真川の跡津川断層
まかわのあとつがわだんそう
概要
跡津川断層は、岐阜県河合村から東北東に富山県大山町まで伸びる右横ずれの活断層で総延長は60kmに達する。跡津川断層は、根尾谷断層、丹那断層等と並び日本を代表する活断層の1つである。活動は千年に1~4mと活発で、第四紀以降(100万年前以降)の活動によって、この断層を横切る神通川上流の高原川や宮川の流路を最大約3km屈曲させている。断層沿いでは現在でも多くの微小地震が発生し、跡津川断層の活発な活動を裏付けている。
真川の跡津川断層は、跡津川断層の東のはずれの富山県大山町の有峰湖の東方に位置する。現地では、向かって左側の白いカコウ岩と右側の褐色の礫層が垂直な断層面で接しているのが観察できる。このあたりでの変位は、垂直方向で約60mあり、カコウ岩側が上がっている。また、礫層とその上に重なる湖成層が断層運動でたわみ、ずり上がっているのが明瞭である。
跡津川断層を震源とする地震としては、1858年4月9日、現在の富山ー岐阜県境付近で発生した飛越地震(M7.1)がある。飛騨地方を中心に大きな被害が記録されている。山岳地帯で発生した地震のため山崩れが多発した。中でも規模が大きかったのは、通称「鳶崩れ」といわれる、立山カルデラ周辺にある大鳶山、小鳶山が崩れ常願寺川の上流の湯川と真川をせき止めたものである。これによってできた湖は長さ8kmにも達し、その年の4月23日と6月7日に発生した余震などによって決壊し常願寺川下流域に大洪水をもたらした。このとき洪水とともに運ばれた巨石は富山平野の各所に点在していて、「安政の大転石」と呼ばれている。この地震以後常願寺川は暴れ川となり、砂防工事は現在でも続けられている。
「真川の跡津川断層」は、我が国有数の活断層が明瞭に観察できるだけでなく、ひとたび地震が発生すると、地震の直接の被害にとどまらず、地域の地形を一変させ、長期にわたって地域の暮らしを脅かす災害が継続することをも示している。天然記念物に指定し永く保存を図るものである。