まさに「厚底革命」だった。17年にナイキが、カーボンプレート入りの厚底ランニングシューズを一般発売。従来は厚底にすれば重くなって走りにくくなると考えられていたが、軽量化を進め、スピードと快適性を両立できることを示し、トップ選手がこぞって着用した。
アシックスは2021年正月の箱根駅伝で着用率ゼロという、どん底に沈む。ランニングシューズをコア事業とする同社にとっては危機的な状況で完敗だった。廣田康人会長CEO(最高経営責任者)は、「みんなで負けを認めた」と振り返る。
どのようにナイキを追撃し、ランニングシューズで輝きを取り戻そうとしたのか。「厚底か」「薄底か」――。当時社長の廣田氏が揺れる社内で下した決断を語る。
10月13日、世界6大マラソン大会の一つである米シカゴ・マラソンで、アシックスのシューズを履いたジョン・コリル選手(ケニア)が優勝しました。
アシックスのシューズを着用した高橋尚子さんや野口みずきさんが五輪で金メダルを獲得した歴史がありますが、最近はナイキさんのシューズを選んだ選手が上位を独占していました。2020年以降、6大大会では初めてアシックス契約選手が優勝し、チームと共に喜びを分かち合いました。
トップ選手は世界のランナーの憧れの的であり、ブランド価値を高める上でも非常に重要です。トップランナーを巻き込んだシューズ開発は非常に競争が激しい世界です。まるでレーシングカーのように技術開発でしのぎを削っています。この数年は泣き笑いの連続でしたので、その軌跡を振り返ってみたいと思います。
「厚底なんて一時的なものですよ」との意見も
この数年のランニングシューズ開発に大きな影響を及ぼしたのが厚底シューズです。私が社長に就任した18年3月の少し前からナイキさんの厚底旋風が始まり、その厚底を履いた選手たちが世界の大会で好記録を連発しました。
21年正月の大学駅伝(箱根駅伝)では、アシックスを履く選手がゼロになってしまいました。本当に厚底革命と言えるような状況で、ナイキさんに完敗でした。みんなで負けを認めたのです。
それまでの社内の状況を振り返ると、私は19年ごろから何とかしないといけないと感じていましたが、社内で危機意識を共有できていませんでした。開発陣の中には厚底を開発すべきだと思っている人もいましたが、「厚底ではなくて、やはり薄底がいい、これまでの方向性でいいんだ」という一派もいたのです。
■本連載のラインアップ
・大谷翔平をあきらめたアシックスの経営改革 赤字から最高益への舞台裏
・アシックス、責任押し付け合いの低迷期脱出 廣田CEOが講じた組織改革
・アシックス、最高益で希望退職募集 体育着イメージからブランド再構築
・ナイキの厚底でどん底 奮起のアシックス廣田氏「世界最速のシューズを」(今回)
・パリ五輪でジョコビッチ選手を蘇らせた アシックスのテニスシューズ開発
・アシックス廣田氏「日本は複雑でガラパゴス」 欧州起点のデジタル改革
(9回ほどの連載を予定)
「厚底なんて一時的なものですよ」「厚底なんて選手の寿命を短くするだけで、一部の選手しか合わないです」と私にも言ってきました。声の大きい人ほど、経験の長い人ほど方向性を変えようとしませんでした。
確かに厚底が出てきた最初の頃は、けがをされる選手もいました。安全に走るためには今のままでいいという意見もあり、ボトムアップでは判断が難しい状況でした。
こういうゲームチェンジをする時には、トップのリーダーシップが絶対に必要です。新しいナイキさんの厚底に対抗するものをつくらなければいけないという強い意識がありました。
ボロクソに言われた夜
今でも覚えていますが、19年11月に米ボストンの投資家説明会で話すと、機関投資家から厳しいことを言われまた。「アシックス、どうしたんだ」「全然勢いがないじゃないか」とか、ボロクソに言われて悔しくて、時差ボケもあってその夜はよく寝られませんでした。
ちくしょうと思っていたら、やはりもう一度、頂上に挑戦すべきだという思いがふつふつと湧いてきました。そして、1位を目指すプロジェクトを立ち上げることを決意したのです。
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