『チネチッタで会いましょう』公式

チネチッタで会いましょう

INTRODUCTION
『監督ミケーレ黄金の夢』でヴェネツィア、
『ジュリオの当惑とまどい』でベルリン『親愛なる日記』でカンヌ、
40歳にして3大映画祭を制覇した早熟の天才モレッティ監督が
軽やかに描く未来への希望
フェリーニやキェシロフスキ、スコセッシなど心底愛する
映画へのオマージュと自身の過去作品を引用しながら
映画の持つ魔法の力と可能性を探る。
STORY
完璧のようにみえていた映画監督ジョヴァンニの人生。
順調なキャリア、傍にはプロデューサーの妻、溢れんばかりの新作のアイディア。
でも、そう思っていたのはジョヴァンニだけだった!
チネチッタ撮影所で新作の撮影が始まると、畳みかけるようにジョヴァンニを災難が襲う。
女優は大嫌いなミュールを履いてきた上に演出に口を出し、
プロデューサーは詐欺師だったと判明、妻には突然別れを告げられる!
映画は完成するのか?家族の愛をとり戻せるのか?
変化の激しい時代に、ちょっと取り残されて、
戸惑うジョヴァンニが見つけた人生で本当に大切なこととは?
ヴィスコンティ「ベリッシマ」フェリーニ「甘い生活」ウィリアム·ワイラー「ベン·ハー」「ローマの休日」など数々の名作が生まれたローマの映画撮影所。現在までに3000作以上が撮影され90以上の作品がアカデミー賞にノミネートされている。
DIRECTOR
ナンニ・モレッティ
NANNI MORETTI
1953年8月19日トレンティーノ=アルト・アディジェ州ブルーニコ生まれ。ローマで育つ。父は碑文研究者ルイジ・モレッティ。母は高校の文学教師。兄フランコ・モレッティは比較文学者・文学理論研究者。
学生時代は映画と水球に熱中し、後に水球選手を主人公に映画『赤いシュート』(89)を製作。1973年に切手のコレクションを売って手に入れたスーパー8で短編「La scon tta」を撮影。76年に最初の長編映画「Io sono un autarchico」を監督。この作品もスーパー8で撮影した。この作品で初めてモレッティ自身が続く4作品でも演じることになる架空の人物Michele Apicellaが登場する。Apicellaは母の旧姓。この作品は16ミリフィルムにブローアップされベルリンやパリのシネクラブなどでも上映された。77年には俳優として出演したヴィットリオとパオロのタヴィアーニ兄弟が監督した『父 パードレ・パドローネ』に出演し、同作はパルム・ドールを受賞。後にベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したタヴィアーニ兄弟の『塀の中のジュリアス・シーザー』(2012)の配給会社探しが難航していた時、いち早くこの作品を見抜き自身の会社サケルが配給に名乗りをあげた。
1981年の『監督ミケーレの黄金の夢』でヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞受賞。85年には『ジュリオの当とまどい惑』でベルリン国際映画祭、審査員グランプリを受賞。93年の『親愛なる日記』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞し、2001年の『息子の部屋』でパルム・ドールを受賞。『親愛なる日記』以降は監督作全てがカンヌ国際映画祭のコンペンティション部門で上映され、2012年には審査委員長を務めた。日本で劇場公開される機会は少ないが短編やドキュメンタリー作品も多く発表している。
ローマでNuovo Sacherという映画館を共同経営している。名前はモレッティの好きなケーキ、ザッハトルテに由来する。
フィルモグラフィー
1976年
IO SONO UN AUTARCHICO
1978年
青春のくずや~おはらい ECCE BOMBO
1981年
監督ミケーレの黄金の夢 SOGNI D’ORO ★ヴェネチア国際映画祭 特別金獅子賞
1984年
僕のビアンカ BIANCA
1985年
ジュリオの当惑とまどい LA MESSA È FINITA ★1986年ベルリン国際映画祭 銀熊賞
1989年
赤いシュート PALOMBELLA ROSSA
1993年
親愛なる日記 CARO DIARIO ★カンヌ国際映画祭監督賞受賞
1998年
ナンニ・モレッティのエイプリル APRILE
2001年
息子の部屋 LA STANZA DEL FIGLIO ★カンヌ国際映画祭パルムドール受賞
2006年
夫婦の危機 IL CAIMANO
2011年
ローマ法王の休日 HABEMUS PAPAM
2015年
母よ、 MIA MADRE
2021年
3つの鍵 TRE PIANI
2023年
チネチッタで会いましょう IL SOL DELL’AVVENIRE
STATEMENT
映画についての映画。その人生は常に映画によって区切られ、映画は常に彼自身の人生に寄り 添ってきた。ジョヴァンニは1956年、ソ連によるハンガリー侵攻を舞台にした映画を制作してい る。当時のイタリア共産党がいかにソ連から脱却し、最終的に独立の道を歩む機会を逸したかを語 る必要があると確信しているのだ。世界は変わり、映画の作り方も変わった。ジョヴァンニは自分 が政治映画を撮っていると確信しているが、彼の女優はそれとは正反対の考えを持っている。彼女 によれば、ジョヴァンニは恋愛映画を作っているのだが、それに気づいていないのだ(そしてたぶ ん彼女は正しい)。ジョヴァンニの妻パオラは、彼と別れる勇気を得るために、密かに精神分析医 のもとへ通う。さらに、彼女は初めてジョヴァンニの作品ではない、新進気鋭の若手監督のアクショ ン映画をプロデュースしている。 ジョヴァンニを取り巻く世界は、ますます理解し難く、受け入れがたいものになっていくが、ジョ ヴァンニは悲観したくなるような現実には屈したくない。そして何よりも、それを変えることができると いう夢を諦めたくないのだ。人生や歴史がそれを許さないのであれば、映画はその影響力とエネル ギーで現実を変え、夢を叶えることができる。数十年にわたるカップルのラブストーリーと、ジョン・ チーヴァーの短編を基にした『泳ぐ人』。人生の空白は常に映画によって埋められるべきものである かのように。 私は、ジョヴァンニの思考と感情の流れに沿って映画を作りたかった。そのためには、物語(とい うより複数の物語)を語る一方で、さまざまなレイヤー、トーン、スタイルが含まれた、幅広く自由な 脚本が必要だった。映画はさまざまな危機を経験し、それを乗り越えていく。映画には、私たちに明 るさと幸せになりたいという気持ちを再発見させる魔法の力がある。どんなことがあっても。
CAST
マルゲリータ・ブイ
Margherita Buy
1962年1月15日生まれ、ローマ出身。7度ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀主演・助演女優賞を受賞しイタリアのメリル・ストリープと称されることもある。高校卒業後1度不合格となるもシルヴィオ・ダミーコ国立演劇芸術アカデミーに学ぶ。ニーノ・ビッザッリ監督作「La seconda notte」(1986)で映画デビュー。ダニエーレ・ルケッティ監督作品に2作続けて出演し「La settimana della S  nge」(1990)で1990年のサン・セバスティアン国際映画祭の最優秀女優賞を受賞。夫でもあったセルジオ・ルビーニ監督の『殺意のサン・マルコ駅』(1990)で最初のダヴィッド・ディ・ドナッテッロ賞を受賞。フェルザン・オズペテク監督の「無邪気な妖精たち」(2001)マリア・ソーレ・トニャッツィ監督『はじまりは5つ星ホテルから』(2013)ジュゼッペ・トルナトーレ監督『題名のない子守唄』(2006)やマルコ・ベロッキオ監督『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』(2022)などイタリアを代表する監督の作品に次々に出演。モレッティ作品には『夫婦の危機』(2006)から5回目の出演。2023年には自身の飛行機恐怖症を題材にした作品「ヴォラーレ」で監督デビューしたほかアンドリュー・スコット主演のNetfix のドラマシリーズ「リプリー」にも出演。
マチュー・アマルリック
Mathieu Amalric
1965年、フランス・ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。1984年、ジョージア(グルジア)出身の名匠オタール・イオセリアーニ監督作『月の寵児たち』で映画デビュー。アルノー・デプレシャン監督作『そして僕は恋をする』(96)に主演して注目を集め、セザール賞有望若手男優賞を受賞。その後はフランス映画だけでなく『ミュンヘン』(05)、『007 慰めの報酬』(08)、『グランド・ブダペスト・ホテル』(14)など幅広い活躍で国際的な俳優として人気を得る。監督としても、1997年『スープをお飲み』でデビュー。『さすらいの女神たち』(10)でカンヌ国際映画祭の監督賞とFIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞を受賞。『バルバラ セーヌの黒いバラ』(17)ではカンヌ国際映画祭ある視点部門開幕作品に選ばれるなど高く評価されている。2021年には監督作『彼女のいない部屋』がカンヌ・プレミア部門で上映された。最近の出演作に黒沢清監督『蛇の道』(2024)などがある。
この映画は本当に素晴らしい。そしてナンニはカンヌの観客の反応に驚いていた。子供の頃、15~16歳の頃、僕は彼の映画に魅了された。ナンニから彼の映画プロジェクトに参加しないかと誘われた時、彼の世界に足を踏み入れることができ、嬉しかったし、驚いた。『僕のビアンカ』でモレッティ監督を知った青春時代に戻ったよ。(2023年6月5日THE HOLLTWOOD REPORTER ROMA)
シルヴィオ・オルランド
Silvio Orlando
1957年6月30日ナポリ生まれ。1975年カンパニア州の青少年文化センターのアンサンブルで横笛を演奏し音楽家としてデビューする。翌年舞台で俳優としてのキャリアをスタートする。ガブリエレ・サルヴァトレス監督の「Kamikazen -Ultima notte a Milano」 (1987)で本格的にスクリーンデビューする。以降多くのイタリアを代表する監督たちの作品に出演。2008年プーピ・アヴァーティ監督の『ボローニャの夕暮れ』で第65回ヴェネチア国際映画祭の最優秀主演男優賞を受賞。モレッティ監督作品には『赤いシュート』(1989)から『ナンニ・モレッティのエイプリル』(1998)『息子の部屋』(2001)と続けて出演していたが本作は2006年の『夫婦の危機』から17年ぶりの出演となった。最近ではパオロ・ソレンティーノ監督のTVシリーズ“ニューポープ”や最新作「Parthenope」にも出演。2021年にレオナルド・コスタンツォ監督「内なる檻」でダヴィデ・ディ・ドナテッロ賞の最優秀主演男優賞を受賞。映画のみならず舞台でも活躍している。
バルバラ・ボブローヴァ
Barbora Bobulova
1974年4月29日チェコスロヴァキア(現スロヴェキア)のマルチン生まれ。1986年12歳の時にスクリーンデビューの後、主に舞台でキャリアを積む。ブラチスラヴァ・パフォーミングアーツアカデミーで学ぶ。イタリアでは1996年にヴァレリオ・マスタンドレアと共演したテレビ映画「In ltrato」でデビューする。マルコ・ベロッキオ監督のカンヌ国際映画祭で上映された1997年の「Il principedi Homburg」に出演。2004年のパオロ・フランキ監督の「見つめる女」で主演を務め2005年のフェルザン・オズペテク監督の「Cuore Sacro」でダヴィデ・ディ・ドナテッロ賞の最優秀主演女優賞を受賞した。最新作に2024年のイタリア映画祭で上映された「あなたのために生まれてきた」やヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門で上映された「Iddu」などがある。