400年伝わる奉納神楽 【武甲山御嶽神社 里宮】
2024.09.29
秩父札所巡り、8番 「西善寺」をあとに6番へ戻るという行程だが、ここでちょっと寄り道。

城谷沢の井は写真手前に50mほど下る。左奥の屋根が西善寺本堂
西善寺下の道標に“城谷沢の井”。
行ってみると古井戸で、“秩父絹発祥の地”とある。

――井戸は、武甲山御嶽神社里宮の鳥居の東側、城谷沢沿いに位置し、深さは4mを測る。『横瀬村史』(1952年刊)によれば、根古屋城に居住していた浅見伊賀守慶延が地元の産業として絹布の生産を奨励し、その染色に用いた井戸といわれる。後にこの付近から産出した絹は、「根古屋絹」もしくは「根古屋」といわれるようになり、無地織物の代表的なものであった。現在でも絹の無地の裏地を根古屋というが、当時の根古屋絹が品質優秀で広く知られたため、地名が裏地の代名詞になったものである。そして根古屋絹は秩父銘仙へと発展していった。(「秩父絹発祥の地 城谷沢の井」横瀬町HPより)

井戸の手前に鳥居。
――武甲山御嶽神社御由緒 ◇武甲山頂に祀られる社、山麓の根古屋に里宮がある。(説明看板より)
つまり武甲山御嶽神社の里の拝殿的な?

武甲山山頂に鎮座する古社は気になる存在だが、絶対そこまで登れない自信がある。
この機を逃す手はない。

武甲山御嶽神社は約1900年前、日本武尊が東征の折に武甲山頂に武具を埋め、関東の鎮護としたことを起源とする。
里宮について、上の説明看板には“明治4年(1871)に村社となり、同40年(1907)には当時海抜1336メートルの武甲山山頂から山麓の根古屋に遷座して里宮を創建、頂上の社を奥宮とする”とある。

“当時”と記されているのはこの山の歴史を物語るもので、石灰岩採掘のため山頂が発破され、現在の武甲山最高地点は1304mである。

拝殿の向かいに神楽殿。
ここで奉納される神楽が有名らしい。

武甲山御嶽神社里宮太々(だいだい)神楽(通称「里宮の神楽」)は1596(文禄5)年、鉢形守城日下部丹波守が古例にならい武運長久、百穀豊饒を祈り奉奏したのが起源と伝えられ、中断を経て1818(文政元)年に神楽講中を勧進して再興し、現在に及んでいる。
4月15日の祈年祭と10月1日の例大祭の年2回奉納され、町の無形民俗文化財に指定されている。
って、10月1日って今日じゃん。
そうと知っていればせめて2日前に記事にするんだった… と、情報としてはダメダメだが、こういうのもシンクロニシティ?
(つづく)

左奥に西善寺の屋根が見える
[DATA]
武甲山御嶽神社 里宮
埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬880-2
https://www.yokoze.org/2024/09/47192/
[Today's recommendation]

https://youtu.be/lfWJnFhQm2U?si=kFDEqSQxkFaVmlT9




札所6番「卜雲寺」
秩父札所巡り、8番 「西善寺」をあとに6番へ戻るという行程だが、ここでちょっと寄り道。

城谷沢の井は写真手前に50mほど下る。左奥の屋根が西善寺本堂
西善寺下の道標に“城谷沢の井”。
行ってみると古井戸で、“秩父絹発祥の地”とある。

――井戸は、武甲山御嶽神社里宮の鳥居の東側、城谷沢沿いに位置し、深さは4mを測る。『横瀬村史』(1952年刊)によれば、根古屋城に居住していた浅見伊賀守慶延が地元の産業として絹布の生産を奨励し、その染色に用いた井戸といわれる。後にこの付近から産出した絹は、「根古屋絹」もしくは「根古屋」といわれるようになり、無地織物の代表的なものであった。現在でも絹の無地の裏地を根古屋というが、当時の根古屋絹が品質優秀で広く知られたため、地名が裏地の代名詞になったものである。そして根古屋絹は秩父銘仙へと発展していった。(「秩父絹発祥の地 城谷沢の井」横瀬町HPより)

井戸の手前に鳥居。
――武甲山御嶽神社御由緒 ◇武甲山頂に祀られる社、山麓の根古屋に里宮がある。(説明看板より)
つまり武甲山御嶽神社の里の拝殿的な?

武甲山山頂に鎮座する古社は気になる存在だが、絶対そこまで登れない自信がある。
この機を逃す手はない。

武甲山御嶽神社は約1900年前、日本武尊が東征の折に武甲山頂に武具を埋め、関東の鎮護としたことを起源とする。
里宮について、上の説明看板には“明治4年(1871)に村社となり、同40年(1907)には当時海抜1336メートルの武甲山山頂から山麓の根古屋に遷座して里宮を創建、頂上の社を奥宮とする”とある。

“当時”と記されているのはこの山の歴史を物語るもので、石灰岩採掘のため山頂が発破され、現在の武甲山最高地点は1304mである。

拝殿の向かいに神楽殿。
ここで奉納される神楽が有名らしい。

武甲山御嶽神社里宮太々(だいだい)神楽(通称「里宮の神楽」)は1596(文禄5)年、鉢形守城日下部丹波守が古例にならい武運長久、百穀豊饒を祈り奉奏したのが起源と伝えられ、中断を経て1818(文政元)年に神楽講中を勧進して再興し、現在に及んでいる。
4月15日の祈年祭と10月1日の例大祭の年2回奉納され、町の無形民俗文化財に指定されている。
って、10月1日って今日じゃん。
そうと知っていればせめて2日前に記事にするんだった… と、情報としてはダメダメだが、こういうのもシンクロニシティ?
(つづく)

左奥に西善寺の屋根が見える
[DATA]
武甲山御嶽神社 里宮
埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬880-2

[Today's recommendation]

https://youtu.be/lfWJnFhQm2U?si=kFDEqSQxkFaVmlT9




札所6番「卜雲寺」