人気アニメの聖地探訪完結編・・・そして。:H☆imagine:So-net blog
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人気アニメの聖地探訪完結編・・・そして。 [essay]

谷津干潟のドラマチックな夕陽と富士.jpg
<夕景写真が好評なので二匹目三匹目の泥鰌を狙います、雲があった方がドラマチックだよね>

 この記事が今年最後の記事になるでしょう。だって今日は大晦日だもんね(o゚▽゚)o

 でも私は年末年始の定型文的挨拶は致しません。虚礼だと思っていますから。

 まあ、それでもするとしたら、さりげなく、、、ですかね(@^▽^@)

 しかしながら皆さまから年末年始のご挨拶を頂いたらそれには応えたいとは思っています。

 でも必ずそれにお応えしますとは言い難い。つまりお約束はできないのでその際は悪しからず。

 もちろん記事の内容に基づいたコメントには、すぐにではなくても必ず返信致します。

 コメントの遣り取りで、皆さまと交流を図るのが目的で、ブログを遣っているのですから。

 ところでいきなりで何ですが、恐らく来年からは記事の更新の間隔が長くなりそうです。

 というより、全く更新しないかもしれません。

 ブログ以外に優先しなければならないことがありますから。

 六〇半ばを過ぎて、人生も残り少なくなってしまいました。

 だからできるだけ余計なことはしたくない・・・。

 と言う、ごく私的な理由により、暫く記事の更新はしないので、今回は内容てんこ盛りです。

 つまり書き溜めていた記事をここで一気に放出します。

 よって、長短取り混ぜた<オムニバス形式>で以下書こうと思います!

 でもね、余りにも長大だからといって、途中で読むのをやめて、放り出さないで下さいね。

 それに一度に読む必要もないのです。好きなところから読んで頂ければと思っています。

 正月は罷り間違えても更新はしないので、更に時間はありますしね。

 糅てて加えて暫く放置ですから記事が更新されることもなくなくはない。(一体どっち!)

 でもでもでも、お情けでいいから最後まで読んで下さいね。

 これが最後になるかもしれないのですから。


 てな訳で、、、ではそろそろ本文に入りましょう。

 
  <想い> 

 わたしは思うのです 人生は失敗や挫折の連続だと
 しかし それにめげてしまう人も多いのですね
 でもね それを乗り越えてこそ人間の成長があると私は思うのです
 人は あらゆることから学びとり 弛まぬ努力を続ける限り成長が止まることはない
 それでも 時に自分の努力が報われないこともあるだろう
 否 むしろ 報われないことの方が人生では圧倒的に多いのが常
 だからこそ それで諦めたら そこで終わりだと思うのです
 そう思うことこそが 挫折であり後悔の始まりだからです
 だからこそ 私はめげない 諦めない
 だからこそ 私は自分だけのことを考えて行動してはいけないと思う
 ゆえに私は 嵐の海を照らす灯台でありたいと 強く強く願っている
 こんな私が 生を終える時 残っているのは『不屈』の残滓だけでいい
 これが 私の理想です

 妻には 最後まで迷惑を掛け通しだろうけれど・・・

 

 <U3の独り言>

 三人寄れば文殊の知恵という。だがその一方で十人十色という言葉もあり、想いは一つには集約されずなかなか思うように事は運ばない。相手をお互いに慮っている。それがヒシヒシと伝わって来る。それでも何処からか隙間風が吹いてくる。息が苦しい。どうしてこんな事になってしまったんだ。直感が無理は禁物だと耳元で囁く。だとしたら一人で遣っていくしかないだろう。それに私は元々一人だ。ボッチには慣れている。馴れているはずだ。だが頭の中で、幾度も幾度も杏里の『悲しみがとまらない』がリフレインするのはなぜだろう(o゚▽゚)o

 

 <陰謀論その①

 自分がその被害者だと言ってまことしやかに陰謀論を唱えたり、そう唱える者を信じ奉る者らこそ、実は陰謀や策謀を巡らすものらしい。私が見る限り、陰謀論の構図とはそういうものだ。つまり陰謀に晒されていると騒ぎ立てる者こそ陰謀論の発信源である公算が高い。つまり自作自演なのである。

 

 <陰謀論その②

 イメージ戦略に長けた或る人気ブロガーがのたもうた。今年の1月30日と31日のことだ。初めは言い掛かりをつけられて困ったとぼやきながらそのうち本性を現した。まるで優越感に浸るかのような見下す言葉遣いで、他人を揶揄し、暗に脅す毒を吐き、そうして自分が被害に遭ったと言いふらすバカだ。本当にそうなら徹頭徹尾誠実に話せばいいことだ。それをしないで相手を揶揄したり貶めることに喜びさえ感じているその姿は浅ましい。
 その狂態を見て、何も真相を知らぬブロガーの同情をかこち、偽りによって多くの賛同者を得て、私を貶める作戦だとすぐに分かった。

 

 <陰謀論その③

 実際には、その時この者の頭の中にあったものは、私の記事を見た多くのブロガーが自分のブログから離れて、読者数(RSSに登録されたブロガーの数)が減少し、アクセス数が目に見えて減ってしまうことへの焦りと危惧だったろう。つまり被害者を装って、お為ごかしや同情をかこつ、この一連の企みは、この人気ブロガーの飯の種の一つがなくなってしまうことを恐れての行動だ。つまりstop-iiwakeと動機はまったく同じ。自分の記事にブロガーを呼び込んだり誘い込むことでアクセス数を稼いで、そこから収入を得ることを、私が真実を語ることによって、邪魔されるのを極度に恐れたからだ。

 

 <陰謀論その④

 だがこの人気ブロガーの心の内に読者は存在していないようにも思える。訪問したブロガーを金儲けの道具としか考えていないstop-iiwakeよりは遙かにマシだけれどね。・・・私には、この人気ブロガーがそう考えているとは思いたくはなかったのだが、初めから私に数々の嘘をつき、こうしたstop-iiwake一味を陰で支援し、Tシャツ屋とも何らかの関連性を持ち、あるいは自身もこれらに成りすまして、少なくとも自分に取って都合の悪い私を排除しようとしたり、都合の悪い記事を削除するよう画策した事実あるいは疑いがある以上、この者を到底信用する事はできない。

 

 <陰謀論その⑤

 昨年の11月からこの者の正体は知れていた。嘘を平気でついてそのままにしていたからだ。しかも私を恐れてのことなのか、11月以前から、自分ブログのコメント欄に、私がコメントを書き込めない設定にしていた。それだけでも相当胡散臭い。だから今年の1月30日と31日に、結局のところ馬脚を現してこんな言葉を吐く。私を揶揄しての言葉だ。
「これって陰謀論? だって『誰得?』って話ですよね!」
、と書いていますね。
 あ〜あ、人生を損得でしか計れないさもしいヤツに限って、(今流行りの)陰謀論を振りかざすんだな。その実、この者こそ陰でコソコソと徒党を組んで、人知れず陰謀や策謀を巡らしていたように思う。おのれが言っていることが、さも正しいかのごとく装い取り繕ってね。その証拠が1月30日と1月31日の、揶揄と怨嗟に満ちたあの得体の知れない記事だった訳!

 

 <陰謀論その⑥

 1月末のあの記事では自分を正当化していたね。しかも事実を隠して同情を託つ偽善者丸出しの卑劣な行為。それでもそれを信じコメントしたブロガーは少なからずいたね。まあどこにも腰巾着はいるものさ。だからそれに驚きはしない。
 それにしてもあの時この者は自分は被害者だと言っていたね。でもね、だったらどうして初めから嘘をつくの? 自分を取り繕うために深夜にあんな長大なコメントを3つも送りつけてきたの? そこでついた嘘をいまだに訂正しようとはしないの? 何を恐れてのことかは知らないけれど、なぜ当初から私をブロックする設定にして、私がコメントを書き込めない様にしているの? どうして過去をひた隠しにするの? 嘘や欺瞞だらけなのに自分を正当化し美化するの? 自分に都合の良いところだけ誇張して話し、都合の悪い事には一切触れようとしないの? 何を指してそう言ってるかは分かるよね?
 でもさ、、、それほど自分が大事? 中身もないくせに!

 

 <陰謀論その⑦

 誰とは言わないが、「自分はストイックに生きている」なんて(過去の行状を誰も知らないと思ってか)ほざくヤツが俺は大っ嫌いだ。過去を封印しようと思ったら私に過去を暴かれた。その言い訳をコメントに書いたらその欺瞞もまた私に暴かれた。糅てて加えて私のその証言を補完する、この者の過去を知る人まで現れた。だからこの者は恨みがましく「今まで友達だと思っていたのに」と心にもない嘘をついて、その怨嗟記事を読むブロガーの同情を託(かこ)ち、結局のところそうして私を支持してくれた人たちを侮り、結局は加害者扱いにしたのだ。

 

 <陰謀論その⑧

 本当に馬鹿としか言いようがないが、そんな者を信じるバカが、その後雨後の筍の如くあらわれたのには少々驚いた。類は友を呼ぶという譬えはどうも本当らしい。
 事実とはあまりに乖離した、自分を美化することに馴れた、こんな虚飾に塗れた輩に限ってそんな世迷い言を吐くものだが、それを信じるバカもまた、ゴマンといる事実を知った。然もありなん。人はその道の第一人者といったオーソリティーには弱いもの。だからたとえそれが似非インフルエンサーであっても、その者が何かを叫べば皆それに靡く。同調圧力があったと喚く者こそ殊更他人に同意を求めるものだし、いざとなれば大勢の方に就きたがるものなのだ。つまり信念など皆無。なにしろ皆烏合の衆だし、お相手は一応表面上は人気ブロガーだからね。

 

 <陰謀論その⑨>総論

 ブログを注意深く見ない人達からすれば、一見して書いていることはまともに思えるものらしい。何しろ人々の過半は通り一遍でしか物事を判断しないし、しようとしてもできない人達が殆どだからね。
 でもね、たとえ人気ブロガーだろうと『人面獣心』な輩は世の中に溢れているんだよ。
『ブログの見てくれ』はそもそもその持ち主を映す鏡にはなり得ないことを知らないの? 皆が皆ではないが、大方は仮面を被っていたり、自分を美化した虚構の中で生きているものなのさ。
 その一部には、本性を隠して妬みと逆恨みなどの怨恨と、他人が苦しんだり慌てふためく様子
を見て喜ぶ嗜虐指向な連中とか、誰彼構わず(でもないが)敵意しか持ち合わせていない面々さえ蠢いている。でもそういう連中に限って表には顔を出そうとはしないものなのさ。
 でもね。そういう輩がブログを跋扈できるのは、いつの間にか良心をどこかに置き忘れてしまった、見て見ぬ振りをする過半の傍観者たちがいるからなんだよ。
あ〜嫌だ嫌だ。そんな人たちでこのブログは溢れかえっている。

 虚構の中に生きようとしない私の様な表裏のない馬鹿正直は、今やマイノリティーで肩身が狭い。

 

 <パワハラあるいは保身

 企業とは保身に徹した組織らしい。まあそれはそれで構わないが、自分たちを守るために無辜の第三者を貶めるような行為や、パワハラ的意見の封殺や無視は頂けない。
 自分を利する者だけを擁護し、その反面、邪魔な者を排除する行為が、堂々と罷り通って良いとは誰しもが思わないだろう。況してやそれが保身に基づいたものであって、自分たちの利益だけを求めた結果の行動であるならば、わたしは人として到底それを容認できない。
・・・私は昨年の10月から今年の3月に掛けてそうした諸々のことを既に経験済みだが、このブログにも多分にその傾向があるとだけ言っておこう。

 

 <現政権と日本の未来のお話 その①> 

 以前より、私の書く政治や政治家や選挙のネタが「歯切れが良くてオモシロイ」と言って下さった人たちが一定数いらっしゃいましたので、久し振りにそのご要望にお応えしたく思います。

 私は元より政治や世の中の動きに鈍感ではいられず、こうして音信不通(記事の更新を休んでいたという意味で)になっていた間も、政治や社会情勢について常に独自の意見や考えを持ち続けています。

 ウクライナ情勢、円安と物価高騰対策、旧統一教会問題、新型コロナ対策、年金問題、環境対策とエネルギー問題、経済的見地から見た少子化と高齢化社会問題等々、それら重要な日本の課題に関心を無くしたことは一度とてありません。むしろ情報を発信しないだけ、私の考えと思いは、ある意味先鋭化しています。・・・だって毎日それこそTVに向かって吠えまくっていますモン!(@^▽^@)

 てな訳で、私が思うに岸田政権は先の安倍政権や菅政権より余程専横的かつ独裁的だと思っております。そして、そうした事態を招いたのは私たち国民だとも思っています。

 今の政権を選挙で支持したのは過半の国民です。その結果の一強多弱で自民圧勝ですから『自分は野党を支持したので関係ない』とは言わせません。なぜなら国民の総意が選挙に反映された結果が今の事態を招いたのであり、その結果を以て 注1) して、国会が開かれて様々な法案が成立すれば、それは与党野党支持者の別なく、等しく国民の総意と見做されるからです。望もうが望まなかろうがね。

 

 <すべてお金のためだった その①

※2023/01/02 12:00 以下すべて加筆修正しました。

 注1『以て』過日ブログ内を覗いていたら、「経験から何も学べない侮露愚の管理人stop-iiwakeが、いつものように日本語としてなりっていない、理解不能な記事を書いていた。難しいことをわかりやすく簡潔に書くのは至難の業だ。だが逆に、凡人や愚者が簡単なことを書こうとすると、元々そんな簡単なことさえ理解できていないから、却って難しくしてしまい、とどのつまりは何を書いているのか分からないおかしな文章になってしまう。その典型的な例と見た。
 そもそも記事のタイトルからして語彙の用法が既に間違っているのだから、内容も推して知るべしであろう。このBloggerは(「ブロガー」の綴りは、この者が間違えた、1字抜けスペルの「Bloger」ぢゃない)、この記事のタイトルの中で、本来は『以て』と記すべきところを、あろうことか『持って』書いていた。
 過去から今に至っても、日本語の使い方を知らない人物だが、それを指摘すると烈火の如く怒るというか、逆ギレして感情的な反論をするものだから、余計ボロを出してそこを私に更に指摘されて傷口を殊更に広げてしまうだけでなく、自ら墓穴を深く大きく掘ってしまうのが常だった。

 

 <すべてお金のためだった その②

 事ほど左様に謙虚さが微塵も感じられない不実な人物のように思えた。第一偽善的だし。だからいつまで経っても襟も正せないし、誤りも正せない。これでも話を聞くところによると、人にものを教える立場にあるらしい。だがこの程度の文章力や文法の知識では、教えられる方は堪ったものではないだろう。知らんけど!

 でもね、そんな偽善的ブロガーに多くの人が騙されたのもまた事実。この者は私を批判する記事でこんなことを書いていました。

今後の当ブログでの私自身の対応について書いておきたいと思います。(しばらく休むことは前のべた通りです。訪問もしないつもりですので、何を書かれてもわからないと思います。)すでに個人的なメールで何人かの方からコメントいただいてます。本当に感激してます。ありがとうございます。しばらくは〇〇.ne.jpにメールという形での応答のみにさせていただきます。
※既に原典は削除されて久しく、著作権はとうに失効しているので掲載しました。それに『引用権』の基本は踏襲しているので、何ら問題はありません。悪しからず。

 ここから分かるのは、この記事が書かれたその日のうちに、ここに書いてある(しばらく休むことは前のべた通りです。訪問もしないつもりですので、何を書かれてもわからないと思います。)という言葉は反故にされ、(何か言われはしないかと)私のブログを一日何回も覗きに来ていたし、休むと言いながらお礼nice!欲しさに、200以上のブログにnice!押し逃げをしていました。まあ言行不一致と言い訳と嘘はこの者の十八番ですから、然もありなんとは思っています。
 それと同時に分かったのは、<
すでに個人的なメールで何人かの方からコメントいただいてます。本当に感激してます。ありがとうございます。>というコメントから、この者の泣き落としというか、同情をかこつ計略に騙され、既に同情を寄せて励ましの言葉を掛けたり、支援を申し出たブロガーが複数名存在していたという事実です。
 そして、それはやがて「Tシャツ屋」の登場に繋がり、「」と「」と「」という3人のブロガーが何食わぬ顔でこの者に加担して、様々な不正な手口を教唆し、共謀し、以降ありとあらゆる策謀を巡らせたということです。あの『U3氏へのコメント』のnice!欄に押された、この記事にだけしか押されていない『63もの初期状態の得体の知れないブログ』
」と「」と「」とこの者stop-iiwakeの合作です。

 まともな人間がこんな欺瞞と虚偽行為を働きますか。そう私から問い掛けても、それでもこの者らの本性が分からない人の何と多かったことか。本当に情けないと思います。

 

 <すべてお金のためだった その③

 この者、一昨年末に「小説を執筆中です」と己の力量と才能も顧みず臆面もなく書いていました。過去に麻雀雑誌社で入選した経験を披露して、それを以て誇らしげに吹聴していた。だがこの程度の語彙と用法を知らずして、何が文学賞受賞を目指すだと思う次第です。この点を指摘すると、

国語力の批判はおかしい。あなたは国語学者なのですか?私は某出版社で佳作入賞までしてるので国語力を批判されたくありません。私を超えてからなら聞く耳を持ちますが。まずはそのレベルに到達して下さいという気持ちです。塾では数学を大学生にも教えています。国語は好きなので勿論指導しています。

 まずは添削指導をして置きましょう。文学賞を目指すというなら、語彙は適切に使いましょうね。私が思うに(私だけではないけれど)、文学をめざす者ならばフツー、<私を超えてから などとは書きません。<私を越えてから>と書くのがフツーですし、常識というか、イロハのイです。語彙の一つでも疎かにすれば、文学賞など永遠に獲れないゾと申し上げておきましょう。
 何度も書いていますが、語彙の使い分けもできず、慣用句もままならず文法さえ危ういのに、この程度の認識であれば身の程知らずとしか言いようがない。この者に、得体の知れない、
しかも文法さえ不確かな「国語なるもの」を教えられるのだとしたら、教わる方もかわいそうであろう。

 ところでこの者のいう某出版社とは〇書房です。元は麻雀雑誌から発展した出版社のようです。
 この者は何かにつけ反発はすれど反省はできないから、当然ではありますが私の耳には未だ受賞どころか入選したという話すら聞こえて来ません。謙虚さと誠実さを持ち合わせていないから、人間としての成長もなく、反省もないから何度も同じ過ちを繰り返す。
 初めにこの者がつい最近の記事のタイトルで、『以て』と書くべきところ『持って』と書いていたと述べましたが、文章や言い回しや語彙の誤謬があることはこの者にとってはごく普通というか日常茶飯事です。今までも誤字脱字どころか、文法さえままならず、過半の人がフツーに使えるであろう慣用句さえ、それこそまともには扱えない体たらくではありました。文学賞が聞いて呆れるゼ!・・・と思っております。

 

 <すべてお金のためだった その④

 しかもそれら誤用法と、その誤用法の原因となっている欺瞞的論法、と言うより不自然な言葉遣いや言いまわしは、私の見るところ、他人の著作物を転用し、改竄して使っていることに主な原因があるように思えます。つまり元々自分の文章でないものを、未消化のままさも自分の意見や考えであるかのように改竄したり、自分の画策した拙い意図に無理に合わせようと、原文の一部を拙い言葉で継ぎ接ぎして加筆したり書き直したりするから、文章そのものがおかしくなってしまう訳です。
 昨年の後半にこの者が散々書いた、新型コロナワクチンの記事などが正にそれに当たります。(私から指摘されて、今は証拠隠しのためにすべて削除している)
でも、何も新型コロナウイルスワクチン関連の記事だけではないのです。
 他者の書いたものから転載あるいは⑤転記した記事は、その殆どが文章が支離滅裂になっているのが現実です。それを指摘しても理解できないのですから始末に負えません。

 

 <すべてお金のためだった その⑤

 そもそも主語と述語とそれを繋ぐ動詞や形容詞などを修飾する副詞の使い方すらデタラメで、一つの文章だけ見ても、最後まで読んでみると一体何を言っているのかさえ分からなくなる事がままあるのですね。
 ここでその文章がおかしいかどうか一目瞭然に分かる方法を伝授しましょう。
 どんなに長い文章でも、文頭の文節が終わる句読点までと、(途中の文節をすべて端折って)文末の文節が終わる句読点までをくっつけて、

 英語の文法で言う、主語、述語の関係で読めばその文章がまともかそうでないのかが一目瞭然で分かります。つまり、途中の文節は修飾語だと解釈して端折って読むと、その文章の善し悪しが誰でも分かるのです。
 例えばその文章が、冒頭のAという文節と、途中のBと、Cと、最後の文節のDで構成されているとしたら、A+Eのみで読んで意味がハッキリ分かればその文章は少なくとも皆さんが読んでもオカシイ文章ではない。

 ためしに下の私の文章で試して見ましょう。しかし元々副詞等の使い方がまともでないこの者の文章ではそうはいかない訳です。
 【A】そのようにこの者の書く記事は、【B】いつもどこか文頭と文末で主語と述語が曖昧になっていたり、【C】意味が通らなくなっていることが多いので、【D】何だかおかしな文章だなと誰でもすぐに分かるのです。上記青字の部分が理解できないおバカ以外は。
 どうです。【A】と【D】くっつけて意味が明確に通りますよね。これがフツーの文章です。
 しかし元々副詞等の使い方すらまともでないこの者の文章ではそうはいかない訳です。つまり、一つの文の最初と最後で言っていることの辻褄が合わない「自家撞着」に、文法的になっているだけでなく、意味合い的にも最初と最後で「自家撞着」に陥っている訳です。こんなことはこの者にとってはいつものことなのですね。いつものことだから間違いにまったく気づかない。それに謙虚の欠片もないしね。
 しかも自分の過ちは絶対に認めないし、嘘までついて自分を正当化するのに馴れている。嘘も吐き通せば、誰もがその嘘を信じると思っているから、だから言っても直らない。なにしろ自己チュウだから批判を素直に受け取れず、すべて非難と受け取り、その結果、誹謗中傷だとか名誉毀損だとか大騒ぎする訳です。まあ性根に妙なプライドとかバイアスが掛かっていて、正しく物事を判断する頭を持ち合わせていないのですから今さら直り(治り)はしないでしょうけれど。

 

 <すべてお金のためだった その⑥

 つまり文章が間違っている、いない、以前の問題で、『この人本当に日本語のネイティブスピーカーなの?」、と疑ってしまうほどでありました。
 まあそうは言っても、過半のブロガーはこの者のブログを訪れても記事も見ないし、見ても漫然と見ているだけから、おかしいなどとは露ほども思いはしないのだろうけれど。だからこそ、この者が調子に乗るのですね。
 そういう読者の対応を見て、多くのブロガー見下すようになり、そこに悪知恵を授ける者たちも現れて更に記事もぞんざいになり、当然用法の間違いなどはそれはもう当たり前の世界になってしまった訳ですね。
 私に言わせれば金儲けの道具にされた「おバカなブロガーさん」は除外するにしても、『日本語さんがかわいそう!ってなレベルの、文法の無法地帯という感じです。しかも違法行為まで働いているし。
 話を元に戻しましょうね。
 その点からすると、この者はたぶん、一つの文章を書き直す度に、良くなるどころか却ってしっちゃかめっちゃかになって、収拾がつかなくなる『文章音痴タイプ』なのかもしれません。つまり文才がないのです。だから見る人が見ると、駄文と言うより、小〇生か出来の悪い中〇生の、拙い作文程度の代物にしか見えない訳です。

 

 <すべてお金のためだった その⑦

 しかしこの者の書く記事の問題は、そればかりではないのです。私が見る限り、この者のそうした一体何が言いたいのか分からないちぐはぐな書き方をしたり、不自然な言いまわしをする記事に限って、十中八九著作権法違反をしているのですね。
 これはあくまでも私見ではありますが、そうした行為の根っこのところ(根幹)にあるのが、この者のオリジナリティーの無さだと思っています。つまり想像力や創造性が枯渇しているのですね。だから他人の記事や文章を流用せざるを得ない訳です。それなのに欲だけは深いのです。←その理由は言わずもがな。以下を読めば誰でも分かること。
 改めてこの者の記事を見れば分かると思うのですが、(注意:このブログに行くと否応なくアクセスをカウントされて、結局のところこの者の金儲けの道具にされるのが関の山なので私はお勧めしません)いつもなにがしか他から持って来た話題やコンテンツを元に、自分の拙い考えを誇張して書いている筈です。言わば日がな一日、毎回毎度『他人のふんどしを借りて相撲を取る』ようなものです。
 まあ他の言い回しでは『晏子の御者』とか『夜郎自大』なんて中国故事から来た言葉もあります。
 つまりこの者は自分の考えも言葉も持たないから、他人の考えや言葉を転用し、かつ流用するしか能がない訳です。そして他人の言葉(この者にとっては『権威』)を悪用して、自分の拙い、時に愚かな自説を開陳して、それに箔をつけようと画策している訳です。中身がない人間が往々にして陥りがちな過ちですね。
 しかもそれが常態化してしまっている。そうなってしまった理由が自分を大きく見せるため。これは私の推測ではあるのですが、この者と当初遣り取りした経緯から分かったのは、この御仁自分には他人より抜きん出た知識があるとか、権威があるとか、人格者であるとか思いたいし、他人にもそう思わせたいのでしょうね。知らんけど!

 

 <すべてお金のためだった その⑧

 そしてなぜ、そんな欺瞞的行為をするかといえば、すべて金儲けのためなのですよ。
 前にも書きましたが、私は何も金儲けが悪いと言っているのではありません。その遣り方が間違っていると言っているのです。更に言うならば、道義的にも、法律の面からしても、この者のしていることは間違っていた、あるいは今も間違っているのです。
 アクセス数トップクラスのブロガーの多くは、自分のブログで利益を得るにしても、それなりの努力と工夫をして今の地位(ステータス)を築いている。それには敬意を払ってもいい。
 だがこの者は、例えば同じ内容の記事を焼き直して何度も使ったり、記事を消すと獲得したnice!もなくなってしまうので、タイムスタンプを改変して内容まで変えて読むものを欺いたりしていた訳です。そうして楽して金儲けしようと企んでいたのです。
 そればかりかどんな手(たとえば『違法』な手段)を使ってでも金儲けがしたいと考えているように思えます。
 だから記事の内容がぞんざいになる。日本語がおかしくなる。ブログを単に金儲けの一つの手段に過ぎないと考えているのだから、当然そうならざるを得ない。記事の内容など本来の目的(金儲け)からすればどうでも良いのだから。だから大勢のブロガーを騙すことに徹している訳です。
 この者の策略では、自分のブログにあらゆる欺瞞的手段を使ってでも、大方のブロガーの習性を悪用してでも、あの手この手で自分のブログに誘導してしまえば、金儲けという目的は達成される訳です。
 なぜならブログを開いて下の方にあるnice!を押そうと画面をスクロールすると、『ポップアップ広告』が必ず表示されるよう仕組まれているからです。そしてそのポップアップ広告を見るにしても消すにしても、一度クリックしなければそれ以上先に進めないようにしているのです。しかし、例えばクリックしてその広告を消したとしても、その瞬間にこの者の利益に繋がってしまうのです。なぜならどのようなものであれ、この者のブログで1クリックすればそれは1カウントとして計上されたしまうからです。押せば押すだけカウントが加算され、それがそのままこの者の利益に繋がる仕組みというか算段なのです。
 
その上、そうした欺瞞行為に、泥棒に追銭をするが如く、お礼nice!を皆さんは何も考えずに押す訳ですから、この者にとってはそれこそウハウハでしょう。
 だから記事の中身なんかこの者にとってはどうでもいいのです。適当にどこかから話題を盗ってきて、適当に文章を改竄してお茶を濁す。そうする目的はただ一つ、ブログを通した金儲けのみ。
 私たちブロガーの過半が自分の書いた記事を読んで欲しいと思ってブログを更新しているのに、この者の目的はそうではないから記事の内容など本当はどうでも良いと思っているのかもしれません。そうでなければ、同じ内容の記事を焼き直して、何度も何度も掲載することなど本来はあり得ないのです。
 この点は多くのブロガーに何度言っても書いても、分かってくれないから重ねて言います。
 だからこの者は、己の拙いブログを訪問してくれたブロガーを軽視して、こんなお座なりな文章しか書けないし、それで良いと思っている。訪問してnice!を押してくれるブロガーを、金儲けの道具程度にしか考えていない。だから余計文章がぞんざいになるし、同じ記事を焼き直して新しい記事に見せ掛け、それこそ何度も何度もUPする訳です。この者は読者の過半が『パブロフの犬』である事を見越しているから、また同じ欺瞞的行為と過ちを繰り返す。その繰り返しなのですよ。

 

 <すべてお金のためだった その⑨

 上記の記述内容をもう少し突っ込んで書くと、本当は過去にUPした記事と同様の内容なのに、写真を差し替えて文章に少し手を加えて、まったく新しく書いた記事であるかの様に見せ掛けている訳です。しかし過半のブロガーはそれに気づかない。元々この者の記事など見ていないからね。ただお礼nice!がしたいだけ。そうして読者を騙し、何度も何度も同じ記事をアップしているのですね。それこそ「省エネの申し子」のようなお方です。
 こんな詐欺紛いの手口でアクセス数を稼いで、楽して金儲けをしようというこの者の魂胆が、透けて見えるのは私だけでしょうか? まあ私とごく一部の人しかこの者がおかしいとは思っていないのでしょうね。現に私がこの事を告発した時よりも、今は相当nice!が増えています。この者が不正をしてもそれを見逃す、あるいは見て見ぬ振りをするブロガーが存在するから、この者の阿漕な商売も成り立つという次第です( ̄∇ ̄)
 ところで私がこの点を指摘して以来、この者は自分を正当化して、自分は被害者だと今でも主張しているようです。でもね、現実に今でも遣っていることはその真逆なのですよ。

 現にこの者の書いた記事を見れば、①本来、自分の書いたものと他者から引用した文献や文章は、誰が見ても分かるように明確に分けなければならない決まりになっているのに、引用した文章の中に自分の拙い文章を挿入したり加筆したりしているし、②他者に著作権が帰す文章や文献そのものを改竄したり、③自分が書いた文章の量よりも、他者のものから転用(この場合『引用』とは言わない)した文章の方が、比率的にも量的にも過半を超えていたり、④意図的に引用先のリンクを偽ったり改竄したり、そうでなくても(例えば)引用先を「〇△大学の〇〇教授の言葉」と紹介して、表向きはいかにも明示したかのように見せ掛けてはいるけれど、現実にはその文献の在処を明示しておらず、この者が書いていることが正しいのかそうでないのか)検証することを不可能にしている。・・・などという欺瞞行為は、それこそこの者にとっては日常茶飯事だった訳です。(今もしています)

 でもね、実はこれらはすべて『著作権法』に違反する行為なのです。皆さん知ってますか? 上記で書いた4点のうち1つでも該当すれば、著作権法に於ける『引用権』を逸脱している、つまり違法そのものなのです。
 そして、それらすべてに違反していたのが、この者の書いていた「コロナウイルスワクチン関連記事」だった訳です。だから8つだか9つもの記事を自分を正当化して消した訳です。

 

 <すべてお金のためだった その⑩

 ところで何ですが、私は過去において、この者にわざわざ数回の記事を当てて、「日本語の書き方の基本」は元より、そうした違法性も含めて懇切丁寧に説明し、添削指導や忠告までしてあげたことがありました。ですがこの者は、謙虚に反省するどころか、すぐに逆ギレしてしまうのですね。(たぶんつまらないプライドや保身を優先した結果なのだと思います)
 そうして、やれ誹謗中傷されただの、大声で罵倒されただの、強い口調で恫喝されただの、挙げ句の果ては「これは名誉毀損に当たると思います」などともっともらしくブログ上で大嘘をついて騒ぎ立てる訳です。ところがその根拠としている私のコメントは、この者がそう喚き大騒ぎした時点で既にこの者自身の手によって削除されていますから、誰一人それを確認できないし当然証拠もないので、おバカな人たちはそれをそれをすっかり信じ込んでしまう訳です。
 そうして表立っては被害者ヅラをして同情をかこち、裏ではメールを通して大嘘ついていて少なからぬブロガーを騙して味方につけ、その他大勢のお仲間を募っていたみたいだけどね! そういえば、そうした有象無象のブロガーに対してだけでなく、当該ブログのサポートデスクにもそんな大嘘をついていましたね。サポートデスクもサポートデスクで、すっかりその大嘘を信じていました。例の保身とパワハラの原理によってね( ̄∇ ̄)

 そこで改めてこの者に言いたいのですが、それと同時にこの者を信じた方々にもお尋ねしたい。

 あのね、、、会ったことも話したことさえもないのに大声で罵倒されたとか『強い口調で恫喝』とか、どうして『物理的』にも『現実的』にも可能になるのでしょうか?

・・・あなたそんな超能力の持ち主なの? 教えて!、誇大被害妄想気質でそら耳頭巾の『stop-iiwake』さん!
 本当に、我ら凡人には到底理解できない誇大被害孟宗竹&そら耳頭巾なお人で、語れば語るほど墓穴を掘る『自家撞着の典型』のような人物でしたね。だから忠告を誹謗中傷としか受け取れず、挙げ句の果ては「これは名誉毀損に当たります」などと同情をかこって大騒ぎする訳です。

 そうしたバカに、さらにバカが集まってきて、私を加害者に仕立て上げたと言うのがあの時の真相なのです。そうした真相に過半のブロガーは気づかなかったし、気づこうとも知ろうともしなかった。所詮他人事ですからね。『J』さんのようにね。

他人の振り見て我が振り直せという諺がありますが、いい歳をしてこんな道理も言葉遣いも良識すらも分からない、『責任転嫁と逆恨みお得意老人とそのお仲間』の様にはなりたくないなと、この者たちの一連の行動を見て心底思った次第です。

 それは著作権法違反等々を、見て見ぬ振りをして許している当該ブログ運営会社も同罪です。
 そしてこの者とメールで遣り取りし影で支援した人達も、たとえこの者に騙されていたとしても、同罪だと私は思っています。
『過ちて改めざる。これを過ちという』

 この言葉の意味を理解し肝に銘じてくださいね。お願いします。
 

 閑話休題。

 <現政権と日本の未来のお話 その②

 話題を政治の話に戻しましょう。

 という訳で、それが日本型議会制民主主義の根幹であり本質です。つまり多数決で国会において(法案などの)方向性が決定してしまう以上、自民党の横暴を許しているのは、その根本的原因が国政選挙の結果にある訳ですから、自民党支持者だけではなく、他党を支持した、あるいは選挙に行かなかった有権者、あるいはその他の国民も、すべて等しくあるいはおしなべて責任があるということです。

 あなた一人が駄々をこねて、「私は野党を支持していたのだから関係ない!」とか、日本を取り巻く国際情況の急速な変化から、今や避けては通れない安全保障の問題で、予算や装備品といった予算と自衛隊そのものをどう変えていくかという議論も含めて、政権与党が右往左往して何一つ国民の過半が納得する実現可能性のある明確な方針を出せない中、「〇国や北〇鮮やロ〇アが恐いから日本から脱出したい」と言っても、同じ『日本丸』に乗船している以上、自分だけ逃げ出す訳にもいかないのです。(お金持ちなら日本を見捨て、海外に脱出することも可能でしょうが)

 さらに現実の話を申し述べましょう。

 今乗船している日本丸が沈没し掛かっているから逃げ出そうと思っても、救命ボートがない欠陥船の日本丸(two-keyの言う『病院船』ぢゃあ有馬温泉!)では、この日本丸から脱出するのは不加納典明DEATH。(この駄洒落にどのくらいのブロガーが反応するのだろうか?)

 そのことの意味をよくよく考えて欲しいと思っています。

 

 <現政権と日本の未来のお話 その③

 ところで岸田文雄率いる政権が安倍政権や菅政権より専横的で独裁的だと私が指摘するのは、安倍氏や菅氏でも国民の意思をこれだけ無視して、あるいは国民の意思(総意)を履き違えて、これほど国民の望まない、尚かつ誤った判断を、民主主義の根幹(後述)を揺るがしてまで強行した点にある訳です。

 殊に先の参院選でも、それ以前の岸田政権下に於ける如何なる国政選挙でも、公約にすら挙げていなかった『敵基地反撃能力の保持』と原発60年以降も稼働可能に方針転換』と、『年金問題と後期高齢者の医療費負担増』という、国家の方向性を大きく変えるだけでなく、国民への影響や負担が増大するであろう問題を、<閣議決定だけで決めてしまった>ことは、民主主義を根幹から覆す前代未聞の暴挙であろうと考えています。しかも幾つもの国民に約束したことを、いつの間にか反故にしたり破棄してまでもね。

 あのね、国権の最高機関は国会ですよ。その審議を経ずして、閣議決定だけで国家の方向性を決めてしまえば、これは国民そのものと国会を軽視していると言わざるを得ず、それこそ民主主義を蔑ろにする行為そのものです。

 

 現政権と日本の未来のお話 その④

 閣議とは行政府の意思決定機関です。だから、日本の国家の仕組みが三権分立(司法・立法・行政)である以上、その行政府(厳密には違いますが『内閣府』と置き換えてもいい)が、国権の最高機関である国会を軽視したり蔑ろにして良い訳がないのです。

 しかし岸田政権はそれを平気で侵している。国会の審議を経ないで、閣議決定だけで、国家の方向性を決める重要な方針を、独善的になおかつ『日本の将来を担う世代に禍根を残さない為に』などという御為ごかしによって、恣意的かつ専横的に決めてしまっているのです。

 でも『日本の将来を担う世代に禍根を残さない為に』って、実はまったくのウソですよね。禍根を残さないなら国民の健康に重大な脅威となる老朽原子炉を60年も、否それ以降も度重なる継ぎ接ぎ修理をしながら、半永久的に稼働させ続けるという国家方針など打ち出しようがない。

 

 現政権と日本の未来のお話 その⑤

 これで原発被害者に寄り添う政策と言えるの? しかも防衛予算を2倍にして、その財源の一部を震災復興税で賄おうとしている。これって国民を完全に騙しているよね。岸田政権のと言うより、自民党のあきらかな公約違反だよね。

 それに中国や北朝鮮やロシアから原発にミサイルを撃ち込まれたら、現状の原発がすべて壊滅し日本列島は正真正銘の汚染列島になってしまう。現に日本の原子炉はミサイルが撃ち込まれる事を全く考慮していない。核攻撃があることまったく前提にしていない構造なのです。

 そんなことになったらそれこそ日本民族の終焉ですよ。ロシアのウクライナ侵攻をみれば、それが絵空事でなく現実にあり得ると、どうして岸田政権は理解できないのだろう。北〇鮮や中〇の危険性をどの程度認識しているのだろう。そもそも日本の防衛や安全保障を考えた場合、原発の再稼働と稼働期間の箍を外すことは、日本国土の自衛と安全保障と根本的に矛盾する一大政策転換だ。それを、エネルギー問題を前面に振りかざして国民の不安を煽り立て、原発再稼働問題にすり替えるその姑息さと、国民の安全を蔑ろにするその姿勢に甚だ腹が立つ。

 

 現政権と日本の未来のお話 その⑥

 しかもそういった国家の方向性を大きく変える課題を、閣議決定と自民党の会合だけで決めてしまっている。だから民主主義への挑戦だと野党も吠える訳です。それを犬の遠吠えのように聞く、保守系の名を借りた右翼系国民もいるでしょうが、私に言わせれば右翼系の彼らが嘲笑する、野党と左翼系マスメディアといった岸田政権の政策に異を唱える人たちこそが、事実を脚色なく伝えていると思うのです。

 体制側に立つ者らが揶揄する、その『犬の遠吠え』こそが実は真実だったりする訳です。そこが分かっていない人が実に多い。だから選挙にも行かないし、投票をしたとしても選択を誤り、自民党の横暴を許してしまう結果になっている訳です。

 日本という国家を改めて見つめればこういうことが言える訳です。

 国民がおバカだから、当然国会議員も愚かだし、国政も愚昧にならざるを得ない。そんな者達で構成されている政府と国家だから隣国に甘く見られてして遣られる。腹ぼて習おじさんと、ロケッ〇小僧と、子(小)熊のプー〇ンにはいつも遣られっぱなしで何も出来ない。

「こうした事態に強く抗議する」と岸田文雄総理が声明をだして、一体全体何が変わったというのだろう。どの様な効果(と外交成果)があったというのだろう。
 何もない。今のところ何一つ成果がない。・・・実際のところそう言えるのではないか。

 

 現政権と日本の未来のお話 その⑦

 しかしながら私は思うのです。本当に悪いのは、自民党やそれを構成する連立政権与党でも、多弱の野党でもないと。実際問題一番いけないのは我々国民なのですよ!!!

 選挙の時だけ目を見張って、それ以降は自分が当選させた、あるいは落選させてしまった議員や候補者を見向きもしない。だから政治も政治家も一向に良くならないのです。稚拙で劣化ししたままなのです。未だに地元利益誘導型の選挙などしているのは、先進国では日本だけですよ。それを国民は分かっているのでしょうか?

 現に日本が参考にした英国議会は、その点英国国民にしっかり見張られているから、公約に反したことは一切できない。公約に書かれていないことも一切できない。そして公約が実現できるかどうかで、政権与党が評価されるのです。

 前の選挙で掲げた主な公約を、実現できなかった政党は必ず次の選挙で敗れます。日本のように候補者のイメージなどで投票したりはしないのです。あくまでも公約ありき。その公約に対して一票を投じるのであって、その候補者の人柄や印象で一票を投じる訳ではないのです。その点英国人はとてもシビアです。

 翻って日本人は、老若男女を問わず、おしなべてちゃらんぽらんで、責任回避ばかりしているし、一事が万事日和見主義。そして喉元過ぎれば熱さ忘れる。臭いものには蓋をする。そうしてお愛想笑いをして何かを誤魔化して生きている。果たしてそれでいつまでやっていけることやら。
 だからこそ、これを一刻も早く是正しなければならないと私なら思うのですが、日本人の意識がそう簡単に変わるとも思えない。実際そうですよね。でもね、もしそうであれば、今の日本を取り巻く国際情勢の中で、日本人は一敗地に塗れてみるしかなさそうな気もします。今日生きるか死ぬかという大変な事態にでもならないと、愚昧な日本国民の過半は眼を醒まさない気が致します。まあそれでも眼を醒まさない気もしますが。

 

 現政権と日本の未来のお話 その⑧

 それでも、それでも私は言わなければならないのですね。

 改めて言いましょう。それができるのは野党でも自民党内部の自浄作用(そんなものある訳がない)でもありません。今やインターネット社会に生きる我々国民なのです。だから私は敢えて言おう。たとえ糠釘であろうとも。

 方法は幾らでもあるではないか!

 何故岸田政権の政策や政府方針に対し国民の過半は『NO』を突きつけないのか!

 私はそれに怒(いか)っている訳です。

 いいですか! 日本の民主主義とは、『国民の意思を反映する代議員を選挙によって選び、国会の場でその(国民の意思を反映しているであろう)代議員同士の議論や討論の結果と、その採決によって成立した法案を以て、国民の総意の反映と見做す』という大原則で成り立っている訳です。

 これが現時点での日本型民主主義の根幹であり要諦です。私には、日本国民の過半がその意味が全く分かっていないように、思えてなりません。

 少し脇道に逸れますが聞いて下さい。

 インターネット時代になって久しいのに、未だこの様な間接民主主義を、何の疑念も懐かずに遣っていること自体時代遅れであるのは明らかですが、スマホさえ容易に活用できないおバカを我々が選良として国会に送っている以上、何一つ良くなることないだろうし、世界の潮流から目に見えて遅れていくのも宜なるかな。IT化社会など日本のごく一部の話。
 よくよく考えて下さい。インターネットは世界の仕組みまで根本から変えてしまったのですよ。国民の総意を反映する方法が、選挙によって代議員を選出する間接民主主義なんて、インターネット時代であればとうに卒業していなければならない筈なのです。
 なぜならインターネットは、直接国民一人ひとりの声や意見を反映できる(今のところ)唯一無二のツールだから。つまり代議員を通した間接民主主義など、私に言わせればそれこそ時代遅れなのです。国民の総意を実現するシステムとしては、それこそ前近代的な意思決定方法なのです。

 今の時代、直接ネット上で意見を求めれば、瞬時に答えは出てきますよ。間違いなく。
 例えば『自分はTwitterのトップにいるべきかそうでないか』、その進退について問い掛け、『YES』か『NO』かをTwitterを通して投票を呼び掛た、あのイーロン・マスク氏のような事は、今すぐ日本でも遣ろうと思えばできちゃう訳です。でもね、ぼーっとしてれば分からないだろうけど、これが『直接民主主義と実質同じ』であることは、ちょっと考えれば誰でも分かること。
 だが日本の政治家は我が世の春が永遠に続くと思っている愚か者ばかり。与野党含めてね。だから安倍政権時に野田元首相と約束した、身を切る改革である筈の『国会議員の定数是正』も未だ儘ならない日本の未来は暗い訳。でもね、それを変える可能性はまだ一つだけ残っている訳です。
 そう、国民の一人ひとりであるあなた方が、声をあげることこそが今一番必要なことなのです。

 

 現政権と日本の未来のお話 その⑨

 しかしそれを岸田政権は蔑ろにしている。民主主義を軽視している訳です。これは途轍もなく許しがたい行為だと断じましょう!

 なぜなら国会の議論や討論や議決を経ずして、『閣議決定だけ』で安全保障や国民の健康と生命に係わる議案(例えば『敵基地反撃能力の保持』、『原発60年以降も稼働可能に方針転換』『年金問題と後期高齢者の医療費負担増』)等々を強権的かつ専横的に決めてしまっているからです。

 何度も言いましょう。国会の審議を経ずして閣議決定や一党の会合だけで日本の方向性を決めてしまう政権は、民主主義の敵であるばかりでなくすべての国民の敵です。

 このように国民の総意を決定する代議員による国会の審議を経ずして、国家の重要な方向性を決定するのであれば、それを専横政治と言わざるして他に何と言えば良いのか!!!

 これでは腹ぼて習おじさん率いる中〇〇民共和国や、子熊のプー〇ン率いるロ〇アや、ロケット〇僧率いる北〇鮮などの、独裁専制政治国家と同等か、あるいはそれ以上に横暴な政権だと言わざるを得ないだろう。

 それを見逃していた国民も同罪だ。見た目で物事や人物を判断したり評価する、有象無象の国民に好感を以て迎えられた『善人の皮を被った狐』に、ものの見事に騙されてしまったのだから。

 この情況を戦前と比べて危機感を懐いている方は大勢居られます。殊に後期高齢者と呼ばれている年配の人達はそうだと思います。そのうち「国家総動員法」が施行されるんじゃないかと仰られる方も、ネットでは少なからず居るように思えます。

 そして私はそれをけして杞憂だとは思っていません。なぜなら戦前もそうした国防論が国民の間で高まったからこそ、政府と軍部は戦争へと突き進んでいったからです。戦前の「打倒鬼畜米英」が、今は「脅威中華・北・露」に変わっただけです。

 そうした無益なエスカレーションを煽り、無謀な軍拡を始めようとしているのは、あなた方が選んだ『善人の皮を被った狐』に他ならないのです。

 

 現政権と日本の未来のお話 その⑩

 色々言い分も反論もあるでしょう。でもね皆さん、こんな直言居士の私の言に腹を立てる前に、よく現状を考えてみては如何。

 今こそ声を出して立ち上がるべきではないですか!

 それは何も大きな声でなくても良いのです

 初めは小さな声でもいいのです

 それがたとえ小さな声であったとしても

 個が集まれば やがて大きな声となり力となり いつか奔流となるでしょうから

 そしてそれがやがては世の中を大きく変えることに繋がるのです

 私はそう思っています。

富士のシルエット.jpg

<前出夕暮れ時の別アングル写真。富士山の下に見える建物のシルエットは某ホームセンター>

 

 アニメの聖地探訪記は今回が最終回となります。

 通称『俺ガイル』の聖地を訪ねて、その最終話で主人公とヒロインがプロム(ハイスクールの卒業記念ダンスパーティー)の会場候補を見つけるために訪れた、アニメのシーンと同じ夕刻に写真を撮ろうと、ここ稲毛海浜公園の北にある検見川浜にやって来ました。そのとき図らずも目にしたのがこの下に記載した感動の日没シーンだった。

 写真はちょっと水平が保たれていないみたいだけれどお許しを。何しろ28,000歩強歩いてヘロヘロだったもので。というか六〇半ばを過ぎたご老体に、「ちゃんと撮れ」などと、無体なことを言っちゃ〜いけません!

稲毛海岸3.jpg稲毛海岸4.jpg稲毛海岸5.jpg

 東京湾の向こうに沈みゆく太陽と富士のお山。それはとても美しいものでした。

 こうした情景に巡り会えるのは、ものごとに感ずる心を失してはいないから。それと同時に、毎日を無為に過ごしていないから、それゆえの天からの贈り物なのかも知れません。

 まあそう思わなくてもこの浜にこの時刻に来れば、雨天や空一面の曇天でもない限り、誰しもが見ることはできるし感動するのは請け合いですがね。 

 さて冒頭で申し上げましたように、アニメの聖地探訪記は今回で終わりとなります。

 以下、ひとつひとつの文節が長いですから、忍耐強く最後まで読んで理解してね。

 このアニメのストーリーでは、初めは卒業プロムの本命である、雪ノ下雪乃企画のプロム開催プランの当て馬企画として用意された、比企谷八幡のプロムプランが八幡の雪乃への想いから実施の運びとなりました。そこでその会場選定のために休日に八幡と雪乃の二人して訪れた、稲毛海浜公園の検見川浜で見つけたのがこの結婚式場なのですね。

 場所と施設の名前は敢えて書きませんので興味があればご自分で調べて下さい。なかなかムードのある施設ですよ。私も実際に浜側からこの会場の結婚式を見ていましたが、なかなかムーディーな演出が為されているようです。こうした東京湾と沈みゆく太陽と、富士山のシルエットを背景にした、サンセット・ウエディングコースなんかあるみたいだし(^_^)

稲毛海岸2.jpg稲毛海岸1.jpg稲毛海岸7.jpg稲毛海浜公園から見た富士の夕暮れ1.jpg

 下の写真はオマケというか番外編で、比企谷八幡が妹の小町(通称『おこめちゃん』)の高校合格祝いを探すために、由比ヶ浜結衣と訪れた船橋の「ら〇ぽーと」&「IK〇A」でのエピソードのうち、八幡が大好きな『マッ缶』の塗装色と仕様そのままの自動販売機があった「ら〇ぽーと」北面で撮った写真です。MAXコーヒー缶と同じ塗装で、しかも缶と同じく自販機の裏面には飲料の原材料等の仕様まで缶の表記と全く同じに書いてある徹底ぶり。

 また曲がっているように見えるけれど、これは画角による歪みと仰角で撮っている所為です。

船橋ららぽーとのマッ缶自販機1.jpg船橋ららぽーとのマッ缶自販機2.jpg船橋ららぽーとのマッ缶自販機3.jpg

 こちらは自宅から近く、サクッと歩いて撮ってきました。とは言っても、常人ならば車で行く距離だし、人力ではせいぜいママチャリ通いで行く距離感なので、通常歩いて行こうとは到底思わない距離ですけどね。でも私は行っちゃう!(*´∀`*)

 これは余談ですけど、このら〇ぽーとにほど近いスーパーから、15kgから20kgもの買い物をして、買い物袋(トートバッグ等)を2つも肩から提げて歩いて行き来できちゃう私です。

 そんな、還暦をとうに過ぎて古希にあと数年に迫ろうというお年頃の私って、もしかして、否、もしかしなくても怪物くんでしょうか!?!?

 でも両足の親指なんですが、7ヶ月経った今でも痛みが引かず時折激痛が走るんです。しかも病院も医師も替えてみたけれど、色々考えられる要因はあれど最終的には原因不明という診断に落ち着いてしまうんですね。てな訳で、寒さが増したら痛みも増して、このところ3日に1回歩く程度に頻度が極端に落ちています。

 でもね一つだけ良いことが。普段から節制しているから、たとえ歩きを2日や3日休んだところで、体重はちっとも増えていないのですよ。減りも増えもしない適正体重をキープしたままです。ここ1ヶ月のBMIは24台をキープ、A1cは5.3、体内年齢は52〜56歳です。

<アニメの聖地探訪記はこれでおしまいです>

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 <寄り添う

 今年最後のお話となります。

 私は自分がいつも正しいとは思っていません。過去にどこぞの良識派ぶったネトウヨが私を指して「正義の味方のつもりか」と揶揄したような、単純な脳細胞の持ち主でもありません。つまり正義の御旗を振りかざすような、単純明快で一見して竹を割った性格にも、見ようによっては見える「正義バカ」でもありません。

 これまでの半生でも、間違った考えに基づいて行動して失敗した事も幾度かありますし、当然ながら判断を過つこともままある訳です。それは私ならずとも皆もそうでしょう。しかし、私は過去幾度も過ったことはあれど、それを改める事を一度も躊躇ったことはないし、間違いが他人に知られるのを恥ずかしいと思ったことも、おのれの間違いを人の目から隠そうとしたこともありません。むしろ「恥を隠すな!」と今は亡き父から教わりました。その意味を、今では十二分に理解しているつもりです。だからこそ、、、

『過ちて改めざる、これを過ちという』・・・この言葉の意味を皆には改めて考えて頂きたい。

『過ちを省みて、それを教訓として次の行動にどう反映させるか、それこそが己を成長させるための試金石となるであろう』、私からこの言葉を皆さんに贈ります。

 過ちは誰にでもある。しかしその過ちを隠すことが本当に己にとって良いことに繋がるのか、それをもう一度自分の胸に手を当てて真摯に考えて頂きたい。過ちを隠すということは反省しないということだ。そうして己の過ちをひた隠しにすることで、過ちから何一つプラスになるものを得られず、何一つ次に繋がる教訓を掴み取れないのだとしたら、過ちは唯の過ちで終わってしまう。そして同じ轍をまた踏んでしまうだけだろう。これでは人間の成長はないに等しい。それでいいの? 私はあらためて皆にそう問い掛けたい。

 ところで私がこのブログを始めて、もう16年目に入りました。そして今年は色々な意味で悲喜こもごもな一年でした。印象深い出来事は、やはり事実を追及したにも拘わらず、加害者扱いされ、挙げ句の果ては冤罪を着せられたことでしょうか。私を支援してくださる方々の中にも、多くのブロガーの『我関せずという態度や見て見ぬ振り体質』を見て、無力感に襲われてある意味力尽きた人も出てきました。人は十人十色とは言うけれど、良心や良識をこれ程までになくした世の中になっていたという事実に、打ちひしがれてのことだと私は解釈しました。

 私の考えに賛同し協力を申し出てくださった方々の中にも、現実には私とは異なった理由で義憤を覚え、立ち上がった方も居られました。その中で私と相容れない考えもありました。しかし私はそれらをすべて飲み込んで、前に進むことを選択しました。小異を捨てて大同につく道を選んだのです。

 しかしその事(相容れない考え)が、ずっとずっと喉に引っ掛かっていました。

「それは違うんじゃないか」、そう思ったのです。それはどの様なことかというと、仙〇に住むブロガー『J』さんという方が、この一連の出来事に関して、「自分には関係ない」という趣旨で私に返信コメントを返して来たことの是非を巡って、意見が分かれたことに起因しています。

 意見が分かれたのも当然です。元々不正を見て立ち上がった理由と目的が違うのですから。しかしそこで妥協したことは私にとっては負担だった。敢えて言うなら誤算でもあった。なぜならこの「自分には関係ない」という『J』さんという方と共通する、大方のブロガーの、日和見主義というか、傍観者的態度というか、見て見ぬ振りをする風潮こそが、私がもっとも忌み嫌い憎んだことだったからです。

『義を見てせざるは勇無きなり』なのですよ。

 私が本当のところ何(誰)と戦っているかと言えば、

 ちんけな嘘つき小銭稼ぎ男の『経験から何一つ学べなかったブログ』のstop-iiwakeでもなければ、

 お調子者の『マングローブのおろかもの』のtwo-keyでもなければ

 影でシコシコ欺瞞的手口大好きな『Mac-rock-Crosskey』のZORIでもなければ、

 ジキル博士とハイド氏的二面性が垣間見えた”病む”の『赤福の時間』でもなければ、

 こうした無法地帯を生み出してしまった最大の元凶である、

 当該ブログの不公正な運営方針あるいはサポートデスクの対応の誠実さの無さでもないのです。

「人々の醸し出す見て見ぬ振りをする風潮」という空気と私は戦って来たのです。

 まあ『空気』と戦ったって、糠に釘というか暖簾に腕押しだから、勝てないのは道理ですが!

 しかしそれを、私を支援し協力してくださった方から、『J』さんとは長年の付き合いがあるから非難できない、これまでと同様に付き合っていく、と言われると私には返す言葉がないのです。

 その頃に、「内容が過激になることで、却って読んで下さる人達を敵に回すことになるのは得策ではないのでは?」との忠告も頂きましたが、その忠告に私が耳を貸さなかったのは、そうした過半の日和見主義ブロガーが放つ、『空気』と『見えない毒』こそがブログの環境を悪くしている一大要因だと看破していたからです。

 世の中が正常(『清浄』と置き換えてもいい)ならば、不正や欺瞞や虚偽は蔓延らないのです!

 以来、時間が経って改めてその時の心情を顧みれば、私はあの時もっと意を尽くしてその支援してくださった方に、真意を伝えるべきではなかったかと思ったのです。

 あの時の私の心の内にあった煩悶には、言葉に出さずとも想いを致して欲しいと願っていました。でも言葉を尽くさなければ、実際のところそれを理解することもできなかったでしょう。もしそこで私の思いを吐露し、それでも意見が分かれたままなのであれば、これまで支援してくださったことに感謝しつつも、この件に関しては袂を分かつことも必要だったのかも知れません。友好関係はこれまでと何一つ変わりはしませんけれど。

 それが何とも悔やまれる。後の祭りですが。

 ちなみに『J』さんは、『経験から何も学べないブログ』のstop-iiwakeから自分のブログにnice!が押されれば、『お礼nice!』をしに行って何一つ憚ることがない人物だと思います。《未確認ですが今でもそうしていると思われます》つまり他人の痛痒などどうでも良いと考える人物だと私は断じましょう。現実にもそうコメントを返されましたからね。

 もちろん『J』さんが悪人だなどと言っている訳ではありません。会えば人の良いおじさんなのかも知れません。でもね、許せないことは許せないのです。そうした私が許せないと思うことを、『J』さんは臆面もなく平然と私の記事のコメント欄に書き込んだのです。

 所詮他人事だと思っていたから、そう書けば相手がどう思うかなど考えもせず、無責任な言葉を平然と吐けたのです。このような『J』さんのぞんざいな態度を、法律用語では『未必の故意』って言うんです。意味は自分で調べてください。

 その意味を調べれば、今の世の中がどの様な感情で満たされているかを、あなたは知ることが出来るでしょう。私はそれを、『無責任な感情が招く悪』だと捉えています。

 だから私はこうした、「自分だけが良ければいい。他人がどうあろうと我関せず」という欺瞞的かつ偽善的行為と、その傍観者的態度を断じて容認できないのです!

 さて、今年最後のこのコンテンツのテーマは上記の通り【寄り添う】です。

 この言葉は、美智子上皇后さまが東日本大震災のおりに、被災地に赴き、その中で未曾有の災害に遭われた方々一人ひとりに(実際に)寄り添って、心の籠もった言葉をお掛けになられた頃からクローズアップされたように思われます。

 それ以来、人々は痛手を負った人々(誰か)に、寄り添うことこそが何よりも大事だと思うようになったようにも思えるのですが、(こんなことを言っては皆は私に反感を覚えるのかもしれませんが)それは皆さまが心底そう思ってそうなされているのか、私には疑問に思えるのです。

 なぜなら人々の本音は、《日和見主義というか、傍観者的態度というか、見て見ぬ振りをする風潮》そのものなのですから、私がおいそれとそうした『寄り添う風潮』を信じられないのは、当たり前と言えば当たり前なのです。実際言っている事と遣っている事が異なる、口だけの人が過半を占めていると私は思っています。だから・・・

 所詮上辺だけのお付き合い、そんな本音が一つ一つのコメントから透けて見えるのです。

 それに対して私が言いたいのは、「それでいいの?」という問い掛けです。

 何もこの問い掛けは、私が関わったこのブログ内のトラブルに限った話ではないのです。政治、ロシアのウクライナ侵攻、中国・北朝鮮などの国際情勢、安全保障、物価高、年金問題、未曾有の少子高齢化社会の到来、日本国(国勢)の衰退等々は、本当は身近で切実な問題なのに、それらから目を背け、嵐が過ぎるのをただ待っているだけの人々。

 そうした日本人一人ひとりの行動の総和が、世の中を動かしていると私は思っていますし、その結果の『今の日本』なのだと思う訳です。

 そして、その根本にあるのが、人々の、日和見主義、傍観者的態度、見て見ぬ振りをする風潮そのものなのだとしたら、日本の未来はけして明るいものにならないだろうと思っています。

 だからもう一度、皆さまに問いたい。

『ほんとうにそれでいいの?』

 ではでは皆さま、良いお年を・・・。

干潟夕景.jpg

 最後に一言。 大晦日に、こんな重いテーマばかりでご免なさいね。

 来年が、善良で他人様(ひとさま)への思い遣りを忘れない皆さまにとって、良い年であることを心よりお祈り申しあげます。

 来年の流行語大賞が、弱きを扶け強きを挫く『勧善懲悪』であったらいいな。

 

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Baldhead1010

2023年もよろしくお願いします。

健康に留意され、お過ごしください。
by Baldhead1010 (2023-01-01 03:31) 

hirometai

U3様
令和5年、あけましておめでとうございます。
昨年は、U3さんにとっても自分にとっても色々ありましたが、今年は、佳い年にしたいと願っています。
みて見ぬ振りをしないように心掛けます。
本年もよろしくお願いいたします。
by hirometai (2023-01-01 04:44) 

ライス

おはようございます。
また1年、健康でやりたいことができますよう、
より良い深淵をお迎えください!
ブログは、負担にならないようマイペースが一番だと思います。
記事の投稿・更新は、ゆっくりお待ちしております。

最近思うのですが、政治も、企業も、国民も、
忖度(事なかれ主義)、保身、責任転嫁、隠蔽、仲良しクラブ大好きなど、
日本人が好む文化が根付いていて、悪い方向に進んでいる気がします。
某ブロガー(お山(サル山)の大将)とその取り巻きの件も同じですね。
ちょっと考えればわかると思うのですが、日本人には難しそうですね(汗)
by ライス (2023-01-01 05:25) 

U3

☆Baldhead1010さん 明けましておめでとうございます。
 大晦日は紅白歌合戦も見ず、BSの「トランスジャパンアルプスレース」を見て、その後「行く年来る年」も見ず部屋に引き籠もりました(o゚▽゚)o。
 そして布団の中で、ストリーミング配信されている、ベートーベンの交響曲第9番『合唱』を聞いているうちに寝てしまいました。
 そんなメリハリのない一年の終わりでしたが、今年は良い年であることを願っています。
 Baldhead1010さんも、お体を大事になさってください。ではでは。
by U3 (2023-01-01 10:30) 

U3

☆hirometaiさん 明けましておめでとうございます。
先日本屋さんで四柱推命の占い本のページをぱらぱらと開いて見ていたら、2023年の私はかなり運勢が良いとのこと。
占いなど信じない方ですが、少し期待しちゃいました(@^▽^@)
本年もよろしくお願いいたします。
by U3 (2023-01-01 10:34) 

U3

☆ライスさん 明けましておめでとうございます。

>より良い深淵をお迎えください!

うっかりタイプミス(『新年』→『深淵』)をされたようですが、なんとも意味深で味わい深いお言葉を賜り、感謝感激雨あられです( ̄∇ ̄)
例の『経験から何一つ学べない侮露愚野郎』も『マングローブのおろかもの』も、反省できない人間なので、いずれはその報いを受けるでしょう。だから私が今さら鉄槌など下す必要はないと思っています。
そして今年こそは、私やライスさんが言っている、日本人のそうした悪しき慣習が、問われる年になるべきだと私的には思っております。
今年もよろしくお願いいたします。
by U3 (2023-01-01 10:45) 

枝動

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
本年もよろしくお願い致します。
by 枝動 (2023-01-01 11:52) 

U3

☆枝動さん、明けましておめでとうございます。
こちらこそ今年も変わらぬお付き合いのほどよろしくお願い致します。
by U3 (2023-01-01 11:58) 

starwars2015

大晦日は紅白歌合戦をながめて年の暮れを過ごしました。
今年はうさぎ年なので飛躍したいです。
by starwars2015 (2023-01-01 12:05) 

U3

☆starwars2015さん、おはようございます。そして明けましておめでとうございます。
うちのかみさんは、今年年女!
by U3 (2023-01-01 12:14) 

ma2ma2

明けましてお目出度うございます。
本年も宜しくお願いいたします(^^)
by ma2ma2 (2023-01-01 12:40) 

お散歩爺

あけましておめでとうございます!
本年も宜しくお願い致します!!
by お散歩爺 (2023-01-01 13:08) 

風神

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
by 風神 (2023-01-01 13:31) 

Boss365

こんにちは。
本文、目に厳しいので読んでませんが(申し訳ない)・・・
「善良で他人様への思い遣りを忘れない」は大切ですね。
本年もよろしくお願いいたします!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2023-01-01 13:48) 

ファルコ84

新年あけましておめでとうございます。
今年も引き続きよろしくお願いいたします。
良い年でありますように。
by ファルコ84 (2023-01-01 16:53) 

まるたろう

明けましておめでとうございます。
昨年もご訪問頂きまして、ありがとうございました。
今年も記事更新される時を楽しみに拝見致しますので、
どうぞよろしくお願い致します。
by まるたろう (2023-01-01 21:29) 

みずき

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします(*^^*)
学生時代に初めてマックスコーヒーを
飲んだ時の衝撃を思い出しました。

by みずき (2023-01-01 23:01) 

ナベちはる

昨年は大変お世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
by ナベちはる (2023-01-02 01:00) 

拳客

開けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
「俺ガイル」もう一度観返そうと思います。
by 拳客 (2023-01-02 17:01) 

tomi_tomi

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。スッキリとした新年であられると願います
by tomi_tomi (2023-01-02 17:08) 

U3

☆ ma2ma2さん
☆お散歩爺さん
☆風神さん
☆Boss365さん
☆Boss365さん
☆ファルコ84さん
☆まるたろうさん
☆みずきさん
☆ナベちはるさん
☆拳客さん
☆tomi_tomiさん
年始のご挨拶ありがとうございました。
記事を更新しないと書きはしたのですが、元日に素晴らしい光景を目にしまして、それをスマホに納めましたので、お休みは少し先に延ばしました。
明日の午前0時から9日間連続で、写真中心の記事を更新します。
私の信条に反して、文字は必要最低限に抑えましたので、気安く且つお手軽に鑑賞することが出来ます。
よろしければ是非ともご覧になってくださいませませ!
by U3 (2023-01-02 18:41) 

tochimochi

明けましておめでとうございます。
長文記事やっと読み終えました。と言っても端折ったところもありますが・・・。
他ブロガーとの確執は以前にも読ませていただきました。ただ私は判断できるほど理解してませんのでノーコメとします。
<現政権と日本の未来のお話>は頷ける事ばかりです。ただそれを等しく選んだ、または選ばなかった国民のせいというのは疑問を感じます。
いい加減目覚めてNOと言おうというのも分かります。しかしそれを語り合う相手は相変わらず現政権の云う事を鵜呑みにしている方がほとんどです。話が噛み合わず、諦めてしまうことが多々あります。今は静観状態なのが悲しいです。

by tochimochi (2023-01-04 11:20) 

U3

☆tochimochiさん、明けましておめでとうございます。
こんな毒吐きブログを読んで頂けただけで嬉しく思います。
人の考えは十人十色ですからその、自分の考えを強制することが出来ないのはtochimochiさんもご存じの通りです。
>相変わらず現政権の云う事を鵜呑みにしている方がほとんどです。
との記載がありますが、まったくその通りだとも思います。
でもそれで諦めてしまってはいけないんじゃないか、というのが私の考えです。
折に触れ話しを持ち掛け、相手が聞く耳を持たなければ聞くように仕向け、地道に、辛抱強く、話す努力さえ惜しまなければいつかは道が開けると私は信じています。
時々心が折れそうですけどね(@^▽^@)
by U3 (2023-01-09 18:36) 

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