伊達成実が礎を築いた城下町「亘理」

亘理伊達家の歴代藩主やその正室などの墓石が並ぶ

伊達政宗の
片腕として力を
発揮した戦国武将

亘理町の郊外にある大雄寺(だいおうじ)には、3つの廟がひっそりと建っています。美しい彩りを施された廟が亘理伊達家初代・伊達成実の霊屋で、その傍らに父実元、5代実氏の霊屋が並んでいます。霊屋がある場所は、境内の中でもいちばん眺めのよい高台で、そこに立つと町全体がきれいに見渡せます。

極彩色に飾られた伊達成実の霊屋

領主としても
優秀であった成実

伊達成実は、慶長7年(1602)、35歳で亘理の初代領主となり亘理の礎を築きました。仙台藩主・伊達政宗の片腕として多くの武功を上げた戦国武将の成実ですが、亘理領主としても力を発揮します。成実が目指したのは、新しい時代に対応した町づくり。用水路を整備し、新田を切り拓き、着任当時は六千石だった石高を二万石まで広げていきます。これは伊達家家臣団随一の石高でした。また部下に対する思いやりが深く、公正さを大切にし、家臣・領民に慕われた領主であったようです。

霊屋に安置されている伊達成実の木像

年2回、
成実の霊屋を御開帳

大雄寺の伊達成実の霊屋は、毎年、1月16日と8月16日に御開帳が行われます。御開帳がいつ頃から行われているのか定かではありませんが、大正時代にはすでに行われていた記録が残されています。1月と8月の16日という日は、亘理の多くの家で「墓参りをする日」であったことから、御開帳が行われるようになったという説が有力です。年2回の機会に、霊屋に安置されている成実の木像をぜひ見てみたいものです。

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