ほぼ見知らぬ街角で 【伊峡】
2024.04.23
どんな場面でもジーンズで済ませる無精者である。
自転車に乗るのも仕事の打ち合わせもクラシックコンサートも。
先日出かけた日和田山の男坂で、無精の限界を痛感させられた。
いうまでもなくストレッチ性のないデニム素材は動きの制約が大きく、岩場では正直言って身の危険すら感じた。
買い物は神保町交差点近くの「KANDAHAR」で済ませる
山用パンツを買いにスポーツ用品の街・神保町へ。
電車代をケチって自転車で。
もちろんジーンズで😅
最近の新宿の記事で家から新宿までの距離を27.5kmと定めているが、それに新宿-神保町間(飯田橋経由)6kmを加え、片道33.5km。
なんと、三省堂がなくなってる🙀 そういえば建て替えとニュースで見たような
神田の出版社と飯田橋の印刷所を行き来していたころ、時間があるときは歩くことが多かった。
歩くのが好きというより、途中に神保町があるから。
神保町は東京でいちばん好きな街だった。
幻想文学やガロ系漫画やロシア盤CDや、そういうものに根ざした食や喫茶店の文化。
仕事がほぼ在宅になっても、用もなくわざわざ出かけていたものだ。
コロナ禍もあり、そういえば何年ぶり? という神保町。
着いたのが12時すぎで、まずは昼ごはん。
ぶらぶら歩き回ると、さすがに見知った名前がいくつもある。
あるにはあるが、驚くことに出現場所がことごとく記憶と違っている。
思えばジェイシティ東京ができて徐々に神保町から足が遠のくようになったわけだが、壮大なガラガラポン(scrap and build)の影響は街全体に及んでいるようである。
記憶より170m南東に位置する「キッチン南海」
記憶より80m北西に位置する「いもや」
「さぼうる」「さぼうる2」は昔のままだが…
その隣の、昔友人がアルバイトしていたすし屋は違うお店に変わっていた
自転車で向かっている途中、「伊峡」のラーメン食べたい! となっていたが…
びっくりというか、やっぱりというか、跡形もなくなってる ( ̄▽ ̄;)!!ガーン
「伊峡」があったのはこのあたり
さすがにググってみる。
やはり移転なのだった。
ということで、記憶より170m南に位置する「伊峡」。
こうなると、もはや知らない街と言っても過言ではないでしょう ( ̄- ̄;) ンー
ほかと違って行列ができておらず、ラッキー✌
創業1966年。
移転前も激セマだったが、こちらもL字カウンター7席ほどの小さいお店。
注文は半チャンラーメン。
“半チャンラーメンの聖地”ともいわれる神保町。
「伊峡」はその始祖的存在である。
一説に元祖とされるのが白山通り裏の「さぶちゃん」だが、そこの店主が修業したのがこちら「伊峡」で、ほぼ同時期に半チャンラーメンを出していた… らしい。
その2店にさくら通り出口「成光」を加え、“半チャン御三家”と称された(知らなかったが…)。
数十年ぶり? の「伊峡」のラーメン。
鶏ガラだしのスープは、しょうゆが立ってうま味は強くない、ごくごくあっさりテイスト。
麺はストレートの細麺。
昔ながらの東京ラーメンである。
チャーハンは基本つくり置きだと思うが、ちょうど目の前で鍋を振っているところで、できたて最初の1杯と、ラッキー。
パラパラな仕上がりで、こちらもあっさりめな味付け。
この学生街において半チャンはそもそも食べ盛りの若い人に安くたらふく… というサービス精神から生まれたものと推察されるが、たまたまかもしれないが客の年齢層、高めである。
濃い味に慣らされた若い人にはあっさりすぎる…?
行列もそうだが何事も過剰なこのご時世。
ほどほどが、ホッとする。
[DATA]
伊峡(いきょう)
東京都千代田区神田神保町1-17
[Today's recommendation]
https://youtu.be/68dk01GkxDI?si=8cH6HTpqKsq5P_Ya
「さぶちゃん」は閉店していた
どんな場面でもジーンズで済ませる無精者である。
自転車に乗るのも仕事の打ち合わせもクラシックコンサートも。
先日出かけた日和田山の男坂で、無精の限界を痛感させられた。
いうまでもなくストレッチ性のないデニム素材は動きの制約が大きく、岩場では正直言って身の危険すら感じた。
買い物は神保町交差点近くの「KANDAHAR」で済ませる
山用パンツを買いにスポーツ用品の街・神保町へ。
電車代をケチって自転車で。
もちろんジーンズで😅
最近の新宿の記事で家から新宿までの距離を27.5kmと定めているが、それに新宿-神保町間(飯田橋経由)6kmを加え、片道33.5km。
なんと、三省堂がなくなってる🙀 そういえば建て替えとニュースで見たような
神田の出版社と飯田橋の印刷所を行き来していたころ、時間があるときは歩くことが多かった。
歩くのが好きというより、途中に神保町があるから。
神保町は東京でいちばん好きな街だった。
幻想文学やガロ系漫画やロシア盤CDや、そういうものに根ざした食や喫茶店の文化。
仕事がほぼ在宅になっても、用もなくわざわざ出かけていたものだ。
コロナ禍もあり、そういえば何年ぶり? という神保町。
着いたのが12時すぎで、まずは昼ごはん。
ぶらぶら歩き回ると、さすがに見知った名前がいくつもある。
あるにはあるが、驚くことに出現場所がことごとく記憶と違っている。
思えばジェイシティ東京ができて徐々に神保町から足が遠のくようになったわけだが、壮大なガラガラポン(scrap and build)の影響は街全体に及んでいるようである。
記憶より170m南東に位置する「キッチン南海」
記憶より80m北西に位置する「いもや」
「さぼうる」「さぼうる2」は昔のままだが…
その隣の、昔友人がアルバイトしていたすし屋は違うお店に変わっていた
自転車で向かっている途中、「伊峡」のラーメン食べたい! となっていたが…
びっくりというか、やっぱりというか、跡形もなくなってる ( ̄▽ ̄;)!!ガーン
「伊峡」があったのはこのあたり
さすがにググってみる。
やはり移転なのだった。
ということで、記憶より170m南に位置する「伊峡」。
こうなると、もはや知らない街と言っても過言ではないでしょう ( ̄- ̄;) ンー
ほかと違って行列ができておらず、ラッキー✌
創業1966年。
移転前も激セマだったが、こちらもL字カウンター7席ほどの小さいお店。
注文は半チャンラーメン。
“半チャンラーメンの聖地”ともいわれる神保町。
「伊峡」はその始祖的存在である。
一説に元祖とされるのが白山通り裏の「さぶちゃん」だが、そこの店主が修業したのがこちら「伊峡」で、ほぼ同時期に半チャンラーメンを出していた… らしい。
その2店にさくら通り出口「成光」を加え、“半チャン御三家”と称された(知らなかったが…)。
数十年ぶり? の「伊峡」のラーメン。
鶏ガラだしのスープは、しょうゆが立ってうま味は強くない、ごくごくあっさりテイスト。
麺はストレートの細麺。
昔ながらの東京ラーメンである。
チャーハンは基本つくり置きだと思うが、ちょうど目の前で鍋を振っているところで、できたて最初の1杯と、ラッキー。
パラパラな仕上がりで、こちらもあっさりめな味付け。
この学生街において半チャンはそもそも食べ盛りの若い人に安くたらふく… というサービス精神から生まれたものと推察されるが、たまたまかもしれないが客の年齢層、高めである。
濃い味に慣らされた若い人にはあっさりすぎる…?
行列もそうだが何事も過剰なこのご時世。
ほどほどが、ホッとする。
[DATA]
伊峡(いきょう)
東京都千代田区神田神保町1-17
[Today's recommendation]
https://youtu.be/68dk01GkxDI?si=8cH6HTpqKsq5P_Ya
「さぶちゃん」は閉店していた