂の上で静かに死にたい
という希望があって、今日もそのことを友人に話した。
サハラ砂漠の赤い砂をみると懐かしくて仕方ないのです。

むかし、何故、サハラ砂漠なのかと聞かれたとき、
「答えが其処にあるから」と直感で返事したことがある。

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命を預かる医師たちはどんな死を望んでいるのでしょうか。
きょうは『医師らはどのように死んでいくのか』を紹介します。
全文はリンク先でお読みください。
傍線は私が引きました。

医師らはどのように死んでいくのか - How Doctors Die -

数年前、チャーリー(尊敬される整形外科医であり、よき師でもある)は、胃にしこりをみつけ、外科医にその場所を検査してもらった。そして、検査の結果は膵癌であると診断された。検査した医師は国内でも優秀な外科医の1人で、生存の可能性を5パーセント〜15パーセント、5年間の生存の可能性を3倍に引き上げる画期的な治療法をも考案した人物だったが、それでもチャーリーは無関心だった。

翌日帰宅した彼は仕事を手じまいし、2度と病院へ足を踏み入れる事はなかった。彼は家族と共により心地よく、出来るだけ長い時間を過ごす事に決めたのだ。それから、数ヶ月後に彼は自宅で亡くなった。彼は化学療法、放射線療法、手術療法を行わなかった為、メディケア(公的医療保険制度)は彼にあまりお金を費やす事はなかった。

それは頻繁に議論される話題ではない。しかし、いずれ医師も死ぬ。だが、彼らは他の人達と同じように死ぬ事はありません。他の人が死に抵抗し時間を費やすころ、彼らは自身の死と直面したとしても驚く程に平静を保っている傾向がある。彼らはこれから何が起こり、何をするべきか適切な判断を知っているし、適切な医療への手段も知っている。それなのに、彼らは静かに去る。

勿論、医師も死ぬ事を望んではいない、彼らは生きたがっている。しかし、彼らは近代医療の限界を知っている。そして、全ての人々が死にたいして何を恐れているかも知っている。その恐怖とは苦痛であり、孤独に死んでいく事だ。彼らはこうしたことについてすでに自身の家族に話をしている。いよいよという時になれば、彼らは地上に存在する最後の時に自分がCPR (心肺機能蘇生) により意識を取り戻すために肋骨を砕かれることの決してないように望む (適切にCPRが行われた場合こうしたことが起こる) 。

医療専門家のほぼすべてが「無駄な治療」と呼ばれるものが患者に施されるところを目の当りにしている。医師が死に瀕した末期患者に最先端の技術を用いるのはそんな時だ。患者はメスで切り開き、管を突き通し、機器を取り付けられ、そして薬物に冒されることになる。これらは全て、1日に何万ドルもの費用をかけて集中治療室で行われる。挙句に手にするのは、テロ犯罪者でも与えられない惨めな苦しみだ。同僚の医師らが数えきれないほど何度も私に言い聞かせたのは、言い方のわずかな違いこそあれ、「万が一私がこういう状況になったら殺してくれ」というものだった。彼らの本心からだ。ある医療専門家は「ノー・コード」と刻印されたメダルを身につけ、医師らにCPRを施さないよう意思表示している。同じものをタトゥーで見たこともある。

人々が苦しむ治療を施すことは苦痛だ。医師たちは自身の感情を表さずに情報収集できるよう訓練されてはいるが、職務外では医師同士でガス抜きをする。「誰だって自分の家族にだったらあんなことはできないよな?」と尋ね合うのだ。私はこうしたことが原因の一つとなり、多くの他分野の専門家と比較して医師のアルコール依存症やうつ病の発症率が高いことにつながっているのだと考えている。また私にとっても10年前より病院治療から身を引いた一因となっている。

どうしてこのような、医師らが自分自身に対しては決して望まないようなことが行われることになったのだろうか?答えは単純だが、それほど単純な問題ではない。答えは、患者、医師、そして仕組みである。

患者の行う役割をわかりやすくするために、誰かが意識を失い緊急治療室に運ばれたという筋書きにしよう。大抵の場合そうであるように、誰しもがこのような状況を計画したわけではなく、ショックでおびえる家族は選択肢の迷路に捕われたことに気づく。彼らは途方に暮れる。医師が彼らに「できる限りのこと」を尽くすことを望むかどうかを尋ねるとき、彼らの答えはイエスだ。そして悪夢が始まる。時として、ある家族は本当に「できる限りのことを尽くす」ことを意図する場合もあるが、しかし大体においては単に「できる限り適当なことを行う」という意味に過ぎない。ここで問題であるのは、彼らが何が適当であるか知る由もなく、また混乱と悲しみの中、それについて質問することも医師が告げることに耳をかたむけることもないということである。自分の役目として、医師は「できる限りのこと」がなし得る全てを行うと告げるが、それは適当であるものとそうでないものを含む。

    ・・・・・中略・・・・・

数年前、私の従兄のトーチ (懐中電灯、トーチの明かりに照らされて自宅で生まれた) が脳まで回った肺がんの結果であった発作を起こした。私は彼のために様々な専門家たちに診てもらうよう手配し、その後 彼の病状では化学療法のため毎週3日から5日通院などの精力的な治療を行ったとしても、おそらく余命は4ヶ月ほどであることがわかった。最終的に、トーチはいかなる治療も受けないことを決め、単に脳腫瘍のための錠剤を飲んだ。彼は私の所に引っ越して来た。

私たちはそれから8ヶ月の間彼のしたがった色々なことをして過ごし、何十年ぶりかのように一緒になって楽しんだ。ディズニーランドに行ったのは彼にとって初めてだった。自宅で何もしないで過ごした。トーチはスポーツ馬鹿だったので、私の料理を食べながらスポーツ観戦するのがとても好きだった。彼の体重が増えたりもしたのは、病院食でなく彼の大好物を食べていたからだ。深刻な痛みはなく、元気なままであった。ある日、彼が起き上がることはなかった。彼はその後3日間昏睡に似たように眠ったままで、そして亡くなった。その8ヶ月間の医療費であった、彼が摂取していた唯一の薬は20ドルほどだった。

トーチは医師ではなかったが、彼は自身が量のみならず、人生に質を望んでいることを悟っていた。私たちの多くもそうではないのだろうか?終末期医療の最先端があるとすれば、それは、尊厳のある死だ。私の場合、私の医師が私の選択を持つ。それを決断するのは簡単だ、大抵の医師にとってそうであったように。英雄詩ではなく、私はあのグッドナイトにゆっくりと向かっていくだろう。私の恩師、チャーリーのように。私の従兄、トーチのように。私の同僚の医師たちのように。

Ken Murray, MD, is Clinical Assistant Professor of Family Medicine at USC.



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