http://pds.exblog.jp/pds/1/200811/24/62/b0086362_12373799.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/> 休暇中に撮った葉っぱ
お約束のカタカムナについてこれから書きますが、
カタカムナについて書くとき、H氏のことも書かなきゃ話が進みません。
しかしまたもめるといけないので事前に原稿を氏にメールで送り
チェックしてもらい一部修正しましたが、その後また自分なりに書き直しました。
事前に原稿を送った自分の行動に間抜けさを感じたからです。
氏からは「うーん、それにしても酷すぎるね。この原稿。」と、
その他言われましたが、いつから私は編集員になったんだろう?(笑
じゃ、書きます。
カタカムナを20年以上も勉強されているH氏に会った当初、
彼の口から出てくるカタカムナ理論は立派なもので
それを聞いた私はカタカムナは人生の指針になると思いました。
しばらくして、カタカムナと同時並行のマリファナ使用を知り、大変驚きました。
元々マリファナが大嫌いなこともあるけれどそれにしてももうビックリでした。
一見あまりにも違いすぎるこの二つの関係に戸惑うばかりでした。
興味でちょこっとしたとか、短い期間ならいざ知らず、あまりにも長すぎる。
氏はことあるごとにカタカムナの方向軸について語られます。
方向軸について聞けば聞くほど、同時並行のマリファナは納得がいきません。
しかもご自分の方向軸は正しいと言われる。
じゃ何故、氏の人生は全然上手く行っていないんだろう、
カタカムナが役に立たなかったんだろうか、
方向軸が正しくても人生は上手くいくとは限らないんだろうか、
カタカムナを長年やるとそうなるんだろうか、
それともマリファナはカタカムナ的生き方になるんだろうか、
二つは切っても切れないものなんだろうか、
同時平行のカタカムナの方向軸って一体何だろう、
カタカムナって何だろう、
色々考えました。
こういった疑念が消えず、
H氏に問い続けてきたけれど、きちんとした説明は一度もなかった。
彼にとってマリファナは良いものだったので説明は出来なかったのでしょう。
(仮に私がマリファナに対して悪い印象がなければ問題はなかったでしょうね。)
ところが私は吸ったこともないくせにマリファナが大嫌いです。
だから、マリファナに関しても氏とはしょっちゅう言い合いになりました。
その言い合いの中で、
マリファナ嫌いの私が乗り越えなきゃいけないものがあるんだろうか、
自分なりにかなり譲渡して考え、無理に納得させようともしたけれど、
すぐまた疑念が持ち上がり、結局できなかった。
上っ面だけで自分を納得させてもそりゃ無理ですよね。
だからずっと混乱しました。
私の方向軸は氏に言わせると、間違ってるそうなんです。
ここ数ヶ月はかなりそのことを言われました。
カタカムナとマリファナ、一見全く違うものに思えるけれど
実は氏は、ヒッピー系の女性から両方を教わったそうなんです。
私はまたヒッピーが嫌いなんですね。
氏にそれをいうと自分もヒッピーは嫌いだと言われる。(笑
マリファナのことで20年もヒッピーの人と関わってきたのに
今更嫌いだと言われても、私は納得できません。
その後、カタカムナがヒッピー系の人に人気があることを知り、
そのころから、もしかしてカタカムナもヒッピー同様、
彼らがお膳立てしたものなのかなと、チラッと考えるようになりました。
氏からカタカムナ用語のアマウツシ、アマナ転換、
ゲーテのベンドングの言葉などを聞いてる時に
気持ち悪くなってきて何度か「あなたは強欲ですね」と言ったこともあります。
きちんとした説明もなく疑念は相変わらず消えなかったけれど、
それでも言葉に語源に興味があるので、言葉の持つ本来の意味がわかるなら
カタカムナを勉強してみようと思って9月初めにブログに書きました。
ところがその後
カタカムナの潜象界を治療に取り入れているある医師の本を手にしたんです。
面白いなと思ってH氏に電話で本の内容を説明したら
”医師のカタカムナの潜象についての理論は医師流のものであり、
カタカムナの理論とは違うものだ”ときっぱりと否定されました。
氏が他者のカタカムナを肯定する姿を一度もみたことがないので、
驚きはしなかったけれど、でもカタカムナってとっても不自由だなと思いました。
ガックリきました。
この医師はカタカムナを真剣に学び、且つ自分なりに考え、
それを治療に活かし、多くの難病患者を治しているそうなんです。
私はそれがいいなと思ってH氏に電話で告げたんですけどね。
それはカタカムナではないときっぱり言われる。
本当に不自由だと思った。
がんじがらめの息苦しさを覚えました。
これで一気に、私の中に残っていたものが全部引いてしまいました。
そしてその医師の本には
カタカムナを学ぶために最低10年かかるとありました。
え~、最低で10年もかかるの!
それを読んで瞬間、こりゃ駄目だ、何かがおかしい、違うと思いました。
人生の指針になるカタカムナを学ぶのに最低で10年も!
だから、H氏は20年以上もやってきたのか。
しかも10年かけても学べていない人がほとんどだとしたら
そんなものは人生の指針になるようなものじゃなく、
ただのオタク理論になってしまう。
そんなのに関わっていたら大切な時間を失ってしまう。
カタカムナ理論が
生きるうえで役に立つとして、最低10年で計算してみました。
世に広まる絵を想像したら気が遠くなるほどの時間がかかってしまう。
こりゃ無理だ、こんなの違うと思った。
カタカムナ文明が本当に上古代にあったとしたら、
その文明の教えはシンプルなはず。
10年かけてものになるかならないか、そんなの違うと思った。
噂どおりカタカムナ人がいたら、何というだろう。
10年なんて時間かかりすぎだし、
第一もうそんな時代じゃない、今は時間の感覚も違うでしょう。
そしてまたH氏がいうように
カタカムナ文明が権力者によって抹消されたとしても
何らかの形で民間伝承で受け継がれているはず、なのに全く何もない。
これがまた不思議で不思議で仕方なかった。
絶対、何らかの形で受け継がれているはずでしょ。
全く何も存在しないなんてあるだろうか。
こんな窮屈なことに関わっていられない、私には他にやるべき大切なことがある。
これで、カタカムナを勉強するのは止めようと思ったのです。
ちなみに
ウタヒを歌って、悪い感じとか嫌な感じはありません。
祝詞も同じだけどね。
これは何事にも通じることですけど
歌う、唱える場合、個人差は大いにあるでしょう。
良いものも悪くなり、悪いものも良くなる。
つづく
カタカムナの相似象学の本はヒッピー系の人がよく集まる
本屋さん(名前は出しません)で昔から売られていいるそうです。