北斗信仰をめぐる ――平将門北斗七星めぐり
2023.11.12
日曜日なのでお出かけしたいが、予報が思わしくない。
山歩きはちょっとキビシイが、街ならどうだろう。
朝、目が覚めてふと思い浮かんだのが、“平将門北斗七星めぐり”。
ストンと落ちてきた感じで、これは天の声じゃなかろうか。
調べてみると――
939(天慶2)年11月、平将門は常陸・下野・上野を攻め落とし関東を制覇。朝廷に反旗を翻し自らを新皇を名乗る。
11月は平将門の乱。
ちなみに、ゆかりの地・茨城県坂東市では毎年11月の第2日曜日(つまり今日)、「坂東市将門まつり」が開催される。
北斗七星めぐりとは、平将門にまつわる神社が都内に7つ、北斗七星の形に配置してあり、一日で全部めぐればご利益にあずかるというもの。
将門が信じたとされる妙見信仰に由来しており、それは北斗七星を“妙見菩薩”として神格化し、天之御中主大神、鎮宅霊符神として崇めた信仰である。
いわば都市伝説のたぐいだが、スタンプラリーが行われたりもしているらしい。
今回めぐったルート:①鳥越神社、②兜神社、③将門塚、④神田明神、⑤筑土八幡神社、⑥水稲荷神社、⑦鎧神社 © OpenStreetMap contributors
七福神めぐりもそうだが、信心やご利益というより、歩いたら面白そうだという純粋な街歩き的好奇心に突き動かされている。
対象が寺社なだけに、どっちが純粋で、不純か… 微妙なところではあるが。
ということで、ちゃちゃっと計画を立て……
10:34、御徒町駅到着。
北斗七星めぐりは、めぐり順が決められているという(あとで知ったんだけど…💦)
1番目は鳥越神社。
御徒町
日光街道
御徒町駅から20分近く歩く。
地図でざっと見た感じよりこのあたりの縮尺感はだいぶ大きく感じられ、早くもペースが狂う。
途中パラッときたと思ったら、鳥越神社に着くころには本降りに。
いきなり暗雲立ち込める🌨
蔵前橋通り(左が鳥越神社)
鳥越神社
東京都台東区鳥越2-4-1
https://www.facebook.com/torikoej/?locale=ja_JP
日本武尊を祭って白鳥神社と称したのが鳥越神社のはじまりとされる。
伊勢国能褒野で亡くなった日本武尊は白鳥と化し北天(妙見菩薩のもと)へ旅立ったという“日本武尊白鳥伝説”から、妙見信仰=将門と結び付けるなど、やや都市伝説的。
将門の首が飛び越していったので“飛び越え(鳥越)”という説も。
浅草橋
雨が降り続けば撤収やむなきに至るところだが、鳥越神社最寄りの浅草橋駅のあたりで早くも小降りに。
ナントカと秋の空で、こちらも気持ちを切り替えて先へ進む。
左衛門橋(神田川)
甘酒横丁
茅場橋(日本橋川)
東京証券取引所(左)
兜神社
東京都中央区日本橋兜町1-12
https://www.jpx.co.jp/corporate/about-jpx/history/01-04.html
940(天慶3)年、承平天慶の乱で将門を討ち取った藤原秀郷が、首を京都へ運ぶ途中にこの地で将門の兜を供養したとされる。
世界屈指の金融センターとしてその名をとどろかせた兜町の名前の由来にもなっている。
――「兜町」は平将門の兜を埋めて塚にした所を兜山と云ったところから由来しているという。その地に祀られたのが兜神社である。(「日本橋兜町」Wikipediaより、最終更新2023年3月1日23:37 )
日本橋(日本橋川)
日本橋川(常盤橋より)
丸の内
将門塚(しょうもんづか・まさかどづか)
東京都千代田区大手町1-2-1
https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/65
ご存じ将門の首を供養するために建てられた石碑。
――平安京でさらされた平将門の首は、数ヶ月経った後も目を開いたり閉じたりを繰り返し、ときには「首を繋げて再戦したい」と叫ぶなどして民を恐怖に追いやりました。その後、平将門の首は怨念により故郷の東国に向かって飛んでいき、その途中の土地土地に落ちた、という伝説があります。その首が落ちた場所の一つが、ここ「将門の首塚」なのです。(「将門塚」千代田区HPより)
近代においても、東京の中心部にあって都市計画上の障害となることから何度か取り壊し・撤去が計画されたが、不審な事故が相次ぐなどして将門の祟りがうわさされ、計画はことごとく取りやめとなっている。
10数年前に一度来たことがあり、そのときはたしかビルにコの字形に囲まれ、オドロオドロしい雰囲気も漂っていたが、西側が開けて明るい印象に変わっている。
神田橋交差点
ニコライ堂
神田明神
東京都千代田区外神田2-16-2
https://www.kandamyoujin.or.jp/
神田神社(神田明神)の神祭は、大己貴命(大黒)、少彦名命(恵比寿)、平将門の三柱。
――平将門命(たいらのまさかどのみこと):まさかど様。除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守ったお方です。明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀され今日にいたっております。東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首をお祀りしております。(「御祭神」神田明神HPより)
ここでひと休みして、お土産&昼ごはん(→次記事&次々記事予定)。
「神田明神文化交流館 EDOCCO」では将門酒や将門麦酒が売られている
飯田橋交差点
筑土八幡神社
東京都新宿区筑土八幡町2-1
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/shinjuku/5437/
将門ゆかりの神社としては約1.2km南東の「筑土神社」が有名だが、北斗七星の配置? でこちら八幡宮。
築土神社は940(天慶3)年、現在の大手町周辺の観音堂に将門を祀り津久戸大明神と称したのがはじまりとされる。1616(元和2)年に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地へ移転、以来300年以上の間、両社は並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼、築土神社は九段北へ移転し現在に至る。
馬場下町交差点
西早稲田交差点
水稲荷神社
東京都新宿区西早稲田3-5-43
https://mizuinari.net/
――天慶四年(941年)鎮守府将軍、俵藤太秀郷朝臣が旧社地(現早稲田大学九号館法商研究棟)の「富塚」の上に稲荷大神を勧請され、富塚稲荷、将軍稲荷と初めは呼ばれる。(「神社の御由緒」水稲荷神社HPより)
俵藤太秀郷とは将門を討ち取った藤原秀郷の別名で、941年は将門討伐の翌年であることから、大願成就によって当地に稲荷大神を勧請したと考えられている。
(過去記事も参照ください)
戸山公園
鎧ガード
鎧神社
東京都新宿区北新宿3-16-18
http://yoroi.or.jp/
――天慶三年(940)、関東に威をとなえていた平将門公が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(947)、将門公の鎧もまた当地に埋めたと言われています。また一説によると、将門公を討った後、重病となった藤原秀郷が、 将門公の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、将門公の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、 病気がたちまち治ったと言われます。(「鎧神社ものがたり」鎧神社HPより)
職安通り
「鎧神社」の最寄り駅はJR大久保駅だが、僕らの場合は西武線が地元路線なので西武新宿駅をゴールに設定してある。
16:24、西武新宿駅到着。
西武新宿駅
あとでGoogleマップで測距してみると、全工程(御徒町→西武新宿)20km強。
しかしアスファルト路の20kmはかなりこたえる。
途中、神田明神のあたりで癖になっている左股関節痛が出て、かばいかばい歩いていたため飯田橋交差点歩道橋階段で左足ふくらはぎが激しくつる。さらに右ハムストリング痙攣、右坐骨神経痛… と、満身創痍のゴール。
いろいろな気づき(体の悪いとことか💦)がありました。
(つづく)
[DATA]
将門塚
東京都千代田区大手町1-2-1
https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/65
[Today's recommendation]
https://youtu.be/ujnYf2FypEY?si=qwnxG7mt4kx-xSFZ
お土産
日曜日なのでお出かけしたいが、予報が思わしくない。
山歩きはちょっとキビシイが、街ならどうだろう。
朝、目が覚めてふと思い浮かんだのが、“平将門北斗七星めぐり”。
ストンと落ちてきた感じで、これは天の声じゃなかろうか。
調べてみると――
939(天慶2)年11月、平将門は常陸・下野・上野を攻め落とし関東を制覇。朝廷に反旗を翻し自らを新皇を名乗る。
11月は平将門の乱。
ちなみに、ゆかりの地・茨城県坂東市では毎年11月の第2日曜日(つまり今日)、「坂東市将門まつり」が開催される。
北斗七星めぐりとは、平将門にまつわる神社が都内に7つ、北斗七星の形に配置してあり、一日で全部めぐればご利益にあずかるというもの。
将門が信じたとされる妙見信仰に由来しており、それは北斗七星を“妙見菩薩”として神格化し、天之御中主大神、鎮宅霊符神として崇めた信仰である。
いわば都市伝説のたぐいだが、スタンプラリーが行われたりもしているらしい。
七福神めぐりもそうだが、信心やご利益というより、歩いたら面白そうだという純粋な街歩き的好奇心に突き動かされている。
対象が寺社なだけに、どっちが純粋で、不純か… 微妙なところではあるが。
ということで、ちゃちゃっと計画を立て……
10:34、御徒町駅到着。
北斗七星めぐりは、めぐり順が決められているという(あとで知ったんだけど…💦)
1番目は鳥越神社。
御徒町
日光街道
御徒町駅から20分近く歩く。
地図でざっと見た感じよりこのあたりの縮尺感はだいぶ大きく感じられ、早くもペースが狂う。
途中パラッときたと思ったら、鳥越神社に着くころには本降りに。
いきなり暗雲立ち込める🌨
蔵前橋通り(左が鳥越神社)
鳥越神社
東京都台東区鳥越2-4-1
https://www.facebook.com/torikoej/?locale=ja_JP
日本武尊を祭って白鳥神社と称したのが鳥越神社のはじまりとされる。
伊勢国能褒野で亡くなった日本武尊は白鳥と化し北天(妙見菩薩のもと)へ旅立ったという“日本武尊白鳥伝説”から、妙見信仰=将門と結び付けるなど、やや都市伝説的。
将門の首が飛び越していったので“飛び越え(鳥越)”という説も。
浅草橋
雨が降り続けば撤収やむなきに至るところだが、鳥越神社最寄りの浅草橋駅のあたりで早くも小降りに。
ナントカと秋の空で、こちらも気持ちを切り替えて先へ進む。
左衛門橋(神田川)
甘酒横丁
茅場橋(日本橋川)
東京証券取引所(左)
兜神社
東京都中央区日本橋兜町1-12
https://www.jpx.co.jp/corporate/about-jpx/history/01-04.html
940(天慶3)年、承平天慶の乱で将門を討ち取った藤原秀郷が、首を京都へ運ぶ途中にこの地で将門の兜を供養したとされる。
世界屈指の金融センターとしてその名をとどろかせた兜町の名前の由来にもなっている。
――「兜町」は平将門の兜を埋めて塚にした所を兜山と云ったところから由来しているという。その地に祀られたのが兜神社である。(「日本橋兜町」Wikipediaより、最終更新2023年3月1日23:37 )
日本橋(日本橋川)
日本橋川(常盤橋より)
丸の内
将門塚(しょうもんづか・まさかどづか)
東京都千代田区大手町1-2-1
https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/65
ご存じ将門の首を供養するために建てられた石碑。
――平安京でさらされた平将門の首は、数ヶ月経った後も目を開いたり閉じたりを繰り返し、ときには「首を繋げて再戦したい」と叫ぶなどして民を恐怖に追いやりました。その後、平将門の首は怨念により故郷の東国に向かって飛んでいき、その途中の土地土地に落ちた、という伝説があります。その首が落ちた場所の一つが、ここ「将門の首塚」なのです。(「将門塚」千代田区HPより)
近代においても、東京の中心部にあって都市計画上の障害となることから何度か取り壊し・撤去が計画されたが、不審な事故が相次ぐなどして将門の祟りがうわさされ、計画はことごとく取りやめとなっている。
10数年前に一度来たことがあり、そのときはたしかビルにコの字形に囲まれ、オドロオドロしい雰囲気も漂っていたが、西側が開けて明るい印象に変わっている。
神田橋交差点
ニコライ堂
神田明神
東京都千代田区外神田2-16-2
https://www.kandamyoujin.or.jp/
神田神社(神田明神)の神祭は、大己貴命(大黒)、少彦名命(恵比寿)、平将門の三柱。
――平将門命(たいらのまさかどのみこと):まさかど様。除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守ったお方です。明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀され今日にいたっております。東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首をお祀りしております。(「御祭神」神田明神HPより)
ここでひと休みして、お土産&昼ごはん(→次記事&次々記事予定)。
「神田明神文化交流館 EDOCCO」では将門酒や将門麦酒が売られている
飯田橋交差点
筑土八幡神社
東京都新宿区筑土八幡町2-1
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/shinjuku/5437/
将門ゆかりの神社としては約1.2km南東の「筑土神社」が有名だが、北斗七星の配置? でこちら八幡宮。
築土神社は940(天慶3)年、現在の大手町周辺の観音堂に将門を祀り津久戸大明神と称したのがはじまりとされる。1616(元和2)年に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地へ移転、以来300年以上の間、両社は並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼、築土神社は九段北へ移転し現在に至る。
馬場下町交差点
西早稲田交差点
水稲荷神社
東京都新宿区西早稲田3-5-43
https://mizuinari.net/
――天慶四年(941年)鎮守府将軍、俵藤太秀郷朝臣が旧社地(現早稲田大学九号館法商研究棟)の「富塚」の上に稲荷大神を勧請され、富塚稲荷、将軍稲荷と初めは呼ばれる。(「神社の御由緒」水稲荷神社HPより)
俵藤太秀郷とは将門を討ち取った藤原秀郷の別名で、941年は将門討伐の翌年であることから、大願成就によって当地に稲荷大神を勧請したと考えられている。
(過去記事も参照ください)
戸山公園
鎧ガード
鎧神社
東京都新宿区北新宿3-16-18
http://yoroi.or.jp/
――天慶三年(940)、関東に威をとなえていた平将門公が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(947)、将門公の鎧もまた当地に埋めたと言われています。また一説によると、将門公を討った後、重病となった藤原秀郷が、 将門公の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、将門公の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、 病気がたちまち治ったと言われます。(「鎧神社ものがたり」鎧神社HPより)
職安通り
「鎧神社」の最寄り駅はJR大久保駅だが、僕らの場合は西武線が地元路線なので西武新宿駅をゴールに設定してある。
16:24、西武新宿駅到着。
西武新宿駅
あとでGoogleマップで測距してみると、全工程(御徒町→西武新宿)20km強。
しかしアスファルト路の20kmはかなりこたえる。
途中、神田明神のあたりで癖になっている左股関節痛が出て、かばいかばい歩いていたため飯田橋交差点歩道橋階段で左足ふくらはぎが激しくつる。さらに右ハムストリング痙攣、右坐骨神経痛… と、満身創痍のゴール。
いろいろな気づき(体の悪いとことか💦)がありました。
(つづく)
[DATA]
将門塚
東京都千代田区大手町1-2-1
https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/65
[Today's recommendation]
https://youtu.be/ujnYf2FypEY?si=qwnxG7mt4kx-xSFZ
お土産