曽野綾子という人が産経新聞に寄せたアパルトヘイトを主張したコラムが話題になっている。日本ばかりか海外からも批判されているし、かつてアパルトヘイト政策をとっていた南アフリカからも抗議がくる有り様である。
曽野綾子は60年前に23歳で作家デビューした女流作家だ。僕は彼女の本は読んだことない。そしてどんな人なのかもよく知らない。今回の騒動で初めて知った。なんたる物知らずと思われるかもしれないけど、知らないものは知らないのでしょうがない。なにしろ日本には作家が死ぬほどいる。
だから慌ててウィキペディアで調べた。カトリック教徒。そして笹川良一の作った日本船舶振興会の会長を10年ほど務めている。「戸締まり用心火の用心」のCMソングで有名な(っていっても、今じゃ通用しなくなったかも)あのボートレースの協会だ。会長を務めている間に「日本財団」という通称を定めたそうだ。「日本財団」というネーミングはあまりにも凄すぎる。2009年からは日本郵政社外取締役に就任。そして2013年には安倍政権の教育再生実行会議の委員にもなっている。なんか権力まみれのプロフィールだ。
僕は人を判断するときにいつも見ているのは、言葉よりも、やったことだ。だから権力まみれのプロフィールを見ると、権力とか名声が好きなんだなあと素直に判断する。
そんな曽野綾子だけど言ったこと(書いたこと)もすごかった。
いまさらだけど問題になった産経新聞のコラムを引用させてもらう。全文読んだことのない人もいるはずなので。
曽野綾子の透明な歳月の光
「適度な距離」保ち受け入れを
最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。
一方で、若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。特に、高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと、資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。
つまり、高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には、衛生上の専門的な知識もない。
しかし、優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。
日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
黒人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。しかし、居住だけは別にした方がいい」
僕はこれを読んで、曽野綾子さんという人が、外国人と同じところに住みたくない気持ちがものすごく伝わってきた。それと同時に、これを個人的な感情として主張しているのではなく「そういう気持ちを持つのが当たり前!皆も持つべき!」という主義の持ち主であることもビンビン伝わってきた。
コラムの構成として、最後に、黒人と白人のマンションの話までわざわざ例に挙げて「人種差別の撤廃がこういうトラブルを生んだんだぜ!」と持論の正当性を主張するという念の入りよう。
あとでインタビューに答えたところ、このマンションの話は「誰かから伝え聞いた話」らしい。
昔よく大阪なんかでも広まっていた「在日朝鮮人に鼻に割り箸を刺された話」に似ている。僕らが子供のころ、「在日朝鮮人と喧嘩したら鼻に割り箸を刺されて死ぬから怖い」という話が実しやかにされていた。この話が実話かどうかは未だによくわかってない。大阪以外でも語られていたのだろうか。でもこれは決まって「友達の友達の話」としてよく展開されていた。完璧に都市伝説である。
「あいつら怒らせると鼻に割り箸を入れられるから。」
「へぇ朝鮮人はやっぱり怖いし残酷やねんなあ。近寄ったらあかんね。」
曽野綾子の書いたマンションの話は基本的にはこれと同じノリを感じる。
そして忘れてはいけないのが前半の介護の話。
僕がこれを読んで思ったのは、この人は外国人労働者をめちゃめちゃ見下しているやないかということ。
「出稼ぎにくるのだから法的に多少厳しくされるのは当たり前!」
「それを飲めないのなら来なくて良いよ!」
こういう偉ぶった態度にしか受け取れない。円も下がってきて、経済も破綻してきて、労働力も不足してるから来てくださいって話なのに、この自信の根拠はどこにあるのか。日本郵政社外取締役という圧倒的自信か。
ふと平均年収2500万という長野のレタス村の話が頭をよぎったりする。
もうひとつ伝わてきたのは、介護に呼ぶ外国人労働者だけではなく、「今現在、介護に従事している労働者を、圧倒的に見下している」ということだ。
特に、高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと、資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。
まるで介護従事者が、日本人ということと資格のバリアで守られて既得権益に預かっているみたいな言い草である。そのせいで介護が立ち行かないみたいな言い草である。
介護従事者はものすごい待遇が悪いということで度々話題になっているのに。そんな国にだれがしたのか。
バリアで守られているものがいるとしたら介護事業者だけである。そして外国人労働者を介護従事者として雇入れて得をするのは、バリアで守られた介護事業者ではないか。
どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には、衛生上の専門的な知識もない。
しかし、優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。
介護をなめとんのか!と言いたい。
「おばあちゃん、これ食べれるか?」しか言えない専門知識もない外国人の娘さんが介護するのは、貧乏人の家庭のおばあちゃんだけである。それが曽野綾子の理想とする近未来SF社会なのだろう。
きっと自分がヨイヨイになった時は、医学専門知識も万全で、日本語も喋りまくれる人に介護してもらいたいと考えているはずだ。
介護といえばもてらじ村民のハヤカワ氏である。ハヤカワ氏に曽野綾子を叱ってもらいたい。
しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
非人道的なことを主張しておいて「非人道的なことではないのである」と展開する。これは誠に便利というか、あまりにも最強すぎる論理展開であるとしか言い様がない。これが将棋か何かだと「参りました!」と投了を宣言してしまいたくなる。そしてそんな人とは二度とゲームなんかしたくないと思わせる破壊力がある。
アパルトヘイトを主張しておいて「アパルトヘイトではないのである」とか。
区別という言い方で差別しておいて「差別ではないのである」とか。
安倍政権の教育再生実行会議の委員をしておいて「安倍首相個人へアドバイスしたことないのでアドバイザーではないのである」とか。
南アフリカのアパルトヘイトはどう思うかと訊かれて「アパルトヘイトとか知らない。見たこと無い。本気でわからない」とか。
荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビュー書き起こし - さかなの目
「こんなこと書いてどういうつもりだ!!」
「だってそんなこと書いたつもりは無いもん。。。」
モノスゴイ平行線。
その平行線ぶりときたら、大阪から広島まで行こうとしているときに、東京から宮城県あたりまで行こうとしている人に「道中で会えたら会おうな!」って言われるくらいの絶望感はある。少なくとも。
そしてトドメの一文。
不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。
唐突に不法滞在!?何の話をしているのか本気でわからない。
日本人と差別されて厳重な管理下に置かれるのだけが合法の滞在だと言いたいのかこの人は……?
世界にどんな風にとられても「そう取られるなら仕方ないけど違う」で押し通すとか、強烈な自分世界がある人なのだろうけど、作家としては自分の世界は強固にある人の方が向いているのだろうけど、そういう方が、客観性や公平性が求められるはずの社会や政府の要職に就いているっていう実態はどうなのか。それが日本におけるスタンダードなのか。
「世界とか、お前とか、どう言われても知らない。偏った人が要職に就いているという意識はない」
偉い人にそう言われてしまいそう。それがニッポン。
なんか曽野綾子さん個人にどうこうなって欲しいとかは無いけど、あまりにも興味深かったので追いかけてしまった。人間というのは恐ろしいものだ。ついうっかり気を抜くと自分の世界に入り込んで出てこれなくなる。回りをイエスマンで固めてしまう人がよく陥る迷宮。歳をとって脳が硬くなることでも迷い込む。しかし元からそうだった人もおる。社会がそれを強要することもある。
「従軍慰安婦とは認識してない」
今回の事件とは直接に関係はしないけど、なんか唐突にこういうフレーズが頭に浮かんでしまった!!!
やっぱり、日本て、世界基準でいうと、コミュニケーションに障害のあるような……。
対話もせずに戦争しか頭にない日本政府に誰が納得できるのか? - 温玉ブログ
これなんか「宣戦布告なんかしてない」だしなあ。